恋人の頭を踏みつけた男の心の闇~岐阜・同級生男女殺傷事件~

2007年4月28日

白々と夜が明け始めた午前5時20分。
通行人の男性が、路上に倒れている女性を発見して通報した。女性は頭部をひどく損傷しており、車にひかれたのかとも思われたが、そうではなかった。
当初、女性の身元は分からなかったが、のちの調べで近くのアパートに住む衣料品店店員A子さん(当時23歳)と判明。
捜査員が彼女の自宅を訪れると、そこには会社員の武井亮さん(当時23歳)があおむけに倒れ、すでに絶命していた。
A子さんは頭部を鈍器のようなもので殴られており、意識不明の重体。
警察は、A子さんの部屋に亡くなった男性とA子さん以外の人物がいたとみて、その後、部屋にあった持ち物から一人の男を特定、同日夜にはその男の身柄を各務原市で確保した。

男は小野正人(当時23歳)といい、亡くなった男性とA子さんとは中学の同級生であった。

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恋人の頭を踏みつけた男の心の闇~岐阜・同級生男女殺傷事件②~

過去の事件

小野は、15歳であった平成11年3月に、障害や恐喝など複数の罪で少年院へ送致されていた。
このころ、小野は自分の体臭が過度に気になる「自己臭恐怖症」という症状に悩まされていたという。この症状自体はとりわけ珍しいということではなく、普通に社会生活を送っていた人でも、ある出来事をきっかけに自己臭恐怖症に陥ることはある。
周囲の人が何気なく口や鼻に手をやっただけで、自分が臭いからではないか、と思い込んでしまい、その思いから逃れられなくなるというものだ。
思春期には少なからず気にしてしまうこともあるし、根気よく面接療法、認知療法を行うことで症状の改善を図る。

小野の場合、仮退院の時期が近付いたことで社会に対応できるかどうか不安が募り、自己臭恐怖症のほかに不眠状態にも陥っていた。
そのため、平成12年の4月には医療少年院へ移された。その後も症状は改善されず、さらには「死ね」といった自分を批判するような幻聴まで聞こえるようになってしまい、医療措置がとられた。
8月になって、小野は別の病院を受診してそこの開放病棟に任意入院したが、1か月もしないうちに職員の説明に応じず暴れるなどしたため閉鎖病棟へ移された。
そして事件は起こった。
9月21日、清掃していた別の入院患者が、ふざけて小野の尻をほうきの柄で軽く叩いた。それに小野は激怒、その入院患者を殴り、倒れこんだ入院患者の顔を足で数回踏みつけた。入院患者は頭部に怪我をしたことに絡んで肺炎を併発し、そのまま死亡した。

さらに、翌13年の6月、看護助手から持ち物についての注意を受けたことに激高し、前回同様その看護助手の頭部を10回にわたって踏みつけ、全治6か月の重傷を負わせた。

結局、小野は看護助手への暴行で逮捕され、6月2日には緊急措置入院がとられた。そこから半年にわたって観護措置を経、その後平成16年1月まで、医療少年院で過ごした。
この時小野は二十歳で、医療少年院を出た直後に成人式に出席し、武井さんと再会していたのだ。
医療少年院を出た翌日から平成18年11月27日まで、複数の病院に通院していた。

小野はこの時点でなんらかの病名がついていたのかもしれないが、裁判記録では明らかになっていない。しかし、薬の服用はあったとみられる。
A子さんと交際を始めた18年の末には、病院への通院はしていなかった。

非社会性パーソナリティ障害

事件後、当然小野には精神鑑定がなされた。
武井さんとA子さんへの常軌を逸した行為は、言葉を選ばずに言えば常人の行動とは思えないからだ。
裁判所は、平成20年4月、第一回公判時に鑑定を行った医師に鑑定人尋問を行った。
鑑定の目的は、①犯行時、および現在の小野の精神状態 ②犯行時、小野が自身の行動について善悪の判断ができていたか、その判断に基づいた行動が出来る能力を有していたか否か、有していた場合はその程度 についてであった。

鑑定結果としては、
①小野は統合失調症ではない
②自己臭恐怖症ではあるものの、それほど強固なものではない
③小野は非社会性パーソナリティ障害の判断基準を満たす
④犯行後は、親しい友人らを殺害したという非日常的な行為に対する著しい精神的興奮に起因する心因性もうろう状態を一時呈したと考えられる
ということが記されている。
総合すると、小野は心神耗弱状態ではなかったし、犯行当時に小野を錯乱させるような幻聴や幻覚、妄想はなかった、とした。
その一方で、小野は非社会性パーソナリティ障害であり、その障害は小野の責任能力に影響はしない、と鑑定した。

