背後に地獄を従えて~納涼・怖い事件事故特集~

“And I heard as it were the noise of thunder
One of the four beasts saying come and see
And I saw
And behold a white horse”

人を殺した人の枕元に、被害者が立つという話は昔から聞かれる話だ。
もちろん、自責の念や良心の呵責にさいなまれた挙句の幻だったり、本気の妄想の可能性もある。

また、殺人現場や遺体遺棄の現場となった場所に心霊現象が起こる、幽霊が出るという話もよくある。
有名どころでいえば、秋田の連続児童殺傷事件現場において、誰もいるはずのない屋内の窓のところに人影が写った写真があるとか、秩父にある貯水槽付近で奇怪な現象が起きていたところ、実はその貯水槽から殺害され遺棄された妊婦が発見されたという話。
いずれも真偽のほどは私にはわからないが、実際にあったとする事件を絡めた怪談というものは掃いて捨てるほどある。ただその多くは、裏取りしてもそもそも該当する事件がない、という結末である。 続きを読む 背後に地獄を従えて~納涼・怖い事件事故特集~

ボクは知らない〜巣鴨・子供置き去り事件〜

令和3年8月、滋賀県内で6歳の女児がジャングルジムから落ちて死亡するという痛ましい事故が起きた。
しかしその後、女児の体に100箇所に及ぶ殴打痕があったこと、事故直前の未明にその女児が少年に連れられてコンビニにいたことで通報されていた事実が判明。
調べた結果、女児は事故死ではなく、その少年に暴行されたことで死亡したと判明した。

その少年は、女児の17歳になる兄だった。

この事件が報じられると、その生育歴や母親の状況などから、今から30年ほど前に起きたとある事件と重なる、そんな声も聞かれた。

その事件は、昭和63年に発覚した。 続きを読む ボクは知らない〜巣鴨・子供置き去り事件〜

🔓幻愛〜〜広島・小6教え子殺害事件〜

平成3年7月。
広島県豊田郡安浦町では、町内の小学校の教諭らが平成2年の春に卒業した元6年生の家々を回っていた。
その手には、卒業アルバム。しかし、教諭らの誰もが、厳しい表情を崩すことができなかった。

「現実を隠すわけにはいきませんから」

同じく厳しい表情の保護者らを前に、教諭らはそう言って卒業アルバムを手渡した。
修学旅行、音楽発表会、運動会、そして卒業式。楽しい思い出が詰まったはずの卒業アルバム。しかし、多くの元6年生とその家族は、アルバムを直視できずにいた。そのアルバムには、もう二度と会うことの出来なくなった友達と、その友達を殺した「先生」の写真があったからだ。

母の涙が問うもの~宇和島・6歳双子金網監禁事件~

法廷にて

「私、前に自分一人で解決しないといけないと思い込んでしまって、失敗したことがあるんです。だから今度は、ちゃんと相談しようと思っていました。」

松山地方裁判所宇和島支部第一号法廷。
証言台に座る女の無造作に束ねた髪には、その年齢にそぐわない白髪がのぞいていた。
被告人席には、夫の姿。両脇を屈強な刑務官が固める。その傍らに、女性職員の姿。
この事件の被告は、夫婦だった。

女は時折涙をぬぐい、自己の罪をかみしめるように、言葉を紡いだ。
「最後に何か言いたいことはありますか。」
促された夫は、
「そうですね、こんな事件起こしてしまって、Aくん、Bくんはじめ上の子3人、会社や周囲に大変な迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした。」
と少し早口に証言を終えた。
続いて、妻の番。しかし、妻は顔を上げ前を向いてこう言った。

「特に、ないです。」 続きを読む 母の涙が問うもの~宇和島・6歳双子金網監禁事件~

解体する人々~いくつかのバラバラ殺人~

まえがき

人を殺すこと自体、すでに普通ではない。
しかしそこからさらに、その被害者を解体する人々がいる。
理由は様々だろう、単に遺棄するために運びやすくするため、発見を遅らせたいため、というより、事件の発覚を防ぐため。

ほかにもある、あまりにも憎しみが深くただ命を奪うだけでは腹の虫がおさまらない逆に愛するがゆえにその肉体の一部を所有したいそして、解体したい欲求に抗えない場合。

昭和の時代から平成にかけて起きた様々なバラバラ殺人事件の背景。

バラバラ殺人の分類

Wikipediaのバラバラ殺人のページをみると、そのパターンは大きく分けて「廃棄・隠蔽型」「公開・挑戦型」「制裁・見せしめ型」の3つに分けられるとされる。
そしてそれらはさらに細かく分類され、海外では快楽殺人とみなされることが多いというが、ここでは日本国内のバラバラ殺人について考えてみたい。

