🔓腐る家~泉南市・一家5人餓死事件~

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平成13年8月16日午後6時

「玄関を開けてください」 泉南市樽井6丁目の民家の玄関先で、警察官らが家の中へ声をかけていた。
この日、この家に暮らす住民の親族から、 「何日も姿を見ていない、家の中から物音もしなくて心配だ」 という相談が泉南署に出ていた。
この住宅には、60代の男性とその妹、そしてその妹の子供5人の計7人が暮らしていたというが、7月頃から家族の姿は近所の人らの目から消えていたという。 警察官らの問いかけに、屋内から「(玄関は)開けません」と、弱弱しい声が聞こえてきた。
「子供がおらんやないか!どこ行った!」
そう叫ぶ警察官らに対し、さらに家の奥から、
「子供はここにおりません」
という答えが返ってきた。
しかし警察官らは、強引に玄関をこじ開け中に入らざるを得なかった。

玄関先には、明らかな死臭が漂っていたのだ。

5人の遺体

警察官らが屋内へ踏み込むと、凄まじい腐敗臭が鼻を衝いた。 家の中は雨戸が閉められ、光は差し込まない。それでも探りながら奥へ進むと、6畳と4畳の間があり、そこには布団が敷き詰められていた。

すべて頭や足は見えなかったが、明らかな人型がそこにはあり、その状況たるや警察官らを恐怖のどん底に叩き落すには十分すぎるものだった。
そして並んだ布団の横に、同じように並べて敷かれた布団の上に座り込んでいる年配の男女がいた。 二人は、この家に暮らす若狭良一さん(仮名/当時66歳)と、その妹のあつ子さん(仮名/当時64歳)とみられた。
警察官が声をかけたが、ふたりは衰弱しているのか立ち上がることができなかったという。 そして、二人の布団の並びにあった布団をめくると、そこには5体の腐乱死体が寝かされていた。

腐乱死体の身元は、行方不明の子供たちであると推測され、その後若狭さんらの口から、その遺体が妹・あつ子さんの5人の子供であると語られた。
「2か月ほど前から、子供たちが次々と死んだ」 そう二人は語ったが、近所の人らの話では、一家は7月の初めまでは以前と変わらぬ風に目撃されていたという。
あつ子さんの子供たちは、長女・すい子さん(当時41歳)、次女・薫さん(当時38歳)、三女・栄子さん(当時29歳)、四女・弘美さん(当時28歳)、そして、末っ子長男の実さん(当時27歳)。
遺体は腐敗が進んではいたが、外傷は見当たらず、いずれも普段着できちんと仰向けに並んで寝かされており、頭からすっぽりと布団が掛けられていた。 死後、1~2か月とみられたが、若狭さんが、「食べ物がなくなり次々と死んでいった」と話していることから、5人の死因は餓死とみられた。

その後の司法解剖では全員が予測通り餓死、6月30日に長女すい子さんが、その翌日に四女弘美さん、7月5日に三女栄子さん、7月10日に長男実さん、次女薫さんは8月1日に死亡したと推定された。
5人全員、消化管内に物がなく、薫さんは肺炎を起こしていた。

通報した若狭さんの弟のほかに、実は若狭家の隣にはあつ子さん以外の妹も住んでいた。 しかし、いずれも近くに住みながら、20~30年兄弟の付き合いはなかったと言い、あつ子さんの子供らの存在もよくは知らなかった。
発見時、若狭さん兄妹は、息もできぬほどの死臭の中で放心状態で座り込んでいたが、話によれば、子供たちが死んでからずっとこうして寄り添っていたのだという。 一方で、若狭さんは警察官に対し、 「この場所は汚れてしまったから清めなくてはならない」 「神さんに清めてもらった」 などと言っており、その精神状態が心配された。
これが年端も行かない子供であるならば、何をどう考えても保護責任者遺棄致死などの虐待を想定するのだろうが、この場合、亡くなっていたのは子供とはいえすでに全員が成人しており、食べ物がなくなったからと言って、年寄より先に若い人間が全員死ぬというのも、どこか腑に落ちなかった。
しかし若狭さん兄妹も極度の栄養失調状態に陥っているのも事実であり、また、家の中には冷蔵庫の中にもどこにも食べるものはなかった。 家族は2か月ほど前から食べ物がなくなり、若狭さんとあつ子さんは子供たちに水を飲ませて飢えをしのがせていたという。