鑑定を行った医師は、鑑定医として20年以上のキャリアを持ち、精神鑑定については30件以上の経験を持つベテランの鑑定医であり、専門知識に文句のつけようがなかった。
過去に統合失調症と判断された点についても、そのことを念頭に置いたうえで鑑定をしており、その上で「統合失調症ではなかった」と判断している。
むしろ、小野本人の生来の人格が関係しているとした。したがって、責任能力には問題はない、と結んでいる。

この、非社会性パーソナリティ障害とはどういったものなのだろうか。
特徴としては、社会規範を遵守する意識に欠け、他人を傷つけたり他人の権利や財産を侵害したり奪ったりしても罪悪感を持つことがないとされる。
少なくとも15歳より前にそういった症状が出ることが要件であり、幼いころから癇癪を起こしたり、他人を過度に傷つけて欲求を通すといったこともある。
わかりやすい具体例で言うと、社会のルールを守る気がそもそもないため、交通違反を平気で繰り返す(暴走族などとは違う)、仕事が全く続かない、それによって経済的に困窮すれば、窃盗を繰り返す、家族や恋人の財布から盗むといった行動を平気でやる。
また、過度に攻撃的な面を持ち合わせているため、単なる言い争いで止まらず、突然殴りかかったり、自分より弱い相手が対象だと致命傷を与えるまでおさまらないということもある。
彼らの辞書に責任という文字はなく、嘘をついているという意識すらない。とにかく、自分の欲求を満たすことが最優先である。
鑑定では、診断基準:ICD-10が用いられ、以下の基準に該当しているかどうかで判断された。
a:他人の感情への冷淡な無関心。
b:社会的規範、規則、責務への著しい持続的な無責任と無視の態度。
c:人間関係を築くことに困難はないにもかかわらず、持続的な人間関係を維持できないこと。
d:フラストレーションに対する耐性が非常に低いこと。および暴力を含む攻撃性の発散に対する閾値が低いこと。
e:罪悪感を感じることができないこと、あるいは経験、特に刑罰から学ぶことができないこと。
f:他人を非難する傾向、あるいは社会と衝突を引き起こす行動をもっともらしく合理化したりする傾向が著しいこと。持続的な易刺激性も随伴症状として存在することがある。小児期および思春期に後遺障害が存在すれば、いつも存在するわけではないが、この診断をよりいっそう確実にする。(出典 医療法人社団ハートクリニック)

小野はこの診断基準に合致していると診断された。

「俺が守ってやる」

小野はそもそもなぜ、武井さんとA子さんを殺害しようとしたのだろうか。
自身が三重に引っ越すことで、A子さんと物理的に会えなくなる可能性が高いことを悲観し、当初は無理心中を図るつもりだったかのような供述もしているが、実際にはA子さんよりも武井さんに対する攻撃の方が執拗である。もちろん、武井さんがA子さん宅へやってきたのは想定外であったはずで、やはり狙いはA子さんだったのだろう。

武井さんを殺害した動機としては、A子さんからのSOSを受けて駆け付けた武井さんが、A子さんに対し、「俺が守ってやる」と口走ったことがきっかけだと供述しているが、確かにこの発言は引っかかるものがある。
A子さんと交際していたのは小野であり、武井さんではない。A子さんがけがをさせられて小野が家を追い出された後も、決して小野の一方的で強引な誘いのもとにA子さんが会っていたわけでもない。
ましてや、武井さんとA子さんの間に男女の関係があったということもない。
にもかかわらず、武井さんはA子さんに対し、「俺が守ってやる」と言ったのだ。(注:ただしこの公判供述はのちに信用性がないとされた)
推測でしかないが、武井さんが言ったことが事実ならば、おそらく以前からA子さんは武井さんに相談していたのではないか。それをうけて、武井さんは「わざと」三重県のパチンコ店を斡旋したのではないか。そうすれば、A子さんと小野の接点は物理的に遠くなり、小野の執着心も薄れるのでは、と考えたのではないだろうか。
「俺が守ってやる」その言葉に深い意味などなかったのかもしれない。面倒見の良かった武井さんの事だから、解決してやる、今後小野がまた近づいてきたら俺が何とかしてやる、そういった意味合いであったと思われる。
しかし、A子さんに並々ならぬ執着心を抱いていた小野にしてみれば、激高するに値する言葉であったのもわかる。
そこでもう一つ疑問がある。武井さんとA子さんは、小野の過去を知らなかったのだろうか。