バラバラ殺人の多くを占めるのはやはり廃棄・隠蔽型だろう。
そのまま遺棄してしまうより、解体すればするほど本人特定は困難になろうし、それは犯罪の発覚も当然遅らせることになる。
多くはないが、わずかな骨片や歯から犯罪が立証されることもあるし、被害者が発見されていない状態でも状況証拠によって犯罪が立証され加害者が罰せられるケースもある。
このケースとしては、姫路2女性殺害事件八王子ホスト殺害熊谷愛犬家殺人事件などが該当し、いずれもその身勝手で凄惨かつ、人間を人間とも思わない所業が注目された。

公開・挑戦型で思い浮かぶのは宮崎勤の事件と、神戸の連続児童殺傷事件である。犯行声明や遺骨を遺族に送り付ける、体の一部を校門に晒す、こんな恐ろしいことをやってのける人間がいた。

一方、制裁・見せしめ型というのは日本ではさほど聞かれない。性質上、暴力団などの反社会勢力が行うことがほとんどと思われるが、それでもせいぜい遺体が海に浮かぶくらいのもので遺体を見せしめの目的で損壊したうえ晒すという行為はなかなか聞かれない。
近いものでいえば、横浜港バラバラ殺人(通称チェーンソーバラバラ※細かいようだが実際には電ノコ)が思い浮かぶが、朝日に照らされた住宅街に生首が整然と並べてあるのがもはや日常の光景といっても過言ではないメキシコマフィアのようなケースは日本においてはほとんどない。

バラバラ殺人は時に異常性の象徴のようにも扱われる。
井の頭公園のごみ箱から発見された遺体は、臓器や骨を無視してほぼ同じサイズに解体され、指紋などが削り取られていたことから組織的な犯罪や宗教がらみの犯罪ではないかとも推測されたが、結果として未解決になった(時効成立)。
藤沢の悪魔祓い事件江東区のマンション神隠し殺人佐世保女子高生殺害事件なども分析した有識者の間からは全員一致ではないものの加害者の異常性に言及するものもあった。
日本人男性によるパリの人肉事件も、目的はバラバラにすることよりも食すことにあったが一応、人格的な問題(精神異常ではない)が根底にあったと思われる。

愛情のもつれも人を解体へと導く。古くは昭和7年の首なし娘事件(陰獣事件)。バラバラとは違うが、愛する男の局部を切り取り懐に収めた阿部定。その情念は彼女の足元にも及ばないが、平成に入っても妻の不倫相手の局部を切り取りトイレに流した男もいた。
大宮の看護師バラバラ殺人も、疑惑はいろいろとあるものの逮捕された看護師は被害者との間で抜き差しならない三角関係にあったのは事実であり、被害者を解体したのは犯罪行為の発覚を免れたいという思いだけだったかどうかはわからない。
一方福岡の美容師バラバラ殺人については、被害女性と加害女性との間に一人の男性をめぐる恋愛の邪推があったことで、加害女性の憎悪の感情によるものとみられたが、結果として解体に及んだのは非力な加害女性が運搬を容易にするためだけに行ったこと、だった。

バラバラ事件の多くは猟奇的な印象をもって語られ、人々の記憶にも残る。
その中でも、北九州で起きた連続監禁殺人はその手口や、被害者と加害者に血縁があったこと、親子間での殺害、解体など想像を絶するような内情であり、今後も忘れられない凶悪事件として名を残すだろう。
ほかにも、練馬区の不動産売買トラブルによる一家5人殺害事件島根の女子学生バラバラ殺害、そして座間の9人殺害など、時代やその動機に関係なくバラバラ殺人は起きている。いずれも、人を人とも思わないその加害者らの人間性には言葉がない。

今回は、同じバラバラ殺人であるもののそこまで有名ではないいくつかの事件を取り上げたい。

遺体とともに

バラバラ殺人の動機としては真っ先に思いつくのが、遺棄するための運搬を容易にするため、であるが、中にはせっかく(?)解体した遺体の一部をなぜか手元に置いてそのまま生活してしまう人がいる。
遺体を捨てられずに自宅や敷地内に隠蔽してしまうケースは多いし、特に新生児など、遺体さえ見つからなければどこからも捜索願は出ないわけで、犯罪発覚を防ぐためにというケースは多い。もちろん、新生児の場合は母親の親心によるものもあるだろう。

しかしバラバラにしたからには隠蔽するにしてもどこかに運んで遺棄することが念頭にあってのことだろうし、普通の感覚でいえば一刻も早く手元から離したいと考えるのではないだろうか。なぜそのまま自分の手元に置いてしまうのか。

