🔓隣人訴訟ともう一つの結末~三重・幼児水死事故③~

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もう一つの善意

三重の隣人訴訟は、近所付き合いや子供を預かることの是非などに加え、報道の在り方や裁判を受ける権利についても今日まで長く議論されてきた。

そんな事故から12年が過ぎた平成元年7月。
広島県佐伯郡(現・廿日市市)で悲劇的な事故が起こった。
この事故も、三重の事故同様、よその子どもを預かった主婦が事故でその預かった子供を死なせてしまうというものだった。

詳細はこうである。

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🔓謎の一家失踪と蔓延るうわさ~世羅町・一家失踪事件~

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平成一三年六月四日

「なんで来とらんの。家に行っても誰もおらんってどういうこと?」

その採石会社では、社員旅行で中国の大連に向かうことになっていた。
しかし、集合時間を過ぎても、一人の女性社員が現れなかったのだ。同僚らが自宅を訪れたが、その女性もその家族も、誰一人として家にはいなかった。

「鍵もかかっとるし、どうしたんじゃろ……」

とりあえず連絡をつけられる親類に事情を話すと、なんと女性の夫も無断欠勤をしていることが分かった。さらに、家にいるはずの男性の母親も見当たらない。玄関にはしっかりと鍵がかけられ、呼びかけにも中から返答はない。
「車が一台ないけぇ、どっかに出かけたんじゃろうか」
その家には、乗用車と軽トラがあったが、乗用車がなくなっていた。そのかわりに、一人娘のものと思われる車が止まっていた。

連絡を受けた女性の弟が、はしごをかけて家の二階にあがった。一か所、鍵のかかっていない窓があったため、そこから家の中へ入ると、そこにはごく普通の、ありふれた生活の匂いが残っていた。

忽然と消えた家族

平成一三年六月四日午後五時半。
親族らは甲山署に捜索願を出す。いなくなったのは世羅町戸張在住の山上政弘さん(当時五八歳)、その妻・順子さん(当時五一歳)、政弘さんの母・三枝さん(当時七九歳)。
しかし、いなくなったのはこの三人だけではなかった。

「六月二日の土曜日、娘さんが家におったよ」

実は二日の夕方、牛乳を届けに訪れた隣家の主婦が、山上さんの一人娘で、竹原市内で小学校教諭をしている千枝さん(当時二六歳)が戸張の実家へ帰っていたと話した。
実は両親の行方を捜すために当然娘の千枝さんにも連絡がいったが、連絡が取れていなかった。
それもそのはずで、千枝さんの車は敷地内に停められており、実家の離れの二階の部屋に、千枝さんの私物と思われるバッグ、携帯、財布などが残されていたのだ。

家の中は特に荒らされた形跡もなく、窓やドアがこじ開けられた、あるいは、室内で争ったり物色したような形跡も見当たらなかった。

山上家は昔ながらの大きな家で、母屋と隣接する形で二階建ての離れがあった。母屋と離れの間は屋根付きの駐車スペースとして利用され、庭から出入り出来るようになっている。
食事や入浴などは母屋で行い、政弘さん夫婦と千枝さんの寝室が離れの二階にしつらえてあるという、田舎の農家にはよくある作りだった。
離れの2階には、翌日から旅行に出かける予定だった順子さんのものと思われる旅行かばん、奥の夫婦の寝室には、千枝さんの着替えと思われる洋服が畳まれており、テーブルには食した後のみかんの皮がお皿の上に残っていた。
なにごとも変わったところのない、むしろ整然と片づけられた中に日常の生活の匂いが残る、人が暮らしている普通の家の様子だった。

その部屋には千枝さんの私物も残され、財布や携帯電話もそこにあった。
親族らは一階へと下り、庭に面した扉を開けた。そこも、鍵はかかっていたという。ただ、その鍵は外からボタンを押すことでかけることが出来るタイプのものだったようだ。
離れから出て母屋に通じる勝手口に手をかけると、その扉には鍵がかかっていなかった。まずは政弘さんの母、三枝さんのことが気にかかり、三枝さんが使用している奥の部屋へと向かう。
三枝さんはベッドを使用していたが、そのベッドは、今さっきまで三枝さんがそこにいたかのような、人のかたちに盛り上がった布団があったが、中に三枝さんの姿はなかった。

