親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件②~

下山姉弟の逃げ場所と、うわさ

この事件にはもう一組の姉弟がいる。下山の娘と息子である。
子煩悩であった下山は、離婚する以前は地域の子供会役員を夫婦で務めるなど、近隣からもその評価は悪くなかった。
デコトラ好きでも知られ、派手なトラックを子供たちに見せることもあり子供らにも人気のおじちゃんであった。
それが、自身の逮捕をきっかけに生活が不安定になり、夫婦仲にも亀裂が入ってついには離婚となったのは先に述べたとおりである。
それでも下山は自身の子供だけは手放さなかった。そして、2004年にあんちゃん親子との同居が始まるまでは、それなりに父子家庭として成り立っていたと思われる。
中学からの知人はこう証言する。
「同居する長女の運動会にも積極的に参加するなど、子どものことは熱心だったから、心配していた長女の学校関係者と共に、これなら大丈夫と言い合った」
別の知人も、「下山のことを悪くいう人はいない」とまで言っている。覚せい剤やってた男捕まえてその言い分はいくらなんでも、と思うが、本来は気の小さい子ども好きな男だったというのは間違いないであろう。

あんちゃん親子との同居が始まると、下山親子は居場所を奪われた。
まるで我が物顔にふるまうあんちゃんに対し、下山は無力であった。2~3日なら、それ以上はだめだと伝えたはずの同居は、いつしか下山が誘ったことになっていた。
気温の上昇とともに、下山家に一つしかないエアコンのある部屋はあんちゃん親子に独占された。しかしあんちゃんは、「下山がどうぞ使ってくれと言うから使っていた」と言った。
家賃も食費も、下山が工面せざるを得ない状況は変わらず、家事と幼い兄弟の世話まで下山の娘が背負わされていた。

そんな下山姉弟が唯一、逃げ場所にしていた場所があった。
ノンフィクション作家・河合香織氏によれば、近くの市営住宅に住む60代の女性の存在がそれである。
彼女(以下、Aさん)は、もともと下山と顔見知り程度であったようだが、8月10日、下山親子は突然、Aさん宅へ転がり込んだ。
実はその数日前、偶然会った際に、「今度遊びにおいで」という会話をしていたという。しかしそれは社交辞令以外のなにものでもなかったのだが、下山親子は本当にやってきた。
2K(台所、居間、寝室)のその部屋に、下山親子は5日にわたり滞在した。覚せい剤使用者の特徴とでもいうべきか、エアコンをガンガンにかける下山とは同じ空間にいられず、熱帯夜でも寒くて寝られないほどだった。

Aさんによれば、下山の娘と息子はまだ子供とはいえ、挨拶も食事の行儀もなっていなかった。
それはどこか、弱みを見せまいとするかのような、わざとそう振舞っているかのような、とにかく「横着」な態度に見えた。
この姉弟は、一斗ちゃんや隼人ちゃんよりもだいぶ年上である。
にもかかわらず、一斗ちゃんら兄弟に「怯えている」風でもあった。
Aさんは一度、一斗ちゃんらと会っている。あるとき、外で遊んでいたはずの姉弟が、突然家の中に駆け込んできたことがあった。何事かと思っていると、すぐに小さな男の子(一斗ちゃん)がやってきて、礼儀正しくこう聞いたという。
「こんにちは。○○ちゃん(下山の娘)いますか?」
とっさにそんな子は来てないよ、と伝えると、一斗ちゃんは振り返って、「お父さん、いないよ」と背後の男性に伝えていたという。

一斗ちゃんらが帰った後で、Aさんは下山の娘にわけを聞いた。しかし、娘は「きらい、会いたくない」と言うだけだった。
Aさんからすれば、かわいらしく礼儀正しい子どもなのに、嫌がるとはどういうことだろうと不審に思ったが、本当の理由に気づけるはずもなかった。
その後、下山の娘との会話で、下山のアパートにはおそらく他人の家族が同居していることは分かった。
下山親子の食費の面倒まで見ていたAさんは、これ以上居座られるのは無理だと思い、下山にその旨伝えた。
下山もそれはわかっていて、妹のところへ身を寄せようと考えていたようだったが、もともと迷惑をかけたこともあり、妹をはじめ親戚には頼れなかったようだ。
一旦はAさん宅を出た下山親子だが、翌日再びAさん宅に戻ってきた。おそらく、身を寄せられる場所を訪ね歩いたと思われ、疲れ果てた様子の子供たちは一日中眠っていたという。