なぜ、小野と関わったか

武井さんと再会したのは平成16年の成人式である。先にも述べたが、この直前まで小野は医療少年院にいた。直接的な理由は看護助手への暴行であるが、その前にも同じやり方で入院患者を暴行し、結果死なせている。
これを武井さんらは知らなかったのだろうか。
小学校からの同級生と言えば、岐阜クラスの地方都市ならある程度の情報は耳に入るのではないか。ましてや、少年院送致などの事態ともなれば、余計だ。
また、A子さんにしてみても、なぜ小野と交際することになったのか。2度の暴行については少年院や病院内での話であるため、また、当初小野は統合失調症と診断されていたため、その点で情報が全くなかったとも考えられる。
それでも、非社会性パーソナリティ障害である小野の言動は、周囲の人間には耐えがたいものであったとも思うのだが、若い武井さんらにその判断は出来なかったのだろう。
武井さんが小野にことさら目をかけた本心は、本当のところはわからない。しかし、自宅に住まわすということを見ると、やはり純粋な「人助け」であったようにも思える。
小野は、幼いころ父親の暴力を受けて育ったという。そのご両親が離婚すると、母親が女手一つで小野を育てた。小学校の同級生だった武井さんにしてみれば、小野の不遇な幼少時代を知っていたから、余計に捨て置けなかったのかもしれない。
それを、小野はこれ以上ないというほどの「恩を仇で返す」という手段に出た。
A子さんは搬送時意識不明で、その後の治療は受けたものの、植物状態に陥る可能性もあった。奇跡的に意識が回復し、A子さんの懸命のリハビリによって回復はしてきたが、それでも右半身の運動機能障害、言語障害、高次脳機能障害という後遺症が残っている。
それ以外にも、顔面を含め激しく踏みつけられたことでの怪我の痕や、武井さんに助けを求めたことで結果、武井さんが殺害されてしまったという精神的なダメージは計り知れない。

武井さんの遺族は、裁判も傍聴し、小野に対し極刑を強く望んだ。

平成21年7月15日。岐阜地方裁判所は、小野に無期懲役を言い渡した。

人ではない、なにか

小野は非社会性パーソナリティ障害であるため、反省したり、経験から学んだりということが全くできない。人の気持ちを考えるなど、出来るはずもなかった。
小野は遺族に対し謝罪文すら書かず、反省の弁も裁判の終盤でようやく促されるままに述べた程度で、おそらく本人の中では「仕方がなかった」のであろう。
また、小野は裁判の途中であった平成19年に、弁護士との面会中に法務事務官を殴った。バカという言葉では言い足りないほど、いや、あえて言いたい、もはや人ではない。
裁判長も判決文の中で、過去に2度も少年院送致があり、矯正、更生の機会が与えられていたにもかかわらず、まったくその機会を生かそうとしていない、と断罪した。さらに、自身の事を気にかけ、なにかと世話を焼いてくれた武井さんを殺害し、交際相手であったA子さんの頭を踏みつけるという野蛮極まりない暴力を振るった。
人は、特に日本人は、なにか暴力的な衝動が起こっても、手が出るのが通常だ。足で蹴る、ましてや踏みつけるという行為はなかなかやろうと思っても出来るものではないのだ。
しかし、小野は過去の犯罪も含めすべて、「足で踏みつける」という行動に出ている。
テレフォン人生相談でおなじみの幼児教育研究家・大原敬子先生によれば、「足蹴にする」というのはその人を見下している事の表れだという。
小野は、他人に対する尊厳などは持ち合わせていないから、気に入らないと踏みつけるという癖があったのだろう。
まるで、子どもが思い通りにならずに地団駄を踏むように、どうしてわかってくれないの、どうして言う通りにしないの、どうしてどうして・・・

最近ではこのような障害を持つ人を温かく見守ろう、理解しようという動きが盛んである。もちろん、出来ることならそれが一番良い。
しかし、うまく機能しなかった時の代償がこれでは、「そうでない」人々はどうすればよいのか。
もしも過去の事件での対応が違っていたら、武井さんもA子さんも被害に遭わずに済んだのではないか。
人権、尊厳、大切なことだ。しかしその観念を持ち合わせない相手にも、それは保証しなければならないのだろうか?
人の命が紙きれのように吹き飛んだとしても。