その後、再び母屋の居間へ戻ると、そこには三枝さんが着用している農作業着が今から着るためだったのか、広げてあり、ふと横を見ると台所の豆球がついていた。
そして、シンクの作業スペースには卵と刻んだネギがお椀に入れられた状態で置いてあったという。テーブルには、翌朝食べる予定だったのか、蠅帳がかけられた状態でいくつかのおかずも置かれていた。

状況から察するに、朝食を食べるより前に山上さん一家はなんらかの理由で家を出なければならなかったと見られた。

「あれ、犬がおらん」

山上さん宅には、「レオ」という名前のシーズー犬がいた。しかし、家族と共にそのレオの姿も見えない。
犬を連れて深夜か早朝にどこへ行くというのか……
ふと、親族の一人が風呂場の脱衣所に洗濯されていない衣服があるのを見つけた。
調べると、政弘さんと順子さん、そして三枝さんのものとみられる衣類が残されていた。千絵さんのものらしき衣類はなかった。
そういえば、離れの寝室には千枝さんの衣類が畳んでおかれていたはず。
推測するに、千枝さん以外の3人は前日夜に入浴を済ませていたと思われた。
しかし、さらにおかしな点が浮かび上がった。
前日に来ていた服がここにあるということは、洗濯は行われていないはず。にもかかわらず、3人が着用していたであろう寝巻が家の中のどこにも見当たらなかったのだ。

ということは。
家族全員が、深夜から早朝の間に寝間着姿で車で出かけたというのか。しかも犬を連れて。

家族はどこへ行ってしまったのか。自発的に出かけたのか、それともなにかよからぬ事件に巻き込まれたのか……
この時点では全くわからずにいた。

前日までの家族の行動

戸張地区は、現在だと尾道から尾道自動車道を経由するが当時は開通しておらず、国道一八四号線をひたすら北上して車で五〇分程度で到着する山間の地区だ。
国道一八四号線沿いではあるものの、山上家周辺の家は戸張川の西側に多く存在しており、東側に位置していた山上家の周囲は、隣家と砕石工場があるだけでほとんどは畑である。
隣に家はあるものの、その家の一家は五年ほど前から住んでいたといい、山上さん一家とは比較的新しい付き合いだったという。

失踪の二日前の六月二日。先述の通り、隣家の主婦が牛乳を届けるために山上家を訪れた際、娘の千枝さんが家にいた。
千枝さんは、竹原市の小学校で教諭をしており、普段は竹原市内のアパートで独り暮らしをしていた。
しかし、週末などの休みの前日には、特別な用事がない限り実家へ戻って過ごすのが常であったという。
千枝さんには交際相手がいたが、当時は県外で資格取得のために勉強中だった。そのため、週末も交際相手に会うより、実家で過ごすことも多かったのだ。

政弘さんも、六月三日の日曜夕方、自宅前の畑で作業をしているのを目撃されていた。母親の三枝さんも、夕方五時ころ近所の人と立ち話をしていた。
妻の順子さんについては、三日の様子は判明していないものの、こちらも四日から行く予定の中国旅行を楽しみにしていたという。二日の土曜日は、勤務先の砕石工場にいつも通り出勤していて、変わった様子はなかった。

千枝さんは、実は三日の日曜、勤務先の小学校で参観日があり出勤していた。
参観日の後、保護者らとの球技大会に参加し、その後の反省会にも出席、午後九時半ごろ、同僚を自分の車で送った後、世羅の実家へ戻っている。
千枝さんは実家への道中、携帯で交際相手に電話をし、その日あった出来事をいつものように話したという。その様子から、たとえばなにか重大な家族の問題や悩みは窺えなかった。
深夜近く、隣家の人が山上家に車が止まり、ドアが閉まる音を聞いている。おそらく、千枝さんが帰宅した際の音と思われた。
家族の足取りは、ここで途絶える。

警察は、捜索願が出された四日の夜から捜索を開始、地元警察のみならず、県警も捜査に加わり、警察犬も投入された。
四日間にわたってヘリも飛び、空と陸、両方からの捜索が行われている。
一家全員プラス犬までが失踪という異様な事態に、警察も通常の家出人捜索とは違う体制で臨んでいた。

