同・窓・会~千葉大原町・不倫殺人事件~

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昭和62年6月

千葉県の海辺の小さな町で、中学校時代の同窓会がひらかれた。
25年経って再会したかつての級友らは皆、いい意味でも悪い意味でも年を取り、参加した元級友が昔ばなしに花を咲かせた。

「姿かたちは変わっても、あっという間にタイムスリップできちゃうんですね」

後に、この同窓会に参加したある出席者は週刊誌の取材にこう答えていた。
この同窓会から8か月後、女と男は殺人犯になった。

事件の夜

昭和63年2月18日夜、大原町(現・いすみ市)の会社の事務所の一部が焼け、焼け跡から男性の焼死体が発見された。
焼死体の身元は、同社専務の菅野泰夫さん(仮名/当時39歳)と判明、直前まで一緒似た妻の話から、深酒して寝入っていた泰夫さんがストーブの火を消し忘れたことで火災になった、とみていた。

泰夫さんはその日午後5時前には会社から自宅へと戻っていたが、妻にパソコンの操作方法を教えるためにふたりで事務所へ戻っていたという。
午後10時を回ったころ、明日学校で子供が使う乾電池を買わなければならなかったことを妻が思い出し、自宅へ戻って子供と近くのコンビニへ行っていたその間に、火が回ったと考えられた。

自宅で火災の一報を聞いた妻は、子供たちを連れて現場へ戻ると、火に包まれた事務所を見て半狂乱となった。
「中にヤッちゃんがいる!」
そう言って妻はそのまま気を失ってしまった。

火災から3日後に大原寺で営まれた泰夫さんの葬儀では、およそ700人の参列者が突然の死を悲しんだ。
泰夫さんの高2の長男が、「父の死を乗り越えて頑張ります」とあいさつをした際にはすすり泣きが漏れた。夫を亡くした妻も涙をこらえきれず、周囲の人の支えなしでは立っていることもままならないほどの憔悴であった。

泰夫さんは子煩悩で、人との付き合いもそつなくこなすとその人柄は定評があった。
立派な会社の専務という肩書、高2と小4の子供、美しい妻に囲まれ、働き盛りの39歳で突然の悲劇に見舞われてしまったあまりに悲しい事故だったが、その告別式のさなか、大原署には戦後初となる「捜査本部」が設置されていた。

司法解剖の結果、泰夫さんには致命傷ではないものの、殴られたような傷があったのだ。

夫婦の裏の顔

泰夫さんは長野県生まれ。高校卒業後、千葉県にあるデパートに就職し、そこで後に妻となる女性と知り合い、昭和44年に結婚した。
妻の実家の家業を継ぐことも視野に入れた、婿養子だった。

妻の家は昭和31年に設備保守点検などを請け負う会社を設立、その後順調に成長し、昭和51年には事件当時の社名に変更、この頃には泰夫さんも将来の後継者として仕事に携わっていたとみられる。

妻はずっと地元で育ち、また実家が会社経営をしていたことからもおそらく、経済的には恵まれた環境で育ったのだろう。
そのせいもあるのか、地元での妻の評判は芳しいとは言えないものがあった。
さほど大きな街でもない地元においては噂話はかっこうの娯楽である。その中でも、男女関係のうわさ話は面白おかしく尾ひれをつけて町中を駆け巡った。

この妻も、男女関係では話題に事欠かなかったと言い、泰夫さんと結婚後も様々な男女関係の噂が囁かれていたという。

夫である泰夫さんも、人当たりが良く子煩悩、という良い評価がある一方で、夜の街では有名だった。
とにかく酒好きだった泰夫さんは、飲み歩くことのほかにゴルフにも目がなかった。
会社の専務ということ、将来の後継者ということで接待や付き合いの場も多かっただろうが、それでも社長である義理の父親に叱られるほどだったというから、相当なものだったことは間違いなかろう。

事実、事件の2年ほど前にはあまりにも会社の金を使い過ぎるということから、妻と義理の父親に勝手に会社の金を使うことを禁じられていた。

そんな中で、泰夫さんにはある悩みがあった。

それは、妻の男性関係のことだった。

同窓会の夜

妻は40歳になった年、地元では恒例の同窓会に出席していた。
男性にとっては本厄の年でもあり、全国各地ではこの40歳の節目に同窓会を催すところは少なくない。

泰夫さんは、6月に開かれたその同窓会に出た直後から、妻の様子が変わったことに気付いていた。
妻には実は前科があった。4年ほど前、妻が事故に巻き込まれたと泰夫さんに連絡があったが、その際、妻の車には男性の姿があった。
その交際相手が暴力団関係者だったこともあり、事故後妻と泰夫さんは恐喝まがいのことをされたという。
詳しい話は分かっていないが、おそらく、事故の後遺症だとかそういったことを持ち出し、加えて不倫だったことを口実にされたのではないか。
その件は、泰夫さんが多額の金を支払って終わらせたという話があった。

