女たちのそれぞれの事情~3つの女の事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

夫を殺す妻、子を殺す母。
その多くは精神鑑定が求められ、採用される。一部の専門家によれば、同じケースでも男性の場合は却下されるケースが目立つという。

個人の人格、知能の問題、そして精神の状態。

それぞれがそれぞれの事情で行った殺人と、その量刑。 続きを読む 女たちのそれぞれの事情~3つの女の事件~

必要だった、あと少しのなにか~安中市・姉放置死亡事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

生まれついてかそうでないかにかかわらず、日本では病気や怪我によって生活や仕事が制限されるようになった際、国がその等級に応じて年金という形で生活を支援する「障害年金制度」というものがある。

当然ながらこれらは本人の生活、人生のためのものであり、決して十分な額とは言えないかもしれないけれどその他の公的サービスなどと組み合わすことで、身体、精神に障害を持っていても生活していけるための大切なものである。

ただ、心、知的な障害を持っている場合、どうしてもその管理を身近な人間がせざるを得ないケースが出てくる。
同居する親や施設の責任者がそれを担うことが多いと思われるが、中には、身元引き受けになったそれ以外の人が行うこともある。

そこにもし、悪意があったら。いや、悪意がなくとも、そもそも引き受けた側に相応の能力が欠如していたら。

安中の事件

群馬県安中市の借家で、一人の女性が死亡した。
女性は50歳、ひどく痩せ衰えており、体も汚れていた。一応、上着などを身につけてはいたが、家の中であるにもかかわらず死因は低体温症。
一人暮らしの持病のある女性であれば、助けを求めることができずに衰弱したということも考えられたが、この家には女性の妹夫婦とその子供が一緒に暮らしていたのだ。

平成2926

死亡していたのは萩原里美さん(当時50歳)。里美さんには中度の知的障害とてんかんの持病があった。そのため、昭和62年頃から渋川市の障害者支援施設に入所していた。
その後、平成2712月に施設から実家へ一時帰宅した際、里美さんが施設に帰りたくないという趣旨の話をしたことから、当時実家にいた里美さんの妹夫婦がそのまま退所させ、里美さんを引き取ったのだという。

里美さんは施設にいた当時56キロほどの体重があったという。しかし、発見された里美さんは体重が35キロ程度にまで減少しており、司法解剖の結果、胃のなかに食べ物はありはしたものの、おそらく長い間栄養状態が良くなかったと見られた。
加えて、2月という寒い時期だったこと、低栄養からの高度の貧血状態にあり、体温調節機能が著しく低下したことからの、低体温症で死亡したと断定されていた。

一方の妹夫婦とその子供の体調に問題はなかった。
里美さんだけが、この家の中で衰弱し死亡したということで、警察は里美さんの死因に不審な点がないか捜査を始めた。その疑惑は当然、同居していた妹夫婦に向けられた。
が、里美さんが死亡する3日前の23日、安中市障害福祉係の職員が里美さんに面会していたことが判明。
その際、里美さんは痩せてはいたもののひどく衰弱した様子はなかったといい、職員からの質問にも意思表示をするなど、里美さんの状態がそこまで悪いようには見えなかったという。
当然ながら、妹夫婦も姉が死亡したことについて自分たちは世話をしており、死んでしまうような状態には思えなかったと証言。

里美さんは病死なのだろうか。

しかし警察は5ヶ月後の平成2976日、里美さんを放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の容疑で妹夫婦を逮捕した。

年の離れた姉妹

逮捕されたのは里美さんの妹である高倉里織(仮名/当時31歳)と、その夫・高倉圭祐(仮名/当時30歳)。二人には幼い子供もいた。
警察の調べでは、ふたりは里美さんに十分な世話をしなかったばかりか、衰弱しているのを知りつつ病院へ連れていくなどの必要な世話をしなかったとされた。
里織は容疑について「違っているところがある」としており、夫の圭祐も、「やるべきことはやっていた」として否認していた。

当初報道では、里美さんが知的障害を持っていたというより、先天的な障害があって寝たきりだったとしているものがあったが、実際の里美さんは最初から寝たきりなどではなかった。
福祉施設に入所している際は食事や着替えなど、日常的なことは自分ですることが出来ていた。ただ、知的な問題があったために、季節に応じた服装をするとか、栄養を考えた食事をとるといったことは出来なかったという。
また、てんかんの持病があったことから定期的な医療機関への受診、服薬が不可欠だったが、それも自分一人で考えて行動するようなことは出来なかったことから、日常生活には常に誰かの支えが必要な状態だった。

