🔓無関係の女性を焼き殺した男の安らかな死にざま~愛知・2女性ドラム缶焼殺事件②~

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「精子が出たらどうしよう(笑)」

空き地にドラム缶を二つ並べて、車から洋子さんらをおろした野村らは、牧田兄に対して「風呂に入ってもらえ」と言い、洋子さんと勝子さんをドラム缶内に入れさせた。
洋子さんよりも勝子さんが暴れていたため、野村は勝子さんが入ったドラム缶の蓋に角材をかませて開かないようにした。

【有料部分 目次】
逮捕から裁判
不可解な事実
4人の人生
その時、あなたなら
1月29日
生きて償う者、死んでも償えない者

ここからは有料記事です

🔓親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件~

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2004年9月11日 深夜

栃木県小山市を流れる「思川」にかかる橋の上に、一台の車が停車した。
男は助手席で眠りこける男児の腕と足をおもむろに引っ張ると、そのまま車外へ引きずり出した。
寝ぼけ眼の男児は、抵抗するもうまくいかない。
男はそのまま、橋の転落防止用のワイヤーの隙間から、躊躇することなく男児を5メートル下の川へ投げ落とした。
「バチャーン」
すぐに助手席に回り込み、同じく助手席で眠っていたもう一人の男児を、先ほどと同様に引きずり出したうえ、同じように川へと投げ棄てた。

後部座席にいた少女は、男児らの泣き声で目を覚ましていた。
言い知れぬ不安から、少女は男児の行方を男に聞いた。
「お父さん、あの子たちは?」
ハッとしたように娘を見た男は、「置いてきちゃった」と呟いた。

事件発覚

そのころ、小山市神鳥谷在住の男性の子どもが行方不明になったと騒ぎになっていた。
男性は、知人宅に子供二人を連れて居候しており、その知人男性がどうやら連れ出したようであったが、家に戻っていないとのことだった。
知人の名は、下山明宏(当時39歳)。小学6年生の娘と、小学1年生の息子がいる男だった。
男性は、2004年の6月ころから下山のアパートに転がり込むような形で居候していたという。子どもは、4歳の兄・一斗ちゃんと、2歳の弟・隼人ちゃんであった。
その日、男性は下山宅のアパートで昼寝をしており、子どもたちは下山の子供らとともに近所の教会の流しそうめんの催しに参加していたはずだった。
何度も下山に電話をしたが、下山は「一緒にいない」というばかりで、ようとして子供らの行方はつかめなかった。

9月12日夜、警察は未成年者誘拐の容疑で下山を逮捕したが、下山は「兄弟は公園に置いてきた」などと嘯くばかりで、幼い兄弟の行方は全く分からなかった。

13日になって、ようやく「思川の真ん中あたりの流れが速い場所で、投げ落とした」と自供。
翌14日、思川の中州付近でうつぶせになっている隼人ちゃんが、さらに16日の午前には、松原大橋から下流に6キロの葦が茂る場所で、兄の一斗ちゃんが発見された。
発見が遅れた一斗ちゃんは、両目と親指がすでになかった。

下山は殺人の罪に切り替えられ、さらに覚せい剤反応も出ていた。
幼い子供を二人、生きたまま橋の上から投げ棄てて殺害するという残虐極まりない事件は、世間の注目をいやでも集めた。

しかし、事件が注目されたのは、事件そのものだけではなかった。
世間が注目したのは、幼い兄弟を育てていたその父親の言動であった。
隼人ちゃんが発見された直後、父親は突如記者会見を開いた。顔も隠さず、テレビカメラの前でいまだ発見されていない兄・一斗ちゃんが既に死亡しているかのような言い方をし、さらには、生放送で下山の12歳の娘の実名を出した。

