「嘘」~狭山市・二女児殺害事件②~

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その日

11月16日、その日は長女の学校での役員会が予定されていた。
ここしばらく、家事もままならないほど寝込んでいた里香だったが、抗うつ剤や安定剤などを服用して役員会に出た。
しかしこの日、体を無理やりにでも動かしたことで里香は、いっそ今日、すべてを終わらせたらいいのではないかと思ってしまう。

里香の頭の中は今日死ぬことでいっぱいになってしまった。

玲奈ちゃんが友達の家から帰宅し、里香は沙奈ちゃんを保育園に迎えに行くと、少し早めの夕食を娘たちに食べさせた。
ママの手料理を喜んだ玲奈ちゃんだったが、里香は玲奈ちゃんにこう話した。
「今日は、パトロールの日だから夜一緒に車で出かけようね」
おそらく玲奈ちゃんは喜んだだろう。ふさぎ込みがちな母親が、少しでも元気な様子を見れば、子供はうれしいに違いない。
そんな玲奈ちゃんと沙奈ちゃんが食後のコーラを飲んでいる間、里香はせっせと片づけをしていた。
その手には、家の権利証や預金通帳。
子供たちが飲んでいる飲み物には、すでにすりつぶした睡眠薬が入れられていた。
自分用の睡眠薬と水筒を準備していると、電話が鳴った。友人からだった。ほんの少し話をして、里香は子供たちを車に乗せた。

とはいっても、どうやって死ぬかは決めていなかった。
ふと、以前家族で出かけた入間川河川敷を思い出した。
「そうだ、車で川に飛び込めばいい」
午後8時、里香は入間川に到着、しかしおぼれ死ぬには水深が足りないように思えた。
うまく死ねずに途中で子供たちが目を覚ましては苦しませてしまう……
里香は思案しながら、ふとバッグの中のたばこに目が留まった。

助手席では玲奈ちゃんがすやすやと眠っている。里香は睡眠薬を飲むと、後部座席の沙奈ちゃんの傍らで目を瞑ったのだった。

懲役7年

里香は、元来周囲の目が気になり、一つの事柄をいつまでもくよくよ思い悩むという性格であったこと、そしてそれは執着といってよいほどだった。
里香はその時その時では、うつの状態が回復傾向にみえることはあっても、常に沙奈ちゃんの将来を思い悩んでいた。
沙奈ちゃんの将来に関する事柄が起きていないときにはそうでもないが、たとえば年度替わりや小学校入学など沙奈ちゃんの進路にかかわる事柄が迫ってくると、また悩みが始まるといった具合に、沙奈ちゃんのことが「執着」そのものであった。

3人の精神鑑定医による精神鑑定では、二人の医師が事件当時の里香は心神耗弱が認められ、完全責任能力があったかどうかは疑わしいとしたが、一人の医師は、心神耗弱の可能性はあるものの、事理を弁識して行動する能力は失っていないと鑑定した。

里香は、実父母との関係性を幼いころから悩んでいたという。詳細は明らかではないが、特に実母との関係においては、心に葛藤を抱いていた。
それは時に、手のしびれや頭痛となって表れたという。
また、献身的に家族を支えていたという夫との関係性にも、里香は人知れず悩みを抱えていた。
そんな状態でありながら、里香自身、壁にぶち当たった時に内省する能力が乏しく、不満を感じていても具体的な解決策を見出せないという特徴的な性格を持ち合わせていた。

鑑定医の一人は、そういった内因性のうつ病を発症していたのであり、事件当時は責任能力が失われていたと鑑定したが、残る二人の医師は、内因性ではなく神経性、もしくは反応性うつであるとし、元来の性格が引き起こしたというよりも、執着し続けた沙奈ちゃんの障害、ひいては将来への悲観がうつを引き起こしたものであり、犯行当日も行動に合理性が認められると認定した。
里香は犯行当時の記憶(どうやって、何を使って放火したか)が欠けていたが、里香が意図して放火したことは明らかであり、その動機も理解可能であるとした。
また、放課後、駆け付けてきた男性らに車内に子供がいることを告げており、事の重大性も十分認識できていたと判断。
よって、里香には犯行当時、完全に事理を弁識できない状況ではなかったとされた。

一方で、完全責任能力があったか否かについては、強い自殺念慮に支配されていたことや、いずれの鑑定でもその程度は重症で、心神耗弱状態を完全に否定するものではない、といった鑑定がなされていたことから、心神耗弱の状態は認められた。