しかし、誰かの支えがあれば、里美さんは里美さんなりに、平和な生活を送ることは十分に可能な状態にあった。

それが、福祉施設を出て12カ月の間になにがあったのか。

里美さんと里織は、実の姉妹ではあるがその年齢差は実に20歳も離れていた。
生い立ちなどは明らかになっていないが、平成26年から実母が再婚相手と暮らしていた安中市の借家に里織夫婦は同居していた。
実母がその年の暮れに死亡した後、実母の再婚相手がその家を出てからは、生まれたばかりの長男との3人でその借家で生活していた。

そんな里織夫婦が里美さんを引き取ることになったのはなぜか。

里織は昭和61年に生まれているが、その翌年に里美さんは施設に入所しているため、姉妹の交流はそれほどなかったのではないかと思われる。
が、関係資料によれば兄弟姉妹の中で里美さんと里織は仲が良かったという。里美さんは小学校中学年程度の知能だったといい、幼い里織にとったら、20歳の年齢差を感じなかったのかもしれないし、離れて暮らしている分、姉というより友達、そんな感覚だったのかもしれない。

里美さんが里織夫婦に引き取られるきっかけは、母親の法事だった。
平成2711月、里美さんが暮らす施設に里織から連絡が入った。要件は、母親の法事の費用を姉にも分担してほしい、というもの。その額は7万円だった。
里美さんは障害者年金を二カ月に一度13万円受け取っていた。それらは施設の費用などに充てられていたが、当然残った分は施設が里美さん名義で管理していた。
その直後、一時帰宅ということで里織夫婦の安中の借家へ外泊した里美さんを、そのまま里織夫婦が引き取りたいと施設に申し出たのだ。

30年に渡って施設で生活してきた里美さんだったが、里織夫婦の元で暮らしたいというのは里美さんの希望もあったという。
里美さんは精神的、知的に小学生程度であったことから、施設内の他の入所者らからときどきイジメに遭っていた。施設側も、実の妹である里織の申し出であり、かつ、夫や子供の存在もあること、障害があっても施設ではなく地域社会で生活することが真の自立であるという障害者自立支援法の理念などもあって、おそらく退所すること自体は問題ではなかったと思われる。

平成2712月、里美さんは安中の借家での生活を始めた。

引き出された年金

裁判では里美さんを引き取ったそもそもの理由について、検察と弁護側が対立した。

弁護側は、先にも述べた通り里美さんが施設で他の入所者から嫌がらせやいじめを受けていることを知り、一時帰宅した里美さんも施設に戻りたくないと訴えたことから可哀そうになり、そのまま退所させる方針を決めた、と主張。
さらに、里美さんはほかにもいる兄弟姉妹よりも里織と一緒に暮らすことを希望していたといい、その願いを叶えようと思ったことが引き取った理由だと述べた。

一方の検察は、里織夫婦が里美さんを引き取った時期の生活状況に注目していた。
里織夫婦が里美さんを引き取ろうと動き始めた平成271112月、夫婦は家賃や光熱費すら払えないほどに生活に困窮していたという。
加えて、母親の法事の費用の相談を施設にした際に、その正確な額までは把握していなかったとしても、里美さんにある程度の貯蓄があることに気づいていた。
そして、129日の退所会議でこのまま貯蓄しておくようにと言われた里美さんの貯蓄77万円をなんと退所した当日から数日間でその全額を引き出していた。
さらに、12日には夫婦となぜか実母の再婚相手の携帯電話3台を契約。しかもその名義は里美さんになっていた。

おそらく里織夫婦は携帯電話を契約できない状態にあったのではないか。加えて、電話料金の支払いも里美さんの口座を指定していた。

これが意味するのは何か。

検察は、口座振替にわざわざ里美さんの口座を指定したのは、障害者年金が振り込まれることをわかっていたからであり、これらを併せ考えれば里織夫婦が里美さんの障害者年金を自己の自由にするために里美さんを引き取ったと優に考えられる、とした。

裁判所としても、弁護側の主張を否定するものでもないが、かといって検察が言う動機が両立しないとも言えない、とした。

簡単に言うと、里織が姉である里美さんを不憫に思う気持ちも本当にあり、里美さんの希望通り一緒に暮らすことで里美さんの障害者年金を自由にできるという、いわばwin‐win的なことが成立する、ということだ。

ただ、たとえ里美さんを引き取った本当の理由が障害者年金目当てだったとしても、里美さんの生活のサポートをし、常識的な範囲での世話さえ出来ていれば、それはそれで問題とまでは言えないはずだった。
しかしこの夫婦は、通常の人々より生活能力に欠ける部分があった。

