暗闇で「やったつもり」の育児の果て~厚木・男児死体遺棄事件~

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平成26年5月30日

神奈川県厚木市下荻野のアパートに、警察官に連れられた男の姿があった。
男は警察官に促されて自室のアパートの玄関を開けた。
室内は真っ暗だったが、それでもゴミだらけの凄まじい状態であることは一目瞭然、カビとも腐敗臭ともつかない異様な臭いがたちこめていた。

警察官らが室内に入るのを横目に、男はその場に立ちすくみ、額から汗を滴らせている。

室内奥の六畳間を開けた警察官らは、にわかに騒がしくなった。
ゴミをかき分け進んだ6畳間の布団の上で、小さな小さな白骨遺体が発見されたのだ。

男はその部屋に住んでいた斎藤幸裕(当時37歳)。トラックの運転手をしていた。
その年の3月、厚木児童相談所が所在のつかめない児童を掲載したリストの一斉点検を行ったところ、小学校に入学していない男児の存在が明らかになったことで、父親であり、該当の住所に住んでいた男のアパートを警察が任意で調べることになったのが事件発覚のきっかけだった。
白骨遺体は、幸裕の長男で所在不明になっていた斎藤理玖くんだった。所在が不明になってから10年近くが経過し、さらにはいつ死亡したのかもわからなかった。

「誰も知らない」

幸裕と理玖くんがどうやらこの部屋で生活していたということは分かったが、二人がなぜ、二人暮らしになり、なぜ、理玖くんが死亡したのか全くわからずにいた。
事実として、幸裕はその時点で妻(理玖くんの母親でその時点では所在不明)がおり、別の女性と数年にわたって別のアパートで同棲していること、トラック運転手という仕事を持っていること、その上で、この厚木のアパートの家賃を今の今まできちんと払っているということだった。

そして、驚くべきことにある時を境にして、このアパートで幼い子どもと父親が二人で暮らしていたことを、誰も知らなかったというのだ。そして、それは10年間発覚することはなかった。
あの是枝裕和監督作品で有名な「誰も知らない」という映画、あれも実際に起きた巣鴨での4姉弟妹置き去り事件を題材にしたものだが、あの4人はある程度年齢がいっており子供ながらに知恵を出し合うことも可能で、外出することもある程度は可能だった。一番下の妹が、外の世界とつながった兄とその友人らによって暴行されて死亡する結末(映画では不慮の事故、みたいに描かれていたが、実際は兄とその友人らによる激しい暴行の末の死)とはなったが、少なくとも餓死はしていないし、その暴行事件がなければだれも死なずに済んでいたかもしれない。
この厚木の事件の場合は、たった一人でしかも自力では絶対に生きていけないレベルの年齢でのことで、普通に考えれば悲惨な結末しかないというのは明らかだった。
報道では当初からこの父親のあきれ返るほどの無責任、無知がクローズアップされ、可愛らしい理玖くんの写真が見る者の涙と怒りを増幅させた。
自身は新しい女を作って家を空け、理玖くんを邪魔者扱いして放置し餓死させた、事実から見ると確かにそうだが、調べていくと、そして実際に幸裕に取材をしたルポライターらの著書を読むと、いささか見える風景が変わってくる。

幸裕は、理玖くんを邪魔に思っていたのか。死んでしまうかもしれないという結末が見えていたのか。死んでもいい、と思っていたのか。
そして、10年間も理玖くんの存在が周囲にわからなかった、そんなことなんてあるのか。その原因はなんだったのか。

子どもの事件や貧困、虐待に関する著書も多いルポライターで作家の石井光太氏、大阪2姉妹遺棄事件の取材で有名なフリールポライターの杉山春氏、この両者の、幸裕本人への面会や丁寧な取材によるルポをもとに、見えてくる父子の姿、10年間を私なりに考えてみた。