3LDKの決して広くはないアパートでの奇妙な6人暮らしは、当初から「何かあるのでは?」という憶測を呼んでいた。
そしてそれは、憶測のはるか上をいく展開を見せた。

下山のそれまで

下山は、栃木県小山市の裕福な家に生まれた。
小山市内でいくつも不動産を持っていた下山家は、財産を管理する会社まであった。
建設業、不動産業などバブル期にかけては相当な業績であったといい、下山は何不自由なく育てられた。
恵まれすぎた環境がもたらすのは、時に非行への道であるのは珍しくなく、下山も中学のころからやりたい放題であった。
たばこやシンナーは当たり前、無免許でバイクを乗り回し、高校へ進学したもののその態度が改まることはなかった。

高校を卒業後は、父が経営する建設会社へ就職し、1990年ころにはその会社の取締役となっている。
同時期、結婚もし子供も生まれたが、およそ1年で離婚。その後すぐに別の女性と交際を始め、1995年にその女性と再婚した。
女性も再婚で、連れ子もおり、下山との間にも1男1女が誕生してにぎやかな一家となった。夫婦仲は良いともっぱらの評判で、下山も子煩悩な面を見せていたという。
幸せな下山家であったが、2002年、下山が行っていた産業廃棄物関連の仕事で過ちを犯し、下山は懲役3年、執行猶予5年の判決を受ける。
いろいろとあったようで、下山はこれを境に転落の一途をたどることとなる。
生活が荒れ、夫婦仲は冷え切った。そして2003年には離婚するのだが、その際子どもをめぐって夫婦の間にはさらに深い溝ができたという。

下山との間の子供も含めてすべての子供を引き取っていた元妻の実家へ押しかけては、子どもを返せと怒鳴る下山の姿が何度も目撃された。
結果、下山に懐いていた下山の実子である娘Aちゃんと、その弟のBくんを下山は引き取った。

被害者の父のそれまで

一方、被害者となった幼い兄弟と父親は、どのような人生であったか。
父親の妹と下山が同級生ということもあって、ふたりは学生のころからの知り合い、悪友であった。下山はその父親のことを「あんちゃん」と呼び、慕っていたという。
私よりも10歳ほど世代が上のこの二人は、いわゆる先輩後輩の間柄であったが、その関係は今とは違って「絶対的に」先輩が立場が上、という時代だった。当然、この二人もまるで暴力団かのような上下関係に縛られ、年が上というだけで下山はその「あんちゃん」に頭が上がらなかった。

高校卒業後、父親は塗装工として比較的まじめな仕事ぶりだった。1度結婚に失敗はしたものの、その後再婚した妻は当時18歳と若く、その妻との間に被害者の兄弟を含め3人の男児をもうけている。
兄弟の兄にあたる長男には、わずかではあるが知的障害があった。そのため、続いて生まれた次男には、兄弟を引っ張っていけるようにという願いを込めて「一斗」と名付けた。
2年後に生まれた三男にも、「ハヤブサのように力強く生きてほしい」という思いで、「隼人」と名付けた。
一斗ちゃんと隼人ちゃんは、報道で顔を知っている人も多いと思うが、確かに目を引くほど愛らしい。二人とも父親によく似ていると私は感じたのだが、夫婦にとっても出かける先々で「かわいい!」と振り向かれるその兄弟が自慢であったようだ。

順風満帆に見えた一家の暮らしだったが、隼人ちゃんが生まれたころは次第に父親の仕事ぶりがそれまでと変わってきていた。
気分によって仕事を休んだりするため、一家の経済状況は思わしくなかった。ある日、若い妻は子供らを残したまま、突如家出する。

家では、幼い弟をベビーカーに乗せて「ママー!ママー!」と泣きながら母の姿を探す一斗ちゃんの姿が目撃された。弟思いであった一斗ちゃんは、母親を失った悲しみの中でも、弟の面倒をみていたのだ。いかん、もう泣ける。

2002年に離婚した父親は、小学2年生になっていた長男も含め、一斗ちゃん、隼人ちゃんら自身の子供をすべて引き取った。
手のかかる長男については実家で、一斗ちゃんと隼人ちゃんはその父親が育てることになっていたという。
しかし実際には、仕事で家を空ける父親ひとりで兄弟の面倒が見られるはずもなく、また、実家の母親も仕事をしながらであるため、一斗ちゃんと隼人ちゃんは父親、母親双方の親せきを「たらいまわし」にされた。