支えが必要な人

里美さんは中程度の知的障害があり、誰かの支えなしではひとりで生活することは出来なかった。
一方の里織と圭祐については、裁判でも知的な問題は指摘されていないし、それまでに前科前歴もない。
なので断言するようなことは出来ないが、私にはこのふたりも、一般常識の範囲で自立した生活を送るということが難しい事情があったのではないかと思っている。

当時圭祐は定職に就いていない。だからこそ生活に困ったわけだが、そもそも里織の実母が暮らす安中の借家に転がり込んだもの生活していけなくなったからだと思われる。
この安中の借家は、外観から察するにおそらく6畳二間と台所と風呂トイレ、という作りだと思われ、単身もしくは夫婦ふたり、幼い子供くらいならいけると思うが、大人が4人に子供というのはいくらなんでも窮屈すぎる。

裁判所は量刑を決めるにあたって、この里織と圭祐の生活能力のなさについて、非難の程度を若干ではあるが減少させるとしており、やはりなにか本人の努力ではどうしようもない「なにか」があったのではないかと思われる。
たとえばこれがギャンブルや浪費など、金の計算ができないとか自己の欲求に赴くままとか、そういう話ならば非難の程度は減少どころか増加するはずだからだ。

本来、里織と圭祐にもその生活を監督し、助言や経済的なサポートが必要だったように思われる。ちなみにふたりが生活保護を受けていたという話はない。

ふたりは、里美さんを引き取ることでとりあえず月額65千円(2カ月に1度、13万円支給)の収入を得た。即日引き出された里美さんの77万円は滞納していた家賃などの生活費に消えている。
しかし普通に考えれば、65千円で里美さんを含めた家族4人が生活などできようはずもない。そこで思うのが、なんで施設はこんな生活能力のないふたりに里美さんを引き渡したのか、ということである。
犬猫の譲渡であっても、その生活環境や家族構成などが審査されるのに、介護経験もなく狭い借家暮らしで幼い子を抱えた定職もない夫婦に、なぜ里美さんの世話ができると思ったのだろうか。

血を分けた姉妹だから?

これについては裁判でも言及されておらず、安中市が調査報告書を出したという話もないため、詳細はわからない。
ただ、里美さんが長年暮らした渋川市の施設は、里美さんが死亡する2か月前から施設に来ていないことを安中市に報告していた。そしてそれをうけて、23日に安中市の職員が家庭訪問したのだ。これは里美さんの死亡3日前の話である。
その際、安中市の職員は「里美さんがそこまで衰弱しているように思えなかった」としているが、この時里美さんの体重は35キロしかなかった。
長年施設で暮らしていた里美さんは56キロあった。身長にもよるだろうが、施設にいてとんでもない肥満体だったとは思えない。里美さんがたとえ身長150センチ以下であっても35キロというのは痩せているという印象を受ける。
しかも里美さんは低栄養の状態が長く続いていた。それでも、里美さんの健康状態に問題がないとみえたのだろうか。

裁判では、この時の安中市の職員との面会で特に問題を指摘されなかったことが、対応した圭祐の中に「里美さんは大丈夫」という安心感が生まれたと指摘されているが、だからといってそのまま里美さんを放置してよいことにはならないとし、結局は年金欲しさに里美さんを引き取ったはいいが、他人任せでなんら里美さんに必要な介護を行っていなかったと非難した。
ふたりはやることはやっていたと主張していたが、安中市の職員との面会以降、急激に弱り寝たきりとなった里美さんを病院にも連れて行かなかったばかりか、一人放置されトイレにも立てない里美さんが排泄物を垂れ流していてもそれを世話することはなかった。
里美さんが低体温症となったのは、冬という季節に加え自身の排泄物にまみれそれによって体温を奪われたことによるものだった。
それでも、やるべきことはやっていたと、二人は思っていたのだ。

前橋地方裁判所は、身勝手な犯行としながらも、二人の生活能力に問題があったことや、圭祐が当初は里美さんを含めた家族のために仕事をし始めたことがあったことなどを酌量し、里織と圭祐に対し、懲役56月(求刑懲役7年)を言い渡した。

この事件は、結果から見れば身勝手で本当に腹立たしいのは当然としても、この里織の環境というのがもう少し明らかになればまた違っていたのかな、とも感じる。
そもそも里美さんとの年齢差が20歳あるというのも正直、何かあるような気もする。
すでに死亡していた母親が何歳だったのかも不明だが、姉妹間で起きた事件であるにもかかわらず、そしてほかにも兄弟姉妹がいるにもかかわらず、ほかの家族の存在がないのだ。