夕方、目を覚ました姉弟は、元のアパートへ戻ると決めた。
帰り際、ふと下山の娘がAさんに呟いた。
「おばさん、やくざって怖いよ…」
唐突な言葉だった。何の脈絡もなく、下山の娘はそう言い残し、自宅アパートへと戻った。
Aさんは以前、下山からある話を聞かされていたことを思い出していた。
下山はAさんにあんちゃん親子の話はしなかったが、娘の心配ばかりしていたという。
しかもそれは、思春期を迎えた娘の体のことや、自分がいないときに娘をアパートに置いておきたくないといったものだった。
Aさんは知る由もなかったが、この下山の発言は後にある「うわさ」を裏付けるものとなる。
そのうわさとは、あんちゃんが下山の娘に対し、何か良からぬことをしているというものだった。

使い物にならない大人

下山が逮捕されたのち、下山による暴行を知りながら最悪の事態を招いた要因の一つとして、児童相談所と警察には批判が殺到した。
児相はコンビニエンスストアからの通報で虐待の事実を把握していながら、簡単なやり取りで兄弟を父親に引き渡した。
その際、祖母宅での生活が条件としたというが、確認したのは一か月後の8月10日、その時下山宅に戻ったことを把握していたのにもかかわらず、何ら対応していなかった。
警察も、暴行の事実がありながら介入しなかったことが批判された。そして、児相と警察は互いに責任のなすりあいを繰り広げた。
児相は法律の解釈を持ち出し、あくまで保護者による虐待でしか動けない、第三者の虐待は警察の管轄であると言いたかったようだ。
しかし警察からすれば、児相が対応していると思い込んでいたという、とにかく双方お粗末すぎる言い訳であった。

そして世間は、もう一人の当事者である父親に注目していた。
当初の、わが子が犠牲になっているというのにアクセサリーをジャラジャラとつけたうえでの会見は、誰の目にも異様であった。
また、先述の通り、一斗ちゃんがまだ行方不明で生きている可能性もあったにもかかわらず、まるで既に死亡しているかのような発言や、居候の身であったこと、わが子が虐待されているのを知りながら策を講じなかったことなど、批判は多かった。
その声を知ってか知らずか、1度目の会見では顔にモザイクがあったが、通夜に先立っての会見では、モザイクが外された。
これは父親たっての要請であったようで、何についてかは分からないが「けじめ」の意味があったそうだ。また、今の自分を見てほしいというような趣旨の発言もあった。案の定、逆効果であった。

