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千葉・稲毛区の兄弟(平成15年6月28日死亡/当時6歳と4歳)
平成15年6月28日の夕方、千葉市稲毛区のマンションに住む男性会社員から「子供と妻が刺されている」と119番通報があった。
救急隊と警察が駆け付けたが、自宅内で幼稚園に通う幼い兄弟が腹や顔などを複数刺されており、その場で死亡が確認された。
また、同じ室内にいた母親も手や足に軽いけがをしていた。現場には凶器とみられる刃物が落ちていたが、後の調べでその包丁はその家にあったものだとわかった。
「黒ずくめの男が来て刺した」
ケガをしていた母親は、警察の聞き取りに対してそう答えたというが、押し入られた形跡や争った形跡は見られず、また母親の供述には不自然な点があったことから、警察は慎重に捜査を進めた。
子供たちはほぼ即死だったという。
警察は翌29日、子供たちを殺害したとして、ケガをしていた母親・杉尾真由子(仮名/当時35歳)を逮捕した。
真由子は取り調べで「言うことを聞かないのでつい、カッとなった」と述べた。
ただそれ以外にも育児に悩んでいた様子があり、加えて通院歴があったこと、取り調べでも意味不明の言葉をつぶやくなど危うい様子もあったことで、警察は刑事責任能力についても慎重に調べていた。
その後、検察は真由子に責任能力有と判断。真由子は起訴された。
弁護側は当然、精神状態が不安定で心神耗弱だったとして無罪を主張したが、自分の犯行を隠蔽するかのような供述は善悪の区別があるからこそ出るとして検察は責任能力があると主張して、真由子に懲役10年を求刑した。
平成17年1月28日、千葉地裁は真由子の責任能力を認め、懲役9年を言い渡した。
真由子は夫との間に何らかのトラブルを抱えていたという。離婚問題、とまではいかずとも、また、情状酌量がさほどなされていない点から見ても、夫があからさまな不貞をしていたとか、DVなどの問題があったわけではなさそうだが、真由子は幼い兄弟の子育てでも悩んでいたという。
きっかけは、子供のなにげない「悪い言葉」だった。
あの日、はしゃぎまわる子供たちを静かにさせようと注意したが、子供たちは言うことを聞かなかった。真由子は脅かすつもりで包丁を見せた。しかし子供らは怯えるどころか、真由子に対して「お母さんのばか」と言ったという。真由子の中で何かがキレた。
気が付けば子供らに馬乗りになり、体を刺していたという。
「お母さん、ごめんなさい」
6歳の長男は涙を流してそう言い、息絶えた。
安部憂那ちゃん(福岡市古賀市・平成15年11月18日死亡/当時生後5か月)
親はあまりにその精神が幼かった。
福岡地裁は幼い長女を殺害した親に対し、懲役7年を言い渡した。
長女の死因は右側頭部頭蓋骨骨折による外傷性脳挫傷。親の腕に抱かれた長女は、そのまま激しく柱にその頭部を打ちつけられた。
長女はまだ、この世に生まれて5か月だった。
平成15年11月17日、意識を失った状態で赤ちゃんが搬送されてきた。安部憂那ちゃん。付き添ってきた母親によれば、少し目を離して戻ってみるとぐったりしていたのだという。
事情を聞かれた際、母親は、直前までは憂那ちゃんの父親がそばで見ていたとも話したため、病院から連絡を受けた警察は両親双方から話を聞いた。
すると、憂那ちゃんの実の父親が憂那ちゃんの頭を柱にぶつけたと話したため、父親を傷害容疑で逮捕した。その後、憂那ちゃんが死亡したことで傷害致死に切り替え、送検起訴された。
逮捕されたのは配管工・安部修二(仮名/当時24歳)。1年前に結婚し、古賀市内のアパートへ越してきた。憂那ちゃんの誕生時期を考えれば、出来ちゃった結婚だったのかもしれない。アパートでは夫婦が口論している様子が聞かれることもあったというが、その際、修二は「俺の話を聞いてくれ」などと言っていたという。
調べに対し、修二は事件の日の午前7時40分ごろ、憂那ちゃんを抱きかかえ、柱に頭を打ちつけたり床に叩き落とすなどの暴行を加えたという。
