僕は何も知らなかった~仙台市・女子大生死亡事件~

平成191114

仙台市青葉区、午前410分ころのこと。
とある単身者向けアパートから110番通報が入った。
「彼女とケンカしたら、彼女が飛び出したまま帰ってこない」
寒さが厳しくなりつつあった11月の夜更けに、部屋着のままで飛び出していった彼女のことが心配になったという。

すぐに彼女の所在は判明した。
若林区の救急救命センターで、彼女はすでに死亡していた。

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🔓悪意~相模原・小3女児暴行死事件~

平成11年2月26日午後4時30分

相模原市にある小学校の校庭で、少女が運動場のトラックを走っていた。
放課後の、人影もまばらな校庭を、もう、何週になるだろうか。時折、母親らしき女性や、同じ年頃の少女がその横を伴奏することはあったが、少女はひたすら走らされていた。

そのころ、帰宅した父親は家に家族が誰もいないことから、娘たちが通う小学校へと向かった。
時刻は午後6時、あたりはすっかり暗くなっていたが、少女はまだ、校庭を走っていた。
「またか。今度は何をやらかした?」
苦虫を噛み潰したような顔で父親は少女に近づいた。

事件概要

平成11年2月26日午後7時30分。相模原の消防署に119番通報が入った。相模原市横山台2丁目のその住宅では、畳の部屋に小学生くらいの女の子が仰向けに寝かされていたが、すでに呼吸をしていなかった。
救急搬送された先で懸命の治療が施されたが、翌27日の午後2時55分、女の子は息を引き取った。
死因は頭蓋内損傷。外からは大きな外傷が見当たらなかったが、急性硬膜下血腫、脳挫傷、くも膜下出血、びまん性脳腫脹、びまん性軸索損傷が発症していた。

警察は、対応した救急隊員らの話や、自宅にいた家族らの話から、女の子の父親で会社員の水野俊彦(仮名/当時36歳)を傷害致死の疑いで逮捕した。
亡くなったのは、俊彦の次女、永梨(えり)ちゃん(当時9歳)。
調べによると、日ごろから言うことを聞かないことがあった永梨ちゃんに対し、つねる、叩くなどの「しつけ」と称した体罰を与えていたといい、この日も反抗的な態度を示したことで俊彦が激高、永梨ちゃんを胸の高さまで抱き上げたところ、永梨ちゃんが暴れたために畳の上に落してしまったのだという。

永梨ちゃんはその時に頭を強く打ったとみられ、容体が急変、死亡した。

事件当時、家には母親と永梨ちゃんの一つ上の姉がいた。救急隊の質問に俊彦は答えることができず、母親が状況を説明していたという。
永梨ちゃんには、頭部の外傷のほかにも体にあざがあったことから、しつけと称する暴行は日常的に行われていた可能性もあった。
その一部始終を目撃していた母親と永梨ちゃんの一つ上の姉も、
「父親が永梨ちゃんを抱き上げ、そのまま手を離した」
という話をした。
さらに、一つ上の姉は、これまでにもしつけと称して抱き上げられては落とされるといったことを何十回もやられた、と話した。

家族らの証言や対応した救急隊員らの話から、父親である俊彦が永梨ちゃんと姉に行き過ぎた体罰を行った末の悲劇、そのような判断がなされたが、2か月後の4月20日、横浜地検は俊彦を処分保留で釈放する。

しかし、その1年後、横浜地検は俊彦を傷害致死容疑で起訴した。

【有料記事 目次】
・家族
・破られた連絡帳
・裁判
・懲役3年
・小さな悪意

病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件①~

平成一二年一〇月一六日

愛知県豊田市。
とあるガソリンスタンドで、女性は昼休憩をとっていた。
昼と夜の寒暖差が激しくなってきてはいたが、ここ数日は晴れて、秋の気持ちよい日々が続いていた。

ふと、手にしていた携帯電話が震えた。
着信の相手は、以前から親しくしていたママ友だった。
「やっちゃった、もう硬くて冷たくなってる。死後硬直してる。」
にわかに理解できないママ友の言葉だったが、女性はとにかく「救急車を呼んで」と伝え、勤務先を飛び出すとママ友の自宅へと向かった。
道中、再度ママ友に連絡を取った女性は、「お願いだから、抱きしめてあげてて。」と頼んだという。

ママ友の自宅につくと、ママ友は放心状態で子供部屋に座り込んでおり、女性に対し、「もうやばい、これで刑務所だわ」と呟いた。

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🔓病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件②~

もうひとり

三月一二日に開かれた亮子の初公判において、弁護側は起訴内容を一部否認。亮子が単独で行ったとする検察に対し、亮子の知人である女性の名前を示して、その女性に言われるがままに行ったものだと主張した。
それはむしろ、その知人女性こそが、この事件の「主犯」であるかのような主張だった。

【有料部分 目次】
親友

暴走か、洗脳か
訴因変更
作られた「行動障害」
共同正犯
病める人々

🔓流浪の運命共同体~長野・山梨・静岡・男女殺害遺棄事件~

無念の記者会見

「なぜ母が殺されなければならなかったのか。そしてなぜ、姉がそれに加担したと言われるのか、まったく理解できません。
ふたりは仲の良い母娘でした……」

黒磯市役所で記者会見に応じた男性は、悔し涙をにじませた。
傍らには、妻の姿もあったが、この二人は一歩間違えれば今頃生きていなかったかもしれなかったのである。
ふたりは生き延びたが、入れ替わりに行方不明になった男性の母と姉は、壮絶な人生を送る羽目になってしまった。