親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件~

2004年9月11日 深夜

栃木県小山市を流れる「思川」にかかる橋の上に、一台の車が停車した。
男は助手席で眠りこける男児の腕と足をおもむろに引っ張ると、そのまま車外へ引きずり出した。
寝ぼけ眼の男児は、抵抗するもうまくいかない。
男はそのまま、橋の転落防止用のワイヤーの隙間から、躊躇することなく男児を5メートル下の川へ投げ落とした。
「バチャーン」
すぐに助手席に回り込み、同じく助手席で眠っていたもう一人の男児を、先ほどと同様に引きずり出したうえ、同じように川へと投げ棄てた。

後部座席にいた少女は、男児らの泣き声で目を覚ましていた。
言い知れぬ不安から、少女は男児の行方を男に聞いた。
「お父さん、あの子たちは?」
ハッとしたように娘を見た男は、「置いてきちゃった」と呟いた。 続きを読む 親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件~

親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件②~

下山姉弟の逃げ場所と、うわさ

この事件にはもう一組の姉弟がいる。下山の娘と息子である。
子煩悩であった下山は、離婚する以前は地域の子供会役員を夫婦で務めるなど、近隣からもその評価は悪くなかった。
デコトラ好きでも知られ、派手なトラックを子供たちに見せることもあり子供らにも人気のおじちゃんであった。
それが、自身の逮捕をきっかけに生活が不安定になり、夫婦仲にも亀裂が入ってついには離婚となったのは先に述べたとおりである。
それでも下山は自身の子供だけは手放さなかった。そして、2004年にあんちゃん親子との同居が始まるまでは、それなりに父子家庭として成り立っていたと思われる。
中学からの知人はこう証言する。
「同居する長女の運動会にも積極的に参加するなど、子どものことは熱心だったから、心配していた長女の学校関係者と共に、これなら大丈夫と言い合った」
別の知人も、「下山のことを悪くいう人はいない」とまで言っている。覚せい剤やってた男捕まえてその言い分はいくらなんでも、と思うが、本来は気の小さい子ども好きな男だったというのは間違いないであろう。

あんちゃん親子との同居が始まると、下山親子は居場所を奪われた。
まるで我が物顔にふるまうあんちゃんに対し、下山は無力であった。2~3日なら、それ以上はだめだと伝えたはずの同居は、いつしか下山が誘ったことになっていた。
気温の上昇とともに、下山家に一つしかないエアコンのある部屋はあんちゃん親子に独占された。しかしあんちゃんは、「下山がどうぞ使ってくれと言うから使っていた」と言った。
家賃も食費も、下山が工面せざるを得ない状況は変わらず、家事と幼い兄弟の世話まで下山の娘が背負わされていた。

そんな下山姉弟が唯一、逃げ場所にしていた場所があった。
ノンフィクション作家・河合香織氏によれば、近くの市営住宅に住む60代の女性の存在がそれである。
彼女(以下、Aさん)は、もともと下山と顔見知り程度であったようだが、8月10日、下山親子は突然、Aさん宅へ転がり込んだ。
実はその数日前、偶然会った際に、「今度遊びにおいで」という会話をしていたという。しかしそれは社交辞令以外のなにものでもなかったのだが、下山親子は本当にやってきた。
2K(台所、居間、寝室)のその部屋に、下山親子は5日にわたり滞在した。覚せい剤使用者の特徴とでもいうべきか、エアコンをガンガンにかける下山とは同じ空間にいられず、熱帯夜でも寒くて寝られないほどだった。

Aさんによれば、下山の娘と息子はまだ子供とはいえ、挨拶も食事の行儀もなっていなかった。
それはどこか、弱みを見せまいとするかのような、わざとそう振舞っているかのような、とにかく「横着」な態度に見えた。
この姉弟は、一斗ちゃんや隼人ちゃんよりもだいぶ年上である。
にもかかわらず、一斗ちゃんら兄弟に「怯えている」風でもあった。
Aさんは一度、一斗ちゃんらと会っている。あるとき、外で遊んでいたはずの姉弟が、突然家の中に駆け込んできたことがあった。何事かと思っていると、すぐに小さな男の子(一斗ちゃん)がやってきて、礼儀正しくこう聞いたという。
「こんにちは。○○ちゃん(下山の娘)いますか?」
とっさにそんな子は来てないよ、と伝えると、一斗ちゃんは振り返って、「お父さん、いないよ」と背後の男性に伝えていたという。