その時、妻は室内にいなかった。直前に、修二から車を移動するよう頼まれその場を離れていたのだ。修二はそのすきにというか、わざと妻を離れさせ、狙って憂那ちゃんに暴行を加えたとみられた。
「朝から泣き止まず、普段もなつかなかったのでイライラした」
修二はぐったりした憂那ちゃんをそのままにし、何食わぬ顔で出勤していた。
実は憂那ちゃんについて、福岡県中央児童相談所が虐待通告を受け両親に面会していたという記録があった。
その通報は北九州市の病院からで、平成15年の7月のことだったという。憂那ちゃんに皮下出血があったことからの通報だった。
この時、憂那ちゃんは生後ゼロヶ月。修二は病院と児童相談所に対して「うっかり落としてしまった」と話したという。
その後、8月9月と児童相談所が面会を行ったが、日常的な虐待行為がみられないと判断していた。
しかし検察は憂那ちゃんのケガの状態と、修二が「死ぬかもしれないと思った」と話していたことから殺人罪での起訴となった。
裁判で修二は殺意を否認したものの、福岡地裁は「殺意は明らか」と殺人罪を認めた。
修二は憂那ちゃんがなつかないことに苛立っていたのか。それもあっただろうが、それよりもなによりも、修二は憂那ちゃんが自分の大切なものを奪ったと感じていた。
それは、妻だった。
父親になり切れず、ひたすら自分だけをかまってほしいという思いが、守るべき我が子の命を奪った。
菅 明日香ちゃん(伊丹市・平成20年5月13日死亡/当時5歳)
2歳に暴行、頭の骨折る 兵庫・宝塚市の28歳主婦を傷害容疑で逮捕/宝塚署
◆「散歩で転ぶ」と容疑否認
二女(2)に暴行し、頭部骨折などの大けがを負わせたとして、兵庫県警宝塚署は九日、宝塚市の主婦(28)を傷害容疑で逮捕した。主婦は「公園で散歩中に転んだだけ」と容疑を否認している。調べでは、主婦は昨年十一月十五日から十二月十五日の間、自宅などで二女に暴行を加え、頭や右腕の骨折など全治約六か月のけがを負わせた疑い。
主婦は昨年十二月十五日、自分の母親(53)と一緒に二女を連れ、「こけて腕の骨が折れた」と同県伊丹市の病院に来た。その際、全身に殴打ややけどが原因とみられるあざなどが見つかり、連絡を受けた県西宮こどもセンターの職員が二女を保護し、同署に通報。主婦は、会社員の夫(26)と子ども四人の計六人家族。同センターによると、主婦は二女を出産直後から育児への不安を同センターに訴え、一昨年十一月まで約一年半、二女を児童福祉施設に入所させた。同センター職員が数回、家庭訪問したが、虐待は確認されなかったとしている。
主婦の夫は、事情聴取に「虐待は知らない」と話しているが、長男(6)と長女(4)にも同様のあざがあることから、同署は関連を慎重に調べている。2005.02.10 読売新聞大阪朝刊
言葉は悪いが、よく見かける虐待の事件記事だった。幸い、子供はケガで済んだようだ。病院へも来ているし、実母もそばにいる。
実際、母親はこの事件では起訴猶予となり釈放となった。
しかしその3年後。5歳になったこの女の子は、命を落とした。
平成20年5月12日夕方。伊丹市の県営住宅に住む女性から「子供の様子がおかしい」と119番通報があった。
救急隊員が駆け付けると、この部屋で暮らす5歳の幼稚園児がぐったりとしていた。母親に話を聞くと、転んだという。救急搬送されたものの、翌13日の朝、死亡した。
死亡したのは伊丹市の菅 明日香ちゃん(当時5歳)。死因は急性硬膜下血腫だった。明日香ちゃんの体にはそれ以外にもあざなどがあったことから、病院は警察に通報、後に母親は逮捕となった。
逮捕されたのは明日香ちゃんの母親、早希(仮名/当時31歳)。先にも述べたとおり、早希は3年前に明日香ちゃんに対する傷害容疑で逮捕された過去があった。起訴猶予となったものの、今回明日香ちゃんが死亡したことで過去の虐待疑いもやはり……となってしまった。
明日香ちゃんの最初の事件の後、早希が逮捕されたこともあって施設で保護されていた。1か月後、早希が起訴猶予となり釈放となっても、児童相談所は明日香ちゃんを施設に入所させる申し立てを行い、施設入所の決定がなされていた。
