🔓みんな、気持ち悪い~札幌・次女三女殺傷事件~

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平成24年10月、札幌市豊平区の担当者に対し、一人の母親が家庭の不安を口にしていた。
自身の母親と妹らと同居しているというその女性は、母親との関係がうまくいかないことから世帯分離について相談したいと話した。
女性自身にも3歳の子供がおり、交際相手との子供の妊娠が発覚したばかりだという。これまで、生活能力に問題のあった母親と、まだ幼い妹たちの面倒を見てきた女性だったが、ここへきてその母親との関係が深刻なレベルの悪化しているといい、身重の体を守るためにも世帯を分離したい、というのが理由だった。

ただ、世帯を分離できたとしても、女性には妹たちのことが気にかかっていた。
「母が私に向けていた暴力を、妹たちに向けるかもしれない」

3か月後、その話は最悪の形で現実となった。

事件

平成25年1月26日、札幌市豊平区平岸のマンションで、11歳と8歳の姉妹が腹部を刺されるなどして、そのうち11歳の一戸楓香さんが出血多量で死亡した。
おなじく左わき腹を刺された妹(当時8歳)は、重傷ではあったが一命をとりとめた。
さらに現場のマンション室内では、二人の女児の母親とみられる女性も刃物で腹部を刺して倒れており、状況や通報者の証言などからこの母親が娘を道連れに無理心中を図ったとみて捜査を開始、比較的軽傷で済んだ母親が28日退院したのを待って、殺人と殺人未遂容疑で逮捕した。

逮捕されたのは、二人の母親である一戸みゆり(仮名/当時38歳)。
調べに対し、「子供と一緒に死のうと思い、寝ているところを刺した」と供述。事件直後、当時同居していた男性に対し電話で「やっちゃった、ごめんね」などと犯行をほのめかしていたことや、そのさらに前、男性が在宅していた時にも娘らの首を絞めるなどしていたことから、みゆりが無理心中を図ったことに間違いはなかった。

事件が報道されると、関係者らの間には衝撃が走ったのと同時に、「あぁ、やはりこうなってしまったか」という思いに駆られる人々もいた。
実はこの一戸家は、数年前より様々な事情で福祉や行政、警察や児童相談所などがかかわり続けてきた家族だったのだ。

そして、事件が起こる18日前には、亡くなった楓香さんが家出をし、警察に保護を求めるという事態まで起きていたのだ。

にもかかわらず、助けられなかったのはなぜだったのか。

事件後、みゆりには精神鑑定が行われ、その間には札幌市がまとめた検証報告書が公開された。
その後行われた裁判ではみゆりの知的障害が判明、そしてみゆりの壮絶なそれまでの人生と、事件に至る経緯が明かされた。
その中では、長年妹らの世話をし、事件直前にはみゆりとの関係悪化で家を出ざるを得なかった長女(当時21歳)が、
「深く悲しんでいる。妹が死んだことは信じられない。妹たちには学校に行って、普通に結婚して欲しかった。母が憎い。殺されるのは自分が代わりになれれば…」
と検察に託したコメントも読み上げられた。
自分が家を出たばっかりにこんなことになってしまった、長女の悲痛な思いは、母親への憎しみとなってぶつけられたが、それでも生活能力のない母親を支えてきたのもまた、この長女だった。

札幌地裁は、みゆりに対して懲役14年(求刑懲役15年)の判決を言い渡した。弁護側が主張した知的障害や、当時のみゆりは心神耗弱状態にあったという主張は、親として子に手をかけることは絶対に許されないし、第三者の責任という問題ではなく、被告が責任を負うべきとして退けた。

みゆりは事件以前から自殺未遂を繰り返しており、特に事件直前は自ら110番したり、児相に対して自殺をはかってしまったと告白するなど、かなりSOSを出していた。
それでも、問題行動のあった長男以外の子供らは保護されることなく、すべてをみゆりに任せた結果、最悪の事態が起きてしまった。
弁護側は、そういった点を踏まえてもっと関係機関が踏み込んでくれていれば少なくとも楓香さんが死ぬことはなかったとした。
加えて、このような事態につながったその「背景」についても裁判ではいろいろと明かされていたのだが、中身が中身だけに表に出ることがなかった。
市の検証報告においても、その肝心の部分は「深刻なトラブル」という表現で誤魔化された。

いったい、何が起きていたのか。

【有料部分 目次】
穢れを畏れぬ人々
知的障害
長女
狂いゆく母
やぶれかぶれ
「ごめんね、やっちゃった」
気持ち悪い人々

🔓あなたが、お前が、望むこと~大阪・長女三女殺害事件~

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「ありさ、泣いてるで」

また始まった。いつもこうだ。この子はあんたの子でもあるんや、なんで自分で抱いてやろうとかせぇへんのやろ。
「あんたが起きたらええやんか」
7月の蒸し暑さがまるで澱のように部屋に垂れ込める。
しばしの口論の後、夫はそれでも背中を向けたまま動こうとしない。

もう限界だった。全然かわいくない。
低い声で泣く娘の傍らに座りなおすと、女はおもむろに娘の顔面を拳で殴りつけた。それでも気がおさまらず、柔らかなその腹部にも拳を叩きつけた。泣き声ともうめき声ともつかない、その声は耳をふさぎたくなるほどだった。
女はそのまま娘の胸ぐらをつかみあげると、自分の肩の辺りまで娘を持ち上げ、そのまま布団の上に2~3回叩きつけた。
もう、娘は声をあげなくなっていた。