破綻まで

理玖くんが生まれたのは、2001年の5月30日。その時すでに事件現場となったアパートに、幸裕とその妻は暮らしていた。
幸裕は当時23歳と若かったが、運送会社に勤務しておりおよそ20万円から25万円程度の収入があったという。妻は当時二十歳。若いながらも、親子三人での暮らしを成り立たせようと当初はしていたようだ。
しかし、結婚前から幸裕は気に入らないことがあると手を挙げることがあった。これは後述するが、妻によれば「酷いDVであり、自分は怖くてたまらなかった」らしいが、幸裕に言わせると少し違う。
少しずつ綻びが見え始めた2002年の年末には、「経済的な理由」から、妻が幸裕には内緒で風俗店に勤務するようになった。
幸裕からは月に5~10万の生活費を渡されていたというが、妻によると生活には困窮していたという。
それをカバーするために選んだのが風俗というのは突飛な気もするが、ともあれ託児所付きのその風俗店で妻は午前10時から深夜まで働いた。

幸裕も、仕事で帰宅が深夜になるため、そういった妻の生活に気づかなかった(わけはないか)、もしくは無頓着だったのか。
いずれにせよ、夫婦の関係は悪化の一途をたどり、2004年の秋頃にはもう修復不可能な状態に陥っていた。
そして10月7日の未明、アパート付近の路上をオムツに赤いTシャツで裸足の理玖くんが泣きながら歩いているのを近隣の人が発見、警察が保護して午前8時ころに厚木児童相談所が幸裕に連絡した。
仕事中の幸裕から連絡を受けた妻は、2時間ほど後に理玖くんを迎えに赴いた。その時はしきりに反省の弁を述べ、夫に任せて外出していたと言った。
対応した児相がアホ過ぎたため、この時の一件は「迷子」で処理されてしまう。ありえん。
しかし、その日の午後、幸裕が仕事から帰ったのを見計らうかのように、妻は「買い物してくる」と言って家を出、そのまま戻らなかった。
私の知り合いでも10年位前から豆腐を買いに行くと言ったまま帰宅しない妻を持つ夫がいるが、これではおちおち買い物にも行かせられない。

待てど暮らせど帰ってこない妻に、幸裕は何度も連絡をつけようと試みたというが、妻とは一切連絡が取れなかった。

若い二人の結婚生活は、この日事実上破綻した。

「これからは二人だから」

幸裕は幼い理玖くんを自分一人で育てると決めた、というより、そうする以外の選択肢を知らなかった。
実家は経済的に迷惑をかけていたこともあり、また、相談すべき先も幸裕の頭の中にはなかったのだ。
幸い、普通の収入を得ることが出来るトラックの仕事はあった。理玖くんにはさみしい思いをさせるかもしれないが、幸裕は何とかなると考えていた。

「これからは二人だから。二人で生きていこうね」

幼い理玖くんと向き合い、そう話したと幸裕は言う。
もちろん、世の中にはこのような父子家庭は山ほどあり、しかも父親がきちんと仕事を持っているとなれば、ハードルはあるものの何とかやれそうに思うのだが、それは「普通の感覚」をもっている常識的な人間にしか当てはまらない。

幸裕は、「なんとかなる」ということをいつも漠然と思っていたようだった。

しかしその「なんとかなる」は、私たちが想像もできないようなことを平気でやってのける上での「なんとかなる」であったことが裁判の過程で明らかになっていく。

普通、幼い子どもがいて自分しか養育者がいない場合、仕事をする時間帯はどこかに預けなければならないと考える。片親の場合は保育所への入所も、両親のいる子供に比べればポイントが高い。
そこが無理でも、託児所などを探す、とにかくどこかに預けなければならない、ということは誰でも理解できることだし、避けて通ることのできない部分である。
幸裕はそれをすっ飛ばした。というか、「家においておけば問題ない」と考えていた。保育園については一応考えたものの、送迎が出来ないことで無理だと思った、という。もちろん、相談などはしていない。