一緒に暮らしていたならまだしも、少なくとも里織が物心ついた時点で里美さんは施設で暮らしていたわけで、先にも述べたが姉という感覚を持てていたのかどうか。

里織が里美さんを不憫に思ったのが引き取るきっかけだったというのは否定されなかったものの、一方で早織はそれまで里美さんの面会はおろか、施設のイベントなどがあっても一度も顔を見せたこともなかった。
本当に仲が良かったと言えるのか。

ただ、最初から100%金目当てで里美さんを引き取ろうとしたのかというと、それも正しくないような気もする。
裁判でも認められたように、圭祐は怠惰な生活を改め、自分なりに一家の主として幼い子を持つ父親として、仕事をし始めたという事実もあった。最初から金目当てだったら、そもそも仕事をしようという気すら、いや、それをしたくないからこそではないのか。
里織も、施設に戻りたくないと話す姉の姿を不憫に思ったのは嘘ではないように思う。たとえ一瞬であっても。
そして、里美さんの年金があれば何とかやれるのではないかと思ったのも嘘ではないかもしれない。
自分たちに全く生活能力がないことは棚に上げて。

そのあたりの行き当たりばったり、その時の感情で後先も考えず行動してしまうことが、たとえ当初の動機が正しく思いやりから出たものであっても、最悪の結果へと変えてしまった。

支えが必要な人を、同じく支えが必要な人間に託してしまったことは家族である以上致し方なかった部分はあったのかもしれないが、もう少し何かが出来ていれば、里美さんも里織夫婦も、こんな結末にはならなかったような気もする。

ただ、その、もう少しの何かが何なのかと聞かれると、正直、わからない。

***********

参考文献

中日新聞社 平成2977日朝刊群馬版
朝日新聞社 平成2977日、平成3039日東京地方版/群馬
産経新聞 平成2978
読売新聞社 平成30314日、317日東京朝刊

平成30316/前橋地方裁判所/刑事第2/判決/平成29年(わ)384

子供の幸福、親の愛~ある母親による人身保護請求~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

一度は愛し合い、結婚し子をなした夫婦であっても所詮は他人。
いくら子は鎹(かすがい)といえども、それにも限界がある。

双方納得の上で子の監護、親権を持つことが出来れば問題もなかろうが、離婚した後は単独親権になる日本において、子供の親権、監護権を得られなかった側の親が「連れ去り」と主張することは少なくない。

子の親権についての議論はあるとして、子が幼ければ幼いほど、母親が育てる、親権を得るというケースが多いが、そこには母親の愛というパワーワードが君臨している。

母親の愛。

それに真っ向立ち向かったある父親の裁判の話。
(注:これは平成56年の判決であり、後の同種(別居中の親による子供の取り合い)のケースにおいてはそれぞれ事情が異なること、判断が分かれていることを断っておきたい。) 続きを読む 子供の幸福、親の愛~ある母親による人身保護請求~

特集:家族の事件簿

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

前にも家族の事件簿特集をしましたが、今回第二弾。
虐待とは少し違っていたり、家族を守るための家族殺しだったり、家族を所有物とみなしているからこそ起きた事件など。

家族であることが特徴の事件を集めました。まぁ、一家心中などは全部そうなんですけどね。

これ以外に、民事裁判を中心に家族の事件簿もまとめる予定でしたがそれは第三弾で。

ある家族の崩壊への軌跡~世田谷・長男殺害事件~
緘黙の子~大分・13歳餓死事件~
🔓怒りの控訴趣意書~福山・母子4人殺害事件~

前回の家族の事件簿はこちら

🔓焼け野が原~狂言誘拐が問うもの~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

昭和の時代、身代金目当てなどでの誘拐事件は多かった。
被害にあうのは、主に子供。そのいくつかでは、被害者が殺害されてしまうという結末もあった。
時代が変わり、携帯電話の普及や防犯カメラなどで誘拐自体が難しい状況になったこともあって平成以降の誘拐事件は減り、その内容も身代金目的というものよりもわいせつ、監禁などを目的とするものへと変わっている。

身代金目的であってもこれまで認知されている誘拐事件では、解決未解決に関わらず身代金奪取が成功した例はないとされる。

その中で、身代金やその他声明が犯人側からなされて誘拐が発覚したケースでは、後になって「狂言」であったことが判明したものもいくつかある。
多くは、幼い子供のいたずらなどではあるが、その動機において深く考えさせられる狂言誘拐もある。