そして、2003年7月には、兄弟は児童養護施設へ入所せざるを得なくなった。

父親は、なんとか子どもたちを自分で育てたいという思いはあったようで、環境を変えてでも子供たちを早く施設から引き取りたかった。
ほどなくして元妻の兄のつてで、東京で仕事をすると決めた父親は、子どもたちを連れて行けるようにするため元妻に協力を仰いだ。二人が復縁するといえば、施設側も子供を引き渡すのではないか、と考えたのだ。
元妻にその意思はなかったが、父親は必死に説得して、二人で児童相談所に報告し、子どもたちを引き取ることに成功した。上京する際には、長男も同行させた。

しかし、「スカウトマン」だったというその仕事は簡単ではなく、また、あてがわれた寮は、一つ屋根の下に独身男性がほかに二人住んでおり、家族5人が狭い部屋で肩を寄せ合い暮らすのは無理があった。再び、元妻は子供を置いて地元の宇都宮市へ帰ってしまったのだ。
頼れる人もいない土地で、子供3人を男で一つで育てられるはずもなく、父親は早々に行き詰った。元妻家出をする直前、管轄の品川児童相談所に面談の約束をしてたが、夫婦の間で確認しあえていなかったのか親権者である父親はその面談に姿を見せなかった。

子どもたちを小山市の実家へ戻して世話を頼んだのち、2004年の6月までは東京で仕事をした父親だったが、うまくいくことはなく、経済的に逼迫したこともあり、小山市へ舞い戻ることになった。
実家では体調を崩した母親とその夫(母親の再婚相手)がおり、もともとその再婚相手と折り合いが良くなかった父親は、長男だけを実家に預け、一斗ちゃんと隼人ちゃんを連れてある場所を訪ねた。

一斗ちゃん兄弟が施設に入所している時期、ひょんなことから再会し、連絡を取っていた下山の実家だった。

【有料部分 目次】
息詰まる同居生活
暴力の連鎖
下山姉弟の逃げ場所と、うわさ
使いものにならない大人
壊れていた心
なぜ、その日だったか
その後

🔓妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件~

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2005年2月27日


すぐ目の前に山が迫る岐阜県中津川市・坂下町の「住宅」。
その男性は、なにか心のざわつきを感じながら、勝手知ったる「その住宅」の玄関を開けた。
昼間ではあったが、家の向きの関係で家の中は薄暗く、いつもならば昼間でも電気がついているはずなのに、その日はついていなかった。
この日、男性はインフルエンザで体調がすぐれず在宅しており、実家である「その住宅」に子どもたちを連れて遊びに行った妻の帰りを待っていた。
そこへ、ひょっこり妻の父親が顔を出した。
「下(実家)でみんな待っとるから、行こうか」
小柄でにこやかな義理の父は、いつもと変わらない表情でそう告げ、男性と共に軽自動車で「その住宅」へと向かった。
子どもたちもいるはずの家の中は静まり返り、男性は不安を覚える。背後にいる義理の父に、みんなは?と聞くと、「ばあちゃんの部屋におる」と言うので、その部屋へ向かうが、その部屋は真っ暗で物音もしない。が、「なにかがいる」気配があった。

「Tさん、死んでくれ」

事件の概要

男性は死に物狂いで抵抗し、なんとか振り切って「その住宅」を飛び出し、腹を抑えてうずくまっているところを通報により駆けつけた警察官に保護される。
男性から事情を聴いた警察官らが「その住宅」で見たものは、老齢の女性、乳児と幼児を抱きかかえた30代くらいの女性、同じく30代と思われる男性のあわせて5人の惨殺遺体だった。

さらに、浴室で首に包丁を突き刺したまま朦朧としている初老の男性を発見。
一命をとりとめたその男こそが、「その住宅」の主で、殺害された被害者の息子であり、父親であり、おじいちゃんであった。
名を、原 平(当時57歳)という。