迷子事件から学んだのか、幸裕は家中のカーテンを閉め、外からは中が窺えないように細工した。
さらに、理玖くんがいる和室の戸に目張りをして、理玖くんが開けられないようにもした。とにかく、幸裕からすれば理玖くんが家の中にさえいれば、安全だと思っていたのだろう。それを世間では放置、虐待と呼ばれることもおそらく理解できていなかった。
食事は、仕事の日は昼以外の朝と晩の2回。休みの日は普通に3度の食事。ただし、自炊などをしない幸裕が理玖くんに与えるのは、コンビニのおにぎりや総菜パンなどだった。幼い理玖くんでも自分で持って食べられるからだろう、幸裕自身は弁当の時も、理玖くんはパンかおにぎりだった。
それ以外の育児は、オムツ交換、お風呂、月に1~2度の外出などだったという。

経済的にはどうだったろうか。
トラック運転手として20万円以上は手取りがあったというが、妻が出て行ってからはそれまで妻がしていた公共料金の支払いなどを失念したり、払えないことなどがあったようで電気、ガスはすぐに供給停止となった。
普通は、こうなる前に、いや1万歩譲って最悪停止されてから急いで払いにいく、となる。ガスは人によっては後回しになるかもしれないが、電気が止まれば相当困ったはずだ。支払いも、コンビニなどで24時間可能だ。

しかし、幸裕は電気が止まっても料金を払うよりも「そのままの生活」を選択した。
この話を聞いたとき、ふと誰かが言った「脳は三日で慣れる」という言葉を思い出した。
脳は順応性が高く、たとえ天地がさかさまになったとしても3日あれば慣れる、といった話で驚いたのだ。
だが、この幸裕のとった行動を見ていくと、おそらく幸裕は私たちよりもそのことをよく理解し、というか、これまでに嫌というほど経験してきているのだろうなと思った。事実、幸裕は暗闇での生活を裁判で聞かれた際、「暗かったけれど慣れれば理玖がどこにいるのかはわかった」と平然と答えている。
ていうか、そういうことを聞かれたわけじゃないんじゃないかなー、と思わなくもないが、とにかく幸裕にとって暗闇での電気がない生活、子育ては「成立」していたのだった。

この、私たちには考えられない驚異の「慣れ」はどうやって身に付いたのだろうか。
そのカギは、幸裕の子供時代に隠されていた。

 

🔓暗闇で「やったつもり」の育児の果て~厚木・男児死体遺棄事件②~

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幸裕の幼少時代と、家族

幸裕が生まれたのは1978年で、私とほぼ同世代である。一部上場企業の工場で勤務する父親と、専業主婦の母親。年子の妹と4つ下の弟という、その時代の主流ともいえる家庭がそこにあった。
当初は横浜の鶴見区で暮らしていた一家だったが、幸裕の小学校入学に合わせるかのように神奈川県愛川町に誘致された系列会社の工場に父親が勤務することとなって、一家は引っ越してくる。

まだまだ好景気だったその時代、次々と工場が誘致され、そこに働く人々のために大きな団地も次々と建設されていった。
その時代、今よりも一家の大黒柱と家庭を支える妻の役割ははっきりしていて、男は外で仕事、家庭や子育ては妻、というのは当たり前だった。もっとも、会社としてもよほどのことがなければ終身雇用は当たり前、家族への手当ても充実していた。だから、妻らは余裕をもって専業主婦になれたのだ。
斎藤家も同じで、3交代で勤務する父親にはそもそも子育てに深く関わったり、家事を手伝うなどといった考えはなかったし、現実的でもなかった。
そんな中で育った幸裕だったが、父親との記憶はほとんどない。それでも友達も多く、外で元気に遊ぶ幸裕は弟や妹との関係も良く、大きな問題などはないように見えた。