子供たちが企てた事件から、冤罪を生みかねなかった事件などを紹介する。
なぜ、そんなことを考えたのか。その本当の動機は、なんなのか。

聞いて、ちゃんと聞いて、ちゃんと言って、私に聞こえるように 大きな声で もう泣かなくていいように

子どもたちの反乱

幼い子供が企てる誘拐は、単にテレビの真似をしたというものもあれば、親の気を惹きたい、心配させたい、そういう健気な思いも隠されている。
理解してくれない大人たちへの、子供たちの反乱。

三重の11歳少女

平成元年2月のある日の夕方、三重県北伊勢地方の住宅に、不審な電話がかかってきた。
応対したのは母親で、「子供を預かっている。警察に言ったら命はない。50万円用意しろ。」と言われ動転。すぐさま警察へ通報した。この家の11歳になる娘・A子ちゃんがまだ帰宅していなかったのだ。

警察は当初から、幼い子供の身代金にしては50万円という額がそぐわないと感じていたが、営利目的ではなくいたずら目的での拉致などの可能性もあるとして捜査を開始。
母親の通報から約3時間後、捜査員がA子ちゃんが通う小学校に赴いたところ、校内に当のA子ちゃんがいるのが確認された。が、A子ちゃんはどうやら「身を潜めていた」ようだった。

捜査員が事情を聴くと、A子ちゃんが少しずつ口を開くようになった。

きっかけは、光GENJIだったという。

この時代、スーパーアイドルの頂点に君臨していた光GENJI。ジャニーズ事務所からデビューした彼らは、ローラースケートを履いて歌うというスタイルで、加えてその甘いルックスは全国の少女を魅了した。
お兄さん組と弟組のように、年齢差を設けて一つのグループにするというやり方は後のジャニーズのアイドルグループも取り入れている。
A子ちゃんもこの光GENJIが大好きで、とにかく熱中していたという。
それが関係しているかどうかはわからないが、学校の成績が下がってしまう。そしてそれを、どこの親でもそうであるようにA子ちゃんの親も、アイドルなんかに熱中しているからだ!とA子ちゃんを叱った。

A子ちゃんにとって、もしかしたら初めて熱中できたものだったのかもしれない。それを、親に全否定されてしまったその気持ちは痛いほどわかる。
A子ちゃんはおそらく怒っていた。カセットテープに自分で犯行声明を録音し、それを公衆電話から自宅へ電話し、さらに早送りで聞かせた。
母親は、早送りになっていたこともあって、娘の声だとは気づかなかったという。

この事件が報道された際、児童心理に詳しい教育評論家の品川孝子氏は、中日新聞の取材にこう答えている。

「自分の値打ちが認められないと感じたときに子供たちはスターに憧れるなどの逃避の行動に出る。今回の事件も典型的な例。併せて成績偏重も大きな問題で、50%もいると言われる家で願望の子どもの行動の引き金となるのは、多くの場合、成績低下を責められた時。狂言は、親に対して一番ショッキングな事は何かを見透かしている証拠と言える。」(中日新聞社 平成元年2月20日夕刊)

A子ちゃんに対しては、その年齢や早期解決だったこと、家族間のことなどから、おそらく不問に付されたと思われる。

福岡のスポーツ少女5人

平成2年1月15日、福岡県のとある小学校は騒然としていた。この日、体育館ではバレーボール部に所属する少女らが練習に励んでいたが、突然ヘルメット姿の男が現れ侵入してきたかと思うと逃げ惑う少女のうちの一人を捕まえ、ライトバンで拉致したというのだ。
少女らの話では、拉致した男が乗り込んだライトバンにはもう一人、男がいたという。
その後、少女らは勇敢にも逃げたライトバンを追い、体育館から2,5キロ離れたスーパーに車が止まっているのを発見。車内には誰もいなかったためスーパー店内へ入ると、拉致された仲間の少女・B子ちゃんを発見した。
B子ちゃんによると、駐車場に車が停まった時、ドアのロックを解除して男らの隙を見て脱出したのだという。
合流した5人は、スーパーにたまたま居合わせた同級生から10円を借りると、公衆電話からバレー部の監督に連絡した。

