忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場

早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。

5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。
その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

(残り文字数:8,912文字)

衝撃の告白と被害者家族

殺害された信吉さんは、自動車教習所の教官を経て、カメラ店を経営していた。人望があり、面倒見の良い性格であったといい、自身の肺がんの手術も乗り越え、これからの老後を楽しみにしていた。
妻の秀子さんは、長年看護師として働いており、2人の息子と夫との幸せな暮らしの中にあった。次男は警察官として立派に自立し、覚さんも次男も同時期に結婚式を挙げることが決まっていたことから、近い将来増えるであろうお嫁さんや孫に思いをはせ、退職後の生活にも夢を抱いていたことだろう。

嘉信は家が近いこともあり、4つ違いの覚さんとは小学3年まで同じ小学校に通っていた。
通学班も同じで、遠縁にもなるというふたりは、同じ小学校に在籍していたころは特に何かがあったわけでもなかった。
家を行き来することもあったし、ごく普通の子ども同士の付き合いであった。
しかし、覚さんが中学に上がると、接する機会も減っていき、2人は疎遠になっていく。
嘉信が小学4年生の時、久しぶりに会った覚さんに、嘉信は不可解な行動を強要される。
(注:以下の内容は本来伏せるべき内容かもしれないが、この事件においてこの部分を覆い隠してしまうことは、事件の本質を覆い隠すことになるためあえて書く。
誇張や不確かなことは省きたいので、判決文を参考にまとめた。)

なんと覚さんの性器を舐めさせられたというのだ。にわかに信じがたいが、話はまだ続く。
そのうち、舐めるだけではなく咥えさせられたり、射精後の精液を飲まされるなどもした。
嘉信はその行為の意味が分からなかったと供述しているが、裁判の過程で嘉信の母親によれば、「泣きながら帰ってきたかと思うと口をゆすいでいたことがあった」とのことで、どういうことかわからないとはいえ、泣くほど不愉快なことであったこと、そしてこの証言と併せて考えると格段に信憑性が増す。
しかも一度や二度ではなく、10数回に及んだという。

また、近隣の人の証言によれば、覚さんによる嘉信への「いじめ」は有名で、しかもそれがきつい言葉を浴びせるなどの言葉によるいじめではないということも、周囲の同年代の人間の多くは知っていたという。

本当の悲劇は嘉信が中学へ上がり、思春期に入って幼いころの自分が意味も分からず強要されたあの行為がどういった意味を持つのかを知るところから始まる。
激しい屈辱感が嘉信を襲った。
考えてみてほしい、男でも女でも、性的な行動を自分の意志に沿わない形でさせられていたとしたら。
近所の異性の友達とお医者さんごっこをしたとかいうレベルではない。もっと直接的で、感触としてもその比ではないだろう。
人は、幼いころから性的なものに少しずつ触れ、早い遅いは多少あるにせよ、思春期以降に自分の意思でもって踏み込んでいくものだ。
それを、何の段階も経ずに大人でも経験のない人がいるようなレベルのことをやらされてしまっていたのだ。

そして、その意味を知った時の嘉信の心を思うとこればっかりは100%同情してしまう。
事実、嘉信はそれ以降、周囲の態度に過敏になってしまう。誰かが笑っていれば、自分のことがばれたのではとびくびくし、まるで自分が悪い、汚いものであるかのように怯えていた。
誰しもが経験するように、女性との性的なシーンを想像することもあったが、そのたびに自分が受けた性的暴行も同時に思い出してしまうため、意識的に女性への感情を封じ込めた。
剣道部に所属していた嘉信だったが、部員から外見等をからかわれることがあったという。
それについても、「本当はみんなあの事を知っていて、それで自分をからかうのではないか」などと思うようにもなっていた。
加えて、精神的にも胸が締め付けられる、体が異様に熱く感じる、無性に怒りがわいてくるといった変調もこの頃から感じるようになった。
剣道に打ち込んで気を紛らわそうともしたが、そんな時に限って、自分が受けた性的暴行の夢を見るようになっていた。
寝ても覚めてもあの忌まわしい記憶が頭を離れることはなく、それを打ち消すような楽しいことも嘉信にはなかった。