一家は何年も前から仕事をしている人間はだれもおらず、かといって生活保護を申請した形跡もなかった。 また、土地や建物を担保に金融機関から借り入れをしている形跡もなかった。 家族はどうやってこれまで暮らしていたのだろうか。 調べるまでもなく、近隣や若狭さんの別の兄弟らから、一家のこれまでの歩みが語られた。

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【有料部分目次】
塩の家
母の教え
クソ味噌の中野「信念」
義姉の4000万円
不起訴
一家がすがった神さん

🔓流浪の運命共同体~長野・山梨・静岡・男女殺害遺棄事件~

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無念の記者会見

「なぜ母が殺されなければならなかったのか。そしてなぜ、姉がそれに加担したと言われるのか、まったく理解できません。
ふたりは仲の良い母娘でした……」

黒磯市役所で記者会見に応じた男性は、悔し涙をにじませた。
傍らには、妻の姿もあったが、この二人は一歩間違えれば今頃生きていなかったかもしれなかったのである。
ふたりは生き延びたが、入れ替わりに行方不明になった男性の母と姉は、壮絶な人生を送る羽目になってしまった。

平成一五年二月二六日

この日、とある傷害事件で男が逮捕された。
男は昨年に静岡県伊東市内の貸別荘で、当時行動を共にしていた男性とその妻、そして一歳の子供に暴力を振るい怪我をさせたとして、静岡県警から指名手配となっていたのだ。
男の名は、上原聖鶴(当時三五歳)。

ところが調べを進めるうちに、
「長野県内で仲間らとともに二人殺している。遺体は甲府市内のアパートにある」
と供述したため事件は違う展開を見せ始める。
甲府市飯田のウィークリーマンションを捜索したところ、供述通り、室内から男女と思われる遺体を発見した。
上原の供述では、自分以外の仲間もここへ遺体を運んだ行為にかかわっているとしていて、警察は、上原と行動を共にしていた女と、若い男二人も死体遺棄の容疑で逮捕した。

当然警察では二人の殺害にもかかわっている可能性が高いとして調べを進めたところ、男二人は殺害にかかわっていないことが判明。警察は、三月にはいって、上原と女を二人に対する殺人の疑いで再逮捕した。
上原と一緒に逮捕されたのは、高須賀美緒(仮名/当時二七歳)。美緒は、昨年の六月から上原と行動を共にするようになったというが、上原には妻子があった。しかも、その妻子もずっと行動を共にしていたようなのだ。
わかっているだけでも、上原と妻子、美緒、若い男二人、この六人が逮捕当時共同生活を送っていたとみられた。
さらに、上原は美緒と生活を共にし始める前、美緒の弟夫婦とその子供と一緒に生活をしていた。
そして、弟家族と離れた直後、今度は美緒とその母親を呼び出し、まるで入れ替わるかのようにその母娘と生活し始めていたのだ。

では、亡くなった二人はいったい誰で、どんな関係の人間なのか。
遺体はそれぞれ男女一名ずつで、男性は二〇代、女性は五〇代~六〇代とみられた。
遺体の状況は、女性のほうが腐敗が進んでいたことから死亡時期が違うこともわかっていた。
その後の司法解剖の結果、男性は神奈川県厚木市の大学生、中里善蔵さん(当時二一歳)、女性は栃木県黒磯市(現・那須塩原市)在住の高須賀悦子さん(仮名/当時五三歳)と判明。

悦子さんは、美緒の母親だった。上原と美緒は、中里さんと悦子さんを殺害した容疑で再逮捕されたのだった。

発端

事件の始まりをたどっていくと、平成一三年に遡る。
当時、とび職関連の仕事をしていた美緒の弟・英治さん(仮名/当時一九~二〇歳)は、仕事関係で上原と知り合った。
五月ごろ、英治さんは上原からこう聞かされたという。
「俺とお前の名前が暴力団のリストに載ってる。俺が何とかしてやるから、一緒に逃げよう、お前も俺の言うことを聞け」

若い英治さんは、暴力団という言葉と、上原の入れ墨に恐怖を感じ、その言葉を信じてしまう。また、それ以前に上原から借金を申し込まれていた経緯などもあり、上原と行動を共にすることを決意した。
すでに妻子がある身だった英治さんは、驚く妻を説得して妻子とともに上原と合流、そこから一年もの間、車で各地を転々とする生活を余儀なくされていた。
生活は、主に貸別荘などを借りていたが、その費用は英治さんが消費者金融から借金をするなどして都合していたという。

