🔓The Killing Fields~秦野市・カンボジア難民一家殺害事件~

病院にて

「あ!ソウカンさん、旦那さんが来てくれたよ」

秦野市くず葉台病院305号室。
3人部屋の病室で談笑していた入院患者が、一人の女性にそう声をかけた。
部屋の入り口には、女性の夫の姿があった。
女性は26歳のカンボジア人で、夫と3人の子供とともにこの病院の近くの住宅で暮らしていた。
持病が悪化したことから外科手術を行うために、女性は数日前からこの病院に入院していたのだ。

同室の患者らは、気をきかせて病室を出た。
直後、病室から身の毛もよだつような凄まじい叫び声が上がった。
職員らが駆け付けると、病室のドアにカギがかかっていて開かない。しばらくすると、先ほどの夫がゆらりと病室から出てきた。
周囲の人々はその姿に息をのみ、微動だに出来なかった。夫の手には、血塗れの包丁が握られていたのだ。

夫が出ていったのを確認して、急いで病室へ入ると、そこには血だらけで息絶えた女性の姿があった。

【有料部分 目次】
事件
インドシナ難民
日本社会
5月30日事件
ほころび
その日
衝撃の判決
ムアンの過去
根本
心の扉
結局、利用する

怨焔~大胡町・不倫仲裁逆恨み隣人焼殺事件

平成8年5月2日

群馬県勢多郡大胡町。
とある民家のガレージから火の手が上がった。
隣人らの通報で消防と警察が駆け付けたが、ガレージでその家に暮らす女性と思われる焼死体が発見された。

その数時間後、赤城山の大沼近くの旅館から、沼に車が突っ込んだ、という通報も入った。
しかも、「人を殺したと言っている」とのこと。
赤城大沼に突っ込んだ車は白の乗用車で、大胡町の現場から急発進して逃走した車も、白の乗用車だった。

捜査の結果、一命をとりとめた白い乗用車の運転手の男が、元交際相手だった大胡町の女性にガソリンをかけて焼き殺したと判明。
男の回復を待って、5年後の平成13年月に逮捕となった。

この事件、地元の人らの間では忌まわしいある過去の事件を思い起こさずにはいられなかった。

昭和の終わり、この事件と同じような事件がこの大胡町で起きていたのだ。

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🔓女たち~3つの殺された女の話~

まえがき

女はいくつもの顔を持つ。貞淑な妻として、強くひとり生きる女として、子を思う母として。

しかしそれら表の顔とは違う顔を見せるとき、運命の歯車は軋み始める。

メールもLINEも携帯電話すらない昭和の時代、物が溢れ多くの人は意識せずとも中流と呼ばれたあの頃、必死で生き抜こうとする女、誰にも言えない暗い過去を背負った女、なんの不満もないはずの恵まれた生活にため息をつく女がいた。

昭和に生きた、3人の女の話をしたいと思う。

【有料部分 目次】
翻弄された女
上野の事件
それぞれのそれまで
女の意地
「あの女には負けたくない」
くれない族の結末
調布の主婦
違い過ぎる二人
男の過去
鬼か、それとも
身元不明の遺体
ゆきずりの女
女の罪
もがき疲れて

妄想男の理不尽な憤怒~富里市・一家3人惨殺放火事件~

白昼

「やった!やってやった!!バカたち、なにをやってるんだ」

とある新興住宅地の一角にある美容室から火の手が上がったのは夏休みの土曜日。
多くの家庭では昼で仕事も終わり、昼食を家族でとる、そんなありふれた日常が突然ぶち壊された。

家々が密集する場所とあって、火災に気づいた近隣住民らは必死の消火活動を続けていた。
そんな中、火が出た家の裏手の家の2階から、その家の住民が奇声を発しているのを皆が見ていた。

その数分後、今度はその家から火が出た。

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同・窓・会~千葉大原町・不倫殺人事件~

昭和62年6月

千葉県の海辺の小さな町で、中学校時代の同窓会がひらかれた。
25年経って再会したかつての級友らは皆、いい意味でも悪い意味でも年を取り、参加した元級友が昔ばなしに花を咲かせた。