もう一人、一斗ちゃんらの父方の祖母への批判も相次いだ。
祖母も虐待を知っていたからだ。児相から祖母宅での同居が条件で引き渡されたのに、下山宅へ戻ることを黙認し、児相にも相談していなかった。
にもかかわらず、自身の体調不良があったにせよ、なぜ一時的にでも兄弟を引き取らなかったのか、泣くほどつらいならばなぜ、という声が上がったのだ。
これは正論で、私自身もリアルタイムでこの報道を見ながら憤りを感じたものだ。
この事件に登場する大人、特に一斗ちゃんと隼人ちゃん兄弟側の大人たちは、誰もかれもが自分を顧みることをすっぽりと抜け落としているかのような言動が多かった。
児相がちゃんと確認してくれなかった、確かにそれもそうだが、一番身近なあんたら何やってたんだよと日本中の人が思った。
表にはあまり出ていないが、離婚した母親もその一人である。わが子の告別式の夜、この元夫婦は人目のあるファミリーレストランにいたという話もある。「普通の感覚」だったら食事するにしてもファミレスはチョイスしないのではないか。というかよく飯食えるなおい、とすら思う。
引き取っていればよかったと涙した母親だったが、この母親こそ、まず幼い兄弟を捨てた張本人ではないか。
父親をかばうわけではないが、幼い兄弟を手放さなかったのは父親である。それが結果として最悪な事態を招いたにせよ、自分ひとり勝手気ままに家出を繰り返した母親にそれを責める資格はない。
父親は、離婚後一時は親戚に兄弟を預けたが、なんとか一緒に暮らせるよう努力していたことはうかがえる。
公立の保育園に入所する手続きをし、入園準備も父親がした。タオルやせっけんなどもきちんと準備して、兄弟を保育園に通わせていた。
それを打ち切ったのは、この身勝手な妻であった。それまでも、気の向くままに子どもたちの預け先であった義理の母親のところへやってきてはまたいなくなる、そんなことの繰り返しだった。
それでも5か月ほどは父子の生活は成り立っており、保育園でも一斗ちゃんは隼人ちゃんの面倒をよく見ていたという。
それを、何を思ったか突然妻が現れ、子どもたちを連れて行ってしまう。園には、「仕事が何とかなりそうなので私が宇都宮に引き取って育てる」と言ったそうだが、その舌の根も乾かぬうちに、再び子どもたちを義理の母親に預けいなくなってしまった。
その後、先述の通り東京へ夫婦と子どもたちは移り住むわけだが、その顛末も結局、この元妻が子供たちを置いて自分だけ地元に帰ってしまっている。
いくら若かったとはいえ、この無責任さ、母性のかけらもない身勝手さはどうやったらこうなるのか全く理解できない。
児相に相談はしていたようだが、だからといって自分だけ逃げるか普通。子どもたちに3度のごはんが食べさせられないと訴えたようだが、なら働けよもっと。若いんだからさぁ、としか思えない。
要は、母親になってはいけないタイプの人間だったのだ。それは父親にも言えることだが、正直この母親はそれ以下だ。

この兄弟の最大の不幸は、周囲の身近な(親や親せき)、または関係機関(児相や警察)の大人がまったく何の使い物にもならなかったことだろう。むしろ、全くの他人の方が兄弟のシグナルを受け止め、しかるべき行動をとっている(コンビニの店長の通報など)のに、それを引き継いだ関係機関がぶち壊した。
南国市の児童暴行死事件でも、たった一人A教諭を除いて、周りの大人は使えなかった。痛みに限りなく鈍感な母親、子どもに興味のない校長、仕事をしない児相、近隣の住民やA教諭のように声をあげる人がいても、それをつぶして回る人間がいるのであればもはや救いの手立てはない。

壊れていた心

2004年9月11日。
その日は下山のアパートからすぐの小山聖泉キリスト教会で夏の子供向けのイベントが開催されていた。
竹細工をつくったり、そうめん流しをしたり、近隣の子どもたちにとって楽しい夏の一日であった。
はじめてその教会にきたという一斗ちゃん、隼人ちゃん兄弟も、仲よく遊び、そうめんを食べ、楽しそうに過ごしていた。
教会の牧師である新村真一氏、新村義一氏らは、子どもたちの様子をデジカメで撮影していた。事件後、赤いシャツではにかむ一斗ちゃんと、その傍らでじっとカメラを見つめる隼人ちゃんの写真が報道で使用されたが、それは新村氏が撮影した事件直前の兄弟の姿である。その写真は遺影にも使用された。
新村氏によれば、兄弟はぬいぐるみを抱えて教会に来たという。教会で遊ぶ間、そのぬいぐるみを預かったが、兄弟はそれを忘れて帰宅していた。
かえしてやらないと、と思っていた矢先、警察が二人の写真をもって協会を訪ねたことで事件を知った。

その頃、下山は追い詰められていた。
一斗ちゃんと隼人ちゃんを託児所に預けるための費用を工面するよう、あんちゃんから言われていた。
それは、ノーが言えない下山に対するいわば命令であった。下山も、何の根拠もないまま「できます」と答えていた。
しかし、まとまった金などあるはずもなく、下山は焦りを感じていた。
事件の数日前、結局金の工面ができていないことを理由にあんちゃんにどつかれた下山は、覚せい剤を使用することでなんとかその感情をやり過ごしていた。
事件当日の教会での二人の顔に、虐待の様子はうかがえなかった。見える範囲に痣やこぶなどは見当たらなかった。
しかし、幼い隼人ちゃんは、このころすでに精神的に危うい状態にあったと思われる。