山上さん宅から、山上さんの乗用車(白のスプリンター)がなくなっていたことなどから、Nシステムも調べられたが、それらから足取りは判明しなかったという。
田舎には幹線道路のほか、地元民しか知らないような抜け道もたくさんあることから、警察は事件と覚悟の家出の両面から捜査していたが、全くと言っていいほど有力な手掛かりはつかめなかった。
一方で、Nシステムなどに写っていない以上、そう遠くへ行けていない可能性もあり、捜索は山上家近辺のため池やダムなどに誤って転落した可能性、あるいは事件だったとしてそういった場所に沈められている可能性も否定できず、ありとあらゆる場所を捜索した。捜索には、地域の人らも参加していた。

時期は六月、雑草が生い茂るのは早い。しかし、この時期であれば、もしもダムやため池に車で転落したのであれば、絶対にわかる。
そう思って重点的に捜索がなされたが、車が進入した痕跡や、これは、と思うような痕跡は見当たらなかった。

捜査が進展を見せない中、順子さんの職場の人が情報提供を広く求めたいと手作りのチラシなども作成し、千枝さんの交際相手は連日、思いつく限りの場所を捜して回った。
千枝さんから、両親の思い出の場所として聞いていた京都など、車中泊をしながら捜した。
九州から東京、とにかく思いつく場所という場所を、夏中捜しまわったという。

しかし、平成一四年九月。事件は最悪の形で終焉を迎える。

【有料部分 目次】
発見
順子さんのうわさ
金銭トラブルとヒソヒソ
預貯金総額3000万円
一家心中説の謎
発見現場の謎
チラシ作成代金と相続の行方
様々なうわさ
「永久に見つからんと思うとった」

🔓青空~苫小牧・2児ネグレクト死体遺棄事件~

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平成18年10月30日午後6時30分

すでに冬の寒さとなっていた北海道苫小牧市。10月第三週に入ってからは薄曇りの日が続き、最高気温は10度から13度となっていた。
この日も、日中は晴れていたものの気温は前日よりも3度低く、最低気温は4.1度と10月に入って最低気温を記録していた。

苫小牧市の中心部、旭町にある市営住宅。この一室で、母親はその日幼い兄弟を家に残したまま、帰らないと決めて玄関のドアを閉めた。

平成19年2月20日

その前日、苫小牧署に室蘭児童相談所から通報が入っていた。
「支援している母親の子どもに会えていない」
通報を受けて苫小牧署員が件の母親に連絡を取った。母親の名は山崎愛美(当時21歳)。旭町の市営住宅で4歳の長男と17か月の三男との三人暮らしだったが、室蘭児童相談所は、その三男の姿を確認できずにいた。
愛美は旭町の市営住宅を124日付で退去しており、当時は高砂町の実母が暮らす市営住宅に同居していたという。
生活には困窮していた様子で、一時は生活保護も受給していたが、それよりも子育てについて悩んでいた様子がうかがえた。

苫小牧市役所には、愛美が子供の面倒が見られないといった趣旨の相談に訪れた記録があり、29日には苫小牧市が室蘭児童相談所へ通告を行っていた。
それを受けて、室蘭児童相談所は愛美と2回にわたって面談した。その際に、三男がいないことを尋ねると、曖昧な返事しか返ってこなかったことに不信感を抱いた担当者が、苫小牧署へ通報したのだった。

署員が愛美に事情を聞くと、市営住宅退去後、有珠の沢町在住の当時交際していた男性宅で同居していたこと、荷物はその男性宅へ運んでいたことなどが判明、任意で男性宅を調べたところ、男性宅の裏庭にあった物置の中から乳児らしき遺体が発見された。
遺体は腐敗が進んでいたが、頭部にはビニールがかぶせられ、洋服は着たままだった。
愛美の自供から、この遺体が行方の分からない三男であるとみて死体遺棄の疑いで愛美を逮捕した。

遺体は死後35か月経過していると見られたが、愛美の話から食事を与えられなかったことによる衰弱で、餓死または病死したと推測された。
愛美は、「昨年10月から三男を自宅に残し、交際相手の家にいた。12月に戻ったら、三男が死んでいた」と供述。さらに、保護された長男も一緒に置き去りにしていたと話したが、保護された時点での長男の健康状態は問題がなかったことから、長男が実際はどこにいたのかも警察では調べを進めていた。