その生活が暗転したのは小学校6年生の時だ。

【有料部分 目次】
もう一人の保護責任者
「だって仕事があったんですよ!」
懲役19年
殺人罪からの、保護責任者遺棄致死
発覚が遅れたのはなぜか
紙吹雪

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子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」~千葉・少女撲殺事件~

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平成15年10月1日


「ひろ、助けて…ひろ…」

午前3時過ぎ。
暗闇の墓地に、か細い声だけが聞こえていた。
最後の力を振り絞って命乞いをする少女の傍らで、5人の男が地面に横たわるその少女を見下ろしていた。
「しぶといな。」
誰かがそうつぶやいた。
男たちは、その場にあった墓石用の石材をつかむと、少女の頭部にめがけて投げ始めた。
ひとつ、ふたつ・・・
そして、重さ60キロにもなる大きな石材を二人がかりで持ち上げると、そのまま少女の頭部に落とした。

静かになった少女に、わざわざ万引きしに行ったライター用のオイルを大量にふりかけ、そのまま火をつけた。燃え上がる火の中に、返り血を浴びた服や、少女の持ち物も次々に投げ入れた。
火の勢いは衰えず、少女の躰を焼き続けた。

翌朝7時ころ、ジョギング中の市民が燃え上がる遺体のようなものに気づいて通報、事件は発覚した。 続きを読む 子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」~千葉・少女撲殺事件~

🔓子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」②~千葉・少女撲殺事件~

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広宣

裕子さんを殺害したこの男は、本来ただの冴えない田舎ヤンキーでしかなかった。
事実、事件後も広宣について主だった「悪い噂」が出てこなかった。
不良少年の中にも序列や階級は存在し、ヤクザ顔負けの極悪人から使いっぱしりのヘタレまで様々だ。金のあるなしも大きくかかわる。
広宣の場合、その「ぱしり」であったというのが新潮45のルポにもある。
誰からも相手にされない、名前すら知られていない広宣だったが、その広宣をなぜか慕う後輩たちの存在があった。
犯行に加わった4人の少年たちである。この少年らは同じ中学の出身で、事件現場に近い場所で成長している。
広宣と4人の少年の共通の知人であった男が、後に裕子さんと交際を始めることからそのつながりは絡まりあっていく。

【有料部分 目次】
歪な関係
ど底辺の生活
偽装結婚
子分たち
B子さん
それぞれの母親
無期懲役

ここからは有料記事です

🔓そそのかした少女の母の、正気の沙汰~熊谷・男女4人殺傷事件~

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「二人は将来を奪われた。だから(犯人であるあなたも)未来があっていいはずがない」

彼女は職場の上司と同僚を目の前で殺傷され、拉致されたあげく口と鼻に接着剤を流し込まれた後、首を絞められ胸を刺され、瀕死の重傷を負った。
命は助かったが、その傷跡は季節の変わり目になると勝手に疼きだす。そのたびに、あの日の忌まわしい出来事が嫌でもよみがえる。
包丁を見るたびに体が硬直し、円形脱毛症も発症した。夜はラジオやテレビをつけていないと眠れず、うなされて飛び起きることもしばしばだ。

生きている自分を喜べないほどに、彼女の精神は打ちのめされたままだった。

2003年8月。酷暑の熊谷市で、男女関係の恨みをかった男性が殺害された。そして、たまたま同じアパートに居合わせた無関係の女性3人も巻き添えになり、うち一人は殺害された。助かった女性二人も、かなりの重傷を負わされた。
犯人グループは男女3人。主犯格は尾形英紀(当時26歳)という。尾形はその後死刑判決となり、事件から7年後の2010年7月28日に死刑執行された。

しかし、被害者らにはもうひとり決して許せない人物が残っていた。
主犯格の男に殺害をそそのかした当時16歳の少女Aである。

(注:被害者について、鈴木秀明さん以外の女性被害者はすべて名前を伏せる。理由は、被害者B,Cさんが勤務していた飲食店について被害者に不利になる情報があること、また、存命の被害者の精神的苦痛が大きいこと、さらには被害者がおそらく匿名を条件に応えたであろうインタビューなどを引用していることから、こちらも匿名とした)