女は娘を抱き上げ、炬燵が置かれた部屋に移動、上半身をねじると背後で背を向けて寝たふりを決め込んだ夫にこう告げた。

「止めへんかったらどうなっても知らんから。」

夫は女を見た。しかし、一度目を合わせただけで、黙ったまま再び背を向けた。

女はそのまま、娘を炬燵の天板に叩きつけた。

【有料部分 目次】
平成9年7月21日
長女の不審な死
連続殺人
ふたりのそれまで
小さい娘
望まない子
保険金
地裁の判断
共同正犯
鬼となった女

🔓弱すぎた男と、クソ女~水戸市・父子無理心中事件~       

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大洗町の海が見える公園の駐車場。
「海が見たい、お魚も見たい」
ここは娘が来たいと言っていた場所。海も見える。けれど、今は目の前に広がるのは、真っ黒な空と海。

ふと、車の天井を叩く雨音が激しくなった。いけない、このままでは娘たちが起きてしまう。
ごめんな。
激しくなった雨に急かされるように、父は娘の首に手をかけた。

※この事件についての記事は、筆者のかなり強い主観の元書かれているため、タイトルからしても分かる通り非常に強い表現が含まれます。
不愉快な感想を持つ可能性があることを了解される場合のみ、購入へお進みください

疑惑の夫〜藤沢・とある損害賠償請求事件〜

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重過失事件についてまとめていた際、気になる損害賠償請求事件を見つけた。
これは原告が実子、被告は実父。原告が幼いため、実母が法定代理人となり起こした訴訟である。

要旨としては、父親の度重なる過失、重過失により後遺障害一級の後遺症を負った原告(子)が、両親の離婚後、取り決めされていた養育費を一方的に減額されるなどしたことから、父親に対して責任の所在を明確にし、改めて損害賠償を請求し認められた(一部)というものなのだが、この父親がやらかしたこと、そしてこの父親の人間性が非常に興味深かったのだ。

最初に断っておくが、夫は刑事事件として罪に問われていない。あくまでも、過失。
この損害賠償の裁判の中でも、それが過失であるとは言い難いと言及されているものの、故意であったと断定することもしていない。

のらりくらりと逃げおおせた事件とは。

事件まで

主な登場人物は、裁判の原告である当時9歳の男児、その法定代理人である実母、そして疑惑の夫である。
ここでは原告の男児を横山圭太くん(仮名)、母親を横山明日香さん(仮名)、父親を渡辺芳雄さん(仮名)とする。両親の苗字が違うのは、訴訟当時すでに離婚していたからである。

明日香さんと芳雄さんが婚姻したのは、昭和62年12月13日。平成元年には長男・圭太くんが生まれ、家族は神奈川県藤沢市内のアパートで生活していた。
本来、新婚で赤ちゃんも無事産まれ、大変ながらも充実した幸せな日々のはずだったが、明日香さんにはある悩みがあった。
それは、夫・芳雄さんの、圭太くんに対する接し方だった。

圭太くんが2ヶ月の頃、夜泣きがひどい時期があった。明日香さんはその都度両手で抱き上げ、落ち着くまで胸に抱くなどしていたが、芳雄さんはそんな時、抱き上げたりせずに泣いている圭太くんの口を手で押さえることがあったという。
理由は、「泣き声が耳に触る」というもので、声が漏れないようにかなり強く抑えることがしばしばあり、圭太くんの鼻の下は押さえられたことで赤く擦り切れることがあった。

気づいた明日香さんが驚いて、そんなことはしないでほしいと訴えても、芳雄さんは圭太くんが泣き止まないとまた口を押さえていたという。

芳雄さんは赤ちゃんの泣き声がことのほか嫌いだったようで、圭太くんを押し入れに閉じ込めることもあった。明日香さんのように、泣き止むまで抱いてやるどころか、普段から「重たい」と言って圭太くんを抱くことも嫌がった。
買い物に出ても、連れて歩くことを嫌い、圭太くんを車中に残していこうとすることも度々だったという。

夫のあまりに子供じみた性格に不安を覚えながらも、明日香さんは常識的な子育てをしていたこと、その両親らの手助けによって圭太くんは成長していった。

しかし、圭太くんが生後2か月の時、ある事件が起きた。

火傷事件

平成元年11月18日、その日は明日香さんの友人の結婚式の日だった。乳飲み子を抱えて出席は出来ず、かといって、普段から子育てが苦手な夫はまず圭太くんの面倒を見てなどくれないだろうと思って出席を躊躇していたが、芳雄さんは「圭太は俺が見ているから、結婚式に出て来いよ」と言ってくれた。

明日香さんは芳雄さんに頼み、結婚式に出席した後夕方頃帰宅した。

すると、自宅アパートには芳雄さんも圭太くんも姿が見えなかった。
実家にでも行ったのかな?そう考えて実家へ行ってみると、芳雄さんがいた。
明日香さんが口を開く前に、芳雄さんは「ごめんなさい」と謝ってきたという。なにがごめんなさいなの?そう聞いた明日香さんだったが、圭太くんの顔を見て仰天。
圭太くんの顔の左頬がガーゼで覆われていたのだ。広範囲のけがをしたのは一目瞭然で、慌ててガーゼをめくると、そこには左頬全体に火傷と思われる傷跡が、そして、鼻の下が切れていた。

明日香さんの両親が芳雄さんに「なぜこんなことに」と問うと、芳雄さんは説明を始めたのだがその説明はにわかに信じがたいものだった。

「左手で圭太を抱いたまま、右手にやかんをもってコーヒーを入れようとしたら圭太が暴れた。その拍子に圭太とやかんを落としてしまった」

状況が分かるだろうか。
明日香さんはその説明に不審なものを感じたという。というのも、つい一週間ほど前に明日香さんの両親があまりに抱き方が下手な芳雄さんに対し、「赤ちゃんを抱くときは片手ではなく、両手で抱き上げなさい」と指導していたばかりだったことや、圭太くんの鼻の下が切れていたことから、いつものようにうるさいからと口を押さえたことは間違いないとみたからだった。
ただこの時は、明日香さんも両親も今後気を付けるように、と諭し、明日香さんの父親は「絶対に片手で抱き上げてはいけない」と再度芳雄さんに注意した。