そして、時間が経つにつれてその憎しみ、悲しみ、屈辱感、怒りと言った感情は、薄れるどころか増幅し、その根源は覚さんにあると確信するようになっていく。

殺意の形成

高校生になってもそれまで同様に体調の変化に悩まされる日々であったが、地元を離れ東京の専門学校に通う頃は、周囲からはオタク気質はあるにせよ、明るく話好きな人間と思われていた。
近くに覚さんの姿もなく、自身のあの記憶を呼び起こさせるような風景とも違う都会の暮らしの中で落ち着いていたともいえるが、大人になるにつれて覚さんに対する殺意に近い感情もこのころ芽生えていたという。
犯行に使用したニンジャ・ソードも、この頃護身用として手に入れた。覚さんでなくても、都会には似たような危ない人間がいるかもしれないと考えてのことだった。

このまま地元に戻らなければ、この事件も起こっていなかったかもしれないが、専門学校卒業後、嘉信は実家のある町へと戻ってきた。
長く勤めると自分の過去がばれてしまうかもしれないといつも怯えていたため、一つの場所で長くは勤めなかった。その当時は、長井市の送配電用品の会社で勤務していたという。他人に咎められることが噂話などに結び付くかもしれないと思っていたのか、もともとの性格だったのか、無遅刻無欠勤、無口ではあるが真面目だったというのが周囲の評価である。
東京にいた時の嘉信は、明るく話好きと評される一方で、「ルーズな人」という印象もあった。しかし、地元に戻ってからは、なるべく人の口の端にのぼらないよう、自分の印象を消していたような節もうかがわれる。

そして時を同じくして、覚さんについての情報を耳にする。
なんと覚さんが逮捕されたというのだ。実家も少し離れているとはいえ実質隣同士で、親戚づきあいもあったため、そのことは嘉信の耳にもすぐにもたらされた。
さらに、逮捕された理由が「婦女暴行」であったことが嘉信を打ちのめした。
もしかしたら嘉信は、覚さんと自分との間のことは子どもの一過性の遊びであって、覚さんとて本来はそのような事をする人間ではないと信じたかったのかもしれない。
そうすることで、自分も救われる(覚さんも口に出さなくてもきっと後悔しているのでは)と思っていたのかもしれない。
しかし、覚さんは大人になってからも性的な事件を起こした。自分と同じ、酷い思いをさせられた人がいることで、自身の身に起きたことも紛れもない事実であると、再認識させられた気になったのかもしれない。

嘉信を打ちのめしたのは他にも要因があった。
比較的早い時期に社会復帰した覚さんが、まるでなにもなかったかのように実家に戻り、普通に生活をしているのを目の当たりにしたからだ。
他方で、死ぬほど苦しんでいる人間がおり、被害者であるにもかかわらず、そのことを知られまいとして怯えて暮らしているのに、なぜ加害者である覚さんが堂々としていられるのかがまったく理解できなかった。

残念なことに、世の中犯罪を犯して陰に隠れひっそりと生きる人間は稀である。
特に性的な犯罪を犯す人間は、どこかで軽く考えている節があるのではないか。実家で一時的ではあるが暮らしていることからも、おそらく覚さんの両親をはじめとする家族も、嘉信や周囲が思うほどその罪を重くとらえていなかったのかもしれない。
嘉信にとって、これは思いのほか堪えることであった。

平成17年から18年にかけては、自身の体調が思わしくないのは全て覚さんのせいであると思うようになっていた。
ニンジャ・ソードであらゆるものを試し斬りしてみたり、空想の中で覚さんを殴ったりしてみた。
そしてその思いは日ごとに強くなり、具体的な殺害方法も考えるようになったという。
その年の4月、休暇で覚さんが実家に戻った時を狙って、ついに殺害を実行しようと本気で考え始める。
GWの5月6日、実家付近を車で走行する覚さんを見かけた嘉信は、覚さんが実家に戻っていることを知る。
その時は「嫌なものを見た」程度の感情であったが、体の奥底からわきあがる憤怒の感情を持てあましていた。
それでも、自分も弟が実家に来ているし、覚さんも実家にまだいるとは限らず、心を落ち着けるために部屋に戻り、夕食を食べた後プラモデルつくりに没頭する。
作り終えたのは日付も変わった5月7日午前3時ころ。就寝前にシャワーを浴びようと思ったが、突如体が熱くなってあの性的暴行の記憶が甦り、嘉信を苦しめた。
いつもなら自分の体を叩いたりしておさまるものが、この日はなぜかおさまらなかったという。