その日、妻は旅行で不在であった。
午前6時ころ起床し、旅行に行く妻を駅に送った後、自宅に戻った。
自宅には85歳になる母親のチヨコさんと、整体師の長男・正さん(当時33歳)がいたが、まだ二人とも寝ているようだった。
原は、眠っている正さんの首にネクタイを巻き付け、一気に締め上げた。目を覚ました正さんは、「お父さん、なに?」と苦痛と困惑の表情で問いかけるのが精いっぱいで、抵抗も出来ずにそのまま絶命した。

「いよいよ始まったな」

我が息子を殺害した原は、なぜか落ち着き、むしろ意気揚々とした感覚で1階の母親の部屋へ向かった。
正さんを殺めたそのネクタイで、微睡むチヨコさんも同じく絞め殺した。気位の高いチヨコさんは、妻をはじめ、家族を苦しめていた。今朝も、何度も解約しているにもかかわらず新聞購読をせがみ、さらには原の娘のことを「孫の顔も見せに来ない」となじった。
「これで解放された、もう嫌がらせをされることはない」

次に原が行ったのは、警察犬として慈しみ育て上げてきた2頭のシェパードの「始末」であった。
車に乗せて、糀の湖付近で木につなぎ、持参した包丁を何度も犬に突き刺した。
訓練された犬は、主人に歯向かうことなく、その場に崩れ落ちた。

その足で、今度は娘・こずえさん(30歳)の自宅へと車を走らせた。
自宅にはこずえさんと生まれたばかりの彩菜ちゃん(生後3週間)、2歳の孝平ちゃん、そしてこずえさんの夫であるTさん(当時33歳)がいた。
「ばあちゃんが孫の顔を見たいと言ってるから」
原はそう言ってこずえさんと子どもたちを車に乗せた。Tさんはまだパジャマ姿で、体調もすぐれなかったためその時は行かなかった。

実家へ着いたこずえさんは、子どもたちと家の中に入るが、すぐさま雰囲気がおかしいことに気づく。
彩菜ちゃんを左腕に抱えて、チヨコさんの部屋へ行くが、電気もついていないその部屋で異様な状態のチヨコさんを見て、「何か変じゃない?」と父親に聞いた。
「そうか?もっと近くへ行ってみな」
父親に促されるまま、心配そうにチヨコさんをのぞき込んだその時、こずえさんの首にネクタイが巻かれた。
「お父さんっ…!?」
あっけにとられた表情のこずえさんは尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。左手にはしっかりと彩菜ちゃんを抱いたまま。
原は、愛娘の顔から血の気が失せるのを見たくなかったのか、顔を背けていたという。
こずえさんが動かなくなったのを確認し、ふと顔を上げると、部屋の隅で固まっている孫の孝平ちゃんと目があった。
幼いながらも、目の前で繰り広げられたこの一部始終が恐ろしいことであると察していたのだろう、不安そうな顔で「ママ、大丈夫なの?彩菜は?」と聞いたという。

原は、孝平ちゃんの首にもそのネクタイを巻き付け、そのまま締め上げた。

不意に、こずえさんの腕の中にいた彩菜ちゃんが火がついたように泣き始めた。我に返った原は、その彩菜ちゃんの首をつまむと、そのまま力を入れて息の根を止めた。

時間は午後零時半になっていた。

原はその後、冒頭のように再びこずえさん宅へ行き、何も知らない夫のTさんを連れ出してTさん殺害も試みるも、抵抗され未遂に終わった。
Tさん殺害を諦めた原は、そのまま自身の体や首を包丁で刺し、自殺を図る。失血死を試み、浴槽の中に隠れていたが駆けつけた警察官によって病院へ搬送され、12日、5人殺害とTさん殺害未遂で逮捕となった。