その頃、妻は出かける際に嘘の口実を作っていたわけだが、同窓会の直後から再びその時と同じ口実で妻が出かけるようになったという。
ピンときた泰夫さんは、事件当日の昼間、妻を尾行する。
車で出かけた妻は、とある場所で車を降りると、そこへやってきた別の車に乗り込んだ。
運転手は、男性だった。しかも、その男性を泰夫さんは知っていた。

ふたりが乗った車を尾行すると、車はモーテルへと滑り込んだ。泰夫さんは3~4時間待ったという。
そして、ふたりが再び車で出てきたところに立ちはだかったのだ。

妻と一緒にいたのは、妻のかつての同級生の男だった。泰夫さんは以前、自宅で開いたBBQパーティーの際、この男がいたことを思い出していた。
怒り心頭の泰夫さんは、ふたりを問い詰めるため、そして今後に向けての話し合いをするため、会社へ来るよう言い渡し、午後7時ころから会社の休憩室で3人は話し合ったという。

そこで何が起きたのか。

売り言葉に買い言葉で、不倫相手の男が泰夫さんを殴って死なせた、のか?
そして証拠隠滅のためにとっさに火をつけたのか?

実際には、泰夫さんの運命はこの日よりずっと前に決まっていた。

妻と不倫男

大原署は昭和63年3月9日、泰夫さんを殺害し、建物に放火したとして妻の亜沙子(仮名/当時40歳)と、その不倫相手で塗装会社社長の笠原良寛(仮名/当時40歳)を逮捕した。

笠原は同じ町内に住んでいて、妻も子もある立場であり、亜沙子との関係はW不倫だった。

調べでは、ふたりの交際は同窓会をきっかけに始まったが、深い関係となったのはそれから半年後の昨年末のことだったという。
そしてその頃には、ふたりの間で泰夫さんを亡き者にする計画が練られていたのだ。

亜沙子と泰夫さんの夫婦仲は、それぞれが好き勝手に生活していたこともあって冷え切っていた。
もちろん、亜沙子の過去の不倫問題もその大きな要因の一つだった。
冷え切った家庭を忘れるためか、亜沙子は頻繁に笠原に連絡を取ったという。
そして会話の中で、こんな話をした。
「夫が酒によって暴力を振るう」
実際に泰夫さんがDVをしていたという話は出ていないが、すでに冷え切った関係上、また、亜沙子の男性関係を問いただすうちに、手が出たことはあったかもしれない。

それを笠原はどうやら真に受けた。

笠原は知り合いの暴力団員を頼り、金を握らせて泰夫さんに危害を加えることを依頼。
亜沙子からは泰夫さんに8000万円の生命保険金がかかっていることも聞かされていた。
ふたりは寝物語で、「保険金が入ったらリゾートホテルを買おう」などと話していたという。
暴力団員には、笠原が150万円、亜沙子が無断で持ち出した会社の金150万円の合計300万円が支払われていた。

ところが当の暴力団員は、ふたりの話を全く本気にしておらず、金だけ受け取って泰夫さん殺害に動くつもりはなかった。
事故死に見せかけて殺害してほしいと持ち掛けていた笠原と亜沙子は、たびたび暴力団員に泰夫さん殺害の催促までしていたという。
ここで「金をだまし取られた」と警察の駆け込んでくれればあの憐れな消防署の女の話になってしまうが、ふたりはさすがにそこまではせず、とにかく早く殺してくれ、成功報酬も払う、と言って暴力団員をせかすのみだった。

そんな中で、逢瀬を楽しんだ二人に冷や水を浴びせかけた泰夫さんの登場。

もう、ふたりは待てなかった。

13年と、7年

平成3年4月23日、千葉地裁で二人に対する判決公判が開かれた。

起訴状によれば、ふたりは交際が泰夫さんの知るところとなったうえに、高額の慰謝料を請求されたことから、会社の休憩室で酒に酔って寝入った泰夫さんをゴルフクラブで殴ったうえ、室内に灯油をまいて火をつけ、焼死させた、とされた。