一斗ちゃんらが帰った後で、Aさんは下山の娘にわけを聞いた。しかし、娘は「きらい、会いたくない」と言うだけだった。
Aさんからすれば、かわいらしく礼儀正しい子どもなのに、嫌がるとはどういうことだろうと不審に思ったが、本当の理由に気づけるはずもなかった。
その後、下山の娘との会話で、下山のアパートにはおそらく他人の家族が同居していることは分かった。
下山親子の食費の面倒まで見ていたAさんは、これ以上居座られるのは無理だと思い、下山にその旨伝えた。
下山もそれはわかっていて、妹のところへ身を寄せようと考えていたようだったが、もともと迷惑をかけたこともあり、妹をはじめ親戚には頼れなかったようだ。
一旦はAさん宅を出た下山親子だが、翌日再びAさん宅に戻ってきた。おそらく、身を寄せられる場所を訪ね歩いたと思われ、疲れ果てた様子の子供たちは一日中眠っていたという。

夕方、目を覚ました姉弟は、元のアパートへ戻ると決めた。
帰り際、ふと下山の娘がAさんに呟いた。
「おばさん、やくざって怖いよ…」
唐突な言葉だった。何の脈絡もなく、下山の娘はそう言い残し、自宅アパートへと戻った。
Aさんは以前、下山からある話を聞かされていたことを思い出していた。
下山はAさんにあんちゃん親子の話はしなかったが、娘の心配ばかりしていたという。
しかもそれは、思春期を迎えた娘の体のことや、自分がいないときに娘をアパートに置いておきたくないといったものだった。
Aさんは知る由もなかったが、この下山の発言は後にある「うわさ」を裏付けるものとなる。
そのうわさとは、あんちゃんが下山の娘に対し、何か良からぬことをしているというものだった。

使い物にならない大人

下山が逮捕されたのち、下山による暴行を知りながら最悪の事態を招いた要因の一つとして、児童相談所と警察には批判が殺到した。
児相はコンビニエンスストアからの通報で虐待の事実を把握していながら、簡単なやり取りで兄弟を父親に引き渡した。
その際、祖母宅での生活が条件としたというが、確認したのは一か月後の8月10日、その時下山宅に戻ったことを把握していたのにもかかわらず、何ら対応していなかった。
警察も、暴行の事実がありながら介入しなかったことが批判された。そして、児相と警察は互いに責任のなすりあいを繰り広げた。
児相は法律の解釈を持ち出し、あくまで保護者による虐待でしか動けない、第三者の虐待は警察の管轄であると言いたかったようだ。
しかし警察からすれば、児相が対応していると思い込んでいたという、とにかく双方お粗末すぎる言い訳であった。

そして世間は、もう一人の当事者である父親に注目していた。
当初の、わが子が犠牲になっているというのにアクセサリーをジャラジャラとつけたうえでの会見は、誰の目にも異様であった。
また、先述の通り、一斗ちゃんがまだ行方不明で生きている可能性もあったにもかかわらず、まるで既に死亡しているかのような発言や、居候の身であったこと、わが子が虐待されているのを知りながら策を講じなかったことなど、批判は多かった。
その声を知ってか知らずか、1度目の会見では顔にモザイクがあったが、通夜に先立っての会見では、モザイクが外された。
これは父親たっての要請であったようで、何についてかは分からないが「けじめ」の意味があったそうだ。また、今の自分を見てほしいというような趣旨の発言もあった。案の定、逆効果であった。