そして、午前3時20分、耐えきれないと感じた嘉信は、かねてからの妄想を実行に移してしまった。

PTSD

裁判が始まり、当初から嘉信が覚さんに対して恨みを抱いていた、ということは知られていた。
しかし、それがまさか性的暴行であったとは、捜査関係者も思わなかったろう。
また、覚さんだけでなく父親の信吉さんまで殺害していることなどから、「両親を殺すつもりはなかった」とする嘉信の自白は信用できないとした。
弁護側は自白が逮捕直後の混乱の中で作成され、心身疲弊の状態で、なおかつ「あれだけのことになって殺すつもりがなかったのはおかしい」「信吉さんの胸部に深い傷がある以上、(殺す意図をもって)胸を最初から狙ったのではないか」などと言われたため、そうかもしれないと思うようになっての自白であり、信用できないとした。
しかし裁判所は、供述調書には嘉信の申し出で行われた訂正や、具体的なエピソードも記されていること、そしてなによりその殺意が形成されるに至ったきっかけから過程は、嘉信自身でなければおよそ語り得ない内容であることなどから、自白は十分に使用できるとした。

また、嘉信の口からしか語られていない性的暴行については、事実と認定した。
これには遺族は当然抗議のコメントを出した。

「被告は嘘ばかり言っており、それに基づいて裁判が進むのは耐えられない」
警察官だという弟は、兄の「汚名」をなんとしても打ち消したかったのだろう。
しかし、強盗目的でも通り魔的な犯行でもなく、ということは家人のいずれかになんらかの強い恨みを抱いていたことは容易に理解できること、その中で覚さんに対しての執拗な攻撃からみても、覚さんに対しての強烈な恨みが認められる。
他の供述に関しても、計画的な殺意については否認したものの、その他の点は信用できること、とすれば、そのきっかけとなったとされる性的暴行も虚偽の告白とは言えないと判断されたのであろう。
判決文には載っていないが、検察もこれを事実であると認めていることから、捜査段階で第三者等の証言もあったのかもしれない。

そこで注目されたのが、「PTSD」であった。
まず、PTSDに罹患する要因として、

①実際に、または危うく死ぬ又は重症を負うような出来事を、1度又は数度、又は自分又は他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、又は直面した。
②その人の反応は強い恐怖、無力感又は戦慄に関するものである
と定義されている。

さらに、外傷的な出来事が、以下の1つ(またはそれ以上)のかたちで再体験され続けていることもポイントである。

①出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考、又は知覚を含む。
②出来事についての反復的で苦痛な夢
③外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする(フラッシュバックや錯覚、中毒時や覚醒時に起こるものも含む)
④外傷的出来事のひとつの側面を象徴し、又は類似している内的又は外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛
⑤外傷的出来事のひとつの側面を象徴し、又は類似している内的又は外的きっかけに暴露された場合に生じる生理学的反応

くわえて、外傷と関連した(外傷前には存在していなかった)刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺が少なくとも3つ以上あることも必要である。

①外傷と関連した思考、感情、又は会話を回避しようとする努力
②外傷を想起させるような活動、場所又は人物を避けようとする努力
③外傷の重度な側面の想起不能
④重要な活動への関心又は参加の著しい減退
⑤他人から孤立している、又は疎遠になっているという感覚
⑥感情の範囲の縮小
⑦未来が短縮した感覚

また、外傷以前には存在していなかった持続的な覚醒亢進症状が2つ以上あるかも必要である。

①入眠、又は昏睡維持の困難
②易刺激性又は怒りの爆発
③集中困難
④過度の警戒心
⑤過度な驚愕反応

そして、基準B、CおよびDの症状の持続期間が一ヶ月以上であり(E)、それらの障害が著しい苦痛、社会的、職業的又は他の領域において機能の障害を引き起こしているかどうか(F)、このような複数の判定基準に基づいてPTSDは診断されている。