平成一五年二月二六日

この日、とある傷害事件で男が逮捕された。
男は昨年に静岡県伊東市内の貸別荘で、当時行動を共にしていた男性とその妻、そして一歳の子供に暴力を振るい怪我をさせたとして、静岡県警から指名手配となっていたのだ。
男の名は、上原聖鶴(当時三五歳)。

ところが調べを進めるうちに、
「長野県内で仲間らとともに二人殺している。遺体は甲府市内のアパートにある」
と供述したため事件は違う展開を見せ始める。
甲府市飯田のウィークリーマンションを捜索したところ、供述通り、室内から男女と思われる遺体を発見した。
上原の供述では、自分以外の仲間もここへ遺体を運んだ行為にかかわっているとしていて、警察は、上原と行動を共にしていた女と、若い男二人も死体遺棄の容疑で逮捕した。

当然警察では二人の殺害にもかかわっている可能性が高いとして調べを進めたところ、男二人は殺害にかかわっていないことが判明。警察は、三月にはいって、上原と女を二人に対する殺人の疑いで再逮捕した。
上原と一緒に逮捕されたのは、高須賀美緒(仮名/当時二七歳)。美緒は、昨年の六月から上原と行動を共にするようになったというが、上原には妻子があった。しかも、その妻子もずっと行動を共にしていたようなのだ。
わかっているだけでも、上原と妻子、美緒、若い男二人、この六人が逮捕当時共同生活を送っていたとみられた。
さらに、上原は美緒と生活を共にし始める前、美緒の弟夫婦とその子供と一緒に生活をしていた。
そして、弟家族と離れた直後、今度は美緒とその母親を呼び出し、まるで入れ替わるかのようにその母娘と生活し始めていたのだ。

では、亡くなった二人はいったい誰で、どんな関係の人間なのか。
遺体はそれぞれ男女一名ずつで、男性は二〇代、女性は五〇代~六〇代とみられた。
遺体の状況は、女性のほうが腐敗が進んでいたことから死亡時期が違うこともわかっていた。
その後の司法解剖の結果、男性は神奈川県厚木市の大学生、中里善蔵さん(当時二一歳)、女性は栃木県黒磯市(現・那須塩原市)在住の高須賀悦子さん(仮名/当時五三歳)と判明。

悦子さんは、美緒の母親だった。上原と美緒は、中里さんと悦子さんを殺害した容疑で再逮捕されたのだった。

発端

事件の始まりをたどっていくと、平成一三年に遡る。
当時、とび職関連の仕事をしていた美緒の弟・英治さん(仮名/当時一九~二〇歳)は、仕事関係で上原と知り合った。
五月ごろ、英治さんは上原からこう聞かされたという。
「俺とお前の名前が暴力団のリストに載ってる。俺が何とかしてやるから、一緒に逃げよう、お前も俺の言うことを聞け」

若い英治さんは、暴力団という言葉と、上原の入れ墨に恐怖を感じ、その言葉を信じてしまう。また、それ以前に上原から借金を申し込まれていた経緯などもあり、上原と行動を共にすることを決意した。
すでに妻子がある身だった英治さんは、驚く妻を説得して妻子とともに上原と合流、そこから一年もの間、車で各地を転々とする生活を余儀なくされていた。
生活は、主に貸別荘などを借りていたが、その費用は英治さんが消費者金融から借金をするなどして都合していたという。

逃亡生活は次第に英治さん一家にとって「何のために逃げているのか」わからないものへと変わっていく。
先に述べたとおり、金銭は英治さんに借金をさせ、足りなくなると英治さんの妻にも借りさせた。
食事は一日に一度となり、幼子を抱えた妻は自分の食事をわが子に与え、一〇キロ近く痩せていたという。
そこまでして英治さん一家を縛っていたのは、暴力団に追われているという嘘と、上原からの暴力だった。

上原は体重が一二〇キロ近くある巨漢で、英治さんは日ごろから暴力を振るわれていた。
ある時からそれは特殊警棒のようなものになり、時には妻にもその暴力は向けられたという。
さらに、英治さんの一歳の子供にも、上原は自分の子供に命令し、叩く、けるなどの暴力を振るわせていた。

また、英治さん一家は常に上原の妻に監視されていた。伊東市内の貸別荘では、窓のすべてに鍵がかけられ、外から粘着テープで目張りされて開けられないように細工されていた。
用事で家族に連絡を取る際も、常にだれかがそばにいて、余計なことを言わないよう見張られていたという。
英治さん夫婦に対しては、それぞれを別の部屋で過ごさせ、お互いに「相手は子供を愛してない」などと吹き込んで疑心暗鬼にさせていた。

平成一四年六月一五日、たまたま上原とともに外出していた英治さんは、今しかないと思い隙を見て逃走する。
妻子のことは気になったが、それでも助けを求めるには逃げるしかなかった。そしてこの判断は正しかった。
伊東市内から妻の実家がある栃木県黒磯市までヒッチハイクをしながら三日かけて英治さんは戻り、そのまま黒磯署に助けを求めた。
事情を知った妻の父と警察署員らとともに、英治さんの案内で伊東市内の貸別荘へ戻り、ようやく英治さんの妻子は救出されたのだった。
発見時の妻は、殴られたような痕が多数あり、全治三週間のけがを負わされていた。

妻子を奪還した英治さんは一八日、心配をかけた母親・悦子さんと姉・美緒にも連絡した。実は英治さん家族が上原と行動を共にし始めた直後、「お前の家族も危ない」と吹き込まれていたことから、黒磯市に暮らす悦子さんと美緒に連絡して、福島の親類宅へ身を寄せるよう伝えていたからだ。
しかし、一度は電話に出た美緒だったが、その日のうちに連絡が取れなくなってしまう。

そして、伊東の貸別荘からは、上原たちの姿も消えていた。

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