花繚れるプランターの秘密

平成元年8月15日。千葉県市川市の主婦が、葛南署に出頭してきた。
主婦の話では、「7年前に内縁の夫が人を殺した。私もそれを手伝った」というもので、供述に基づいて主婦の自宅を捜索したところ、裏庭のプランターから成人の遺体が出た。
遺体は5つに切断されており、それぞれビニール袋に入れられて埋められていた。
葛南署は、主婦の内縁の夫で無職の増岡諭(仮名/当時30歳)と出頭してきた内縁の妻で主婦・良枝(仮名/当時26歳)を殺人の容疑で逮捕した。

事件は7年前の昭和57年に遡る。
増岡は当時から交際していた良枝とともに、印旛郡富里町日吉台のアパートで生活していた。
そのころ、増岡は知人男性と共同でルーレットの遊技場を経営していたが、この知人男性に対して50万から100万円ほどの借金もあったという。
ある時、借金の返済を厳しく求められた増岡は、知人男性を自宅に呼び、借金についての話し合いをしていたところ口論となり、殴りかかってきた知人男性を組み伏せ、そのまま文化包丁でめった刺しにして殺害。その後、良枝と二人でノコギリを用いて遺体を5つに切断した。

それから増岡と良枝は婚姻届けを出し、正式な夫婦となった。実はそのころ、良枝のおなかには子供がいたのだ。増岡は逮捕後の取り調べで、「良枝のおなかの子のことを考えると、捕まるわけにはいかなかった」と供述しており、終始良枝をかばう様子だったという。
逮捕当時、その時のおなかの子は6歳になっていた。

当時未成年だった妻を巻き込んでおいてかばうも何もないわけだが、一蓮托生、ふたりはその解体した遺体を手元に置くことで事件発覚を防ごうとした。
大型のプランターを購入すると、遺体をその中に隠して土を入れ、そこに花を植えた。引っ越す時も、当然遺体の入った袋は引っ越しの荷物に忍ばせた。そして新居でまた、プランターに埋めて花を植えたのだ。
増岡家の庭には、いつも花々が咲いていた。

事件発覚のきっかけは、強い絆で結ばれたはずのふたりの仲が冷えたことだった。
昭和63年、ふたりは離婚していた。しかし、その後も同居は続けていたという。ただ増岡は良枝とよりを戻したかったとみえ、つい、こんな脅しをかけてしまった。

「復縁しなければ事件のことをばらす。」

このままでは逃げられないと悟った良枝は、すべてを告白する道を選んだ。

裁判では増岡の本性が晒された。
逮捕直後は良枝を庇っていた増岡だったが、公判では一転、刺したのは自分ではないと言い出した。
当初は合同で始まった裁判だったが、早い段階で増岡は刺したのは妻の良枝であると主張したため、分離公判となった。
良枝は殺害現場にいたことは認めていたが、被害男性を蹴ったりしただけで殺人ほう助の罪での起訴となっていた。
ところが良枝も「殺害するつもりだったとは知らなかった」として、殺人ほう助の事実を否認。

平成2年4月25日、千葉地裁は増岡に対して懲役10年の実刑判決を言い渡した。この一か月前には、妻の良枝に対して懲役2年6月の判決も言い渡されていた。

犯行の発覚を防ぐために隠し続けた5つのごみ袋。それを隠した場所には、花が咲き乱れていた。
死体損壊と遺棄の時効は6年で成立していたが、殺人の罪を免れるためには、ふたりの絆は弱すぎた。

21年後の伊勢湾事件

平成3年3月。名古屋市北区のマンションから「異臭のする衣装ケースがあり、中に死体のようなものが入っている」と通報があった。
愛知県警捜査一課と北署が捜査したところ、その衣装ケースからはたしかに、女性の上半身が見つかった。
遺体は下半身がなく、上半身は一部白骨化し、残りはミイラ化していたという。
県警捜査一課が通報者の夫であり、この部屋の借主である男性に話を聞いたところ、男性は衝撃の告白をする。

「20年前、交際していた女性を殺して両足を切断、下半身(足)は捨てた。」

同課が過去の事件を調べなおしたところ、昭和45年に伊勢湾内の二か所で女性の片足がそれぞれ発見された事件が未解決のままとなっていることに注目、鑑定の結果、発見された上半身と、伊勢湾事件で発見された足が同一人物のものと判明した。