しかしその後も、明日香さんに何度注意されても芳雄さんが圭太くんの口をふさぐ行為はやまなかった。
さらに、芳雄さんと圭太くんが風呂に入っていた時、突然圭太ちゃんが静かになったので明日香さんが風呂を覗くと、芳雄さんが
「あんまり泣くからお湯に沈めてみた」
と話したという。明日香さんは信じられない思いで、そんな危険なことは絶対にしてはいけないと強く抗議した。

しかしまたもや事件は起きた。

傷害事件

圭太くんは生後三か月を過ぎ、ミルクもよく飲むようになって夜泣きもかなり減っていた。芳雄さんも、圭太くんの夜泣きが減ったことで以前ほどは乱暴なやり方で泣き止ませようとはしなくなっていた。

平成2年1月21日、その日は友人家族を自宅に招く予定になっていたため、準備を済ませた明日香さんは圭太ちゃんに十分ミルクを与えた後で、二時間ほど美容院へ出かけた。
この時も、芳雄さんが圭太くんをみているから行っておいで、と言ったという。

しかし明日香さんが美容院から帰宅すると、二人の姿はなかった。
また実家か?と思って明日香さんは自分の実家へと向かう。そこで、母親から
「芳雄さんが圭太を落としてしまって、今病院にいる」
と告げられた。母親の様子から、圭太くんの容態が安心できないと感じた明日香さんの予感は的中、その時点で圭太くんは意識不明の重体だった。

病院では激怒した明日香さんの父が、芳雄さんを問い詰めていた。
なんでまた落としたのかと聞かれた芳雄さんのいいわけは、他人の私でも殴りたくなるようなものだった。

「うつぶせにしていた圭太が泣き出したので、左手で抱き上げた。その時たまたま右手に掃除機を持っていたので、落としてしまった」

またか。またかお前。またお前は片手で反対の手にものを持った状態で赤ん坊を抱き上げたのか。

この時はさすがに明日香さんも芳雄さんを信じることができず、芳雄さんを問い詰めた。
そもそも抱くこと自体を嫌がっていた芳雄さんが、なんでわざわざ明日香さんがいないときに限って圭太くんを抱こうとするのか。抱くにしても右手にものを持っていたならそれをまずおいてから抱けばいい話である。

しかも一度大変なけがを負わせた経験があるにもかかわらず、また同じことをやったのだ。そして今回は、取り返しがつかない事態になっていた。

後遺障害一級

圭太くんのけがは相当に深刻だった。
搬送時、頭蓋内亢進は顕著で、硬膜下血腫、硝子体出血、両目網膜剥離、呼吸停止、無酸素血症または低酸素血症、外傷起因の脳挫傷、そして脳は委縮までしていた。

診察した医師によれば、これらはターソン症候群と呼ばれる状態であり、その症状は小児の外傷では稀なケースだという。

ターソン症候群は、自動車事故など相当強い衝撃を頭部に受けないと起きない症状で、ベッドから落ちた、手で殴られた程度では起こり得ず、子供の場合はまず起きないという。
しかも圭太くんは脳内出血がひどく、普通の衝撃では考えられない重傷だった。

圭太くんはこの時点で、両眼は失明状態。

医師は、両目と脳に同時に障害が起きている状態は珍しく、どうやればこんなことになるのか教えてほしいくらいだと述べ、芳雄さんがいう、「片手で抱きあげて落した」という説明は不可解だと述べた。
加えて、ほかにあざなどがあればすぐに「被虐待児症候群」を疑うとも話していた。

明日香さんや両親らの芳雄さんへの疑念は、どんどん膨らんでいく一方だった。

調停からの訴訟

二度目の事件後、明日香さんは芳雄さんに対し夫婦関係調整の調停を申し立てた。目的は、芳雄さんがこの事件(事故)について反省の度合いが浅く、かつ、息子に対して責任を果たそうとする気持ちが見られないことから、芳雄さんに法的に責任があるのだということを明らかにしたい、というものだった。

息子に後遺障害一級の後遺症を負わせておきながら、その責任を感じているように見られないというのはちょっとどういうことか想像が難しいのだが、明日香さんは調停ではなく、刑事告訴も検討していた。
しかし、芳雄さんの親戚に懇願されたことや、もしも刑事告訴して有罪になって服役することになれば、圭太くんにかかる介護費用の捻出が難しくなることなどを踏まえ、とにかく父親としての責任をしっかり自覚させたほうが良い、という判断があった。
もちろん、この調停を申し立てる以上、芳雄さんとの離婚は想定内だった。

この調停は平成4年12月に成立し、芳雄さんは明日香さんに対し2716万円の慰謝料を支払うこと(内容は離婚による財産分与も含まれる)、圭太くんの養育費を月額12万円支払うこととなった。

この調停をもって、明日香さんは芳雄さんと離婚、圭太くんとふたりで新しい人生を歩んでいく、はずだった。

しかし明日香さんは平成7年、芳雄さんを相手取り、圭太くんの法定代理人として損害賠償請求を起こした。いや、正しくはそこまでせねばならない事情が起きていた。

無責任男の面の皮

芳雄さんと明日香さんの夫婦関係調整の調停は、特にもめたりすることもなく成立していた。
ところが、決められたはずの養育費がきちんと支払われることはなかった。当初は支払われていたというが、次第にそれは滞るようになり、挙句、芳雄さんは養育費減額の調停を申し立てた。

それは、自身が再婚し、しかも新しい子供が生まれたからだった。

お前は子供が泣くことが嫌なんじゃないのか、抱くことも満足にできず二度も殺しかけたのではないのか。なのにまた子供作ってさらには自分のせいで一生に渡る後遺症に苦しむ羽目になった息子に対する養育費を減額ぅ!?
芳雄さんというのは言葉を選ばず言うとどこか欠陥があるのではないのかと言いたくなるほど、人としての社会的な常識、当たり前の感情、良心みたいなものが欠落しているとしか思えない。