もう一人、一斗ちゃんらの父方の祖母への批判も相次いだ。
祖母も虐待を知っていたからだ。児相から祖母宅での同居が条件で引き渡されたのに、下山宅へ戻ることを黙認し、児相にも相談していなかった。
にもかかわらず、自身の体調不良があったにせよ、なぜ一時的にでも兄弟を引き取らなかったのか、泣くほどつらいならばなぜ、という声が上がったのだ。
これは正論で、私自身もリアルタイムでこの報道を見ながら憤りを感じたものだ。
この事件に登場する大人、特に一斗ちゃんと隼人ちゃん兄弟側の大人たちは、誰もかれもが自分を顧みることをすっぽりと抜け落としているかのような言動が多かった。
児相がちゃんと確認してくれなかった、確かにそれもそうだが、一番身近なあんたら何やってたんだよと日本中の人が思った。
表にはあまり出ていないが、離婚した母親もその一人である。わが子の告別式の夜、この元夫婦は人目のあるファミリーレストランにいたという話もある。「普通の感覚」だったら食事するにしてもファミレスはチョイスしないのではないか。というかよく飯食えるなおい、とすら思う。
引き取っていればよかったと涙した母親だったが、この母親こそ、まず幼い兄弟を捨てた張本人ではないか。
父親をかばうわけではないが、幼い兄弟を手放さなかったのは父親である。それが結果として最悪な事態を招いたにせよ、自分ひとり勝手気ままに家出を繰り返した母親にそれを責める資格はない。
父親は、離婚後一時は親戚に兄弟を預けたが、なんとか一緒に暮らせるよう努力していたことはうかがえる。
公立の保育園に入所する手続きをし、入園準備も父親がした。タオルやせっけんなどもきちんと準備して、兄弟を保育園に通わせていた。
それを打ち切ったのは、この身勝手な妻であった。それまでも、気の向くままに子どもたちの預け先であった義理の母親のところへやってきてはまたいなくなる、そんなことの繰り返しだった。
それでも5か月ほどは父子の生活は成り立っており、保育園でも一斗ちゃんは隼人ちゃんの面倒をよく見ていたという。
それを、何を思ったか突然妻が現れ、子どもたちを連れて行ってしまう。園には、「仕事が何とかなりそうなので私が宇都宮に引き取って育てる」と言ったそうだが、その舌の根も乾かぬうちに、再び子どもたちを義理の母親に預けいなくなってしまった。
その後、先述の通り東京へ夫婦と子どもたちは移り住むわけだが、その顛末も結局、この元妻が子供たちを置いて自分だけ地元に帰ってしまっている。
いくら若かったとはいえ、この無責任さ、母性のかけらもない身勝手さはどうやったらこうなるのか全く理解できない。
児相に相談はしていたようだが、だからといって自分だけ逃げるか普通。子どもたちに3度のごはんが食べさせられないと訴えたようだが、なら働けよもっと。若いんだからさぁ、としか思えない。
要は、母親になってはいけないタイプの人間だったのだ。それは父親にも言えることだが、正直この母親はそれ以下だ。

この兄弟の最大の不幸は、周囲の身近な(親や親せき)、または関係機関(児相や警察)の大人がまったく何の使い物にもならなかったことだろう。むしろ、全くの他人の方が兄弟のシグナルを受け止め、しかるべき行動をとっている(コンビニの店長の通報など)のに、それを引き継いだ関係機関がぶち壊した。
南国市の児童暴行死事件でも、たった一人A教諭を除いて、周りの大人は使えなかった。痛みに限りなく鈍感な母親、子どもに興味のない校長、仕事をしない児相、近隣の住民やA教諭のように声をあげる人がいても、それをつぶして回る人間がいるのであればもはや救いの手立てはない。

壊れていた心

2004年9月11日。
その日は下山のアパートからすぐの小山聖泉キリスト教会で夏の子供向けのイベントが開催されていた。
竹細工をつくったり、そうめん流しをしたり、近隣の子どもたちにとって楽しい夏の一日であった。
はじめてその教会にきたという一斗ちゃん、隼人ちゃん兄弟も、仲よく遊び、そうめんを食べ、楽しそうに過ごしていた。
教会の牧師である新村真一氏、新村義一氏らは、子どもたちの様子をデジカメで撮影していた。事件後、赤いシャツではにかむ一斗ちゃんと、その傍らでじっとカメラを見つめる隼人ちゃんの写真が報道で使用されたが、それは新村氏が撮影した事件直前の兄弟の姿である。その写真は遺影にも使用された。
新村氏によれば、兄弟はぬいぐるみを抱えて教会に来たという。教会で遊ぶ間、そのぬいぐるみを預かったが、兄弟はそれを忘れて帰宅していた。
かえしてやらないと、と思っていた矢先、警察が二人の写真をもって協会を訪ねたことで事件を知った。

その頃、下山は追い詰められていた。
一斗ちゃんと隼人ちゃんを託児所に預けるための費用を工面するよう、あんちゃんから言われていた。
それは、ノーが言えない下山に対するいわば命令であった。下山も、何の根拠もないまま「できます」と答えていた。
しかし、まとまった金などあるはずもなく、下山は焦りを感じていた。
事件の数日前、結局金の工面ができていないことを理由にあんちゃんにどつかれた下山は、覚せい剤を使用することでなんとかその感情をやり過ごしていた。
事件当日の教会での二人の顔に、虐待の様子はうかがえなかった。見える範囲に痣やこぶなどは見当たらなかった。
しかし、幼い隼人ちゃんは、このころすでに精神的に危うい状態にあったと思われる。

国道4号線沿いに、仏壇店がある。ノンフィクションライター・武井優氏の取材によれば、その店の男性店員が、車の往来が激しい4号線のフェンスにもたれ、車を見ている隼人ちゃんを目撃した。
小さな子が一人でいることに危険を感じ、抱きかかえて店へ連れてきた。しかし隼人ちゃんは、表情の変化もなく、真夏だというのに鼻水をたらし、男性店員の顔をじっと見つめていたという。
抱いていても、幼い子どもが自然に抱きついてくるようなことはなく、むしろ体を反らせたという。