「先生、B子ちゃんが変な男の人にさらわれました。」

それを聞いた監督が110番通報。B子ちゃんが無事だとはいえ、犯人は捕まっておらず、かつ、小学校の体育館に侵入しての大胆な犯行に、福岡県警は警察官200人、パトカー50台を投入して逃げた男らの行方を追った。
同時に、B子ちゃんを含む少女5人から詳しく事情を聴いていた。その過程で、少女らは
「犯人の男は今月8日と13日にも体育館に来ていた。女子トイレをのぞいたり、私らの体を触ったりした」
という話をし、さらには犯人の顔や髪形などを細かく覚えていたという。
警察は不審者としてマークしている中に、その証言とよく似た中年男性がいることを重視、少女らに顔を見せて確認したところ、「このおじさんに間違いない」と少女らははっきり証言した。

が、結果から言うと、全部嘘だった。

取り調べを進めるうち、捜査員らは少女らの証言に矛盾があることに気づく。しかしそれを問うと、少女らは泣きながら「嘘じゃない!」と訴えたことから、警察でも対応に苦慮していたようだ。
しかし翌日になって、B子ちゃんが誘拐されたとされる時間帯、別の場所にいたことが判明。それを少女らに告げると、夕方になってその真相が明らかになった。

少女5人の動機は、「バレーの練習が嫌」というものだった。

このバレー部は地域で運営されているチームで、学校教育の一環ではなかったという。よって、監督も教師ではなく、地域でバレー指導の経験がある人や父兄らによって運営されていた。
所属する団体による試合は県大会規模の選手権などもあり、多くの地域でこのチームと同じように厳しい特訓が日々行われていたという。

少女たちは当時小学5年生。6年生が引退し、自分たちはレギュラーになったものの、その練習はあまりに過酷だったという。学校行事ではないため、当然休日は練習でつぶれ、家に帰っても親も熱中しているケースが多く、少女たちはとにかく疲労困憊の状態にあった。

そこで思いついたのが、事件が起これば練習がなくなるのではないか、というものだったのだ。
少女たちはそれまでにもなんとか練習を休めるように、ネットなどを隠したりもしたというが、監督も親も、練習を休むことは許さなかった。

県警は、本来ならば虚偽申告にあたるが内容が内容だけに少女らの気持ちもわかるとし、彼女らにここまでさせたのは父母や監督ら大人の責任として、両親や監督に出頭を求めて厳重注意を行ったという。

少女たちは、反省文を提出することで許された。

その後バレー部がどうなったかは、わからない。

兵庫の10歳男児の”かくれんぼ”

平成9年の夏休み。兵庫県在住の30歳の女性は、仕事の合間に、10歳になる息子と一緒に昼食を取ろうと自宅へ戻った。
息子とは二人暮らし。子供を育てるために必死で働きながら、一方で息子には寂しい思いをさせていると母親は感じていた。この日も、わずかな昼休みを息子と過ごそうと自宅へと急いだのだったが、家に戻ると居るはずの息子の姿がなかった。
息子の名を呼びながら家中探し回るも、返答がない。いよいよ母親が焦り始めたとき、6畳和室の天袋から何やら物音がした。
母親が天袋を開けると、そこには口と手足をガムテープで巻かれ転がされている息子の姿があった。驚いた母親はすぐに110番通報、息子は捜査員に対し、
「水色の上着を着たおじさんが入ってきて、手足にガムテープを巻かれた」
と話したことから、警察は捜査員40人を投入して捜査にあたった。

ところが、捜査員らはこの状況の不自然な点に気が付いていた。

通常、強盗だったらまず目隠しするものだという。しかし、男児は目隠しされていなかった。さらに、押し入れがあるにもかかわらず、10歳の男児を高い場所にある天袋に押し込むというのは合理的ではない、そういう意見が捜査員らからは出ていたという。

捜査員が改めて男児に話を聞くと、男児はぽつりとつぶやいた。

「お母さんは仕事ばっかり。脅かそうと思った」

男児はただただ、寂しかったのだという。これまでにも、わざと家の中に隠れて母親を驚かせたことがあったという。ただ今回はやりすぎてしまった。

母親はさぞやショックだったろう。仕事が忙しいのは、必死で働き、息子との生活を守るためだったのに、いつか大切なことを見失っていたのかもしれない。

西宮の親友二人

昭和61年8月28日午後6時半ころ、西宮市の会社員方に次女のC子ちゃん(当時10歳)から電話がかかってきた。
C子ちゃんは泣いていて、電話口のお姉ちゃん(当時15歳)にこう伝えた。

「今、知らないおっちゃんと友達のD子ちゃんとの3人で、阪神電車香園(現:香櫨園)駅におる。おっちゃんに、家に電話して家の人に1000万持ってくるよう言えと言われてる」