これには明日香さんも堪忍袋の緒が切れた。明日香さんは調停の際、どんなに出来そこないの父親でも父親に変わりはなく、圭太くんに愛情を持っているはずと思っていた。だから、まさか将来、養育費の減額などという恥知らずなことをしでかすとは思いもよらなかったのだ。
さらには、一方的な申立で審判が下るということも、知らなかった。

常に介護が必要な圭太くんがいる以上、明日香さんは仕事に就くことも難しく、正直芳雄さんからの養育費に頼らざるを得ない部分があった。
それが減額となれば、もう生活は成り立たない。もっといえば、こんな無責任男が将来その減額された養育費すら払わなくなる可能性は非常に高かった。

考え抜いた挙句、明日香さんは圭太くんのために損害賠償請求を事故から5年たった時点で起こした。

争点

損害賠償請求では、当然ながらあの「事故」は①本当に事故だったのかということも争われた。
加えて、被告である芳雄さんが、②すでに消滅時効が完成していると主張したこと、そして、③明日香さんによる請求は権利の濫用に当たるということ、④原告の請求は調停時に生産されている、という主張もなされていた。

簡単に言うと、②については、時効の起算点がいつなのか、ということなのだが、芳雄さんは事故発生から5年目で消滅時効の援用をしているため、通常であれば消滅時効は完成していると思われた。
しかし、明日香さんの主張は離婚成立までは互いに親権者であり、その間損害賠償請求をするのは事実上不可能だったことなどをあげ、時効の起算点は明日香さんが事故を知った日ではなく、芳雄さんにその権利が発生する離婚成立時であるというものだった。

これについて裁判所は、明日香さん側の言い分を概ね認め、損害賠償に至った背景には芳雄さんの不義理が大きくかかわっていることにも言及、起算点は離婚成立時であり消滅時効は完成していないとした。

③については、芳雄さん曰く「愛情に基づく生活共同体を形成する親子間において、みだりに市民法による権利の主張としての損害賠償請求権の行使は権利の濫用である」、というのだ。
あきれてものが言えないのは裁判所も同じだったのか、そもそも芳雄さんと圭太くんの間に「愛情に基づく生活共同体を形成する」事実が認められないとして、その主張には理由がないとして退けた。

④について、芳雄さんの言い分は調停時に離婚に関する紛争はすべて解決していて、明日香さんと芳雄さんの間に債権債務は存在しない、と主張したが、これについても裁判所は、簡単に言うと、
「お前が養育費払わんからしかたなく起こした訴訟やぞ、しかも今回の訴訟はお前VS息子であって、元妻は息子の代理人でしかないんやから関係ない。息子との間に債権債務が存在してないとは、離婚調停で決まってないやろ」
として退けた。

そして①について。
あの事故はそもそも「事故」だったのかどうか、ということについても判断がなされた。

悔やまれる刑事告発見送り

芳雄さんの圭太くんに対するそれまでのかかわり方は、事故以外の面を見ても不適切どころか、愛情すら感じられないものだった。
また、自分の欲求を通すためには圭太くんが危険な目に遭っても気にしない、そんな一面があった。

ある時、夫婦げんかの延長で明日香さんが圭太くんを抱いて家を出ようとしたことがあった。
すると芳雄さんは、明日香さんに追いすがってあろうことか、腕に抱かれていた圭太くんの頭を持って室内に引き戻そうとしたという。
そのころまだ生後1~2か月であり、首も据わっていない時期だ。

常識的に考えてそのような行為に及べる人がどれほどいようか。

二回目の事故の際、明日香さんに対して芳雄さんはこうも発言している。
「泣いている圭太はかわいくない。圭太が泣くと、自分が責められているような気分になる」
これについては、わかるような気がするという人もいるだろう。しかし、芳雄さんの場合は度が過ぎていた。

思い通りにならない相手はとにかく気に入らない。これを育児に持ち出しては、事件が起きてしまう。

実際、芳雄さんの「過失」は裁判所としても不自然極まりないと結論付けた。
そもそも、普段から抱くことを嫌い、そんな芳雄さんが抱いても圭太くんが泣き止むことはそれまでになく、むしろ不自然な抱き方をされてさらに大泣きするといった具合で、なぜこの日、用事をしているにもかかわらず圭太くんを抱き上げようと思ったのか。

二度目の事故の際もその状況は不自然だった。
芳雄さんは掃除機をかけていたと話したが、実は明日香さんは外出する前に芳雄さんの部屋以外はすべて掃除を終わらせていたのだ。
友人の家族を招いていたことは事実だが、だからと言って芳雄さんがわざわざ掃除機を掛けなければならなかった理由はなかった。

明日香さんも当初から疑念を抱いており、この二度目の事故の際には、これは事故ではなく芳雄さんの故意によるものだと思ったという。

裁判所は芳雄さんの供述は不自然でにわかに信用できないとし、泣いている圭太くんに腹を立て、芳雄さんが発作的に圭太くんを落としたか、放り投げたのではないかとの疑念を払しょくしがたい、と述べた。
そのうえで、この証拠だけではそこに故意があったかどうかまでは判断できないとしたが、傷害事件の発生原因としては芳雄さんに重大な過失があると認定した。

そして、明日香さんが圭太くんの代理人として請求した賠償金額3000万円についても、逸失利益などを計算すれば約7000万円にのぼるとし、その中の3000万円の支払いを求めた請求には理由がある、として認めた。

民事裁判としては、圭太くんの事故は父親である芳雄さんの重大な過失が認定されたわけだが、正直これは事件だと思われる。
ケガの状態と、芳雄さんの説明はまったくかみ合っていないのがすべてだろう。大人の腰くらいの高さから落としたとしても、親ならば咄嗟に手も足も出るはず、少しでもショックを和らげようとするものだ。
であれば、たとえ床に頭から落ちたとしても、ここまでのけがに至るはずなど医学的に有り得ない。