不可解な動機

犬も含めた一家惨殺、さらには血のつながりのないTさんまで殺害しようとしたその背景や動機は、いったい何だったのか。
調べでは、母親であるチヨコさんへの積年の恨みと、妻に対するチヨコさんのいびり、嫌がらせに耐えかねたとする供述があり、裁判でも概ね認められている。
チヨコさん以外の家族は、こずえさんの夫であるTさんを含めて仲が良かったとされ、ゆえに殺人犯の家族として生きていくのは不憫であるという原の勝手な思い込みによって、一家もろとも可愛がっていた犬まで一緒に死ぬ以外にないという「無理心中」であるとされた。

しかし、ここで大きな疑問がある。

妻の存在である。妻はその日日帰り旅行に出ており、原自ら駅まで送っている。
しかし、原はあえてこの日を選んで殺害を実行した。
原の中で、母・チヨコさんから逃れるには殺害以外にない、という妄信があり、それを実行することに迷いはなかった。おそらく自身も後に自害するつもりがあったのだろう。
ただ、そうなれば遺された家族は世間の好奇の的となり、申し訳ないから、生き恥をさらすよりも良かろうということで連れて行こうと思ったわけである。
であるならば、なぜ最愛の妻を連れていかなかったのか?

原の供述によれば、妻のことは愛していたし、なにより妻をチヨコさんから解放するのが目的であるのだから、妻を殺そうとは思わなかった、だから妻がいない日を選んだ、となっている。

これでは矛盾していないか。片方で愛する娘や孫たちを殺しておきながら、同じく愛してやまない妻は生かす。
妻とて、1人残されてしまえば死ぬほどつらい日々が待っているわけで、決してチヨコさんから解放されて良かったなどと思うわけがない。
家族全員が妻をいびり、蔑ろにしていたというならばわかるが、そんな事実はない。

わたしはこの顛末を知った時、「これじゃむしろ妻への嫌がらせでしかない」と思っていた。
しかし、新潮45などで発表されたルポや裁判記録を読んでも、どこにもこの私が抱いた疑問を払拭させる話は出てこず、長いことわたしはこの一家殺傷事件が起こった動機、背景にモヤモヤするものを抱いていた。

そして、長い時間を経て見つけたある記事が、私が感じた疑問をずばり「やっぱりそうか」と思わせてくれたのだ。

それは、自身も負傷させられ、妻を幼い子どもを殺害された被害者・Tさんの手記であった。

【有料部分 目次】
母と息子のそれまで
束の間の平穏
常軌を逸していく母親
殺害やむなし
矛盾だらけの建前
理想の自分、理想の家族

ここからは有料記事です

🔓忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

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2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場

早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。

5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。

その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

【有料部分 目次】
衝撃の告白と被害者家族

殺意の形成
PTSD
裁判所の見解
言いたくても言えないこと

🔓「お父さん」を惨殺した中国人留学生の罪と罰~大分・恩人殺害事件~

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【お願い】
この事件は、中国籍、韓国、朝鮮籍の留学生らによる許されざる事件です。
しかしながら、この事件をもってすべての中国籍、韓国朝鮮籍の人が悪であるはずはありません。欧米人でも日本人でもアホは山ほどいます。
私はこの記事を、そのような特定の政治思想、人種差別を是とする方々に利用されたくありません。
万が一、そのようなSNSやまとめサイト、個人のブログ、掲示板などにこの記事のリンク、または引用があったとしても、私の本意ではありませんし、そういう考えの人はこの事件の犯人と同じくらい、浅はかです。

2002年1月18日未明

大分県杵築市山香町。
山間の畑が広がるのどかな集落で、高齢の夫婦が殺傷されるおぞましい事件が起きた。
殺害されたのは、建設会社を営む吉野諭さん(当時73歳)。背後から腰を一突きにされ、その刃先は腹部を貫通するほど深く差し込まれていた。
2階で寝ていた妻・恵美子さんは、一命をとりとめたものの、腹部を二か所刺され重傷であった。

娘の雅美さんは、父の死を病室の母親に告げることが出来ずにいた。
しかし、いつもまでも隠せるものでもないし、捜査上のこともあって伝える決心をする。
覚悟していたのか、夫の非業の死を知らされた妻・恵美子さんは、取り乱すこともなく、力なく頷いたという。