嘉信のケースの場合、幼少期の性的暴行は明らかにAでいうところの「身体の保全に迫る危険」に該当し、泣きながら帰宅したことからも「強い恐怖」を植え付けられ、後に行為の意味を知って屈辱感を味わったことが「無力感」となって認識されている。
思春期以降、幾度となく性的暴行のシーンが突然甦ったり、夢に見る、これらはB基準の中で①と②に合致する。
さらに、女性を意識すると同時に、性的なシーンを見たり想像するだけで自身の性的暴行も思い出され、嫌悪感、凌辱感などがわきあがってマスターベーションすら持続できないなどC基準でいうところの①に該当する。
また、覚さんと極力関わらないようにしたり、車なども視界に入れないようするなど②に当てはまる。嘉信は暴行された時、緑色のビニールシートがかぶされた物置(おそらくドーム型の簡易物置と推察)と覚さんの薄笑いははっきり覚えているものの、それ以外の風景は記憶から消し去られている。
この点は、③の重要な側面の想起不能である。

そして、性的暴行の夢を見て目が覚めたり、覚さんの姿や車などをみると警戒心を抱き、動機や火照りを感じるなどはD基準の①と④に該当する。
きっかけとなった性的暴行から10年程度その症状は継続しており、E基準における期間の継続にも該当するし、過去がばれるのを恐れて一か所に長く勤めないなど、社会的領域における機能障害(F基準)にも該当しているとした。

これらの判定をもとに、嘉信がPTSDに罹患し、他人に相談できなかったことから症状を悪化させ、たまりにたまった怒りを増幅させるほかになく、結果として誤った確信を有する一種の幻覚妄想様態に陥っていた、そしてそれを払しょくするには、他者(覚さん)を攻撃する以外にないというのが弁護側証人の専門家による証言である。

裁判所の見解

これに対し、裁判所の見解は以下のようなものであった。
まず、診断に要した時間が30分の面接が2回だけである点、PTSDという概念自体が新しいもので、具体的な症状については議論の余地があるだけでなく、一般的にPTSDが引き金となって他害行為に及ぶということはないと考えられている(平成19年当時)ため、この証言内容から直ちに嘉信がPTSDであるとは断言できないとした。

その一方で、裁判所も認めている嘉信の身体的・心理的な症状(火照り感や動悸、性的暴行の夢を見たりフラッシュバックが起こるなど)においては、診断した証人(精神医学者)の証言は一貫性があり、具体的かつ理論的で、検察による反対尋問でも一切崩れていないことを考えると、少なくとも嘉信が「PTSDではない」とも言い切れない、とした(回りくどい・・・)。
要するに、裁判所としてそう簡単にPTSDなんか認めないよ、そんなこと認めたら世の中PTSDだらけになるじゃん、でも子供のころにそんなことをされたら相当心に傷がつくのはわかるし、医学的な見地でもそれは立証されてることだよね、だからPTSDに陥っている可能性までは裁判所としても否定しませんよ、ということだ。
これは個人的な意見だが、証言した精神医学者が「デキる人」であったのもひとつあるだろう。専門的な立場の人間はどうも難しいことを言いがちで、正しいことでも理解されにくい側面がある。
しかし、この証人は検察の、「身体の保全」を「心身の保全」と読み替えたのは証人の基準が偏っているからだ!という苦肉の反対尋問にも耐えた。

弁護側としてはPTSDに陥った嘉信の責任能力を問いたかったと思われるが、裁判所はその点は否定した。
これは、嘉信が覚さんを見た瞬間に襲ったのではない点、自身の内部にわきあがった怒りを鎮めるために、プラモデルを作ったり家族と食事するなどしている点、そしてその経過の上で、「やはり殺さなければならない」と殺意を再形成している、と判断されたからだ。
さらに、犯行の様子をある程度客観的事実に符合する供述をしている点なども、責任能力を有していたと判断された。

検察側の主張は、性的暴行の事実をあえて引き合いに出し、「この経験が事実だからこそ、覚さんに対しては簡単に殺害するのではなく、あえて苦しみを長引かせるようにして殺害した」と、その残虐性を強調した。
そして、それを完遂するためには、あらかじめ信吉さんと秀子さんを殺害しておく必要があるのだから、3人に対する強固な殺意があり、当初から一家皆殺しを念頭に置いていたと主張した。
また、そのきっかけとなった「性的暴行」については争わないとしつつ、別の医師に「性的な空想は事実を膨らませることがよくある」「精液を飲まされたという供述はやや行き過ぎていると推測されるので、もしかしたら誇張がはいっているのでは」などと証言させた。ちなみにこの医師は嘉信と面談すらしていない。
さらに、嘉信はこの性的暴行の事実よりも前から、人格的に他人を思いやるとか自己反省が出来ない人間であるとし、性的暴行が嘉信の人格形成に関係したのではないとした。
したがって、性的暴行が事実だとしても残虐で無反省な人格はそれ以前のものであるから、更生の余地はないとし、死刑を求刑した。