にもかかわらず、時間が経過しすぎていたために事件とはならなかった。
明日香さんは当初刑事告発を考えていた。もしもあの時点で告発していれば、芳雄さんはどうなっていただろう。
明日香さんが芳雄さんの人間性に賭けた部分が大きいとは思うが、残念ながら踏みにじられた。こんなことなら、さっさと芳雄さんを虐待で刑務所にぶち込んでおけばよかったと、明日香さんもご両親も思わずにいられなかったろう。
しかも明日香さんの人を信用する気持ちが、逆に一つの虐待事件を闇に葬ってしまった感もある。

明日香さんはピアニストになる夢があった。圭太くんにも、無限に広がる素晴らしい未来があった。それらはすべて、夫で有父親である芳雄さんによってぶち壊された。

芳雄さんはその後どんな人生を送っているのだろう。
新しくもうけた子供は、もう落とさなかっただろうか。

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参考文献

平成9年9月25日/横花地方裁判所/第6民事部/判決/平成7年(ワ)2678号

もうひとつの「虐待の家」~住吉区・小5男児衰弱死事件~

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平成161月、大阪府岸和田で当時中学3年生の少年が、実父と継母に餓死寸前ににいたる虐待を受けていたことが発覚。
少年の体重は24キロまで減っており、この父と継母は殺人未遂に問われた。
幸いにも一命をとりとめた少年だったが、その後遺症は重く完全な回復は見込めない状態となった。

殴る蹴るの感情的な虐待に加え、監禁した上に食事を与えないという人を人とも思わないこの事件に社会は言葉を失った。

しかしその事件が発覚したのと同じ頃、同じ大阪の、ある少年の死が、実は事件であったことが判明していた。
12歳だったその少年も岸和田の少年と同じように、監禁されて自由を奪われ、満足に食事も与えられず、死亡当時の体重はたったの19キロしかなかった。

我孫子の少年

その死は、当初事件として扱われていなかった。
平成14813日未明、大阪市住吉区のマンションに暮らす女性から、「子供が死んでいる」と警察に届け出があった。
自宅マンションに駆け付けた住吉署の署員は、その子供の姿を見て絶句した。
その子供はまさに骨と皮だけの状態で、子供だということは分かるもののいったい何歳なのかすらわからない、そんな状態だった。

「前日までは普通に立って歩いてたんです、仕事から帰ったら死んでいて

母親らしき女性が困惑した様子で署員に事情を説明したが、子供は確かに既に死亡していた。
遺体の状態から、あきらかに普通ではないと思われたが、母親は食事を与えても本人が食べなかったといい、学校や専門のカウンセラーらに相談しながら面倒を見ていた、などと話したことから、警察では学校や周辺の人々に話を聞くなど慎重に捜査を進めていた。

話を聞く中で、どうやらこの子供は精神的な病気があったことが判明、それに対して学校にも説明があったことや、担任らが様子を確認した事実があったこと、いわゆる肉体的な虐待とみられるものがなかったことなどから、いったんは事件性は薄いと判断されていた。

ところが平成163月、新聞各社は大阪地検がこの母親を起訴していた事実を報道。
逮捕は同年115日。あの少年が死亡してから実に1年半が経過していたことについて、警察は「殺意の有無などを含め慎重に捜査した結果。そのうえで、逮捕したほうが良いと判断した」と話した。
実はこの住吉の事件が発覚したころ、同じ大阪府の岸和田市で信じられない虐待事件が発覚し、報道されていた。警察はそれにも言及し、「住吉の事件のほうは岸和田の事件のような暴力がなかった」とも説明していた。

そしてもうひとつ、重要な事情として、
「(亡くなった少年の)母親の友人の長男に配慮した」
とも説明があった。

監禁に至る事情

平成14年に死亡したのは、住吉区我孫子西の小学5年生、大迫雄起くん(当時12歳)。死因は栄養失調からの衰弱と、急性肺水腫によるものだった。
雄起くんはなぜ、骨と皮だけになるほど痩せ衰えていたのか。
雄起くんは我孫子のマンションで介護ヘルパーの母親と生活していたという。近くには祖父母の家もあった。

警察は、雄起くんの母親の大迫朋美(仮名/当時36歳)を保護責任者遺棄致死と監禁致死容疑で逮捕した。
調べでは、平成131月ころから当時10歳だった雄起くんをマンションの四畳半の部屋に外から南京錠をかけ監禁、平成144月からは1日一食しか食事を与えないなどし、その年の812日夕方に死亡させたとした。

監禁は17か月に及んでいたという。

監禁されて以降、当然学校に行くこともできなくなった雄起くんは次第に衰弱し、明らかに医師の治療が必要だったにもかかわらず、母親の朋美はそれら必要な措置を何ら講じていなかった。

朋美はなぜこのような常軌を逸した行動に出たのか。

警察に対して、「息子には精神的な障害があった。食事を与えても吐き出してタンスに隠すようになり、食事を減らした。すべては息子のために治療の一環として行っていたことで虐待ではない」と主張。
朋美の言い分によれば、雄起くんは小学4年生の2学期頃から不登校になったという。その後、勝手に家を飛び出したり自傷行為などが出始めたことで、やむなく仕事に出る間は鍵を付けた部屋に閉じ込めるようになったという。
朋美には、あくまで息子のためを思ってやったことであり、虐待などとは全く思っていないようだった。

ところで警察は朋美の逮捕と同時に、別の人物も同容疑で逮捕していた。
それは、朋美のママ友だった。

その母子と、ママ友

朋美と共に逮捕されたのは、朋美の自宅の近所に住んでいた主婦・川口美代里(仮名/当時38歳)。
警察は美代里と朋美が共謀して監禁や食事を与えないといった虐待を加え、結果雄起くんを死に至らしめたとした。

