パラフィリア~関市・高齢夫婦殺害事件~

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「包丁で脅されて怖い思いをした。祖父母ともう話せないと思うと悲しいです。(被告人には)二度と私の前に現れないでほしいし、できるだけ長く刑務所にいてもらいたい。」

平成28年11月29日、岐阜地方裁判所。
この日、ある殺人事件の初公判が開かれた。事件は2年前の11月11日に起き、その後、犯行の残虐さ、逮捕された男の言動に不審な点があることなどから精神鑑定が行われるなど、初公判までには時間を要した。

結果を受けて検察は責任能力を問えると判断、この日ようやく初公判を迎えた。

検察は冒頭陳述のあと被害者の家族の調書を読み上げ、犯行の悪質さや被害者遺族の処罰感情が厳しいことなどにも触れた。

男は若干二十歳。
男の罪は、面識のない高齢夫婦をいきなり襲い、ふたりとも刃物で殺害するという残虐極まりないものだった。しかも、その動機は自己の欲求を満たしたいがために邪魔な存在を殺したという、被害者に一点の落ち度もないものだった。

しかも、その現場にはもうひとりいた。
この被害者夫婦の中学生の孫である。犯行はその孫娘の在宅中に行われた。

殺害は、単に通過点、目的を果たすための障害物除去だった。
男の本当の目的は、この孫娘との”太ももプレイ”だったのだ。

事件

平成24年11月11日昼頃、岐阜県関市の住宅で高齢の男女が刺されて倒れていると通報が入った。
倒れていたのはこの家に暮らす井上大三さん(当時81歳)と、妻の美智子さん(当時73歳)。二人とも重体だったが、後に死亡が確認された。
二人には首に多数の刃物による刺し傷が認められた。大三さんは左頸部に少なくとも7か所のメッタ刺しと呼べる傷があり、妻の道子さんにも、左頸部に少なくとも3か所の刺し傷があり、二人とも動脈、静脈が切断されたことによる失血死だった。

事件が発覚したのは、この家の孫娘の通報だった。
たまたま帰宅していた当時14歳の孫娘は、祖父母とは別の部屋にいたところ、男が侵入してきて、あっという間に祖母の美智子さんを、続いて祖父の大三さんを刺したという。
その後、一時はこの孫娘も包丁で脅されて2階へと連れていかれたものの、何とか逃げ出して難を逃れた。

通報が入った直後、警察には外部から別の通報も入っていた。

「包丁を持った若い男が自転車でうろついている」

孫娘の供述から、男の服装が分かっていた。
男は二十歳前後の若者で、黒と白のボーダーのロンTを着ていたという。
警察が緊急配備を敷いていたところ、事件現場の住宅から約1キロほど離れた場所で血の付いた姿で裸足でうろつく男を発見。
警察官が声をかけると、男は逃げ出した。
たまたま取材に出ていた中日新聞社の記者らも加わり男を追跡したところ、河原の草むらへ逃げ込んだところで確保された。

男は暴れることもなく、おとなしく連行されたというが、その両手は血まみれ、来ていた服の裾にも、血がついていたという。

ただ、この時男が着ていたのは、黒と白のボーダーロンTではなく、白いTシャツだった。

トイレを借りる男

逮捕されたのは井上さん宅から800mの所に暮らす無職の笠原真也(当時20歳)。
父親と同居していたというが、仕事もせずにいた。近所の人らはたまにコンビニで買い物をしている笠原を見かけることがあったといい、顔見知りの人には会釈するようないわば普通の男だったという。

笠原の同級生らによれば、目立つタイプではなかったがどちらかというと活発な人物だったという。成績は振るわなかった。中学を卒業して以降、高校には進学せず父親に1日千円もらって生活していたが、身なりに気を遣わなくなり、イメージが変わったと話す人もいた。

なぜ笠原は井上さん宅に押し入り、夫婦を殺害したのか、その殺害方法を見ても、短時間でしかも首を複数回刺すなど、強い殺意が感じられた。
まるで、最初から殺すつもりできた、そんな印象だ。
年齢的な接点で言えば、大三さん夫婦よりも孫娘のほうが近い。しかし井上さんの孫娘は、この笠原のことを全く知らなかった。

実はこの日、笠原はこの家に狙いを定めていたわけではなかった。大三さん夫婦を狙って殺害したわけではなかったのだ。

この日、笠原は午前中に別の民家の前にいた。狙いは、この家だった。
玄関を開けて中に入ると、家人とみられる女性が怪訝な顔で奥から出てきた。とっさに笠原は、「トイレを貸してほしい」と言ったが当然これを断られたため、その家を出たのだ。
その後さらに、井上さんとは別の家に向かった笠原は、その家の玄関にカギがかかっていたことでその家を諦め、3軒目で井上さん宅に侵入していた。

1軒目も2軒目も、笠原は前々から調べて狙いをつけていた。

これらの家には、笠原の理想があった。理想の、太ももが。

それにいたる癖

笠原は逮捕された直後の取り調べにおいて、井上さん宅の洗濯物を見て女子中学生がいることを知り、いたずら目的で侵入したと話していた。
そして、たまたま家に井上さん夫婦が居合わせたために殺害した、ということも。
しかし、犯行後人目を忍ばず血まみれの姿で家まで戻り、その後また外出しようとするなどその行動には不審な点があった。
着替えたという衣服も裾には血がつき、その手も洗わないままだった。
追及された笠原は、

「もっと人を殺せば死刑になれると思い、別の人を殺そうと思い外出した」

と答えた。

この時点で弁護人には、井上さん宅にはたまたま入った、と話していたが、実際には洗濯物からその家の家族構成を把握し、対象者に目星をつけて侵入していた。
にもかかわらず、今度は無差別に人を殺そうとしたというのか。死刑になるために?