しかし、実際に長男は愛美の供述通りあの市営住宅にいた。弟と二人、帰らぬ母をその部屋で待ち続けていたのだ。

ウジ虫が這ってくる部屋

そもそも愛美が家を出てすぐの11月、市営住宅ではあるトラブルが起きていた。
愛美の自宅がある8階では、何とも言えない悪臭が漂っていたのだ。夏場であれば、ベランダに放置した生ごみなどの臭いかとも思えたが、時期は冬、暖房が必要な時期だった。
【有料部分 目次】
ハードモードの人生
殺意
残り物のチャーハン
「ママ、遅い」
裁判
苫小牧という土地
実母
楽しいことだけ

🔓母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件~

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平成12年10月末

広島東署。
その日、一人の女が知人に付き添われて警察署へ被害届を出しに来た。
知人の説明によると、女の交際相手であった男から、金品を脅し取られているということだった。
署員が調書をまとめていると、その知人は続けて驚くべき話をし始めた。
「この人の二人の子供の姿が見えない。もしかしたらその男に殺されてどこかに捨てられているのかもしれない」

突飛な話に驚く署員をよそに、母親であるその女はあまり口を開かなかった。
警察は、まず被害届を受理した恐喝の容疑で、広島市中区在住の男を11月28日に逮捕、その後の取り調べで男が
「1年前、(被害届を出した)女性の長女と長男を虐待したら死んだので、山に捨てた」
と供述したことから、呉市内と安芸区内の山中を捜索。
12月1日、それぞれの場所から二人の遺体と思われる頭骨やその他の骨片などが発見されたのだった。

遺体発見

警察は当然、男の逮捕で終わらさなかった。二人の子供がいなくなったというのにこの母親は今の今まで何をしていたのか。
12月4日、二人のうち一人についての死体遺棄容疑で、男とともに母親も逮捕した。
男は鷹尾健一(当時28歳)。母親は瀬川光子(当時26歳)。
山の中で白骨遺体となっていたのは、光子の長男・慶樹くん(当時6歳)と、長女・祥子ちゃん(当時4歳)と確認された。

警察では何らかの形で死亡した兄妹を二人が共謀して遺棄したとみていたが、二人が殺人にも関係しているとみて捜査を続けた。

遺体はそれぞれ、祥子ちゃんを呉市の休山(497メートル)に、慶樹くんを安芸区阿戸町の山中に遺棄しており、二人とも鷹尾の供述通りの場所で発見された。

祥子ちゃんの骨は休山頂上付近で広範囲に散乱した状態で発見され、おそらく道路から投げ棄てられた可能性が高かった。
1年もの間、風雨にさらされ続けた祥子ちゃんは、動物に荒らされ骨は散り散りになっていたという。
しかも、祥子ちゃんの遺体遺棄の際には、この母親が現場まで一緒に行っていた。

捜査が進むにつれ、二人が死亡したのは虐待というより殺人と言って差し支えないほど凄惨な暴力と虐め抜かれたことによるものだということが分かってきた。

鷹尾と光子

光子は平成5年に慶樹ちゃんを出産、平成7年には祥子ちゃんを出産している。
しかし、裁判資料などから読み解くとどうやら未婚状態での出産であったようで、慶樹ちゃん、祥子ちゃんの父親はそれぞれ違う。
平成11年の4月ころになって、慶樹ちゃんの父親である男性と広島市東区内のマンションで生活を共にし始めた。
しかしその生活はすぐに破綻、男性との交際も解消し、男性は家を出た。
いつごろから始めていたのかは定かではないが、光子の収入源は風俗の仕事であった。ファッションヘルス嬢として働いていた時に、鷹尾が客としてやってきたことで二人の人生は交わり始める。

一方の鷹尾は、当時呉市内で妻子とともに生活をしていたが、生活は苦しかった。
自身の名字を屋号に据えた建設関係の仕事を生業にしていたが、折からの不況のあおりもあって仕事の量は減っていたという。
鷹尾はこの頃から覚せい剤を使用しており、事業がうまくいかない焦燥感や不安感などから覚せい剤の使用頻度も増え、妻やその両親らに暴力を振るうこともあった。
そのうっぷん晴らしのひとつが、風俗だった。
たまたま訪れた店で接客してくれた光子と意気投合、すぐに二人は交際を始める。
平成11年6月末、元請業者から取引停止を言い渡された鷹尾は荒れ、妻ともうまくいかなくなってそのまま光子が暮らすマンションへと転がり込んだ。