朋美と美代里の出会いは平成5年。当時子供服販売の仕事をしていた朋美の職場に客として現れたのが美代里だった。
体格がよく、見るからに頼りがいのありそうな美代里に、朋美はなにかと相談していたという。
美代里には雄起くんと同い年の男児がおり、その男児が通う学校の保護者らの間でも美代里は名の知れた存在だった。
育児や夫婦の、この世代の母親ならだれもが抱く悩みや不安を聞いては、親身にアドバイスしていたといい、小学校の先生らも美代里を頼りにするような状態だった。

平成7年に離婚した朋美は、美代里との距離を縮めていく。シングルマザーとして働かなければならない朋美は、平成9年ころから留守の間の雄起くんの世話を美代里に頼むようになった。
そのうち、夜も働くようになった朋美は、美代里の自宅近くへ越して雄起くんの世話をお願いしていたという。
すでに2度の離婚歴があった美代里は、朋美にとってシングルマザーとしても先輩だった。

美代里には、雄起くんと同い年で同じ学校に通っていた長男がいたことから、当初は雄起くん、長男、共通の友達らと遊ぶことも多かった。
「気弱なところはあったけど、仲良くなると心を許してくれる」
その共通の友人は後に雄起くんについてこう話している。
小学校3年生までは、それぞれがそれぞれの家を行き来するなど非常に健全な関係だったという。時には朋美が子供たちを夕食に招くこともあった。

それが、突然終わりを告げた。

友達と疎遠になったのが小学4年生のころ。その後一度だけ、美代里の長男と遊ぶ約束をしていた同級生が、長男が雄起くんの自宅にいると聞いて訪れたところ、雄起くんが姿を見せたという。
声をかけたが、雄起くんは何も言わず、黙ったまま。見違えるほど痩せていた。表情のないその顔は、仲良く遊んだ頃の雄起くんの面影すらなく、同級生はそれ以上声をかけることができなかった。

そして、それが雄起くんを見た最後だった。

ママ友のアドバイス

ある時、朋美は美代里から雄起くんについて驚くべきことを聞かされる。
「この子は精神的な病気があるのではないか」
唐突に思えた言葉であるが、実は以前、美代里の長男を突き飛ばしたことがあった。幸い、けがなどはなかったが、朋美もその時のことを気にしていた。
そういえば、以前知人から雄起くんの言葉が遅い、と指摘されたこともあったし、勝手に家を飛び出すなどの問題行動があった。
忙しい朋美に代わって雄起くんの世話をしてくれている美代里に言われたことで、朋美はさらに不安になっていく。

ほかにも美代里は気になる話をしていた。
「石鹸を食べとったで」「なんや、急に意味不明の話し始めて……
朋美は愕然とした。これでは完全に異常ではないか。しかも美代里の子供を突き飛ばすなんて。

そんな朋美の不安を見透かしたように、美代里はこう告げる。
「このまま学校に行かせたら、多分ほかの子にも同じことするやろな」
そんなことになったら大変、どうすれば!?動転する朋美に対し、美代里はある提案をした。

「私が面倒見てあげるから、家にずっとおらしといたらええ」

朋美に自分の頭で考える余裕はなかった。縋るような思いで、朋美は以降、学校には休ませると連絡をする。
理由を聞いてくる学校に対しては、「精神的に不安定で人に会うと悪化する恐れがある」と説明したが、納得しない学校は何度も朋美に連絡を取ろうとしたという。
「雄起は自宅療養が必要なんです。病気の専門のカウンセラーにもかかってるので、担任の先生であっても顔を合わせるのはお断りします。」
朋美に代わって学校に対応したのは、「代理人」と名乗る美代里だった。

学校

事件発覚後、雄起くんが在籍していた長居小学校では驚きと共に、「あのお母さんなら……」という雰囲気もあった。
あのお母さん、というのは、朋美のことではなく、美代里のほうである。
美代里はそれまでにも、障害のある子どもの世話を甲斐甲斐しく行ったり、普段から学校によく出向いては教師らとも交流を持っていた。
当時の校長も、「非常に面倒見のいいお母さんで、教師や保護者らからの信頼も厚かった」と話す。
そのため、長居小に出入りしていた児童相談所の職員にも、雄起くんの状態をあえて相談することはなかったという。

雄起くんが学校に来なくなって以降、朋美が学校へ出向く際には必ず美代里の姿があった。そして、代理人と称して雄起くんの状態を説明、それを学校は鵜呑みにしていたというのだ。

雄起くんが死亡した後、警察が学校の関係者らに事情聴取をした際も、学校としては美代里に全幅の信頼をよせていたことから、まさか犯罪行為が行われていたなどとは夢にも思わなかったらしい。

一度、担任が自宅を訪問した際、雄起くんと話す機会は得られなかったものの、ベランダ越しに雄起くんの姿を確認できたという。
学校はその事実だけで、雄起くんの健康状態に問題はないと判断してしまった。以降、学校側は美代里のいうことを完全に信用してしまう。

美代里は、少なくはなかった母子家庭仲間のリーダー的存在でもあった。100キロほどはあろうかという巨体は、時に「安心感」となった。実際に非常に面倒見がよく、学校と保護者の調整役のような役割も担っていたのも事実だった。

校長ら管理職が美代里に対して信頼できるという評価をする一方で、現場の教員からは違う声も聞こえていた。

次は誰を飛ばしてやろうか

美代里について、あるエピソードがある。
自身の長男が5年生の時、「教師から体罰を受けた」と美代里が学校に抗議してきたという。それまでも、「子供がいじめられた」と訴える母親に付き添って学校に抗議したこともあった。
当の教師は否定し、校長らも事実関係を確認したうえで誤解の可能性が高かったために取りなそうとしたが、その後教師自ら希望を出して移動となった。

その際、美代里がボスとして君臨していたママ友仲間らに、
「次はどの先生を転任させてやろうか」
と話していた。

校長らが教師を守っても、その教師自ら移動を願い出ざるを得ない状況を、美代里は作り出していた。
おそらく、自分の取り巻きたちも総動員したのだろう。美代里のいうことはいつしか絶大な力を持ち、美代里を疑うこと自体が許されないような環境が出来上がっていた。