一片の落ち度も、ましてや他人から恨みを買うこともなかったこの夫婦に刃を向けたのは誰か。
犯人が逮捕された時、吉野家はさらに深い悲しみに打ちのめされることになる。

「お父さん」と慕われた人

吉野さんは建設会社を経営する傍ら、篤志家としても知られる人物で、特に、自身が戦前に中国で暮らした際に世話になったことを忘れず、日中友好に尽力していた。
その活動の一環として、中国人留学生への支援を行っており、自らが身元引受人となり、生活の世話から経済的な面倒まで、まるで親のように留学生たちを温かく見守ってきた。
その活動は中国からも高く評価され、吉林市で初となる外国人市民栄誉賞も贈られているほどだ。
吉野さんが日中友好に尽力していたのには、深い理由があった。
昭和18年、15歳だった吉野さんは中国吉林市へ渡る。電気技術を学びながら終戦を迎えると、1年近く捕虜生活を強いられたという。
飢えに苦しむ吉野さんら日本人捕虜に対し、こっそり食べ物を与えてくれたのは地元・吉林市の一般市民であった。時には衣類も差し入れてくれた。
吉野さんはその時の恩を忘れることが出来ず、日本での生活が安定した頃、中国残留孤児の身元引受人となった。
それをきっかけに、中国と日本の架け橋となり、何度も中国へ足を運んでは現地の経済政策をアドバイスしたり、日本語学校に携わるなど交流を深めることとなったのだ。

吉野さんの葬儀では、吉野さんの世話で中国から留学してきた女子学生が涙ながらにお別れの言葉を述べた。
「私たちはお父さんを喪った」

誰もが吉野さんを慕い、同時に最も尊敬する「お父さん」を喪った留学生たちにも同情が寄せられた。
彼らは留学の世話にとどまらず、吉野さんから野菜などの食材、生活に必要なものなどを分け隔てなく面倒を見てもらっており、その誰もが心から感謝していた。

しかし、その裏で、この吉野夫妻を惨劇へと巻き込んだ張本人が、実はこの告別式に参列した留学生の中にいたのだ。

犯人と動機

犯人は現場の状況から複数犯と見られた。また、吉野さん宅を狙い撃ちしていることに間違いはなく、吉野さん宅の事情に詳しいものが関係しているとみられた。
そこで浮かんだのが、吉野さんが身元引受人となっていた中国人留学生・安逢春(当時23歳)と、その友人の韓国籍の金玟秀(当時27歳)だった。その後、別府大学への身元引受を行った張越(当時26歳)が捜査線上に浮かんだ。

安は犯行当時も別府大学国文科に籍を置いており、日本語の他に韓国語も話せる優秀な学生であった。吉野さんも安をかわいがっており、一時期自身の会社でアルバイトもさせていたほどだった。
しかしこれが仇となった。
安は、勉学に励む優秀な学生という以外に、中国人女性と偽装結婚をした過去を持っており、吉野さんが思うほどの真面目な留学生とは言えなかった。
そして、この安が吉野さんの会社でアルバイトをした経験が、後の強盗殺人を呼び込んでしまうのだ。

一方、張はというと、吉野さんが「どうしても」と頼まれて引き受けた留学生だったという。
他の留学生が日々の生活もつつましく送る中で、張は来日した時点で100万円以上の大金を持っていた。そして、それを遊興費に使い、2001年10月に出席が足りず退学処分を受けている。
この張が、後に「日本人から大金を奪う方法を教えてもらった」などと得意げに留学生仲間に吹聴していたことから事件への関与が疑われた。
そして、事件から20日後、韓国籍の金、安と同じく中国人留学生であった19歳の少年が逮捕されたが、主犯格の張越と、朴哲(当時24歳)はすでに中国へ出国した後であり、国際指名手配となった。