逃亡生活は次第に英治さん一家にとって「何のために逃げているのか」わからないものへと変わっていく。
先に述べたとおり、金銭は英治さんに借金をさせ、足りなくなると英治さんの妻にも借りさせた。
食事は一日に一度となり、幼子を抱えた妻は自分の食事をわが子に与え、一〇キロ近く痩せていたという。
そこまでして英治さん一家を縛っていたのは、暴力団に追われているという嘘と、上原からの暴力だった。

上原は体重が一二〇キロ近くある巨漢で、英治さんは日ごろから暴力を振るわれていた。
ある時からそれは特殊警棒のようなものになり、時には妻にもその暴力は向けられたという。
さらに、英治さんの一歳の子供にも、上原は自分の子供に命令し、叩く、けるなどの暴力を振るわせていた。

また、英治さん一家は常に上原の妻に監視されていた。伊東市内の貸別荘では、窓のすべてに鍵がかけられ、外から粘着テープで目張りされて開けられないように細工されていた。
用事で家族に連絡を取る際も、常にだれかがそばにいて、余計なことを言わないよう見張られていたという。
英治さん夫婦に対しては、それぞれを別の部屋で過ごさせ、お互いに「相手は子供を愛してない」などと吹き込んで疑心暗鬼にさせていた。

平成一四年六月一五日、たまたま上原とともに外出していた英治さんは、今しかないと思い隙を見て逃走する。
妻子のことは気になったが、それでも助けを求めるには逃げるしかなかった。そしてこの判断は正しかった。
伊東市内から妻の実家がある栃木県黒磯市までヒッチハイクをしながら三日かけて英治さんは戻り、そのまま黒磯署に助けを求めた。
事情を知った妻の父と警察署員らとともに、英治さんの案内で伊東市内の貸別荘へ戻り、ようやく英治さんの妻子は救出されたのだった。
発見時の妻は、殴られたような痕が多数あり、全治三週間のけがを負わされていた。

妻子を奪還した英治さんは一八日、心配をかけた母親・悦子さんと姉・美緒にも連絡した。実は英治さん家族が上原と行動を共にし始めた直後、「お前の家族も危ない」と吹き込まれていたことから、黒磯市に暮らす悦子さんと美緒に連絡して、福島の親類宅へ身を寄せるよう伝えていたからだ。
しかし、一度は電話に出た美緒だったが、その日のうちに連絡が取れなくなってしまう。

そして、伊東の貸別荘からは、上原たちの姿も消えていた。

(残り文字数:7,783文字)

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小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~

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平成七年四月八日午後一〇時半

静岡県三島市長泉町土狩の路上を、町内在住の公務員男性(当時22歳)は自転車で家路を走っていた。
そこへ、走ってきた車が男性の進路をふさぐように前方に回り込み停車、車から人の若い男たちが下りてきた。
「金、持ってるだろ、出せよ」
唐突に絵にかいたようなカツアゲをされた男性は、当然断った。
直後、頭に激しい痛みが走る。男たちは木刀を持っていた。
殴られた。男性が必死に体をかばっている隙に、男たちは男性の財布を奪って走り去った。

二三日。
三島市若松町の駐車場内で、車上荒らしが発生。
会社員の所有する乗用車の中から、書類入りのバッグが盗まれた。
この事件で警察は、周辺の防犯カメラ映像や聞き込みから、若松町在住の男(当時二三歳)を割り出し、窃盗の容疑で逮捕した。
二二日、男は日に発生した路上強盗でも逮捕される。共犯の男(当時二一歳)も逮捕となった。

男らは罪を認め、二三歳の男は執行猶予中であったことから前科も併せての実刑となり、それから年間服役した。
男の名前は、服部純也。彼は一七年後の夏、死刑執行によりその人生を終えた。 続きを読む 小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件①~

🔓小心者~三島市・短大生暴行焼殺事件②~

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逮捕

警察では犯行現場から、「土地勘のある人間の犯行」とみて聞き込みに力を入れていた。
そんな中、不審者、夜間徘徊者リストに名前があった服部の、当夜の目撃情報に目を付けた。
事件後には三月と六月の二度、大規模な検問なども実施されていたが、この時に服部の事件関与は全く浮かんでいなかった。
というのも、服部は事件の直後にひき逃げ事件を起こしており、二月末に出頭して逮捕されていたのだ。