住人の男性からも、遺体は三重県南牟婁郡出身の横倉カツ子さん(当時24歳)だという自供が取れていた。

しかし、この事件そのもの(殺人、死体損壊、死体遺棄)が、すでに昭和60年に時効成立となっていた。

男性は、昭和45年当時にはバーテンダーの仕事をしていたという。そして、当時交際中だったホステスのカツ子さんと、名古屋市千種区のマンションで同棲していた。
ある時、カツ子さんの帰宅が遅いことから口論となり、カッとなって両手で首を絞め殺害。その後ノコギリで両足を切断すると、布にくるんで木曽川の橋の上から捨てたのだという。
足はそれぞれ、左足が昭和45年4月23日に愛知県知多郡美浜町の若松海岸防潮堤上で、右足が同年5月4日に三重県桑名郡長島町松陰の揖斐川左岸波打ち際で発見されていた。

鑑定の結果、それぞれの断面が一致することや、45年当時に足の状態から20歳以降の女性で、パンプスを履いて立ち仕事に従事している可能性のある人、といったことが分かっていたことも、ホステスだったカツ子さんのものであることをうかがわせた。
その後、男性と同居していた女性が横倉カツ子さんであるという確証も取れたことなどから、男性が殺害して隠し持っていた上半身と、伊勢湾事件で発見された両足の主は、横倉カツ子さんであると断定された。

発覚の経緯は、男性の妻(当時25歳)の通報だった。
男性はブリキの衣装ケースにカツ子さんの上半身を隠していたが、妻には「この箱は刑務所にいる友人からの預かり物で大切なものだから、絶対に触ってはいけない」ときつく言い渡されていたという。
しかし、妻はその箱から何とも言えない異臭がすることが気になっていた。
そして、ある時その箱を開けてみたところ、遺体が入っていたというわけだ。

男性は遺体を捨てずに21年間も隠し持っていた理由を、「捨てる機会を逸していた」と話したというが、一方で、「土に還してやればよかった」などと、カツ子さんに対する情を見せる供述もしていた。
捨てるにしても、愛した女性をむやみに川や山へ、というのは忍びなかったのかもしれない。それが、機会を逸した、という言葉になったのかもしれない。

県警はすでに時効が成立していることから、男性から任意で話を聞き、一応、書類送検という形をとった。

男性と妻がその後どうなったのかはわからない。

家族とともに

子供に解体させた男

平成3年3月26日、熊本市。
坪井6丁目のアパートから、「部屋の中のごみ袋から異臭がする」という届が熊本北署にあった。
ごみ袋から異臭と言われても、そもそもごみ袋であり中に生ごみが入っていれば異臭もするだろうよと思いながらも、署員がごみ袋を確認したところ、中から出たのは男性のバラバラに切断された遺体だった。

届け出たのはこの部屋の住人である女性。女性は自身の子供4人と、離婚した元夫、そして元夫の知人男性とで生活していたという。
遺体が入っていたゴミ袋は2DKのアパートの四畳半の間に5つの黒いごみ袋に入れられていた。このごみ袋は、女性によれば1週間ほど前からあったという。
遺体の身元は、どうやら同居していた内縁の夫の知人男性、長谷川正己さん(当時62歳)であると思われた。内縁の夫は、女性が届を出した以降、行方が分からなくなっていた。

警察ではアパート内に血痕があったことから、何らかの事情で死亡した長谷川さんを、この部屋で解体、そのまま放置していたとみて行方の分からない内縁の夫を指名手配した。
指名手配されたのは、無職の川端義雄(仮名/当時47歳)。27日、熊本県警捜査一課と熊本北署は、死体損壊容疑で川端の内縁の妻で届け出た女も逮捕した。

女もその後警察の調べに対し、長谷川さんが死亡した経緯をぽつりぽつりと話し始めた。

長谷川さんは平成2年の暮れに、川端がアパートに連れてきて同居し始めたという。川端は元暴力団員で、長谷川さんのことは子分のような扱いをしていた。
同居を始めた直後から、長谷川さんは殴る蹴るの暴行を受けていたといい、川端は「親分、子分のつながりをわからせる」と言っていたという。
組長気取りの川端に対し、長谷川さんは反発することもあったという。言いなりにならないことで苛立った川端は、18日頃木刀を持ち出して長谷川さんに苛烈な暴行を働いた。この時の暴行が元で、長谷川さんは死亡した。

その後、長谷川さんを捨てる目的で解体したものの、おそらく疲れ果ててしまったのだろう、ゴミ袋に入れたはいいが、その先の行動に移せずにいた。川端自身、免許を持っていなかったことも関係しているだろう。
自宅の四畳半の間にとりあえずまとめてみたものの、いくら3月でまだ肌寒い日もあるとはいえ、そのゴミ袋から発せられる臭いは、日に日に耐え難いものへと変わっていく。
根をあげたのは妻だった。もう我慢できないと、警察への出頭を仄めかしたところ、川端は逃げた。