5人は、張、朴の主導により強盗計画を練った。そもそも19歳の少年が朴に対して金を貸しており、その返済を前々から迫っていた背景があった。
また、朴自身も交際女性を妊娠させてしまい、堕胎費用を工面したいと考えていた。安らも、偽装結婚で金が要ることや、アルバイトに汗を流すことに嫌気がさした面もあり、当初は軽い気持ちで強盗計画を聞いていたようだ。
「どこかに金持ちはいないか?」
そう聞かれた安は、吉野さん宅を教えたのだった。張は、自身も世話になったはずの吉野さんの名前が出ても、それを止めることもしなかった。

朴も他の犯人と同様、別府大学の留学生であったが、2001年12月に退学している。19歳の少年も、同じ年の10月に退学となっていた。
(それにしてもこの別府大学というのはどういうところなのだろう。積極的な留学生受け入れをしているように見えるにもかかわらず、これだけの退学者を出すのは珍しくないんだろうか。)
そして、この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

大阪事件

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

この事件を起こしたのが、ほかでもない吉野さん宅を襲った19歳の少年と、朴であった。
19歳の少年は、2001年10月に別府大学を退学後、東京の専門学校へ通うために都内の知人宅へ転居した。
11月ころ、中国の母親から学費として50万円の送金を受けながら、そのうちの12万円を朴に貸し付けている。さらに、知人らへの借金返済や、遊興費にその残金を費やしてしまう。
専門学校への学費振り込み期限が迫る中、19歳の少年は同居していた知人に50万円を借り、41万円を専門学校へ振り込んだ。
しかし、母親からの送金は期待できず、またこれ以上知人からの借金も出来ず、さらには在留資格の問題でアルバイトも出来なかったために金に窮することとなった。
切羽詰まった少年は、以前朴に貸していた12万円を返済してもらおうと、しつこく朴に電話している。
そこで朴から持ちかけられたのが、女性を狙った強盗であった。
19歳の少年は、強盗してお金が手に入れば、朴から金を返してもらえると思い、その計画に乗った。
場所は大阪と決め、12月24日、朴が大分から、少年は東京からそれぞれ大阪へと向かう。その際、朴は凶器となる棒やナイフを所持していた。
当初は、ひとり歩きの女性を襲う予定であったが、思いのほか難航。24日と25日はまったく計画通りにことが運ばず、2人はビジネスホテルに泊まった。
そして、風俗嬢を呼び出して金を奪うことを思いつき、通りで何枚かの風俗店のビラを入手する。
26日の午前1時ころ、ある風俗嬢をSEX目的で呼び出すも、若すぎるとしてチェンジ。しかしその後、別の風俗嬢が来ることはなかった。

翌朝、2人は別のホテルへ向かい、その道中、犯行に使用するクラフトテープや防止、ペティナイフを購入し、午後3時ころ19歳の少年のみがホテルにチェックインした。
遅れて朴が部屋を訪れ、道具を手渡した後「キャッシュカードの暗証番号を聞き出した後は、売春婦は殺さないと面倒だから、殺して逃げろ。自分も別の部屋で同じように女から金を奪う」と告げ、少年はこれを了承。
朴も、別の部屋で同じことをするからと少年に言い、これは二人の犯行だと思い込ませた。

午後4時30分ごろ、呼び出したA子さん(35歳)がシャワーを浴びているところを襲い、縛り上げたうえでキャッシュカードを強奪した。
逃げようとした際、A子さんが声をあげたことで我に返った少年は、やはり殺さなければと思い、所持していたナイフで刺殺した。

A子さんに刺し込まれたナイフは、その刃が根元から折れ曲がるほどの力で何度も刺し込まれており、相当な殺意が見てとれる。
少年は冷静にドアノブの指紋を拭き、その場から逃走した。
結局、少年は現金を引き出せず、キャッシュカードを朴に渡した後、ナイフを捨て、再び東京へと戻った。

そして、再び強盗をはたらくために、今度は大分へと向かうのである。
しかしこの時、朴は別の部屋でなにもしていなかったのだ。

【有料部分 目次】
お気楽な強盗団
最終計画
誤算
裁判と判決
再びの悲劇
安逢春の罪と罰

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