一斗ちゃんと隼人ちゃんの写真は、その愛らしさから覚えている人は多いだろう。しかし、武井氏は、隼人ちゃんの目が全く笑っていないことにゾッとしたという。
これには私も同感で、首をかしげてはにかむ一斗ちゃんとは対照的に、どこを見ているのか、何を見ているのかも分からないほどの感情のない、こんな目をした子供を見たことがなかった。
隼人ちゃんの小さな心は、とうに限界を超えていたのだろう。泣くことすら、もうしなくなっていたのではないか。
一斗ちゃんにしてもそうである。人一倍弟思いで、年齢の割に礼儀もしっかりしていた一斗ちゃんは、あるとき隼人ちゃんと喧嘩になった。
悔しさで涙をぐっとこらえる様子の一斗ちゃんを見て、祖母が「子供なんだから泣いてもいいんだよ」というと、「僕泣かないもん」といい、拳を膝の上で握りしめ、体をぶるぶると震わせながらも絶対に涙をこぼさなかったという。
顔を真っ赤にし、前身に力を込めて耐えるその姿は、下山の暴力を受け続けて身に付いたことだったかと思うと胸が張り裂ける。

なぜ、その日だったか

その日下山は、用があって実家へ行っていた。その間、一斗ちゃんと隼人ちゃん、そして下山の息子の「3人」が、近所の教会へ出かけていた(注:当時の報道によれば長女が連れ出したとなっているが、教会関係者の話によれば男の子たちが来ていた、とされている)。
下山が帰宅すると、あんちゃんが家にいた。話をしたくなかったので下山は再び外出するも、そこで娘を含む4人がいたため、その4人の子供を連れてドライブに出かけた。
当初は、子どもたちにおもちゃを買い与えたりしていたようだが、午後2時半ごろ、ガソリンスタンドへ場所を移す。
下山は以前から、どうやってするのかは知らないが金も払わず洗車をしていたといい、この日も2時半からおよそ5時間半にわたってこのガソリンスタンドにとどまった。
おそらくだが、覚せい剤を打っていたのだろう。そして、車の清掃を行ううち、車が汚れたのはあんちゃんの子供らのせいだと思い始める。お金のことで理不尽な要求もされ、娘の面前で殴られもした。あんちゃんは家にいてもゴロゴロするだけ、しかも娘が家にいるときにも覚せい剤をうっている・・・
馴染みのスナックでも、その頃下山はしきりに娘のことを話題にしていた。仕事の時間が違って、帰宅があんちゃんより遅くなることがある。その間、あんちゃんと娘が一緒にいるのが気になる、と。
それだからか、子どもたちを連れて仕事に出かける姿や、深夜遅くまで子どもたちを連れて歩く下山の姿が目撃されていた。

下山は娘の変化に気づいていたのかもしれない。夏休みまでは、友達と陽気にはしゃぐ、ごく普通の女の子だった娘が、新学期が始まると途端にふさぎ込むようになった。だるそうにして、学校にも遅刻するようになった。
その変化はあからさまで、同級生らも不審に思うほどだった。ついに娘は、自傷行為まで始めていた。
娘に何があったのかはわからない。いや、知りたくないと言った方が正しいか。
Aさんに言ったあの唐突な言葉が否応なしによみがえる。

ふと、車の周りで遊ぶあんちゃんの子供が目に入った。スイッチがどこで入ったのか、人目もはばからず下山は一斗ちゃんと隼人ちゃんに暴行を加えた。
拳で殴り、車に体をたたきつけ、裏拳で一斗ちゃんの顔を殴り投げ飛ばした。
隼人ちゃんはこぶができ、一斗ちゃんの唇は切れ、腫れあがった。一斗ちゃんは暴行され、ふらつきながらも泣きもせず、敬語で下山に返事をしていた。
そこへ、あんちゃんから「子供たちはどこ?」と電話が入った。とっさに、「一緒じゃない」と答えてしまった。
我に返った(?)下山は、傷だらけで震えるあんちゃんの子供を見て、こんな状態で連れては帰れないと思うようになる。
あんちゃんに言われた言葉がよみがえる。