国道4号線沿いに、仏壇店がある。ノンフィクションライター・武井優氏の取材によれば、その店の男性店員が、車の往来が激しい4号線のフェンスにもたれ、車を見ている隼人ちゃんを目撃した。
小さな子が一人でいることに危険を感じ、抱きかかえて店へ連れてきた。しかし隼人ちゃんは、表情の変化もなく、真夏だというのに鼻水をたらし、男性店員の顔をじっと見つめていたという。
抱いていても、幼い子どもが自然に抱きついてくるようなことはなく、むしろ体を反らせたという。

一斗ちゃんと隼人ちゃんの写真は、その愛らしさから覚えている人は多いだろう。しかし、武井氏は、隼人ちゃんの目が全く笑っていないことにゾッとしたという。
これには私も同感で、首をかしげてはにかむ一斗ちゃんとは対照的に、どこを見ているのか、何を見ているのかも分からないほどの感情のない、こんな目をした子供を見たことがなかった。
隼人ちゃんの小さな心は、とうに限界を超えていたのだろう。泣くことすら、もうしなくなっていたのではないか。
一斗ちゃんにしてもそうである。人一倍弟思いで、年齢の割に礼儀もしっかりしていた一斗ちゃんは、あるとき隼人ちゃんと喧嘩になった。
悔しさで涙をぐっとこらえる様子の一斗ちゃんを見て、祖母が「子供なんだから泣いてもいいんだよ」というと、「僕泣かないもん」といい、拳を膝の上で握りしめ、体をぶるぶると震わせながらも絶対に涙をこぼさなかったという。
顔を真っ赤にし、前身に力を込めて耐えるその姿は、下山の暴力を受け続けて身に付いたことだったかと思うと胸が張り裂ける。

なぜ、その日だったか

その日下山は、用があって実家へ行っていた。その間、一斗ちゃんと隼人ちゃん、そして下山の息子の「3人」が、近所の教会へ出かけていた(注:当時の報道によれば長女が連れ出したとなっているが、教会関係者の話によれば男の子たちが来ていた、とされている)。
下山が帰宅すると、あんちゃんが家にいた。話をしたくなかったので下山は再び外出するも、そこで娘を含む4人がいたため、その4人の子供を連れてドライブに出かけた。
当初は、子どもたちにおもちゃを買い与えたりしていたようだが、午後2時半ごろ、ガソリンスタンドへ場所を移す。
下山は以前から、どうやってするのかは知らないが金も払わず洗車をしていたといい、この日も2時半からおよそ5時間半にわたってこのガソリンスタンドにとどまった。
おそらくだが、覚せい剤を打っていたのだろう。そして、車の清掃を行ううち、車が汚れたのはあんちゃんの子供らのせいだと思い始める。お金のことで理不尽な要求もされ、娘の面前で殴られもした。あんちゃんは家にいてもゴロゴロするだけ、しかも娘が家にいるときにも覚せい剤をうっている・・・
馴染みのスナックでも、その頃下山はしきりに娘のことを話題にしていた。仕事の時間が違って、帰宅があんちゃんより遅くなることがある。その間、あんちゃんと娘が一緒にいるのが気になる、と。
それだからか、子どもたちを連れて仕事に出かける姿や、深夜遅くまで子どもたちを連れて歩く下山の姿が目撃されていた。

下山は娘の変化に気づいていたのかもしれない。夏休みまでは、友達と陽気にはしゃぐ、ごく普通の女の子だった娘が、新学期が始まると途端にふさぎ込むようになった。だるそうにして、学校にも遅刻するようになった。
その変化はあからさまで、同級生らも不審に思うほどだった。ついに娘は、自傷行為まで始めていた。
娘に何があったのかはわからない。いや、知りたくないと言った方が正しいか。
Aさんに言ったあの唐突な言葉が否応なしによみがえる。

ふと、車の周りで遊ぶあんちゃんの子供が目に入った。スイッチがどこで入ったのか、人目もはばからず下山は一斗ちゃんと隼人ちゃんに暴行を加えた。
拳で殴り、車に体をたたきつけ、裏拳で一斗ちゃんの顔を殴り投げ飛ばした。
隼人ちゃんはこぶができ、一斗ちゃんの唇は切れ、腫れあがった。一斗ちゃんは暴行され、ふらつきながらも泣きもせず、敬語で下山に返事をしていた。
そこへ、あんちゃんから「子供たちはどこ?」と電話が入った。とっさに、「一緒じゃない」と答えてしまった。
我に返った(?)下山は、傷だらけで震えるあんちゃんの子供を見て、こんな状態で連れては帰れないと思うようになる。
あんちゃんに言われた言葉がよみがえる。