警察では住民らの協力の下、不審者リストを作り上げ、現場の地理に詳しいもの、住民目線で見て不審者、あるいは犯罪の臭いがする人物などを調べていった。
その一人一人のアリバイ、素行調査、証拠資料との照合などを地道に行う日々が続く中、不審者リストにある服部のDNAと、現場に残されたDNAが一致したのだ。
もし、住民らの協力がなかったら、おそらく服部は重要人物とみなされなかった。しかも本人は別の事件ではあるものの、自ら出頭して罪を認め、実刑判決を受けていたのだから。

DNAというゆるぎない証拠があったものの、当初服部は全面否認だった。
「コンビニでナンパしたが、家に帰した」
服部の当初の供述はこうだった。
警察も、DNAが現場にあったということから、佐知子さんと最後に接触した人物の可能性が強い、ということは言えても、殺人を犯した張本人とは言い切れなかった。
とりあえず逮捕監禁と強盗の罪で逮捕したものの、本人の口から供述を得られたのは逮捕から一週間後、佐知子さんの自転車を遺棄した場所を自白し、その後殺害を認めることとなった。

【有料部分 目次】
無期は嫌
死刑になると思ってなかった弁護人
ふてぶてしさの反面
小心者

悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの①~

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まえがき

自分が暮らしている街が、実は自ら命を絶つ人を量産しているとしたらどう思うだろうか。
自分にとってはなんてことのない、見慣れた風景、人、言葉、産業、ならわし、日々の営み。
しかしそれらがある一定の人、条件によっては、命を絶つ「後押し」をしている可能性があるとしたら。

 

矛盾の街


表向きは温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、日本国内でもストレスの少ない街、旅行してみたい街などにも選ばれる愛媛県松山市。
温泉街と飲み屋街と風俗街がさほど離れてない場所に混在する、日本でも独特の観光地でもあり、世のビジネスマンにも人気はある程度高いという。

私が暮らすその街は、平成二九年度に主要都市別、人口に対する割合で見た自殺者数の数が県庁所在地別でみると全国位となっている。
これは平成三〇二九日に文春オンラインにて、渋井哲也氏が発表したものであるが、そこに長年住むものとして度肝を抜かれた。

もちろんこれは、東京や大阪の場合、区ごとの集計になるため大阪市西成区がトップとなる。
しかし、都道府県別での自殺死亡率を見た時、大都市で人口も多く、そして自殺者も多い東京や大阪は一〇万人あたりの率で見るとぐっと下位になる。代わりに上位を占めるのが、秋田、青森、岩手、新潟などの東北、北陸勢である。
語弊があるかもしれないが、東北や北陸といった共通するもののある地域の中に、ぽんと全く共通点が見いだせない愛媛県が入っているのが「異様」なのだ。

東北は、賃金などのほかに、気候なども人の精神状態に関係すると言われる。日照時間の問題や厳しい冬など、どこかこう他の地域に比べると暮らしていくのに覚悟がいるというか、芯が強くなければやっていけないといった私個人の偏見に満ち満ちた印象があるのも事実である。
しかしではなぜそこに愛媛が??ご存じの通り、愛媛は瀬戸内海に面した温暖な気候、山と海に美味しい食べ物、適度に田舎、賃金は低いがその分物価も低く、若い人には面白みが欠けるとはいえ、無理をせずともそこそこの生活は送れるのんびりとした街である。
四国八十八か所を擁し、外国人を含めてお遍路さんが年中歩いているため、お接待の心も根付いている。最近ではしまなみ海道を走るサイクリストらの姿も多く、道後温泉をはじめ観光にも力を入れている。
農村部でも、高齢化が進む農家を助けるために、毎年繁忙期には県内外からアルバイトが押し寄せるし、環境の良さ、土地や家賃の安さに惹かれて移住してくる人も少なくない。
人柄は各地域で温度差はあるものの、おっとりとした方言が象徴するように、そんなに攻撃的な県民性ではない。むしろ、おとなしく人前に出ることを嫌い、どちらかというと控えめな県民性である。