お姉ちゃんはすぐに大阪市内で仕事中の母に電話、母親が警察に通報した。

警察は署員200人、パトカー20台を出して捜索。電話があってから4時間経った午後10時ころ、西宮市柏堂バス停付近を歩いている二人を発見、無事保護した。

無事保護されて安堵した警察と両親だったが、C子ちゃんに確認しなければならないことがあった。
実はC子ちゃんには、これまでにも今回と似たような言動があったというのだ。そのため、当初から電話を鵜呑みにはせず、慎重な捜査を行っていたが、結果として今回もC子ちゃんの嘘だった。

二人はこの日、午前10時にそれぞれ家を出ると、市内の夙川(しゅくがわ)公園でバトントワリングの練習をしたという。そのうち、夕方になって、家に帰らなければならない時間を大幅に過ぎてしまったようだった。

これでは叱られると思った二人は、誘拐されたと言えば怒られないのではないかと考え、誘拐を装ったのだと話した。

調べに対してふたりとも泣きながら話していたというが、帰りが遅くなって怒られる、からの狂言、しかも電話で工作までするというのはいささか手が込み過ぎているような気もするが、直前には各務原市などをはじめ、誘拐事件が多発していた時期だったこともあり、テレビなどで見聞きして安直に思いついたのでは、と警察は判断した。

作家の小峰元氏が朝日新聞の取材に答えたものによれば、子どもといえどもテレビなどで強い刺激に慣れているため、親も少々のことでは驚かないと子供は思っているとし、大それた行動にエスカレートするのだという。
そのうえで、ばかげた行動だと決めつけるのではなく、きちんと向き合う必要性があると警告している。

長崎の父親

平成元年、長崎県大村市で専門学校に通う女性(当時20歳)が外出したまま家に戻らず、5日後に身代金400万円を要求する脅迫状が届いた。
長崎県警捜査一課と大村署は、脅迫状が届いた2日後に大村市内の民家にいた女性を発見、保護。ただ女性は非常に疲弊しており、精神的にも不安定な状態にあったという。
県警は女性が発見された住宅に暮らしている21歳の会社員の男性ら二人から事情を聴いていて、犯人逮捕は間近と思われた。

が、この男性二人が逮捕されることはなかった。

そもそも、警察が女性を発見できたのは、この家に暮らす人、すなわち事情を聞かれていた男性の親からの通報がきっかけだったのだ。しかもその通報内容は「誘拐された女性がうちにいる」とかいうものではなく、「うちの息子が身元不明で行くところがないと話している女性を保護して連れてきているが、ちょっと長く居すぎるから警察で引き取ってほしい」というものだったのだ。

女性を保護した後、当然ながら男性らは話を聞かれたが、男性らはドライブ中にナンパした女性であること、女性に話を聞くと行くところがないというから両親と暮らす家に連れて行って泊めたと一貫しており、さらには脅迫状については全く知らない様子だった。

警察は困惑。今一度、脅迫状を調べたところ気になる点が見つかった。
脅迫状が届いたとして通報してきたのは女性の父親。脅迫状は新聞の切り抜きを使ったもので、ちょっと古い手法でもあった。
さらに、娘が身代金目的の誘拐の被害者になっている可能性があるにもかかわらず、どこか父親には危機感が薄かった。
そして、その脅迫状に父親以外の指紋がなかったことで、もしや……と思った警察が父親に事情を聞いたところ、父親は誘拐事件ではないことを認めた。

父親の話からまとめると、長女は精神的に不安定な状態にあったようで、最近まで記憶喪失によって入院中だったのだという。
それが、退院してきた途端、家を出ていってしまった。捜したい父親だが、すでに成人している娘を警察が真剣に捜査してくれるかどうか信用できず、かといって放っていくわけにもいかず、事件にすれば警察が動くと目論んだ。
娘が自発的に家を出たことを知りながら自ら脅迫状を作成し、自宅宛てに速達で郵送し、届くのを待って警察に駆け込んだ、ということだった。

警察では複雑な事情があることや、娘を思うがあまりの行動に一定の理解は示したというものの、父親は軽犯罪法違反で書類送検となった。

大牟田の保母

平成2年11月18日、大牟田市の元教師の夫婦が暮らす家に、「郵便受けを見ろ」という電話がかかってきた。時刻は深夜、訝りながら郵便受けを見たところ、手紙が入っていた。