しかし早希はそれに激しく抵抗。児童相談所と面会を続ける一方で、親族らとともに県に対して抗議文を複数回送付したり、明日香ちゃんの返還を求めて早希の親族が記者クラブで会見を行ったり、さらには不当を訴え県庁前で早希と親族がビラ配りを行ったこともあった。
平成19年の夏、児童相談所は早希と夫に対し、ペアレントトレーニングを受けるよう提案。それより以前に、子どもセンターが明日香ちゃんの家庭復帰の方針を示していたこともあり、早希夫婦はトレーニングを受講。明日香ちゃんも外泊したりして10月には家庭復帰を前提に施設入所措置は停止となった。
しかし翌年の1月、明日香ちゃんが顔にケガをするなど近隣からの虐待通報が続いた。それでも施設入所措置は解除となり、児童保護司の面談を含めた母子での通所指導へと切り替わった。
2月、4月と虐待通報が続き、4月の終わりには顔に大きなガーゼを貼っているという情報もあった。5月に入ると2日連続で幼稚園を欠席したため、早希に確認が入ったが、早希からは「親子でハイキングに出かけていた」という返事があった。
事件当日、早希と明日香ちゃんは早希の親族同伴で施設での指導を受けたが、その夜、親族から明日香ちゃんが救急搬送された旨の連絡があったという。
早希は取り調べに対し、「どうしてこんなことになったのかわからない。身に覚えもない」として虐待を否定していた。
伊丹署は解剖結果を踏まえ、明日香ちゃんが「揺さぶられっ子症候群」で死亡したと判断。傷害致死容疑での起訴となった。
しかしその後の裁判でも早希は一貫して暴行を否定し、無罪を主張した。
検察は暴行の動機として、問題行動のある明日香ちゃんに苛立ちを感じていたとし、事件の日に明日香ちゃんを激しくゆざぶったと主張。弁護側は揺さぶった事実はあるが、明日香ちゃん自身に病的な問題があった可能性を排除できないとして無罪を主張した。
神戸地裁は揺さぶられっ子症候群を認定。一方で、暴行が日異常的とは言えず、ダダをこねられ発作的に揺さぶったとして求刑の懲役10年に対し、懲役5年を言い渡した。
明日香ちゃんは前夫との間の子供だったという。明日香ちゃんには兄と姉もいたが、その兄姉にも、過去に虐待をうかがわせるようなケガがあった。
そのため、明日香ちゃんの1度目の保護の前に、兄姉は一時保護されるという経緯もあった。そもそも明日香ちゃんも、早希が育児放棄状態に陥ったことから平成14年に保護されていた。それでも子供を家庭に戻す前提で動いた児童相談所。
兵庫県ではあの尼崎の虐待死事件を教訓とし、保護する側や行政の問題点も洗い出していたはずだったが、それでも「子供は家庭が一番」という妄想、幻想から抜け出すには至っていなかった。
高館 優人ちゃん(岩手県北上市・平成30年4月8日死亡/当時1歳9ヶ月)
平成30年4月9日午前2時過ぎ、「子供の具合が悪い」という119番通報が消防に入った。消防が駆けつけた岩手県北上市内の市営住宅の一室は、足の踏み場もないほどのゴミ部屋で、その中に乳児の姿があった。すでに心肺停止状態。1歳9ヶ月だというその乳児はガリガリではないものの、通常の1歳後半〜2歳前半の乳児よりは痩せている印象だった。
傍には、父親らしき若者の姿。消防は救急搬送したが、のちに死亡が確認された。
死亡したのは高館優人ちゃん。まだ1歳9ヶ月だった。
優人ちゃんについてはこれまでも児童相談所が「心配な子供」の1人として両親らに働きかけを行ったり、内部の会議で話し合いがもたれることもあったが、母親と連絡が一応取れていたこともあり、緊急性はさほど高くないと判断されていたという。
しかし、詳細が明らかになるにつれ、その行政と児童相談所の対応が後手後手になっていたことも判明した。
6月、警察は優人ちゃんに最低限の養育を怠ったとして、父親で会社員の高館慎(仮名/当時24歳)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。