指名手配となった川端だが、実は警察は頭を抱えていた。
この川端、実は3年前にも熊本市内で傷害事件を起こした際、なんと5ヶ月に渡って逃亡した実績があったのだ。
熊本県警は長期戦も覚悟で、川端の行方を追った。

事態が動いたのは、4月13日の夕方だった。
熊本県玉名郡内の県道で、玉名市のタクシーが路上で不自然に停車していた。通行人が訝しんで確認すると、女性のタクシー運転手が血を流して倒れていた。
幸い、搬送されて命は取り留めたが、右胸や右手、脇腹など5箇所も刺されており、3ヶ月の重傷だった。
その後、被害者の証言から逃走中の川端の犯行と断定。
警察の調べによれば、このタクシー会社に前日の12日、男から電話予約があり、事件に遭ったタクシーが走行したのとほぼ同じコースを走っていたという。
その際、女性ドライバーで、という条件がつけられていた。
事件当日も、同じ男によって同じコース、同じく女性の運転手でという条件付きの予約が入れられていた。

タクシー会社は原則、そのような条件は受け付けない、としながらも、長距離になることから営業面でのメリットがあるため、社内の女性ドライバーに確認してみたところ、被害に遭った女性が承諾したためその予約を受けたのだという。
ただこの予約、女性ドライバーというだけでなく、「独身者」という条件まであった。この時点で絶対やばいわけだが、田舎ということもあったのか、危機感は薄かった。

女性ドライバーは指定の場所で男を見つけたが、挙動不審な男に危機感を覚え、当初乗車拒否をしたというが、男は強引に乗り込んできた。
男は、川端だった。

川端はしばらく国道208号線を走らせたあと、突如後部座席から女性ドライバーを羽交い締めにし、ナイフで滅多刺しにした。
その後、車内の釣り銭数千円を強取し、徒歩で逃走したという。
県警は逃走中に重大な犯罪をまたも犯した川端は危険な状態になっていると判断、一刻も早い逮捕が必要だった。

川端が逮捕されたのはその翌日だった。
午前11時前、山鹿市のJRバス山鹿営業所のタクシー乗り場に現れた川端は、久留米インターまで走るよう運転手に頼んできた。
が、その運転手が断ったため、川端は別のタクシーに乗車したという。
タクシーが川端を乗せて走り去ったあと、最初に乗車を断った運転手は胸騒ぎを覚えていた。あの男、手配書の男じゃないのか。
通報を受けた警察が追跡したところ、川端は九州自動車道菊水インターで下車していることが判明、その直後に同インターを通過した高速バスを捜査員が追跡したところ、久留米市のバス停で追いつき車内にいた川端を逮捕したのだった。

逮捕された川端は長谷川さん殺害と、タクシー強盗も認め、その後懲役15年の判決を言い渡された。

川端は長谷川さんを殺害したあと、その処理を妻と子供に命じていた。川端の実子なのか不明だが、当時川端の家には妻の、上は13歳から下は4歳の子供たち4人がいた。
殺害と解体はこの子供達も同居する狭いアパートの中で繰り広げられておりそれだけでもとんでもない話だが、長谷川さんの遺体を解体することを、なんと子供のうちの一人にも命じていたのだ。
妻とその子供は、風呂場で長谷川さんの遺体を5つに切断、ゴミ袋に詰めた。

妻は死体損壊容疑で逮捕となったが、子供は13歳以下だったことで罪には問われなかった。
しかしその心には大きな傷が残ったことは想像に難くない。

ビーフシチューと手引きのノコギリ

平成5年11月、大阪市此花区の舞洲北岸を散歩していた男性は、テトラポットの間に何かが漂っているのを見つけた。
近づいてみると、それは人間の頭部だったことで警察に通報。
損傷が激しかったこともあり身元の確認は難航、当初は女性だと思われたその頭部は、のちに男性のものということは判明した。

その頃、大阪市港区で一人の男性の行方が分からなくなっていた。男性は妻がいたが、妻によれば「勝手に家出した」と話していたが、なぜか捜索願を出していなかった。
さらに、男性と連絡が取れなくなったことを心配した友人に、「出張に出ている」と話したかと思えば、「離婚届を置いて出て行った」「仕事に行き詰っていた」などと、自殺を前提とした失踪をにおわせるようなことを言っていたという。

ただ、実際に男性の携帯電話が解約されており、解約を担当したショップのスタッフらも、男性本人と思われる人物が電話をしてきたと話していて、真相は杳としてつかめずにいた。