「娘を預かっている。明日中に5000万円を用意しろ。警察に知らせたら殺す」

テレビドラマでしか見たことがない、ベッタベタの身代金要求の脅迫状だった。
父親(当時61歳)はすぐに警察に通報、この家の21歳になる長女が買い物に行くと車で家を出たまま、この夜まだ帰宅していなかった。
警察は長女が成人であることから、念のため朝まで待つよう指示。朝になって連絡がなかったことで営利目的誘拐の可能性が高いとして捜査本部を設置した。

ところが19日の夕方6時ころ、福岡市内の喫茶店で一人食事をしている長女を発見。警察は長女を無事保護した。

大牟田の事件であるのに、福岡市内にいる長女をそれもピンポイントで見つけられたのはなぜか。
実は長女には交際相手がいた。その交際相手が、19日の午後3時ころに「長女から連絡がきた」と通報していたのだ。そしてその場所に、長女はいた。
調べに対し、長女は「知らない男性から声をかけられ車に乗せたら、ホテルに監禁された。隙を見て逃げ出した」と話していた。

ただ違和感があった。

事件は報道機関との協定で規制がかかっていた。19日の午前、長女の交際相手の男性に警察は接触、任意で事情を聴くなどしていたが、その数時間後に長女から電話があったと交際相手は通報してきた。
そして見つけた長女だったが、捜査員がその喫茶店に飛び込んだ際、どこかきょとんとしていたという。普通、拉致監禁されていて逃げ出せたならばまず、警察に通報するのではないか。それが出来なかったとして、腹が空いたからまずはご飯、となるものだろうか。

警察は長女と交際相手の双方から慎重に話を聞いたところ、交際相手が脅迫文を作成して郵便受けに投げ込んだと自供したため、この交際相手を恐喝未遂容疑で逮捕した。

逮捕されたのは大牟田市内の建設業手伝いの吉村次郎(仮名/当時23歳)。吉村は交際している長女に久留米市内のホテルに隠れているように指示もしていた。
吉村は、以前から交際していた長女が「親が厳しい」と愚痴を言っていたのを利用して金を奪おうと計画したと思われたが、予想外に話が大きくなったことで怖くなり、警察に事情を聞かれた後、自ら長女の居場所を通報していた。長女は何も知らず、言われるがままに行動していたかに思えたが、警察はこの長女自身にも不審な点があると見抜いていた。

長女は行方が分からなくなったその日、夕方に友達と会う約束をキャンセルする電話を入れていたのだ。さらに、身代金や脅迫状については知らないと話していたが、その後の調べでは「運よく金が手に入ったら使おうと思っていた」と話しており、吉村の計画に「乗った」と判断された。

長女は大牟田市内で保育士として勤務しており、両親が元教師ということもあって近所でも職場でも大変評判の良い女性だったという。皆、女性自身が犯行計画に加わっていたことを知っても、本人の気持ちを聞かなければ判断できないというほど、とにかく信じられなかった。

事件はその後、吉村が恐喝未遂で起訴されたが、長女については書類送検されたものの、直系血族などの間の財産犯の刑を免除する刑法二四四条の規定に基づき、送検されても不起訴になると予想され、事実そうなった。
吉村は重大な犯罪であると非難されたものの、社会的制裁をすでに受けているなど酌量されて執行猶予となった。

教師一家として地元でも評判の良かった家族。その名声はよりにもよって両親に不満を持っていた長女の狂言誘拐という犯罪によって崩れ去った。
事件の全容を見てみると、主犯であり、計画を立案したのは吉村だとされた。しかし、吉村がそれを思いついた経緯には、長女の日ごろの愚痴や悩んでいる様子があった。
長女は、自供した通りかねてより両親、特に父親の躾が厳しいことを不満に思っていたという。
実は長女は養女だったという。だからこそ、両親はその愛情を一心に注いだ。しつけの厳しさはすべて、愛情からのものだった。
しかし、それが長女に伝わらなかった。それはなぜか。

事件解決の夜、大牟田市内は雨だったという。その中、自宅を訪れた取材陣に対し、インターフォン越しに父親はこう答えた。

「私の心の中にも、雨が降っております。」

あのな、そんなんいらんやん?なんでこの期に及んで、そんな芝居じみたというか自分に酔っているような、そんな表現する必要ある?うまいこと言う必要ある?校長先生の式辞やないんやから……
こういうところではなかったのか。
長女にとって、父親は父親というより、教師、校長先生でしかなかったのではないか。

家族は再出発を誓ったという。

【有料部分 目次】
宇都宮の病院の娘
事件の経過
男の素性、少女の素性
男の動機
真実
一番大切なもの
あの事件の被害者の妹
狙われた妹
教団の影
語られたこと
進まぬ捜査
憎かった
ねぇ、聞いて