慎は3月30日を最後に優人ちゃんを保育園へ登園させておらず、自宅で優人ちゃんに対して菓子パンやおにぎりを数個、水分も十分に摂らせないなど養育を怠り、4月6日以降はほとんど何も食べさせなかったことから優人ちゃんは衰弱し、低栄養と脱水による全身機能障害によって死亡させた。
ところで母親は何をしていたのか。実は慎と妻は離婚はしていなかったが、すでに別居状態となっており、事件が起きる2ヶ月前から妻は近畿地方へ転居していた。
さらに夫婦はそれ以前の平成29年9月(優人ちゃんが1歳2ヶ月頃)にはすでに不仲になっており、それ以降は優人ちゃんの養育はほぼ慎がやっていたという。
幸い慎には花巻市内に実家があり、日々仕事を終えると連日優人ちゃんを連れて実家で夕食をとり、風呂も済ませるなどしていたといい、優人ちゃんも保育園に通い生活は成り立っていたように見えた。
しかし慎は実家の父や妹に対し、すでに妻が家を出ていることを言えずにいたのだという。何も知らない実家の父らは、時に慎を責めるようなことを言ってしまったといい、それがきっかけとなって慎は実家へ優人ちゃんを連れて行くのをやめてしまった。
が、自分だけは時々仕事帰りに実家に立ち寄り、食事したり泊まることもあった。その間、優人ちゃんはひとりぼっちで過ごしていた。
優人ちゃんが通う保育園でも、高館家の不穏は気づかれていた。優人ちゃんの服や持ち物が汚損されていることが多く、保育園で衣服を洗濯して返しても、翌日また汚れた衣服を着せられていることがあったといい、保育園は市に報告した。
その後、保育園の料金を滞納していることを理由に、慎は3月30日以降、優人ちゃんを登園させなくなった。実はこの頃、慎の自宅の電気水道も料金未払いで停止となっており、高館家は経済的にも破綻していた。
それは慎の心を蝕んでいく。
慎は仕事と育児のストレスを友人らと過ごすひとときで発散させていた。が、家を空ける時間は日に日に長くなり、そんな時はコンビニで買った菓子パンを優人ちゃんに袋ごと与えていた。帰宅すると、そのうちの数本がなくなっていたことから、慎は優人ちゃんがお腹がすけば優人ちゃんが自分で勝手にパンを食べられると思い、「それで大丈夫」と思ってしまった。
しかし1歳9ヶ月の優人ちゃんが考えて食事ができていたわけはなく、また1人放って置かれる寂しさから食欲を失い、ひいては生きる気力も失ってしまうまでにそう時間はかからなかった。
4月9日、午前2時頃まで友人と焼き鳥店で飲食していた慎が帰宅すると、もう優人ちゃんは動かなくなっていた。
裁判において慎は起訴内容を認め、「息抜きがしたかった。友人や彼女と遊ぶ間、食事が足りていないのではないかとは思ったが、病気になったり死んだりするとは思わなかった」と述べた。
死亡する直前の2日間、一切の食事を与えなかったことについては「遊びで金を使い、残っていなかった」とし、公判でモニターに映し出された実際に与えていた食事内容については「(乳児なので)あまりたくさん与えなくてもいいと思った」と述べた。
また、実家に妻との別居を言えなかったことについては「見栄を張ってしまった」と述べた。
一方で対応が後手後手に回った行政の対応については、県議会などでも取り沙汰された。保育園から虐待疑いを知らされたのに、県は両親に電話連絡するのみで事件発覚までそのどちらとも直接会えていなかった。家庭訪問も、不在だったことで実現していなかった。
もしも家の中を見てその荒んだ状態を把握できていれば……とも思う。また、地域の民生委員に話が全く降りておらず、身近なところでの確認や接触などもできていなかった。民生委員は優人ちゃんを知っており、また慎が1人で子育てしていることや、それについて近隣から心配する声が実際にあったとし、もし情報が行政から共有されていればと悔やんだ。