ところが、平成5年2月になって、男性の妻は港署に夫の捜索願を出す。理由は、夫の友人らが「行方不明になって相当経つのに捜索願を出さないのはおかしい」と訝しんだからだった。
妻は警察に対し、「昨年の11月中旬、仕事に出ると言ったきり行方が分からなくなった」と話していたが、実際に夫がいなくなったのは10月だった。

妻から捜索願が出たことで、当然舞洲で発見された頭部の鑑定が行われ、その頭部こそが行方不明の男性であると断定、頭部の身元は、港区市岡の冷暖房設備業、石谷松男さん(当時45歳)だった。

するとここでおかしな事実が浮かび上がった。
妻は石谷さんが行方不明になった時期を平成4年の11月と話していたが、頭部の鑑定の結果、死亡推定時期は平成4年の10月で、妻の話には明らかな矛盾が生じていたのだ。

2月20日未明、大阪府警捜査一課と此花署捜査本部は、石谷さんの遺体を切断して頭部を捨てたとして、妻の美佐子(仮名/当時44歳)と、美佐子の実弟であり、石谷さんの部下でもある松野泰弘(仮名/当時40歳)を逮捕した。
松野は姉の美佐子と共謀して石谷さんを殺害したことについても認めていたが、美佐子は否認していた。

松野の供述によると、姉の美佐子から夫婦仲が悪いことを聞かされ、その要因が義兄である石谷さんにあると知り、さらには美佐子から金銭をチラつかされたことから犯行に加担。
美佐子があらかじめ睡眠薬を混ぜたビーフシチューを食べさせると、意識が混濁した石谷さんを二人して絞殺。その後、解体したのちに会社の軽バンに遺体を積み込むと、阪神高速湾岸線上の神崎川橋から海に遺体を放り捨てた。
その後淡路島まで走らせ、複数の場所で遺体を捨てたと自供した。携帯電話の解約をしたのも、松野だった。

美佐子は石谷さんに虐げられていたという。
会社経営者であり、ある程度自由になる金があったようだが、それは次第に度を越していった。
遊び歩く石谷さんの会社の業績は悪化の一途をたどり、にもかかわらず、石谷さんは女遊びをやめられなかったという。
しまいには借金してまで、女に入れあげた。
美佐子の心には、憎悪とともに石谷さんにかけられていた1億円の生命保険の解約返戻金のことがあった。

実弟の松野に対し、ことあるごとに石谷さんの所業を話して聞かせるうち、松野も「義兄が働かず姉が苦しい思いをしていた。殺さなければならない」と思うようになり、加えて美佐子から生命保険金の解約返戻金から1千万円を渡すといわれ、松野の心は決まった。

解体には手引きのノコギリを使用したという。当初は効率化をはかって電動ノコギリで解体を試みたというが、思いのほか肉片が飛び散ったことに慄き、時間はかかるものの普通のノコギリで解体した、と松野は話した。

義理とはいえ兄であり、会社の社長だった人間をその手で解体するというのは、どういう気分なのだろうか。
裁判では石谷さんの落ち度も一定割合認定されたが、大阪地裁は二人に対し、
「冷酷、残忍な犯行。遺体をごみのように扱うなど著しく人間性を欠いている」
として美佐子に懲役15年、松野には懲役12年を言い渡した。

離婚でもなく別居でもなく、殺害を選んだ美佐子の心理は実に興味深い。離婚しなかったのは単に石谷さんが応じなかったのか、それとも、美佐子自身、離婚してしまうと石谷さんの思う壺だと思ったのか。
解体したのは、この事件より前に住之江で起きたバラバラ殺人からヒントを得たのだという。単に事件の発覚を遅らせ、捨てやすくする為だと思われるが、手引きのノコギリから直に伝わる石谷さんの肉を引き裂く感触は、忘れられるものとは思えない。

浄化槽に浮かんだ「鶏肉?」

昭和61年5月15日。新潟市内のラブホテルの浄化槽の定期点検に訪れた作業員は、浄化槽に浮かぶドロリとした固形物に目をとめた。
それらは10センチ四方の柔らかなもので、よく見ると毛穴のようなものが見えた。作業員は「鶏肉の皮?」と思った。
浄化槽はホテル内のトイレからの汚水が集められるため、なんで鶏肉なんかトイレから流したんだろうと思った作業員が浄化槽をかき混ぜてみると、少し大きな鶏肉が浮かんできた。
「まさか、そんなこと…」
作業員は青ざめた。その浮いた「鶏肉」には、人間の爪がついていたのだ。