そんな愛媛県は、平成二九年、三〇年度のストレスオフ県ランキングでは連覇を果たしている。
社会的な環境や経済的なこと、子育てのしやすさ、地域の人間関係などが全国位を獲得しており、自殺の主な要因となる貧困や人間関係の悩みとはおよそ無縁に思える。

しかし一方で、同じ年に行われた「住みたい街ランキング」には、なんと愛媛県は一切入っていないのだ。
中四国ブロックで見ても、たとえば高知は高知市が「安全な街」として評価され、四万十市は街の魅力そのものが評価されている。
お隣の香川も、丸亀市やさぬき市、瀬戸内周辺では山口県下松市や岡山県倉敷市、広島県大竹市などほとんどがランクインしている。そんな中で、愛媛は全く入っていないのだ。ストレスオフ連覇なのに(ちなみに徳島も入ってないけどまぁこれはなんとなくわかる気がするので割愛)。
二〇一八
年でやっと東温市がランクインしてきたが、それでも松山市は出てこない。
二〇一九
年では評価のポイントが変わったのか、ランキングも愛媛からは新居浜市、西条市がランクインするも、評価のポイントは水道料金の安さというどうでもいいものだ。

全国的に見れば、自殺者の人数だけで見れば松山市の自殺率の高さはわからない。ゆえに、見過ごされてきた何かがあるように思う。
個人的偏見も多く含まれると思うが、私なりに私の住む街を考え直してみたい。
同時に、他県においても突出した自死の背景を考えてみたいと思う。
(最初に言っとくけど、愛媛に生まれてよかったと思っとるし、松山から出る気ないけんね!I LOVE 松山!!!)

穏やかな県民性と「翳」

愛媛県は東予、南予、中予と三つに分類される。そのつは、同じ愛媛県でも言葉や人柄にも違いを見せる。
松山市を中心とする中予は、観光がメインである一方、伊予柑、紅まどんななどの柑橘類、キウイフルーツなどの栽培に従事する人も多く、また、帝人や東レ、井関農機や三浦工業の工場を有しており工業もそれなりに多い地域である。人はみなのんびりとして、言葉も柔らかい。
今治市、新居浜市、西条市、四国中央市を抱える東予は、古くから商業、工業で栄えた地域であり、地場産業であるタオル、製紙、造船、多くの住友系の工場、ティッシュ王子こと井川氏で有名な大王製紙グループがあるため、職にあぶれることがない。そのため、新居浜市では愛媛県では破格の高値となる一一〇〇円の時給をつけても、すき家にバイトが集まらないといったこともあった。
人は若干言葉がキツイとも言われるが、ビジネスライクな言動をする人が多い印象だ。祭りが盛んな地域でもあり、女性も男勝りなタイプが多い。
南予は宇和島市、大洲市といった市部のほかに郡部も多く、第一次産業に従事する人が多い地域だ。高齢化も進み、人口も減少しつつあるが、それでも内子町など観光に力を入れる地域もあり、各自村おこし、町おこしなどでそれなりに活気はある。南予出身者は美人が多いとも一部でいわれるが、なんとなく目がぱっちりしていて団子鼻、二階堂ふみみたいなタイプが多い気がする。沖縄顔というか。愛媛県内では一番「情」で動く地域でもある。一方で、西予市において史上初の共産党系議員が誕生するなど、最近では相次ぐ災害による不安も手伝ってプロ市民的な人々の暗躍も気にかかる。



物価は安定して安く、豊富な農、海産物、畜産物に加え、流通もさほど不便ではないためありとあらゆるものが手軽に手に入る。
土地建物に関しても、松山市部の平均的家賃はファミリー向け物件がおよそ四万円から万円で、新築建売や分譲マンションも二〇〇〇万円台からある。
公共の交通機関については、いささか不便さは否めないが、もともと車社会であり、一家に一台どころか一人一台は当たり前で、高校生は月になると多くが免許を取得する。

犯罪等も全国的に見れば件数は少なく、殺人などの重大犯罪は年に件ほど(令和年)で、いまだに家に鍵をかけない人も少なくない。
夜中に中学生が一人夜道を歩いていても、はっきり言ってそんなに危険ではない。
道を尋ねればおそらく誰もが親切に教えてくれるし、財布を落としたと言えばもしかすると帰りの電車賃をめぐんでもくれるかもしれないし、人によったら泊って行けとまで言うかもしれない。
愛媛に住む人は往々にして「親切」である。それは、温暖な気候と安定して安い物価、家賃、昔ながらの付き合いが残る地域でのお互い様の精神、そういったものがDNAに組み込まれているのかもしれない。