現場の教師らは表面上は美代里に対して一目置いているように装いながらも、本心ではそれが「恐怖心」であることに気づいていた。

美代里のことを、実は誰もが恐れていたのだ。

悪化

美代里はその後も学校からの問い合わせに対し、
「見知らぬ人と会うと悪化する」「今診てもらっているカウンセラーでうまくいっている。近いうちに会える」
などと話し、来年からはまた学校にも通えそうだなどと話していたが、実際に医療機関やカウンセラーが雄起くんを診たという事実はなかった。

そして、学校側が不信感を持ちそうになると、「もうすぐ学校に行かせられる」などと言ってははぐらかした。

朋美はどう思っていたのか。
雄起くんの状態は良くならず、家出を繰り返すようになったという。それだけではなく、はさみを持ち出して自傷行為にまで及ぶようになった。
そこで、美代里に相談すると「鍵をかけておくといい」と言われたことから、南京錠を購入、内鍵をつけるようになった。
家に閉じ込めるようになって以降、雄起くんは次第に食欲を失い、朋美が留守の間に美代里がカロリーなどを計算して作った食事も、食べなくなった。
そこで、無理やりでも食べさせなければならないとして、食事を食べやすいおかゆにし、それでも食べないときは流動食を準備したという。

平成14年の4月ころからはその食事を11回にした。量は少ないと感じたが、美代里が栄養やカロリーを考えて用意してくれているので大丈夫だと思っていた。というか、もはや美代里のいうことを信じることしか、朋美にはできなくなっていた。

そして8月、雄起くんは栄養失調の末、死亡した。

暴走するボスママ

そもそも雄起くんは精神的に異常があったのだろうか。
朋美が主張した雄起くんの様子は、①複数の家出 ②自傷行為 異食 ④他害行為 ⑤食事拒否 というものだったが、裁判ではこれらのことについて学校の教師と雄起くんの祖母が証言台に立った。

事実として、美代里の長男に対する暴力行為というものはあった。複数の家出も、不登校も、食事拒否も事実だった。
しかし、それらは細かく見ていくと話しの後先がおかしいことに気づく。
雄起くんは平成12年ころ、複数回の家出をしている。しかしこの家出の行先は、自宅から1キロほどの祖父母宅だった。
当時すでに不登校となっていて、生活全般を美代里が面倒をみていたわけだが、祖父母宅で雄起くんはSOSを発していたのだ。

一緒にふろに入った祖父は、雄起くんの体の痣を確認、本人にどうしたのかと聞くと美代里にやられたと話したという。
加えて、食事を満足にさせてもらえないという訴えもしていた。ある時ははっきりと「家に帰りたくない」と懇願していたという。
心配した祖父母は、美代里に面会し、事の次第を確認したようだったが、その際、美代里に「絶対に私が責任をもって治す」と、泣きながら訴えられたことで雄起くんを家に戻してしまった。

雄起くんが監禁状態にさせられたのは、この直後のことだった。
そしてそれを、「不登校」と呼んでいた。実際には、雄起くんは学校に行きたくても行けない状態になっていたのだ。

祖父母は何度も自宅を訪問したり電話を掛けたというが、そこから2年間、雄起くんに会うことも声を聴くことすら、できなかった。
朋美は雄起くんのためにならないと美代里に言われ、祖父母に預けていた合い鍵を奪い返し、自宅の固定電話も取り外していた。この時点で、外部から雄起くんに接触することが事実上不可能になっていたのだ。

ただその祖父母の疑念をはぐらかすために、朋美はことあるごとに安心させるようなことを伝えていたのではないかと思われる。そうでないならなぜ2年間も様子のおかしい孫を放っておけるものか。

食事拒否については、これは私の推測でしかないのだが、事実として与えられていたのがおかゆに刻んだ野菜を混ぜたものだったことから、単に「とても食べられたものではなかった」のではないか。
美代里は世話を任されていたとどの報道でも書かれてはいるが、実際に裁判を傍聴した人によればそもそも家事と言われるようなものをしていなかったようなのだ。
弁当が必要なのに作らなかったり、食事もおそらくその程度は元から知れていたように思える。雄起くんが祖父母に訴えたことからも、もともと満足に食事をさせてもらえていなかったのだ。

学校に行けていた時は給食で何とかなっていたものが、監禁状態になって以降は雄起くんのすべてが美代里の手の中にあったと言って良い。
考えてみてほしい、味もそっけもない物を出されて、喉を通るだろうか。
加えて、雄起くんの美代里への反発のようなものがそこにあったとも考えられる。おなかが減れば食べるだろう、そうかもしれないが、そもそもの量が少なく、食べたいという気持ちよりも食べる気力が失われるほうが早かったのかもしれない。

自傷行為については、それが起きた時期に注目したい。雄起くんははさみを自分に向け、「僕はもう死ぬんだ」と口走ったという。
しかしそれは、家から自分の意思で出られなくなってからの話だ。「そういうことがあったから」家に閉じ込めたのではない。
警察でも、この行為は精神的に追い詰められてのこととみていた。

たった10歳程度の子供が、このままでは自分は死ぬ、そう思わざるを得ない状況を、朋美と美代里は「作り上げていた」。

石鹸を食べる、意味不明のことを言う、これらについては、もう美代里のでっちあげとしか思えない。ある出来事が起こるまで、教師も友達らも皆、雄起くんにおかしなところなど全く見出していなかったのだ。

その出来事は、美代里の長男を突き飛ばしたあの一件である。

はずれた目論見

しかしなぜ朋美は、この美代里のいうことを鵜呑みにしたのか。

裁判では朋美の依存体質も指摘された。加えて、朋美自身が非常に真面目だった点も、この事件が最悪のものとなった一因に思える。

元々、朋美はバブル時に財をなした夫と高級マンションで生活していたのだという。それが、バブル崩壊とともに立ち行かなくなった。
それまでとは全く違う生活になっても、朋美は腐ることなく働いていた。借金もかなりあったといい、昼夜を問わず働いていた様子を考えると、朋美は責任感もあるし非常に正しい人、という印象がある。