通報を受けて浄化槽をさらった新潟東署によると、肉片は全部で60個ほど見つかった。総重量で約5キロ、その中に頭部、骨、内臓は含まれていなかったという。
作業員が見つけた爪がついた部分は足の指で、骨はなかった。

新潟県警は殺人と死体遺棄事件として捜査、まずは被害者の身元特定に全力を挙げた。
地元や周辺での行方不明者には該当者がおらず、ホテルという場所柄、他県からの利用者の可能性も視野に聞き込みを続けていると、先月の中旬に香川ナンバーの乗用車がこのホテルを利用していたことが判明。
新潟県警は浄化槽から見つかった指から辛うじて採取できた指紋を、香川県警に照会。すると、このホテルで香川ナンバーの車が目撃された時期に行方不明となっていた高松市内の女性と一致した。

乗用車もその女性のものと確認され、浄化槽に浮いた肉片は高松市在住の店員、青木ユミ子さん(仮名/当時49歳)と断定された。

ユミ子さんの自宅のふろ場からはルミノール反応が出たため、この風呂場で解体された後、新潟のホテルでその一部が捨てられたとみられた。

ユミ子さんは全夫との間に生まれた娘と、再婚した夫との3人暮らしだったというが、実はユミ子さん失踪直後、この夫の行方も分からなくなっていたのだ。
夫は自分名義の預金を200万、そして義理の娘の口座からも30万ほど引き出した後、行方が分からなくなった。
捜査本部はこの夫が事情を知っているとみたが、実はこの夫、すでに別の容疑で全国指名手配中だった。
それは、義理の娘に対する暴行容疑だった。

指名手配されたのはユミ子さんの夫で元クレーン運転手の青木邦男(仮名/当時37歳)。
邦男の足取りはつかめていなかったが、新潟のラブホテルで肉片が見つかった後、別のホテルの浄化槽からもユミ子さんのものと思われる肉片が発見され、そのホテルの防犯カメラにも香川ナンバーのユミ子さんの車が映っていた。
ホテルを利用したのも、証言から邦男で間違いなく、邦男はユミ子さんが何らかの事情で死亡した後、風呂場で解体して複数の場所に遺棄しているとみられ、遺体の回収などを考えても一刻も早く邦男を見つけ出さなければならなかった。

邦男の足取りがつかめたのは事件から2週間後の5月30日。しかも、邦男本人からの「電話」だった。
滋賀県野洲郡内の農家から、地元の読売新聞大津支局に電話があった。
電話の主は「猟奇殺人で指名手配されてるもんだが」と言っていて、駆け付けた新聞記者に自身の言い分を話して聞かせたという。
その中で、自分は殺してない、ということを話したようだが、通報を受けていた滋賀県警によって逮捕となった。

邦男とユミ子さんは昭和58年に知り合った。当時ユミ子さんは既婚者だったが、酒好きなこともあり高松市内で小料理屋を営んでいたというが、なかなか経営は厳しく1年で閉店、その時借金が300万円以上にもなっていたことで夫とは離婚した。
離婚後にユミ子さんが働いていた炉端焼き屋の常連客が、邦男だった。

邦男は高松市内で生まれ、中学を出た後は中国地方を転々としながら生きていた。
特にこれといった趣味や仕事もなく、その日その日に流されるように生きていた邦男は、年上のユミ子さんの包容力に惹かれたのか、交際を始める。
その後ふたりは同棲、ふらふらしていた邦男も正社員の職に就き、ユミ子さんも当時は鰻屋で働いていた。
周囲からも仲睦まじく見られていたというが、昭和61年、二人の関係は怪しくなる。

邦男の元来の怠け癖が出たのか、せっかく正社員で勤めていた会社を辞めたのだ。ユミ子さんはたしなめたというが、それでもユミ子さん自身仕事をしていたこともあり尻を叩いて次の仕事を探させるようなこともなかった。
が、いつまでたっても仕事をしようとしない邦男に、次第に愛想も尽きてくる。

ある時、邦男はユミ子の娘の貯金に手を付けようとした。当時、ユミ子さんは自分名義のマンションを借りてそこで邦男と暮らしていたが、そこに娘も呼び寄せていたのだ。
どうやら邦男は自分の店を持ちたいと思いついていたようで、その資金に、ユミ子さんとユミ子さんの娘の貯金を充てようとしていたようだった。

当然反対するユミ子さんとは、連日口論が絶えなくなった。
4月19日、ユミ子さんの長女が出勤した後、二人はまた口論となる。
そこで、ユミ子さんの口から「ぐうたら男!」という言葉が出た。邦男は激高し、ユミ子さんの首を絞めてしまう。そして、気が付くとユミ子さんは動かなくなっていた。