「一生面倒みてもらうからな」

時間は午後7時半。あたりは暗くなり始めていた。

車を出した下山は、途中の公園や道端に一斗ちゃんら兄弟を置き去りにしては、迎えに戻るといった行動を繰り返した。ただ、この時点ではまだ確定的な殺意には至っていなかったのではないか。というのも、ガソリンスタンドを出た後、隼人ちゃんのオムツを購入しているからだ。
その間も、あんちゃんからの電話はやまない。下山は浅間山を目指した。火口に投げ入れればわからないと思ったというが、このあたりからもう正常な思考でなくなってきているような気がする。
気が付くと、日付は変わり、思川の上にかかる間中橋まで来ていた・・・

その日、一斗ちゃんと隼人ちゃんにそれまでにないほどの暴力を振るったのはなぜだったか。車内でも暴行は続き、隼人ちゃんの頭部にも深い傷があった。
それほどまでに下山を追い込んだのは、覚せい剤のせいだったのか。あんちゃんからの暴力だったのか。
時間を戻そう、この日、下山は子どもたちと離れている時間があった。そして帰宅すると家にはあんちゃんがいた。男の子たちはみな、教会に行っていた。
もし娘が家にいたとしたら。

その後

事件後、案の定というかなんというか、父親も覚せい剤で逮捕となり、実刑を食らって懲役となった。
ノンフィクションライター・武井優氏は、獄中の父親と会い、手紙のやり取りも行った。
面会の際、子どもの名前を出すだけで、父親は顔を真っ赤にして泣き崩れたという。今になって、自身の愚かさに気づいたのかもしれないが、かける言葉はない。
下山はその後死刑判決が下り、それから1年もたたない2006年6月4日、拘置所内で病死した。
直前に面会した弁護士によれば、顔色が悪く点滴をしていたというものの、時折笑顔を見せるなど元気な様子ではあったという。
下山は自己弁護はほとんどしていなかったように思う。覚せい剤を使用したことも、子どもたちに暴力を振るい、あげく殺したことも認めている。
死刑は免れなかったと思う反面、この幼い兄弟を死に追いやったのは下山だけか?とも思う。
下山の子供たちは、名前を変え小山市から姿を消した。下山の親族は誰もこの姉弟を引き取らなかった。唯一、叔母だけが一時的に入所した養護施設に差し入れなどを持ち寄っていたようだが、実母すら、引き取りを拒否した。
ノンフィクション作家・河合香織氏の取材によれば、在籍していた学校までも、「在籍していたかどうかも含めてノーコメント」であったという。
小山市内に多く住む親せきらも、かわいそうかもしれないが姉弟が自分たちで背負うしかない、そんな子はいっぱいいるのだから、その中でも立派に生きてほしい、ともはや他人事である。

河合氏も言う。皆がこの姉弟のことを忘れようとしている、確かに忘れてあげた方が姉弟のためにはいいのかもしれないが、なかったことにはできない、と。
私も全面的に同意である。
幼いあの兄弟が必死に生きた地獄の日々の中で、下山の娘と息子も、地獄の日々であったのだ。それまで忘れていいわけはない。

一斗ちゃんと隼人ちゃんの祖母は、下山が死亡したことを受けて「もしも天国で下山に出会っても、今度はついて行っちゃいけないよ」と孫に語り掛けたという。
その心配はないだろう、もしも下山が天国にいたとするなら、おそらく「ごめんな」と言うであろうから。
その一方で、いつまでも夢に出て来てくれず、詫びることもできないと泣いた父親のもとに、一斗ちゃんと隼人ちゃんは今、夢に出てきてくれているのだろうか。

思いつきで押した死刑判決へのピタゴラスイッチ~広尾町・幼児3人殺傷事件~

平成13年8月8日午後二時半


「警察に電話する!」
幼い少女は、泣きながら震える声でその男に精いっぱいの抵抗を見せた。
目の前には見上げるような巨体の男が、カッターナイフを手に立ちはだかっていた。
「電話するな!」
男の大声にそれまで固まっていた体が反応した。少女は一目散に玄関へと走ったが、男に左肩を掴まれた。
ものすごい力でリビングの床にあおむけに倒された少女は、男がカッターナイフを振り上げるのを見た。

取っ組み合いのさなか、男が手にしたカッターの刃が折れた。男は思い立ったように台所へと消えた。少女はその隙に、玄関を出ていった。胸が焼けるように痛い。家にはまだ弟と妹がいる…

家の中では、二階から降りてきた弟と妹が、包丁を手にしたその男と向き合っていた。
隣の家の、ボンズ頭の大きい兄ちゃん…その兄ちゃんが、5歳と2歳の姉弟の命を奪った。

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