「姿かたちは変わっても、あっという間にタイムスリップできちゃうんですね」

後に、この同窓会に参加したある出席者は週刊誌の取材にこう答えていた。
この同窓会から8か月後、女と男は殺人犯になった。

事件の夜

昭和63年2月18日夜、大原町(現・いすみ市)の会社の事務所の一部が焼け、焼け跡から男性の焼死体が発見された。
焼死体の身元は、同社専務の菅野泰夫さん(仮名/当時39歳)と判明、直前まで一緒似た妻の話から、深酒して寝入っていた泰夫さんがストーブの火を消し忘れたことで火災になった、とみていた。

泰夫さんはその日午後5時前には会社から自宅へと戻っていたが、妻にパソコンの操作方法を教えるためにふたりで事務所へ戻っていたという。
午後10時を回ったころ、明日学校で子供が使う乾電池を買わなければならなかったことを妻が思い出し、自宅へ戻って子供と近くのコンビニへ行っていたその間に、火が回ったと考えられた。

自宅で火災の一報を聞いた妻は、子供たちを連れて現場へ戻ると、火に包まれた事務所を見て半狂乱となった。
「中にヤッちゃんがいる!」
そう言って妻はそのまま気を失ってしまった。

火災から3日後に大原寺で営まれた泰夫さんの葬儀では、およそ700人の参列者が突然の死を悲しんだ。
泰夫さんの高2の長男が、「父の死を乗り越えて頑張ります」とあいさつをした際にはすすり泣きが漏れた。夫を亡くした妻も涙をこらえきれず、周囲の人の支えなしでは立っていることもままならないほどの憔悴であった。

泰夫さんは子煩悩で、人との付き合いもそつなくこなすとその人柄は定評があった。
立派な会社の専務という肩書、高2と小4の子供、美しい妻に囲まれ、働き盛りの39歳で突然の悲劇に見舞われてしまったあまりに悲しい事故だったが、その告別式のさなか、大原署には戦後初となる「捜査本部」が設置されていた。

司法解剖の結果、泰夫さんには致命傷ではないものの、殴られたような傷があったのだ。

夫婦の裏の顔

泰夫さんは長野県生まれ。高校卒業後、千葉県にあるデパートに就職し、そこで後に妻となる女性と知り合い、昭和44年に結婚した。
妻の実家の家業を継ぐことも視野に入れた、婿養子だった。

妻の家は昭和31年に設備保守点検などを請け負う会社を設立、その後順調に成長し、昭和51年には事件当時の社名に変更、この頃には泰夫さんも将来の後継者として仕事に携わっていたとみられる。

妻はずっと地元で育ち、また実家が会社経営をしていたことからもおそらく、経済的には恵まれた環境で育ったのだろう。
そのせいもあるのか、地元での妻の評判は芳しいとは言えないものがあった。
さほど大きな街でもない地元においては噂話はかっこうの娯楽である。その中でも、男女関係のうわさ話は面白おかしく尾ひれをつけて町中を駆け巡った。

この妻も、男女関係では話題に事欠かなかったと言い、泰夫さんと結婚後も様々な男女関係の噂が囁かれていたという。

夫である泰夫さんも、人当たりが良く子煩悩、という良い評価がある一方で、夜の街では有名だった。
とにかく酒好きだった泰夫さんは、飲み歩くことのほかにゴルフにも目がなかった。
会社の専務ということ、将来の後継者ということで接待や付き合いの場も多かっただろうが、それでも社長である義理の父親に叱られるほどだったというから、相当なものだったことは間違いなかろう。

事実、事件の2年ほど前にはあまりにも会社の金を使い過ぎるということから、妻と義理の父親に勝手に会社の金を使うことを禁じられていた。

そんな中で、泰夫さんにはある悩みがあった。

それは、妻の男性関係のことだった。

同窓会の夜

妻は40歳になった年、地元では恒例の同窓会に出席していた。
男性にとっては本厄の年でもあり、全国各地ではこの40歳の節目に同窓会を催すところは少なくない。

泰夫さんは、6月に開かれたその同窓会に出た直後から、妻の様子が変わったことに気付いていた。
妻には実は前科があった。4年ほど前、妻が事故に巻き込まれたと泰夫さんに連絡があったが、その際、妻の車には男性の姿があった。
その交際相手が暴力団関係者だったこともあり、事故後妻と泰夫さんは恐喝まがいのことをされたという。
詳しい話は分かっていないが、おそらく、事故の後遺症だとかそういったことを持ち出し、加えて不倫だったことを口実にされたのではないか。
その件は、泰夫さんが多額の金を支払って終わらせたという話があった。