ではなぜ、そんな親切を絵にかいたような県民性とともに、翳と言わざるを得ない部分も持ち合わせている。

何度も言うが、愛媛県民は親切である。一方で、目立つことを嫌い、恥ずかしがりやな面も併せ持つ。
政治の世界のおいても、同じ四国のほかの三県をみると大平正芳(香川)、三木武夫(徳島)、高知はいろいろあって総理大臣は一人にとどまるも、言わずと知れた幕末から政治の世界での剛の者を輩出した県であり、力のある政治家がいる
瀬戸内を見てみれば、山口県を筆頭に広島、岡山、福岡などいずれも著名な政治家が数多くいるが、愛媛に関しては、せいぜい兄者こと村上誠一郎氏くらいか。
(ちなみに東京都知事選に立候補している宇都宮健児氏は生まれが愛媛県であるがちょっとしかいなかったのでもはや愛媛とのゆかりはなかったも同然とみなされている。)

この、自己主張をしない、控えめ、保守的といった県民性は、自分自身のみならず他人へもむけられる。
目立つ人、自己主張の激しい人、個性的な人をはっきりいって「嫌う」のだ。
そのため、よそから移住してくる人にとっては、必ずしも住みよい場所とは言えないのも事実だ。
移住と言っても、親せきや親兄弟がいるなら別で、そんなケースは大歓迎される。しかし、なんの伝手もなく環境の良さに、理想の田舎暮らしに惹かれ、人生の楽園を目指して移住した人の中には、痛い目を見ている人も少なからずいる。

愛媛県民は親切である。しかしそれは、明らかに困っている通りすがりの人、または自分たちにしっぽを振り、自らが土地に染まる努力を惜しまない人間にのみであって、自分らしく(それは自分勝手に置き換えられる)、などと腑抜けたことを言ってナチュラルな田舎暮らしを夢見ている人には、時に辛辣かつ陰湿な対応が待ち受けている。新参者は新参者らしく振舞わなければならないのだ。

新規の事業がなかなかうまくいかないのも特徴的だ。
愛媛県民は「情報を得る」ことに非常にこだわる県民と言われるが、それは田舎ゆえの都会へのあこがれや、流行りに乗っかりたい、という思いが強いためだろう。
しかし悲しいことに情報を取捨選択する能力には長けていないため、間違った情報に踊らされることもしばしばある。また、流行りに飛びつきあっという間に飽きる、これも特徴的な面と言える。
松山市には問屋町バルという名のひろめ市場のパクリがあるが、人見知りな県民性と相席への拒絶反応、目玉商品のなさに加え立地の悪さで全然はやらない。うまいものばかりに加え高知の豪快さ、物怖じしなさ、酒飲みは全員歓迎の精神がこれっぽっちもないのだから、県外から来る人など皆無だ。ちなみに私も近所だが未だ行ったことはない。

このように、他県で成功、もしくは都会ではやっているものが愛媛にやってくるのは周回遅れどころかもっと後のこともあり、しかも飽きられやすいということで、せっかく新規事業やお店ができても長続きしない。
流行りに乗っかりたい割に、「・・・たいしたことないな(笑)」というような、そんなことを言う人が多いのも一つの特徴だ。とにかく恥ずかしがり屋のわりに下に見られたくないのだ。このくだらないプライドの高さは四国一だと思う。

以前、マツコ・デラックスと村上信五の「月曜から夜ふかし」で、夏目漱石について愛媛県民に印象を尋ねた回があった。最初は愛媛ゆかりの文豪と褒めちぎっていた老婦人に、実は夏目漱石は「坊ちゃん」の中で松山をこきおろしているという事実を告げると、途端に老婦人は真顔になり、夏目漱石に悪態をついたのだ。
笑い話だが、私は怖かった。まさに、さっきまで褒めていた人をこき下ろす、こういう場面を今までにいやというほど見てきていたからだ。ていうか、愛媛県民で坊ちゃんをしっかり読んでいる人は少ない。
だから、愛媛県民が他人をほめるとき、私は話四分の一くらいで聞いている。そして私もまた、笑顔でその話に相槌を打ちながら、心の中では「心にもないことを(笑)」と嗤う愛媛県民なのである。