「一生面倒みてもらうからな」

時間は午後7時半。あたりは暗くなり始めていた。

車を出した下山は、途中の公園や道端に一斗ちゃんら兄弟を置き去りにしては、迎えに戻るといった行動を繰り返した。ただ、この時点ではまだ確定的な殺意には至っていなかったのではないか。というのも、ガソリンスタンドを出た後、隼人ちゃんのオムツを購入しているからだ。
その間も、あんちゃんからの電話はやまない。下山は浅間山を目指した。火口に投げ入れればわからないと思ったというが、このあたりからもう正常な思考でなくなってきているような気がする。
気が付くと、日付は変わり、思川の上にかかる間中橋まで来ていた・・・

その日、一斗ちゃんと隼人ちゃんにそれまでにないほどの暴力を振るったのはなぜだったか。車内でも暴行は続き、隼人ちゃんの頭部にも深い傷があった。
それほどまでに下山を追い込んだのは、覚せい剤のせいだったのか。あんちゃんからの暴力だったのか。
時間を戻そう、この日、下山は子どもたちと離れている時間があった。そして帰宅すると家にはあんちゃんがいた。男の子たちはみな、教会に行っていた。
もし娘が家にいたとしたら。

その後

事件後、案の定というかなんというか、父親も覚せい剤で逮捕となり、実刑を食らって懲役となった。
ノンフィクションライター・武井優氏は、獄中の父親と会い、手紙のやり取りも行った。
面会の際、子どもの名前を出すだけで、父親は顔を真っ赤にして泣き崩れたという。今になって、自身の愚かさに気づいたのかもしれないが、かける言葉はない。
下山はその後死刑判決が下り、それから1年もたたない2006年6月4日、拘置所内で病死した。
直前に面会した弁護士によれば、顔色が悪く点滴をしていたというものの、時折笑顔を見せるなど元気な様子ではあったという。
下山は自己弁護はほとんどしていなかったように思う。覚せい剤を使用したことも、子どもたちに暴力を振るい、あげく殺したことも認めている。
死刑は免れなかったと思う反面、この幼い兄弟を死に追いやったのは下山だけか?とも思う。
下山の子供たちは、名前を変え小山市から姿を消した。下山の親族は誰もこの姉弟を引き取らなかった。唯一、叔母だけが一時的に入所した養護施設に差し入れなどを持ち寄っていたようだが、実母すら、引き取りを拒否した。
ノンフィクション作家・河合香織氏の取材によれば、在籍していた学校までも、「在籍していたかどうかも含めてノーコメント」であったという。
小山市内に多く住む親せきらも、かわいそうかもしれないが姉弟が自分たちで背負うしかない、そんな子はいっぱいいるのだから、その中でも立派に生きてほしい、ともはや他人事である。

河合氏も言う。皆がこの姉弟のことを忘れようとしている、確かに忘れてあげた方が姉弟のためにはいいのかもしれないが、なかったことにはできない、と。
私も全面的に同意である。
幼いあの兄弟が必死に生きた地獄の日々の中で、下山の娘と息子も、地獄の日々であったのだ。それまで忘れていいわけはない。

一斗ちゃんと隼人ちゃんの祖母は、下山が死亡したことを受けて「もしも天国で下山に出会っても、今度はついて行っちゃいけないよ」と孫に語り掛けたという。
その心配はないだろう、もしも下山が天国にいたとするなら、おそらく「ごめんな」と言うであろうから。
その一方で、いつまでも夢に出て来てくれず、詫びることもできないと泣いた父親のもとに、一斗ちゃんと隼人ちゃんは今、夢に出てきてくれているのだろうか。