その頃、妻は出かける際に嘘の口実を作っていたわけだが、同窓会の直後から再びその時と同じ口実で妻が出かけるようになったという。
ピンときた泰夫さんは、事件当日の昼間、妻を尾行する。
車で出かけた妻は、とある場所で車を降りると、そこへやってきた別の車に乗り込んだ。
運転手は、男性だった。しかも、その男性を泰夫さんは知っていた。

ふたりが乗った車を尾行すると、車はモーテルへと滑り込んだ。泰夫さんは3~4時間待ったという。
そして、ふたりが再び車で出てきたところに立ちはだかったのだ。

妻と一緒にいたのは、妻のかつての同級生の男だった。泰夫さんは以前、自宅で開いたBBQパーティーの際、この男がいたことを思い出していた。
怒り心頭の泰夫さんは、ふたりを問い詰めるため、そして今後に向けての話し合いをするため、会社へ来るよう言い渡し、午後7時ころから会社の休憩室で3人は話し合ったという。

そこで何が起きたのか。

売り言葉に買い言葉で、不倫相手の男が泰夫さんを殴って死なせた、のか?
そして証拠隠滅のためにとっさに火をつけたのか?

実際には、泰夫さんの運命はこの日よりずっと前に決まっていた。

妻と不倫男

大原署は昭和63年3月9日、泰夫さんを殺害し、建物に放火したとして妻の亜沙子(仮名/当時40歳)と、その不倫相手で塗装会社社長の笠原良寛(仮名/当時40歳)を逮捕した。

笠原は同じ町内に住んでいて、妻も子もある立場であり、亜沙子との関係はW不倫だった。

調べでは、ふたりの交際は同窓会をきっかけに始まったが、深い関係となったのはそれから半年後の昨年末のことだったという。
そしてその頃には、ふたりの間で泰夫さんを亡き者にする計画が練られていたのだ。

亜沙子と泰夫さんの夫婦仲は、それぞれが好き勝手に生活していたこともあって冷え切っていた。
もちろん、亜沙子の過去の不倫問題もその大きな要因の一つだった。
冷え切った家庭を忘れるためか、亜沙子は頻繁に笠原に連絡を取ったという。
そして会話の中で、こんな話をした。
「夫が酒によって暴力を振るう」
実際に泰夫さんがDVをしていたという話は出ていないが、すでに冷え切った関係上、また、亜沙子の男性関係を問いただすうちに、手が出たことはあったかもしれない。

それを笠原はどうやら真に受けた。

笠原は知り合いの暴力団員を頼り、金を握らせて泰夫さんに危害を加えることを依頼。
亜沙子からは泰夫さんに8000万円の生命保険金がかかっていることも聞かされていた。
ふたりは寝物語で、「保険金が入ったらリゾートホテルを買おう」などと話していたという。
暴力団員には、笠原が150万円、亜沙子が無断で持ち出した会社の金150万円の合計300万円が支払われていた。

ところが当の暴力団員は、ふたりの話を全く本気にしておらず、金だけ受け取って泰夫さん殺害に動くつもりはなかった。
事故死に見せかけて殺害してほしいと持ち掛けていた笠原と亜沙子は、たびたび暴力団員に泰夫さん殺害の催促までしていたという。
ここで「金をだまし取られた」と警察の駆け込んでくれればあの憐れな消防署の女の話になってしまうが、ふたりはさすがにそこまではせず、とにかく早く殺してくれ、成功報酬も払う、と言って暴力団員をせかすのみだった。

そんな中で、逢瀬を楽しんだ二人に冷や水を浴びせかけた泰夫さんの登場。

もう、ふたりは待てなかった。

13年と、7年

平成3年4月23日、千葉地裁で二人に対する判決公判が開かれた。

起訴状によれば、ふたりは交際が泰夫さんの知るところとなったうえに、高額の慰謝料を請求されたことから、会社の休憩室で酒に酔って寝入った泰夫さんをゴルフクラブで殴ったうえ、室内に灯油をまいて火をつけ、焼死させた、とされた。