そのまま居ついてしまった鷹尾に迷惑する風でもなく、ふたりはパチンコなどに揃って出かけては、気ままな暮らしを送っていた。
ある時、二人で並んでパチンコに興じていた際、負けが込んで苛立っていた鷹尾に、「打ち方が悪い」と言われ暴行を受けた。
光子は暴力を振るわれたことで鷹尾とは一緒にいられないと思い、7月8日には手切れ金10万円を手渡して別れを告げる。
しかしその翌日、通りすがりの男から性的暴行を受けそうになり、警察に駆け込んで保護されるという出来事が起こる。
その際、光子を迎えに来てくれたのは鷹尾だった。光子は暴力を振るわれたことなど忘れてしまったかのように、これ以降鷹尾に溺れていく。

【有料部分 目次】
慶樹くんと祥子ちゃん
はじまり
犬の首輪と花火
6歳児の命乞い
母親「光子」
祥子ちゃん
DVと、未必の殺意
量刑不当
殺意の認定と、愛欲生活
見失ってはならないこと

🔓双葉ハイムで死んだ女②~宇都宮・男女4人殺傷放火事件~

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平成一二年八月五日

茨城県大洗町の海岸から東に約四〇キロ離れた太平洋上で、その日釣りをしていた船が漂流遺体を発見した。
那珂湊海上保安部が収容したところ、その遺体は二〇代から三〇代半ばと思われる成人男性で、背中一面に入れ墨があった。刺青の状態から、おそらく日本人だと思われた。
ベージュの半そで姿にスウェット姿、足元は素足。遺体の状態から死後一週間ほど経過していると見られた。

平成一二年八月二一日


深夜二時半。その男性は、火災報知機のベルと、大きな叫び声で目を覚ました。

「助けてくれ!!」
宇都宮市一条にある双葉ハイム最上階の十二階の一室から聞こえるその声に驚いた男性は一一〇番通報。すぐさま宇都宮署員が駆け付けると、一二〇一号室から煙が出ており、室内には衣服の乱れた男性二名、女性二名が倒れていた。

部屋の主は小堀英二さん(仮名/当時三七歳)で、小堀さんも部屋の中で倒れており、それ以外に栃木県高根沢町の中村慎吾さん(仮名/時三七歳)、宇都宮市鶴田町の無職、稲見晃子さん(仮名/当時三一歳)そして、宇都宮市宝木本町の飲食店従業員、小林潤美(ますみ)さん(当時二四歳)がいた。
小堀さん、中村さん、稲見さんは胸や背中を刃物で刺されたような傷を負い、稲見さんは左腕に火傷も負っていた。
三人の命に別状はなかったが、小林さんは収容先の病院で死亡した。ただ、小林さんには致命傷となるような外傷が見当たらなかった。

室内はソファなどの家具が焼けており、三人の証言で暴力団員風の男らが複数で三人の両手足をひもで縛り、刃物で傷を負わせたうえに灯油をまいて火を放ったことが分かった。
男らが出て行った後、もがいているうちにたまたま縛られていたひもがほどけた中村さんが自力で消火したという。

外傷のないにもかかわらず死亡した小林さんの死因は、後に大量の覚せい剤を打たれたことによる急性薬物中毒死と判明。
その場に居合わせた三人の証言からも、犯人と思われる男らのうちの主犯格が、小林さんに無理やり覚せい剤を注射したことがわかった。
一命をとりとめた三人も、それぞれ覚せい剤反応が出たが、日常的に使用していた痕跡は四人になく、それらも犯人の男らが強制的に注射したということも判明した。
現場となったマンションは、大通りに面した大きなマンションで、周辺には店舗、学校もある。そういったどこにでもあるような日常の中で、若い女性二人を含む四人が脅迫され、覚せい剤を打たれた挙句室内に火を放たれ、結果、一番若い小林さんが死亡するという事件が起こり、この時点では犯人らも逃走中であったため、宇都宮市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

被害者と犯人の関係

当初、被害者の小堀さんと中村さんらは、「四人組の男にやられた」「暴力団員風だった」などと、犯人を知らないといった供述をしていた。
しかし、捜査員らが話を聞くうちに稲川会系大前田一家後藤組の後藤良次(当時四二歳)が主導して事件を起こしたことを把握。その日のうちに放火、殺人未遂容疑で後藤を指名手配した。