盛岡地裁は慎に対し、「1歳9ヶ月の幼児に対する最低限の保護を怠った。義務を怠った程度は大きく、様態も悪い」「子育てに対する意識や責任感の低さは厳しい非難に値する」「実子である被害者をあまりにないがしろにしている」とした一方で、3月の終わりまでは十分とは言えなくても妻が家を出たあと何とか養育していたこと、1人で育てざるを得ない事態に陥った経過に一定の同情の余地もあること、実家の支援が今後得られること、前職の勤務先が再雇用する意思を見せていることなどを考慮し、懲役5年(求刑懲役6年)を言い渡した。
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千葉の事件は、子育ての悩みというよりもむしろ夫との関係が母親を蝕んだように思える。最近でも配偶者への不満から当てつけてやりたいという思いで子供に危害を加えるケースがあった。
向き合わなければならない相手、事柄から目を逸らし目を瞑り、その矛先を無抵抗の我が子に向けるというのは昔からいくらでもある。
いくらでもあると言えば未熟なまま、想像のかなり上を行くレベルの幼稚な精神のまま人の親になってしまうケース。実際の年齢が若ければその確率も上がるが、実際には実年齢は関係なく、30歳になっても40歳になっても子供のような考え方をする親もいる。
生後数ヶ月という赤ん坊にすら嫉妬する人間が親になってしまったら。いや、親になるまで、これほどまでに自身が幼いとは、本人も自覚がなかったのかもしれない。こういう人には子供どころか、犬も猫も飼ってほしくない。
伊丹のケースは嫌でも尼崎の勢田恭一くんの事件を思い出さずにいられない。そしてあの事件の後、子供の虐待について家庭に簡単に戻してはいけない、家庭がいちばんの地獄のこともあると身をもってわかったはずだったのに、家庭への復帰を前提とした指導に固執した結果は、悲惨だった。
ただこのケースは母親がその親族(おそらく実母)とともにかなり強い抗議活動を行なっていたこともあり、行政や児童相談所なども「厄介払い」したかったのかもしれない。最初の虐待が骨折ではあるものの虐待事件の中では目立たなかったというのも、判断を誤らせたのかもしれない。
最後の北上市の事件は、愛知県豊田市の矢野里菜ちゃん、厚木市の斎藤理玖くんの事件とよく似ている。身勝手な理由で出て行った母親は、一切の罪に問われない。一方で子供と残された父親は、「自分なりに一生懸命やっていた」。その食事が足りてなかろうと、部屋がゴミ溜めだろうと、子供は生きている。ならばそれで問題ない。その慣れ。
(ちなみにスティックパンのことを「片親パン」と揶揄されているのをSNSで知ったが、私からすれば片親パンというより虐待、ネグレクト事件でよく登場するものという印象である。もちろん、ふさわしくない表現であるし他人に言うようなことでもましてや笑いをとるような表現ではない。)
行政の対応もあまりに手ぬるかった。100人以上いたという「心配な子供」の中の1人だったというが、ガスも水道も止められた状況、そもそも高館家が暮らした市営住宅はかなり年季が入っており経済的に余裕のない人向けなのは一目瞭然、そこでの乳幼児を抱えた若い男親の生活など、どう考えても無理がある。
男女逆のケースが圧倒的に多いため、SNSなどではシングルマザーの虐待事件、無理心中事件などがあるたびに父親の責任を問う声が上がる。それは当然であり、父親もその責任の一端を担うべきであると私も思う。
しかしシングルファーザーの場合、母親を責める声が多く上がるかというとそうでもない印象。あがってもそれを打ち消す勢いの擁護もある。どちらも同じように無責任であることは違いない。
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参考文献
朝日新聞社 平成15年6月29日東京朝刊、平成16年12月16日東京地方版/千葉
産経新聞社 平成15年6月30日東京朝刊
河北新報社 平成15年6月30日
読売新聞社 平成15年10月18日東京朝刊、平成30年6月6日、12月11日、14日東京朝刊
中日新聞社 平成17年1月28日夕刊
岩手日報社 平成31年3月25日朝刊
(他、のちに追記予定)