思いつきで押した死刑判決へのピタゴラスイッチ~帯広市広尾町・幼児3人殺傷事件~

平成13年8月8日午後二時半


「警察に電話する!」
幼い少女は、泣きながら震える声でその男に精いっぱいの抵抗を見せた。
目の前には見上げるような巨体の男が、カッターナイフを手に立ちはだかっていた。
「電話するな!」
男の大声にそれまで固まっていた体が反応した。少女は一目散に玄関へと走ったが、男に左肩を掴まれた。
ものすごい力でリビングの床にあおむけに倒された少女は、男がカッターナイフを振り上げるのを見た。

取っ組み合いのさなか、男が手にしたカッターの刃が折れた。男は思い立ったように台所へと消えた。少女はその隙に、玄関を出ていった。胸が焼けるように痛い。家にはまだ弟と妹がいる…

家の中では、二階から降りてきた弟と妹が、包丁を手にしたその男と向き合っていた。
隣の家の、ボンズ頭の大きい兄ちゃん…その兄ちゃんが、5歳と2歳の姉弟の命を奪った。

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思いつきで押した死刑判決へのピタゴラスイッチ~帯広市広尾町・幼児3人殺傷事件②~

死刑判決

裁判では、金銭目的での侵入のうえ、幼い姉弟3名を殺傷したとして、住居侵入,殺人,殺人未遂が認定された(事後強盗は否定)。

及川は犯行後、ふらふらと道路を歩いていた。
逃げきれないと思い、午後3時30分に自首しているが、積極的な自首とは言えないとされた。
というのも、あれだけ探して見つからなかった母親と、道で遭遇していた。おそらく母親は自宅に戻っていて、事件を知ったと思われる。その際に、母親は及川に対し「お前がやったんじゃいか?」と問い詰めており、その母親に説得されての自首であったからだ。
その上で、事件以前に犯歴がないことや、現在では被害者に謝罪する気持ちを持っていること、年齢的に若いこと、及川の両親が100万円をすでに慰謝料の一部として支払っていることなど、及川に有利な点を考えたとしても、極刑はやむを得ないとした。

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妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件①~

2005年2月27日


すぐ目の前に山が迫る岐阜県中津川市・坂下町の「住宅」。
その男性は、なにか心のざわつきを感じながら、勝手知ったる「その住宅」の玄関を開けた。
昼間ではあったが、家の向きの関係で家の中は薄暗く、いつもならば昼間でも電気がついているはずなのに、その日はついていなかった。
この日、男性はインフルエンザで体調がすぐれず在宅しており、実家である「その住宅」に子どもたちを連れて遊びに行った妻の帰りを待っていた。
そこへ、ひょっこり妻の父親が顔を出した。
「下(実家)でみんな待っとるから、行こうか」
小柄でにこやかな義理の父は、いつもと変わらない表情でそう告げ、男性と共に軽自動車で「その住宅」へと向かった。
子どもたちもいるはずの家の中は静まり返り、男性は不安を覚える。背後にいる義理の父に、みんなは?と聞くと、「ばあちゃんの部屋におる」と言うので、その部屋へ向かうが、その部屋は真っ暗で人などいる気配もしなかった。

「Tさん、死んでくれ」

気がつくと、男性は腹部に包丁が刺さっていた。

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妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件②~

束の間の平穏

同居してすぐ、またもチヨコさんは物がなくなったといっては家族を泥棒呼ばわりし始めた。
ただ、その程度であればまだ耳をふさいでさえいればやり過ごすこともできた。
父親が生きていたころは、父親がチヨコさんを諫めたり、原や妻を庇うなどしてくれていたため、同居した当初は一緒に食事もし、家族の体をなしていた。

しかし、父親が他界したのち、その言動は次第に常軌を逸していく。

言葉だけだったチヨコさんの妻に対するいびりは激しさを増した。時には、突然妻の頬を平手打ちするなど、暴力行為にも及び始めた。
通帳がなくなった、服がなくなった、とにかくありとあらゆることで妻を罵倒した。
原が仕事から帰宅すると、妻は部屋で泣いていることが増えた。
子どもたちの教育にも良くない、これでは家庭が壊れてしまうと思った原は、昭和59年頃に神奈川県小田原に住んでいた弟にチヨコさんを託す。
弟は原に比べてチヨコさんの扱いがうまかったこともあり、また、チヨコさんの性格もわかっているためにこれを承諾、月に1~2回は中津川の原宅へ戻るという生活を始めた。

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