笠原は事実を認めていたが、亜沙子は一貫して否認していた。
亜沙子の言い分はあくまで、「150万円は笠原に対し貸したもの」であり、泰夫さんを痛めつけてほしいとは思ったけれど殺害までは頼んでいない、として、さらには実行の際現場にいなかったことを挙げて泰夫さん殺害は笠原の単独犯であることを主張した。

たしかに、泰夫さんを殴り、事務所に火を放ったのは笠原で、それは本人も認めていた。
しかしその前段階として、泰夫さんを殴った際に亜沙子もそこにいたようなのだ。
ただこれは致命傷ではないため、これだけならば亜沙子が言うように「痛めつけるつもり」ということだった、ともいえる。

しかし、泰夫さんが深酒で寝入った後、亜沙子は灯油を事務所内に運び入れ、さらには火のついたタバコを事務所の畳の上に転がしているのだ。

酒に酔って寝ている人間のそばに、火のついたタバコを転がす。これだけでも十分殺意を見て取れる気がするが、この時は失敗に終わっている。
畳に火はつかず、亜沙子はこの時点で一旦家へと戻っていたのだ。
亜沙子がいなくなったあと、笠原は一人事務所へと戻った。そしてそこで泰夫さんの頭部をゴルフクラブで殴りつけたうえ、周囲に灯油をまいて火を放ったのだ。

泰夫さんを殴ったゴルフクラブは、笠原の供述通りの場所から二つに折れた状態で見つかった。

以上のことから亜沙子の弁護人は、亜沙子と笠原の間に共謀性はないと主張、殺人については笠原が暴走した結果であるとし、おそらく無罪の主張だったと思われる。

千葉地裁の上原吉勝裁判長は、笠原に対し懲役13年(求刑懲役15年)、亜沙子には求刑13年だったところをその半分以下の懲役7年とする判決を言い渡した。

新潮45でこの事件をまとめた駒村吉重氏によれば、求刑の半分以下の判決ということは、ある程度亜沙子の主張は認められたとみていい、と述べている。
一方で弁護人は、「共謀性がなかったことが認められなかったのは遺憾である」として控訴していることを見れば、殺害の実行犯でもなく、さらにはその場にもいなかった亜沙子が直接手を下した笠原と同罪とは言えないまでも、夫殺害を計画し、共謀したという点での懲役7年であり、まぁ、そんなもんなのかなとも思う。

このように、不倫のはてに邪魔になった人間を殺害する男女はいつの時代にもいて、このサイトでも東京の教師の事件や本当の狙いが違うとはいえ、長崎佐賀連続保険金殺人、そしてあの茨城のレンタルビデオ屋の事件などは性質として似ている。
ただあちらは、被害者となった夫が全く事実を知らず、かつ、ひよこみたいな童貞の若い不倫相手に夫の暴力を訴えて殺害を決意させたと思われてもおかしくない被害者の妻は、逮捕すらされなかった。

おそらく泰夫さんにかけられていた保険金を手にすることは出来なかったろう亜沙子は、出所してどこへ戻ったのだろうか。
「何でも思い通りになると思っている」
亜沙子を知る町の人は、亜沙子をそう評した。
亜沙子の父親が経営する会社は、名前が知られてしまったからか、事件直後の昭和63年には社名を変更。その後も同じ業界でこちらは順調に現在も経営を行っているが、そこには泰夫さんの姿は当然、ない。
ただ、その後も同じ苗字の人間が代表職に就いていることから、一家は事件後も離散することなく、家業を守り抜いていることがわかる。

実行していないとはいえ、自身の不倫相手に夫を殺害させた娘を、父親は受け入れられたのだろうか。父親を殺された子供たちは、母親を受け入れることができただろうか。

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参考文献

毎日新聞社 昭和63年2月21日東京朝刊、3月9日東京夕刊
朝日新聞社 昭和63年3月30日東京朝刊、平成3年4月24日東京地方版/千葉

密会を目撃され「同窓会不倫」相手に旦那を焼き殺させた美人妻/ 駒村吉重 著/ 新潮45 平成20年8月号