忌まわしい「あの日」


2003年8月18日、熊谷市箱田7丁目にあるアパートの205号室で、B子さんは同じアパートの別の部屋に住む職場の上司・鈴木秀明さん(当時28歳)に頼まれ、スラックスのほころびを直していた。
このアパートは、鈴木さんやB子さんらの職場が寮として借り上げていたアパートであったため、住人は職場の同僚らで構成されていた。
そこへ、インターホンがなり、鈴木さんが応対すると、そこには尾形と少女A、少年の3人の姿があった。B子さんは面識のない人物だったが、鈴木さんは知り合いのようで、何やら玄関先で押し問答をしているように見えた。
すると、一人の男が鈴木さんを自分の部屋である202号室に戻れ、と言うようなことを言い出した。
そして、B子さんにも同行するよう強要し、二人を鈴木さんの自室である202号室へと連れ込んだ。

そこで突然尾形が、鈴木さんを座らせたうえで罵倒し始めた。
「お前、わかってんだろうな。なに俺の女に手を出してるんだ。お前、俺の女をやろうとしただろう」
鈴木さんはひるむことなく「知らねぇよ、やってねぇよ!」と言い返したが、尾形は鈴木さんの頭を蹴ったり殴ったりし始めた。
そして、隠し持っていた包丁を取り出すと、鈴木さんの腹部に押し当て、軽く突くような仕草を見せてなおも脅した。
包丁を見てこれは尋常ではないと察した鈴木さんは、手を出したことは否定しつつも態度を一変させ謝罪した。
しかし、尾形は「ヤクザをなめんじゃねぇぞ!」などと激高し、俯せにつんのめった鈴木さんの背中を数回包丁で突き刺した。
唸り声をあげる鈴木さんに対し、「うううじゃねぇよ!」と言ったかと思うと今度は腹部を突き刺し、傷口からはみ出した鈴木さんの腸の一部を包丁の先に乗せ、「こいつ腸がでてるよw」と笑った。
そして、右ひざを包丁で刺した後、痛みでのた打ち回る鈴木さんに布団をかぶせると、「早く死ね!」と言いながら鈴木さんの首を踏みつけた。

鈴木さんは苦しみの中、出血多量で絶命した。

鈴木さんが死亡した後、標的になったのは当然、一部始終を目撃させられたB子さんだった。尾形らはB子さんをその場から拉致し、失踪したように見せかけようと企て、少女AにB子さんの私物(財布や携帯など)を205号室に取りに行かせた。
少女はこの時、B子さんの3万円を盗んだ。
するとそこへ、たまたま鈴木さんを訪ねて同じアパートの106号に住むC子さんがやってきた。出勤時間が過ぎても出勤してこない鈴木さんを心配した職場から、様子を見に行ってほしいと頼まれてのことだった。
不穏な空気の中、尾形らは悟られまいとしてB子さんに対応させようとしたが、B子さんは動揺しきっていたため、C子さんも同じように拉致して殺害しようと決める。
C子さんの私物を少年に取りに行かせると、C子さん方には人がいた。同居していたD子さんである。
D子さんに顔を見られた少年がそれを尾形に伝えると、尾形はD子さんも拉致して殺害することにし、D子さんも鈴木さん方へ引き込んだ。

尾形らは車のトランクにC子さんを押し込み、B子さんとD子さんを後部座席に座らせた。
車は恐怖のドライブへと走り出した。

【有料部分 目次】
尾形と少女Aのそれまで
鈴木さんとの関係と、事件まで
巻き込まれた被害者への仕打ち
「やっちゃう」の意味
事件二週間後で「心が落ち着いた」母親
母親が許せなかったこと
鈴木さんへの責任転嫁
被害女性の思い
母親の自戒と、「でも」