ただこの時点では「何らかのトラブル」があったことは推測できるものの、なぜ稲見さんと小林さんまで巻き込まれたのかもわからず、そのトラブル自体もつかめていなかった。
中村さんは以前、後藤の運転手をしていたことがあったという。自動車販売を行っていた小堀さんとはその後親しく付き合っていた。小堀さんもまた、過去にマンションの家賃に関するトラブルを暴力団との間で抱えていたという。
当日は、午後九時ころに市内のパチンコ店で後藤と合流し、小堀さんが暮らす双葉ハイムへ中村さんとともに車で向かっていた。
しかしその際、部屋の鍵を小堀さんが持っておらず、交際相手の小林さんに鍵を持ってこさせることになった。そして、その小林さんを車でマンションへ送ってきたのが稲見さんだった。

この双葉ハイムは、一般の人々が多く入居している普通のマンションだが、当時の住民の話によれば、「事件の数か月前から暴力団員風の人の姿を見かけるようになった。それ以降、夜男性が怒鳴りあうような声を聞くこともあった」ということだった。
小堀さんが入居していた最上階の部屋は、同一部屋内に一階と二階があるメゾネットタイプで、他の部屋に比べるとつくりも家賃も立派である。マルチ商法なども手掛けていたという小堀さんにはある程度の収入があったと見られた。

事件から一週間たっても、依然として後藤の行方は知れず、共犯の男らの行方も分かっていなかった。
小堀さんらの供述もあいまいな部分が多く、捜査はなかなか進まなかった。
本人らの供述や知人らへの聞き取りで、小堀さんと後藤の間で金銭トラブル、人間関係のトラブルがあったことまではわかっており、その話し合いが決裂したあげくの犯行との見方は固まってはいたものの、大量の覚せい剤を打ち、縛り上げた状態で火を放つという犯行に至らせた決定的な動機はわかっていなかった。
三人は犯行時に大量の覚せい剤を打たれた影響で記憶もあいまいだったが、小林さんは交際相手の小堀さんから後藤の話を聞いてはいたもののそれ以上の接点はなく、稲見さんに至ってはまったく接点がなかった。
そのため、小林さんと稲見さんの二人は、たまたま巻き込まれたとの見方が強まっていた。

逮捕から起訴

事件発生から一〇日。この日宇都宮署の捜査本部は、埼玉県松伏町のホテルにいた後藤を発見。同時に、共犯として指名手配されていた後藤組幹部の小野寺宣之(当時三一歳)、無職の浦田大(当時三四歳)、そして出頭してきた土木作業員の沢村勝利(当時三七歳)を逮捕した。
容疑は後藤と小野寺が現住建造物等放火未遂、殺人未遂、逮捕監禁、浦田と沢村は逮捕監禁だった。
その際、沢村以外の三人は自動式短銃一丁も所持していたため、銃刀法違反(共同所持)でも逮捕された。

後藤と小野寺は容疑を否認したが、浦田と沢村は容疑を認めていた。

九月七日。送検された後藤は、当初こそすべてを否認していたものの、この頃から少しずつ同期に関する部分を話し始めていた。
また、死亡した小林さんを含めて四人に覚せい剤を注射したのも後藤本人であると認め、殺人容疑でも追及されることになった。
そして新たに暴力団幹部の吉澤浩(当時三七歳)と、暴力団員の男(当時二一歳)もこの日指名手配された。

九月二一日。最初に逮捕された四人はこの日宇都宮地裁に起訴された。また、警察ではこの四人を強盗致死の容疑でも再逮捕する方針を決めていた。
四人を監禁した後、稲見さんのセルシオと現金二万円弱、小堀さん宅にあったペアの腕時計などを奪っていたことが判明していたのだ。

後藤をはじめ、計六人が逮捕されたこの事件は、暴力団員が一般人四人を死傷させた事件として扱われたが、裁判が始まり、トラブルの全容などが明らかになると、複雑な人間模様が露呈することとなった。

【有料部分 目次】
事の発端
阿鼻叫喚
大洗町の漂流遺体
ヤクザのメンツと別の顔
人間性のかけら
人生が”あおり運転”
被害者と言えたか
凶悪

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