結果から言うと、これは「嘘」だった。
後の公判において、笠原自身も嘘だったことを認めている。
では、笠原の真の目的とは何だったのか。

それはかねてより笠原自身を悩ませていたある特別な性癖に関係していた。
笠原は、女性の太ももに異様な執着、性的興奮を感じるという性癖を有していたのだ。

笠原は事件が起きた平成26年の3月、電車で見かけた女性の太ももに異様に惹かれたという。それはこれまでにないほどの興奮で、その太ももになんとしても自身の性器をこすりつけたい、そういう欲求にとらわれるようになった。
思えば、幼少のころから太ももへの性的な執着はあった。それが、この時はっきりと強く笠原自身に自己主張したのだった。
同時に笠原は、この欲求が高まれば高まるほど、この欲求を失うこと、この興奮が分からなくなる日が来ることを恐れるようになった。
そしてそれは笠原の日常生活、社会生活を脅かし始める。
笠原は引きこもりがちではあったが、友人がいた。この友人らが、笠原と社会の唯一の接点だったわけだが、その友人らが笠原同様に太ももに性的な興奮を感じるわけではないため、笠原からしてみればこの良さがわからない人たちと一緒にいると、そのうち自分までその良さがわからなくなるのではないか、という不安にとらわれるようになったのだ。

結果として、笠原は友人らとの交流を断った。

一方で太ももへの欲求は強まり続け、1度でも理想の太ももプレイをすることが出来ればここまでの欲求にとらわれることはないのでは、と考え、とりあえず女性をナンパしてみようと考えた。
しかし中学卒業後はろくな社会生活を送っていない男についてくる女性などおらず、笠原の欲求は増大の一途をたどる。
そうするうちに、少々手荒なことをしてでも太ももプレイがしたいと思うようになっていく。
笠原は自殺も考え、実際に首吊り用のロープを用意したりもした。
そして、死ぬくらいなら女性を拉致して無理矢理太ももプレイをすればいいと思い始める。しかし実行は出来なかった。

思いついたのは事件の前夜だった。
同年代の女性には抵抗されれば逃げられる可能性が高く、騒がれてしまうのは間違いない。拉致する場所だってない。
ならば、女子小中学生が住んでいる家に押し入り、そこで脅して太ももプレイをすればいい……
もし家に人がいたら?

邪魔者はいなくなればいい。笠原は、家人を殺してでも理想の太ももプレイを行うと決意した。
この時の気持ちを、後に笠原は「清々しい気分」「苦しみから解放されると思った」と話した。

理想はどこへ

決断した笠原は翌日さっそくホームセンターで粘着テープといざという時のための牛刀を購入。自宅からは太ももプレイ用のローションを持ち出した。
そして、前々から「好みの太もも」の女の子が住んでいる家へと向かう。これが、最初の家だった。
しかし先述のようにそれが叶わなかった。そこで、次の家に向かうわけだが笠原にとってはその家にも好みの太ももの少女がいることはリサーチ済みだった。
が、ここも侵入することは出来なかった。

おそらく笠原の中で、もうその欲求は衝動、暴発寸前だったのだろう。3軒目に選んだ井上さん宅の孫娘とは面識すらなく、どんな太ももなのかすら知らなかったのに、洗濯物から中学生の女の子がいるというだけで侵入を決めたのだ。
お前の好みはどうなった、好みでなくていいなら風俗でも行けばよかったのではないのか。

この地域は治安も良く、在宅時は鍵をかけない家も少なくなかったという。
笠原が侵入した物音で、美智子さんが廊下に出てきた。迷いはなかった。邪魔者は排除すると決めていたのだから。
そして和室でくつろいでいた大三さんが笠原に気づいていない状態であるにもかかわらず、その首をメッタ刺しにして殺害した。

目的はただ一つ、この家の少女の太ももに欲望を擦りつけること。

別の部屋にいた孫娘を台所に追いつめ、包丁を示して「ひざまずけ」と脅し、その後二階に上がれと指示。子供部屋でうつぶせにさせたうえ後ろ手に粘着テープで縛りつけ、そして暴発寸前のその念願を果たそうとした……