これに対し、裁判所の見解は驚くほど人間的なものであった。
どんな事情があったにせよ、殺害止む無しとするような、被害者に落ち度があるとまでは言えないとしながらも、嘉信が受けた心の傷がどれほどその後の嘉信の人生、人格形成に影響を与えたかに一定の理解を示した。
言い換えればそれは、覚さんからすれば過去の一過性の過ちであったかもしれないが、嘉信にとっては異常な体験であり、受けた側の心の傷の深さも遠回しに踏み込んだ。
それは、「誰かに相談すればよかったのにそれすらしていない」などととぼけたことを抜かす検察に対して、「結果論として被告が苦悩を解消する手段を講じるべきではあったとしても、不幸の連鎖を断ち切った上で更生させる余地すらないとは言えない」とした。

2人を殺害し、1人に重傷を負わせた事案で、検察も死刑を求刑し、遺族も峻烈な感情を抱いて極刑を望んでいたにもかかわらず、無期懲役であったことは、やはり裁判所が嘉信の心の傷に一定の配慮を見せた結果と言えるだろう。

言いたくても言えないこと

裁判はその後、検察と弁護側双方が控訴したものの、双方の訴えを棄却。
検察は上告を断念し、弁護側のみが上告したが、嘉信が取り下げ無期懲役が確定した。
後に、山形地裁に遺族らが損害賠償請求を行い、2009年に2億円の賠償命令が出ている。

ネット上を中心に、被害者が過去に行った犯罪が取りざたされ、嘉信への性的暴行と併せて同情は嘉信に集まった。これは一般的な人の感情でいえば当たり前かもしれない。
私自身、息子がいる身であるから、もし息子が嘉信と同じことをされたら、と考えただけで恐ろしい。泣きながら帰宅した幼い息子の身に起こったことを、事件後に知った母親の胸中を思うとこちらもまた体が震える。
しかし、同じ母親でも秀子さんの胸中はいささか理解しがたいものがある。
不確かなことは言えないが、覚さんが婦女暴行をはたらいて逮捕までされている以上、「何も知らなかった」ことはないだろうと思う。
にもかかわらず、社会復帰した息子を実家に立ち入らせ、自身もそれまでと同じように小さなその街で暮らしている。
もちろん、犯罪者の家族はこそこそと暮らすべきだとか、そんなことは思わないにしても、それこそ嘉信が思うように「なんで被害者がコソコソして、加害者が普通に暮らせるのだ」とは思う。
さらに理解できないのは、覚さんの婚約者だ。その女性は覚さんと6年の付き合いだという。
ということは、婦女暴行を働いた当時も付き合っていたことになる(嘉信が専門学校卒業後に地元に戻った際に逮捕、あるいは逮捕された話を聞いており、少なくとも4つ下の嘉信が実家にいた間の出来事ではない。ということは、嘉信が実家を出た18歳以降の出来事であり、事件が起こったのは年齢を考えると覚さんが22歳以降の出来事であるといえる。
交際女性とは6年の付き合いということなので、殺害当時27歳であった覚さんとは21歳のころからの付き合いとなり、時系列的に見ても婚約者がその事実を知らなかったとは考えにくい)。
犯罪に大きいも小さいもないが、彼氏が強制わいせつや婦女暴行で逮捕なんて私は絶対いやだ。
また、覚さんの弟は警察官であるが、そのあたりもなにかこう、うまく言えないけれどひっかかるものがあり釈然としない。

片方で、人望の厚い面倒見の良い父親と、看護師として働き者の母親、警察官の次男に親思いの明るい長男。
その家庭の裏にある、婦女暴行と、男児に対する性的暴行の過去。
これをなんとみるべきなのだろう。

わたしはこのことを考えるたびに、チベットスナギツネみたいな顔になる。言葉もない。言いたいことは山ほどあるが、絶対に言えない。
それを口にしてしまったら、被害者叩きというだけでなく、嘉信が堕ちた闇に引きずり込まれるような気がするから。

でも、これだけは言いたい。覚さん、なんでそんなことしたの。

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