笠原は事実を認めていたが、亜沙子は一貫して否認していた。
亜沙子の言い分はあくまで、「150万円は笠原に対し貸したもの」であり、泰夫さんを痛めつけてほしいとは思ったけれど殺害までは頼んでいない、として、さらには実行の際現場にいなかったことを挙げて泰夫さん殺害は笠原の単独犯であることを主張した。

たしかに、泰夫さんを殴り、事務所に火を放ったのは笠原で、それは本人も認めていた。
しかしその前段階として、泰夫さんを殴った際に亜沙子もそこにいたようなのだ。
ただこれは致命傷ではないため、これだけならば亜沙子が言うように「痛めつけるつもり」ということだった、ともいえる。

しかし、泰夫さんが深酒で寝入った後、亜沙子は灯油を事務所内に運び入れ、さらには火のついたタバコを事務所の畳の上に転がしているのだ。

酒に酔って寝ている人間のそばに、火のついたタバコを転がす。これだけでも十分殺意を見て取れる気がするが、この時は失敗に終わっている。
畳に火はつかず、亜沙子はこの時点で一旦家へと戻っていたのだ。
亜沙子がいなくなったあと、笠原は一人事務所へと戻った。そしてそこで泰夫さんの頭部をゴルフクラブで殴りつけたうえ、周囲に灯油をまいて火を放ったのだ。

泰夫さんを殴ったゴルフクラブは、笠原の供述通りの場所から二つに折れた状態で見つかった。

以上のことから亜沙子の弁護人は、亜沙子と笠原の間に共謀性はないと主張、殺人については笠原が暴走した結果であるとし、おそらく無罪の主張だったと思われる。

千葉地裁の上原吉勝裁判長は、笠原に対し懲役13年(求刑懲役15年)、亜沙子には求刑13年だったところをその半分以下の懲役7年とする判決を言い渡した。

新潮45でこの事件をまとめた駒村吉重氏によれば、求刑の半分以下の判決ということは、ある程度亜沙子の主張は認められたとみていい、と述べている。
一方で弁護人は、「共謀性がなかったことが認められなかったのは遺憾である」として控訴していることを見れば、殺害の実行犯でもなく、さらにはその場にもいなかった亜沙子が直接手を下した笠原と同罪とは言えないまでも、夫殺害を計画し、共謀したという点での懲役7年であり、まぁ、そんなもんなのかなとも思う。

このように、不倫のはてに邪魔になった人間を殺害する男女はいつの時代にもいて、このサイトでも東京の教師の事件や本当の狙いが違うとはいえ、長崎佐賀連続保険金殺人、そしてあの茨城のレンタルビデオ屋の事件などは性質として似ている。
ただあちらは、被害者となった夫が全く事実を知らず、かつ、ひよこみたいな童貞の若い不倫相手に夫の暴力を訴えて殺害を決意させたと思われてもおかしくない被害者の妻は、逮捕すらされなかった。

おそらく泰夫さんにかけられていた保険金を手にすることは出来なかったろう亜沙子は、出所してどこへ戻ったのだろうか。
「何でも思い通りになると思っている」
亜沙子を知る町の人は、亜沙子をそう評した。
亜沙子の父親が経営する会社は、名前が知られてしまったからか、事件直後の昭和63年には社名を変更。その後も同じ業界でこちらは順調に現在も経営を行っているが、そこには泰夫さんの姿は当然、ない。
ただ、その後も同じ苗字の人間が代表職に就いていることから、一家は事件後も離散することなく、家業を守り抜いていることがわかる。

実行していないとはいえ、自身の不倫相手に夫を殺害させた娘を、父親は受け入れられたのだろうか。父親を殺された子供たちは、母親を受け入れることができただろうか。

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参考文献

毎日新聞社 昭和63年2月21日東京朝刊、3月9日東京夕刊
朝日新聞社 昭和63年3月30日東京朝刊、平成3年4月24日東京地方版/千葉

密会を目撃され「同窓会不倫」相手に旦那を焼き殺させた美人妻/ 駒村吉重 著/ 新潮45 平成20年8月号

🔓Love & Father~八街市・父娘強盗殺人放火事件~

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平成22年5月11日

男性はその日、火災発生を知らせる防災無線に耳をすませた。
場所によっては、消火活動をする必要もあるため、住所を聞き取ろうとして息をのんだ。
男性は急いで現場に駆け付けたが、その家はすでに2階から炎が噴き出し、手が付けられない状態となっていた。

その家は、男性が5年前に建築を請け負った家だった。

八街の放火

平成22年5月11日午後2時半ころ、千葉県八街市小谷流の民家が燃えていると、近所の住民から119番通報があった。
駆け付けた消防隊が火を消し止めたものの、木造二階建ての立派な家は見るも無残に焼け落ちた。