が、逃げられた。幸いなことというと重大な事件においてふさわしくないかもしれないが、この事件の中で唯一、幸いだったのが少女が無事だったことだ。

太ももフェティシズム

平成28年12月6日、検察と遺族側弁護士は笠原に対して死刑を求刑した。
裁判員制度導入以降、岐阜地裁での死刑求刑は初だった。

検察と遺族側弁護士は、あらかじめ包丁を用意しており計画性が認められ、殺意も強く生命軽視の姿勢が顕著とし、被害者参加制度で初公判から傍聴していた井上さん夫婦の長男は、笠原から謝罪の一言もない以上、「死刑こそが最後の親孝行」と述べた。

対する弁護側は、単なる性欲解消目的では説明がつかない犯行であり、さらには井上さん宅に侵入した際には家族構成を調べておらず計画性もないとした。また、笠原にはフェティシズム障害があり、更生の可能性があるとして刑の減軽を主張した。

笠原は精神鑑定において、太ももプレイをしたいという動機についてはこのフェティシズムが直接的に関係していると認定された。
私たちは簡単に、〇〇フェチ、などということがあるが、笠原のフェティシズムは深刻だった。
定義としては、少なくとも6か月以上にわたる生命のない対象物に対する強烈な性衝動、その性衝動、妄想、行動により著しい苦痛、社会的職業的な障害があるなど、その診断は熟練した専門家でないと行えないほど複雑だという。

たしかに、笠松の太ももへの異常な執着、性的興奮は裁判でも明かされたように本人にとっても苦悩であり、一方でそれを失うことを恐れて友人との関係を断つなどもはや異常である。

裁判員らは、死刑求刑という事態に直面し、わかってはいても想像以上の苦悩だったと後に話している。
たしかに、犯行自体を見れば一点の落ち度もない高齢夫婦をいきなり殺害しており、しかも2人ともなれば永山基準に照らしても死刑判決やむなしとも言えた。
井上さん夫婦は愛知県で暮らしていたというが、長男夫婦がここに呼び寄せたのだという。
事件後、当然のことながら家に住めなくなり、遺族らは食事ものどを通らないほどに打ちのめされていた。訪ねてくる人、物音にも敏感になり、生活は一変した。

裁判まで2年近くかかっていたが、笠原からは一切の謝罪もなく、唯一、笠原の父親からの謝罪文を目にはしたものの、心には何も響かなかった。

ただ、精神鑑定で笠原の中に本人ではどうしようもない部分があったことも事実だった。

永山基準のいう「死刑を選択することが真にやむを得ないと認められる」場合においてのみ、という条件に、笠原は合致するのか。

結果は、無期懲役だった。

殺人や強姦などの行動に出たこと自体はフェティシズム障害が直接的に影響したとは言えないまでも、他の、自己中心的で身勝手な欲求から引き起こされた事件とは違うと判断された。
裁判所と裁判員は、検察が主張するような「殺人の中でも最も悪質」とまでは言えないとし、検察の死刑求刑に対して無期懲役の判断を示した。

裁判員の一人は、「判断するのが怖かった」とその心労をこぼした。

無念

井上さん夫婦は孫娘をことのほかかわいがっていた。
あの日、孫娘はたまたま早退していたのだという。最初の2軒もそうだが、事件当日は火曜日で平日。普通で考えたら、目当ての女子中学生が在宅している可能性は低いように思うのだが。
前夜、入浴しているときに犯行を思い付いたというが、いてもたってもいられずに犯行に及んだというにしても、目的がある以上、どこか不自然な気もする。

結局は、太ももプレイが出来れば誰でも良かったのではないのか。
フェティシズムはたしかに笠原を苦しめたと思うが、一方で笠原自身、それを失いたくなかった。ただそれは恥ずべきものという思いはあったようで、当初死刑になるためにやったのだと言ったのも、裁判で自身のフェティシズムを知られることを恐れたためだったという。

そんなこと、と軽々しく言うつもりはない。実際に笠原はそのフェティシズムに悩み、命を絶つことも考えていた。笠原だけではない、ほかにもいるだろう。

しかし、それと井上さん夫婦とは何の関係もない。
穏やかな老後を孫たちに囲まれて暮らしていた、どこにでもいる人だった。その人の、家族の日常をぶち壊し、再起不能にし、さらには同じ年ごろの子供を持つ家庭を恐怖に陥れ、地域にも大きな暗い影を落とした。

結局、笠原は今に至るまで理想の太ももプレイどころか、なにひとつ欲求を満たすことなく、終わった。
そして、それに悩んで死をも考えたという男は今も、おそらく塀の中で生きている。

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参考文献

中日新聞社 平成26年11月11日夕刊
NHKニュース 平成26年11月12日、14日
朝日新聞社 平成26年1月12日、13日名古屋朝刊、平成28年12月1日名古屋地方版/岐阜
岐阜新聞社 平成26年1月13日、18日朝刊、平成28年11月29日、12月6日夕刊、平成28年12月7日、15日朝刊
時事通信社 平成27年3月6日
毎日新聞社 平成28年11月28日中部朝刊、12月28日中部夕刊
読売新聞社 平成28年12月15日中部朝刊

平成28年12月14日/岐阜地方裁判所/刑事部/判決/平成27年(わ)72号