それがなぜ、自分で考えることを放棄してしまったのか。

こういった事件ではよく言われることだが、真面目ゆえに思い込んでしまう性格の人間は、ターゲット、獲物としての素質も備えている。
人には言えない苦しい思いを朋美はしてきたのだろう、日々がむしゃらに働いていた時、ふと、手を差し伸べてくれる人がいた。
美代里である。
同じ年頃の男の子のいる母親、豪快に笑い、会話のテンポもいい。悩みを相談しても、ぽんぽん答えが返ってくる。

やがて朋美もシングルマザーとなった。わからないことだらけの中で、2度の離婚歴のある美代里は頼もしかった。
夜の仕事をしなければならなくなった時、その美代里が息子の面倒をみてくれると言ってくれて、朋美はどれほど心強く、そして感謝しただろうか。

それが、いつの頃からか朋美にとって、「自分で考えるよりも楽」になった。

美代里にしても、以前から自分の子供よりも周りで困っている母子の面倒を見ていたという話がある。
やりすぎな感は確かにあったが、頼りになる一面があったのもまた事実だ。
しかし、雄起くんについてはそれまでの純粋な人助けとは違っていた。

美代里は、雄起くんと朋美が「困っている弱い母子」ではないことに焦ったのではないか。

朋美は借金を抱えて昼も夜も働いた。母一人、子一人、一見、弱者である。
しかし、先にも述べたように、時には子供らを招いて夕食を共にしたり、雄起くんにしても友達もいて近所には祖父母もいて、実際のところこの母子は特別困窮していたわけではなかったのではないか。

むしろ、本当の弱者は美代里のほうで、それがいつからか人を助けることで頼りにされ、そこに美代里は自分の存在意義を見出した。
以降、美代里は困っている親子を見つけ出しては助っ人を買って出た。あまりに他人の親子にばかり構うものだから、美代里の息子は拗ねてしまうほどだったという。
そこまでしても、いや、そこまでしなければ、他人に自分の存在を認識してもらえない。美代里はそういう女だったように思える。

朋美親子と出会ったとき、獲物だと思ったはずが蓋を開ければ、雄起くんは想像していた弱い子供とは違っていた。
息子に対する突き飛ばし事件があった時、美代里のなかで雄起くんに対する怒り、思い通りにならない焦りが沸いたのではないのか。

将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。
朋美を丸め込むのは容易いことだった。これでもかと不安をあおり、ありとあらゆることをこじつけて朋美から雄起くんを遠ざけた。邪魔な祖父母も迫真の演技で遠ざけた。責任を取りたくない学校は元から障害物ではなかった。

裁判では朋美に対しても、「美代里に丸投げしておくほうが楽だと気付いた」のではないかと言及しており、どこか家庭や子供のことはすべて母親に任せて知らん顔を決め込む父親のような存在に朋美はなっていた。

わけもわからず様々な制限を課され、自分のSOSも届かない。母は、もう母親ではなくなっていた。

洗脳と、される側のずるさ

令和3年春、福岡で5歳の男の子が衰弱死させられた事件を記憶している人は多いだろう。
また、このサイトでも取り上げた愛知県のママ友事件、ひたちなか市のママ友事件など、あることないことを吹き込まれ信じ込んでしまった母親が、ママ友に操られて我が子を死なせるという事件はいくつかある。

この、洗脳状態というのは夫婦間、恋人間ではよく聞くが、実は母親同士の関係でも少なくない。
そこには、母親のネットワークから外されたくないという独特の思いや、孤独や貧困などで誰かに依存したいという性質につけこまれることもある。
そしてなぜか、人を操って欲望を満たす人間は、そのような依存体質の人間を嗅ぎ分ける能力に長けているのだ。

福岡の事件もそうだが、たいていこのようなママ友事件の場合、金を奪うというのが根底にあることが多い。
ただ、この美代里と朋美の関係の場合、たしかにある時期から朋美が美代里に月に2万円を支払うようになってはいたが、それ以外に金をだまし取ったという話は出ていない。そもそも、朋美にそんな金はなかった。

美代里にとっては、金よりも自分自身の居場所、自分を周囲の人間が一目置いて頼りになると称賛してくれることが何にも代えがたいものだったのではないか。困ったことがあれば、美代里に頼ればなんでもうまくいく……とすれば、ただの一度の失敗も許されない。あの先生にしたように、どんな手を使ってでも美代里が正しいという結末を迎えなければならない。
それを邪魔する雄起くんを、美代里は多分許せなかった。

大阪地方裁判所は平成171026日、犯行は美代里主導だったと認定、懲役10年を求刑されていた美代里と朋美は、美代里に懲役9年、朋美には懲役8年を言い渡した。
その後控訴したという情報はあるが、おそらく控訴棄却だったと思われる。

美代里の悪意があったとはいえ、息子のSOSから目を背けひたすら「美代里が言っているから」ですべてに耳をふさぎ、目を閉じた朋美のそのずるさが、美代里を暴走させたとも言えるだろう。

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参考文献
読売新聞社 平成1635日東京夕刊、36日大阪夕刊、38日配信
四国新聞社 平成1636日朝刊
沖縄タイムス社 平成1636日朝刊
佐賀新聞 平成1636
産経新聞社 平成1636日東京朝刊、大阪朝刊、38日大阪夕刊、平成171027日大阪朝刊
朝日新聞社 平成1636日朝刊、大阪夕刊、37日東京朝刊
毎日新聞社 平成17910日、1027日大阪朝刊
NHKニュース 平成16416

本日の気ままな事件日記

2005年度家族法ゼミ