その後の邦男の行動は早かった。日々流されダラダラしていた男とは思えぬ行動力で、鰻屋へユミ子さんが休む旨の電話をし、娘の勤務先にも「お母さん(ユミ子さん)は大阪で葬式があるんやが、おまえはどうする?」と何食わぬ顔で電話した。
親戚でもない人の葬式に行くはずもない娘が今日は友達のところに泊まる、と言ったのを確認し、邦男はすぐさまユミ子さんの遺体を浴室に運び、バラバラに解体した。

その際、もっと細かくしないとすぐばれると思い、10センチ四方に切り刻んだというが、結局途中で「嫌になって」手足についてはそのままごみ袋に放り込んだ。
そして、広島、鳥取を経由し新潟市内へ入り、宿泊したラブホテルの浴室でやり残していた手足の肉をそぎ落とすと、骨以外をトイレに流したのだ。ちなみにほかの部位は通過した県の山や海に次々捨てていた。

邦男は包丁を手に、逃走前夜、ユミ子さんの娘の部屋へ向かった。
そしてそこで、義理の娘に暴行を加えてから逃走した。
娘が突き付けられた包丁は、母が切り刻まれた包丁だった。

邦男の裁判、判決については資料がなくわからなかった(わかれば追記)が、もしももっと細かくしてからトイレに流していたら、おそらく当時の科学捜査ではわかりようがなかったのではないか。
ここで興味深いのは、バラバラにし始めて途中で「嫌になる」犯人が一定数いるということだ。
当サイトで過去に書いた、交野市の夫バラバラ殺人でも、まるで途中で放り出したかのように解体途中の遺体はそのまま放置されていた。

邦男も、せっせと解体作業に取り掛かったのもつかの間、その後は逃走しながら大きな部分は海や山に捨て、指紋などがある部分は削ぎ落して細切れにしたものの、結果としてラブホテルの浄化槽に浮いた肉片の一部から指紋が割れた。

何事も長続きせず、日々思いつくままに流された男は、最後まで長続きしなかった。

解体する人々

私は飼っているアラスカンマラミュートのために肉屋でもらった牛骨(生)をノコギリでバラすことがあるが、あっという間に切れなくなる。脂がのこぎりの歯に詰まって切れなくなるのだ。そのたびに熱湯で脂を落としながらの作業はとんでもなく大変だ。
血抜きも十分でない場合は臭いも凄まじいと聞く。そのにおいをごまかすために、わざわざ煮たりカレーにしたりと工夫を凝らす人もいるという。

埼玉の愛犬家殺人や北九州監禁、暴力団がらみのように、殺人自体何かの解決の手段としか考えておらず、かつ、犯罪の発覚を防ぐ目的でハナから解体しようと決めているケースはさておき、多くの事件は殺してしまった後で処理に困って、というパターンが多い。

女性でもそれをやってのけていることを考えると、力はそんなにいらないのだろうと思うがそれにしても、風呂場で黙々とナタを、ノコギリを、包丁を使って行うそれはどんな犯罪よりも「不気味」である。
他人や、憎い相手ならばいざ知らず、肉親や配偶者に対してそれを行うその心はどうなっているのか。
何を考えながら、罪を重ねているのだろうか。

「やるしかない」なのか、それとも「こんなはずじゃなかった」なのか。

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参考文献

バラバラ殺人の系譜 龍田恵子 青弓社
無限回廊 戦後の主なバラバラ殺人事件
事件録 

朝日新聞社 昭和61年5月26日東京朝刊、平成元年9月6日、平成3年3月13日名古屋朝刊、平成15年2月19日大阪夕刊
読売新聞社 平成元年9月2日東京朝刊、平成3年3月27日西部夕刊、3月28日、4月1日、4月15日、4月19日西部朝刊、平成15年2月20日大阪夕刊、大阪朝刊、3月13日、6月16日、12月18日大阪夕刊、
産経新聞社 平成15年3月11日大阪朝刊、8月14日、9月25日大阪夕刊
NHKニュース 平成元年10月13日、平成2年3月14日、4月25日
毎日新聞社 平成2年4月25日東京朝刊、平成3年3月11日大阪朝刊、東京朝刊、平成3年2月20日大阪夕刊、2月21日、2月24日大阪朝刊、平成15年12月18日大阪夕刊
中日新聞社 平成3年3月10日朝刊
西日本新聞社 平成3年3月27日夕刊、4月3日、4月14日、4月16日朝刊
熊本日日新聞社 平成3年4月16日夕刊