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令和元年八月二日
この日、元号が変わって最初の死刑が執行された。
ただ、先だってのオウム教団の死刑執行とは打って変わって、その元死刑囚らの事件にはピンと来ないという人が多かった。
一人は、福岡で三人の女性を次々と強姦したり強盗して殺害した鈴木泰徳元死刑囚(事件当時三五歳/執行時五〇歳)。
そしてもう一人は、神奈川県大和市において、短期間の間に2人の主婦を殺害して金品を奪い、また、別の女性に対しても強姦と強盗の罪に問われていた庄子幸一元死刑囚(事件当時四六歳/執行時六七歳)である。
この、庄子幸一元死刑囚の事件では、一緒に逮捕されて無期懲役となった女の存在があった。
そして、庄子に殺害された被害者の主婦らは、この女の知人であった。
平成一三年八月二八日
(注:こちらの事件については、被害者の名字は伏せ、かつ、加害者と被害者以外の人名は仮名とする。なお、この記事をまとめるにあたって、折原臨也氏に多大なるご協力をいただいたことをここに記します。)
大和市下鶴間、コートつきみ野。
「ただいま」
その日、仕事から帰宅した夫は、家に入ったところで異様な雰囲気を感じた。
いつも家にいるはずの、妻・弘子さん(当時五四歳)の声がない。夕食の準備をした形跡もなく、家の中もどこか様子がおかしい。
胸騒ぎをおさえられない夫が次に目にしたのは、首に何かが巻かれ、全裸状態で腹部に深々と包丁を突き立てたまま息絶えていた弘子さんの無残な姿だった。
現場の状況から殺人事件と断定、捜査の過程で自宅から現金二三万円、キャッシュカードの入った弘子さん愛用のリュックサックがなくなっていること、そして、その日の夕方四時ころ、横浜駅前にある東京三菱銀行のATMから弘子さんの預貯金四〇万九〇〇〇円が二回にわたって引き出されていることが判明した。
夫はその日いつも通りに朝七時四五分頃に家を出た。そして、これもいつも通り夕方の五時五〇分頃に帰宅したという。
自宅マンションの六畳間で変わり果てた姿となった妻を見つけた際、腹部の包丁を思わず抜いてしまった。
司法解剖の結果、夫が帰宅した時点ですでに死亡して三時間以上が経過していたこともわかり、正午から午後三時の間で殺害されたとした。
致命傷は首を絞められたことと腹部を刺されたことの、その両方と断定。首を絞めて間髪入れずに腹部も刺されていた。
家の中は特に荒らされた形跡はなく、単なる物取りというよりは顔見知り、宏子さんに恨みを持つ者の犯行として警察は交友関係を洗った。
そして、犯行時刻にこのマンションに出入りする二人の男女の姿が浮かび上がっていた。
平成一三年九月一九日
大和市鶴間、クリオ弐番館。
その日、学校から帰宅した長女(一一歳)と長男(一〇歳)は、いつもならかかっている玄関の鍵が開いていることが気になった。
専業主婦の母親は、いつも帰宅したときには在宅していた。しかし今日は、声をかけても母親の姿は見当たらない。
ふと、浴室を覗いたふたりは凍り付いた。
そこには、粘着テープをグルグルと顔面にまかれた母親らしき人が、水が張られた浴槽の中で倒れていたからだ。
被害者は、この家の主婦・文子さん(当時四二歳)で、同じマンションに暮らす義父母の病院通いの世話などを日課にしていたという。
しかしその日は、朝一〇時ころに義母を病院へ送った後、一一時半ころに迎えに来るはずがなぜか来ていなかった。
長女らが帰宅したのは午後二時二五分頃。
司法解剖の結果、一九日の午前一〇時以降、一一時二〇分ころまでには殺害されていた可能性が高いことが分かった。
そして、文子さんは浴槽内に沈められてはいたものの、死因は窒息死。溺死ではなかった。
さらに、その腹部には包丁が差し込まれており、二〇日前に起った同じ大和市内の弘子さんの事件とその手口が酷似していた。
指名手配から逮捕へ
神奈川県警大和署は、弘子さんに対する強盗殺人の容疑で、防犯カメラに写っていた男女二人の逮捕状を取った。