この家は、農業の中村行夫さん(当時76歳)と長男(46歳)、そして長男の娘ふたりの4人暮らしだった。
火災は平日の午後に起こっており、長男と娘二人はそれぞれ学校と職場へ行っており無事が確認された。行夫さんも、火災が起きた時いつも使用している軽四自動車が見当たらなかったことから、行夫さんも出かけていて無事なのでは、と思われたが、その後の現場検証で、1階の六畳間で遺体が発見された。

近所の人らは、「車がなかったからてっきりお孫さんを迎えに行っているのだとばかり思っていた」と話し、一家を襲った突然の不幸に同情を寄せた。

しかし、一つおかしな点があった。

住民らが言うように、普段行夫さんが使用していた軽四がなくなっていたのだ。
長男も使用しておらず、行夫さんが自宅で死亡している以上、行夫さん以外の誰かがその軽四を乗って出ていった、としか思えなかった。
警察では当然、事件を視野に入れて捜査したが、後日行われた司法解剖の結果、行夫さんの遺体には背中に刺し傷があったことが判明。さらに、胃の内容物から食後4時間ほどで死亡していること、そして、喉には微量のすすも認められたことから、刺されてすぐに火を放たれたとみられた。

警察は殺人事件と断定、目撃情報や、なくなった車の捜査を始めた。
まずもたらされたのは、行夫さん宅の近くの山道に放置されていた見慣れぬ自転車の存在だった。それは2台並べて置いてあり、最近とめられた、という感じだったという。
また、家の中では物色されたような跡もあり、さらには行夫さんの家族以外のなにものかが「食事」をした形跡があったという。
以上のことから、犯人が行夫さんを殺害後に室内を物色し、食事をして火を放ち、行夫さんの軽四を盗んで逃走した、と警察では見ていた。

そしてもうひとつ、重大なある事情がこの家には悩みの種として覆いかぶさっていたことも分かった。

行夫さんの孫娘の一人が、ストーカー被害に遭っていたのだ。

【有料部分 目次】
ストーカー
八街の父と娘
「愛に年齢は関係ないっ!」
父親の暴走
凶行
無罪主張の父
A子
少女たち

🔓クレイジーデイジー~青森・武富士弘前支店放火事件②~

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クレイジーデイジー~青森・武富士弘前支店放火事件~

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夫の告白

「今までずっと騙してたの?仕事行くふりして、弁当持って出かけてたの?」
男は、はらはらと涙を流す妻の質問に答えられずにいた。
男は妻から競輪や、それにつぎ込むための借金をやめるよう再三懇願されていたにもかかわらず、妻に嘘をつき続けて借金を重ねていた。
その額、三〇〇万円。

二人して実家の母に借金を申し込んだ。
母は悲しそうな顔をして、それでも八〇万円を用立ててくれたという。
しかし、母はこう付け加えた。

「これ以上くるなら、もう親でも子でもないよ」

年老いた母からの、厳しくも間違いのない愛の鞭だったが、男はその言葉を真剣に受け止めることができなかった。

平成一三日。
男はかねてより目をつけていた消費者金融の扉を開けた。

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小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~

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平成七年四月八日午後一〇時半

静岡県三島市長泉町土狩の路上を、町内在住の公務員男性(当時22歳)は自転車で家路を走っていた。
そこへ、走ってきた車が男性の進路をふさぐように前方に回り込み停車、車から人の若い男たちが下りてきた。
「金、持ってるだろ、出せよ」
唐突に絵にかいたようなカツアゲをされた男性は、当然断った。
直後、頭に激しい痛みが走る。男たちは木刀を持っていた。
殴られた。男性が必死に体をかばっている隙に、男たちは男性の財布を奪って走り去った。

二三日。
三島市若松町の駐車場内で、車上荒らしが発生。
会社員の所有する乗用車の中から、書類入りのバッグが盗まれた。
この事件で警察は、周辺の防犯カメラ映像や聞き込みから、若松町在住の男(当時二三歳)を割り出し、窃盗の容疑で逮捕した。
二二日、男は日に発生した路上強盗でも逮捕される。共犯の男(当時二一歳)も逮捕となった。

男らは罪を認め、二三歳の男は執行猶予中であったことから前科も併せての実刑となり、それから年間服役した。
男の名前は、服部純也。彼は一七年後の夏、死刑執行によりその人生を終えた。 続きを読む 小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~