この二人の男女は、銀行のATMに設置されている防犯カメラにもその姿が映っていた。
平成一三年九月二五日。大和署はいずれも住所不定の庄子幸一(当時四六歳)と、無職の女(当時三八歳)を全国に指名手配した。
警察にはこの時点で弘子さんの事件と文子さんの事件にはつながりがあると考えていた。
というのも、そもそも二つのマンションは同一市内の二キロ程度しか離れておらず、さらに、指名手配の女は文子さんのマンションに昨年の一一月まで居住していた事実があったのだ。
女は山本章代(ふみよ)。
文子さんが暮らしていた大和市鶴間のクリオ弐番館の一〇八室に、夫と子供と暮らしていたのだ。
章代の子どもは当時中学生になっていたが、文子さんの子どもとほぼ同世代であった。
そのため、子供を通じて何らかの接点があったことは疑いようがなく、章代と文子さんも顔見知りかそれ以上の関係であると予想していた。
一方で弘子さんとの関係は、事件の一~二年前に章代が会員であった物品販売会社の大和支部長を弘子さんが務めていたことから始まっていた。
直接的な関係ではなかったが、その物品販売会社はいわゆるマルチ商法のような会社で、平成八年には破綻、当時の会長が逮捕されるなどした。
章代はその清算の過程で弘子さんと知り合っていた。会社が破綻しても弘子さんと章代の付き合いは続いており、体が不自由だった弘子さんの手伝いなどをする間柄だったという。
被害女性らはいずれも当初は章代の知人であり、庄子とは直接的な関係はなかった。
大和署特捜本部は、市民からの情報提供を求めて二万枚のビラを作成した。
特に庄子には、警視庁、群馬県警などからも無銭宿泊などで指名手配がかかっていたため、総力を挙げての捜索となった。
またその頃、文子さんの自宅にあったテーブルから、庄子の指紋も検出されていた。これで、文子さん殺害にも庄子と章代が関わっている可能性が極めて高くなっていた。
九月二十六日。
小田急線伊勢原駅構内において、県警の捜査員が二人の男女を取り囲んだ。
黒いチューリップハットをかぶった女は、最初ひとりで駅構内をうろついていたが、そこへ同じような色違いのチューリップハットをかぶった男も現れた。
張り込んでいた捜査員らは、「庄子だな」と声をかける。男は一瞬ハッとしたかに見えたが、すぐさま女に「逃げろ!」と叫んだという。
驚いた女が踵を返したが、捜査員らに阻まれその場にひっくり返った。
公開捜査から二九時間。実は県警には市民からの目撃情報が相次いで寄せられていたのだ。
横浜市瀬谷区の相鉄線瀬谷駅周辺の目撃情報は特に多かった。
そこで特捜本部は、相鉄線と、そこにつながる小田急線の主要な駅に捜査員六〇名を配置して庄子と章代が現れるのを待つ作戦に出たのだ。
そこへ、章代がひょっこり現れたことで逮捕となった。
二人の所持金は逮捕時合わせても二〇〇〇円程度だった。リュックを背負った庄子は髪を短く整え、章代はグレーのシャツにジーンズ、化粧品などが入れられた紙袋を所持していた。
逃走資金を得るために強盗殺人をやらかすかもしれないと危惧していた警察だったが、所持金が二〇〇〇円だったことを知り、もう少し逮捕が遅れれば再び犠牲者が出ていた可能性もあり、市民の協力と結果として当たった「作戦」に胸をなでおろした。
一〇月一七日に弘子さんへの殺人と強盗の容疑で起訴された二人は、文子さん宅から出た庄子の指紋などについても追及され、一〇月一八日、文子さんに対する強盗殺人などの容疑で再逮捕された。
警察では当初、住所不定で職もない二人が、事件より前から北関東一帯を転々とする生活を送りながら、金がなくなると窃盗、無銭宿泊などを繰り返していたこと、さらには庄子に対するいくつもの余罪が判明していたことから、逃走資金や生活費を得るためにこの強盗殺人を働いたとみていた。
しかし、裁判では事件が起こった背景に加え、庄子の異常な性癖やふたりの歪な関係性が次々と明らかにされていった。