判決では、里香の行為を自分勝手極まると厳しく非難したが、それまでの里香の母親としての心痛、自分を責め続けたことへの言及もあった。
母親として、娘にできる限りのことをしてきた。教育も、療育も、経済的にも時間的にも里香は自分のすべてを沙奈ちゃんに費やしたと言ってもいいだろう。
しかし、判決は懲役7年。これを重いと見るか軽いとみるかは判断が分かれるだろうが、放火(一つの行為)によって二人が死亡したが、長女玲奈ちゃんはいわば道連れであり、犯情の面で考えるとより重いため、玲奈ちゃん殺害について処断されたものだ(観念的競合)。
そして、心神耗弱が認められたためにさらに減刑となった。
里香はおそらく控訴せずに判決を受け入れたと思われる(情報なし)。

確かに里香は一生懸命沙奈ちゃんを支え、玲奈ちゃん沙奈ちゃんの良き母親であったと思う。
それが、沙奈ちゃんが病にかかり、その後の発育に影響が残るとわかった時の母親としての心中を察するとこればっかりは同情を禁じ得ないし、里香が自分を責め、いっそ死んでしまいたいと思うのは十分理解できる。
娘を、孫を失った里香の夫や祖母(里香の実母、夫の実母)らは、里香の犯した罪に衝撃を受けながらも、里香を今後も支えていくと話した。

しかし、里香はあの夜、嘘をついていた。

里香は子供たちに睡眠薬を飲ませた。それは、苦しませたくないというせめてもの母心のはずだった。
里香自身も睡眠薬を飲み、そのまま3人とも目覚めることはない、はずだった。

結果から言うと、里香は目を覚まし、熱さに耐えきれず車外へと這い出した。いや、目を覚ましたというよりも、起こされたのだ、沙奈ちゃんに。
車内で最初に目を覚ましたのは、妹の沙奈ちゃんだった。煙と熱さに恐怖を感じ、沙奈ちゃんは必死で傍らで眠る母を起こしたのだ。
その後、里香はどうしたか。
改めて言うが、里香は「心中」しようとしていたはずだ。心中を企てた人間だけが死にきれないという結末は掃いて捨てるほどあるが、里香の場合、我に返る瞬間があったのだ。
沙奈ちゃんが里香を起こした時点で、沙奈ちゃんは「死にたくなかった」ことがだれの目にも明らかだ。しかも里香は、消火活動をしている(といっても、どうにかなるレベルではもはやなかったようだが)。
しかし火は消せず、里香は自分だけ車外へと逃げた。炎に包まれようとする沙奈ちゃんと玲奈ちゃんを車から出すこともせずに、だ。
助手席にいた玲奈ちゃんはもしかするとこの時点ですでに死亡していたのかもしれない、しかし、後部座席のすぐ隣にいた沙奈ちゃんを「車外に出さなかった」のはなぜなのか。

さらに里香の言動は続く。
駆け付けた消防隊に、里香はこう話した。

「次女が(車内で)ライターで遊んでいた。次女は何をするかわからない子で・・・。ライターで座布団に火をつけたんだと思います。後部座席には紙も散らばってましたから」

里香は、沙奈ちゃんのせいにしたのだ。玲奈ちゃんの死も、沙奈ちゃんのせいにしたのだ。この心理は何なのだろう。
無理心中で自分だけ死にきれなかった人間は山ほどいるが、本気で死のうとしていた人間で人のせいにした人を聞いたことがない。
もちろん、里香は死のうとしていたと思う。けれど、最後の最後に「保身」に走ったのはどうやっても理解できない。ましてや、愛してやまなかったはずの娘のせいにする、これはどういうことなんだろうか。

里香のこのとっさの言葉に、すべてが表れているように思えてならない。
私のせいでかわいそうな娘。私が悪い、普通の小学校にも行けそうにない、かわいそうな娘…

里香が本当にかわいそうに思ったのは、里香自身だったのではないか。

娘のせいでかわいそうな私。娘が悪い、普通の小学校に行けない娘を持って、かわいそうな私…。

 

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参考文献
判決文

不可解な愛の流刑地~池田市・自衛官心中事件~

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平成18年8月15日

「主文。被告人を懲役6年6月に処する。」

この日、大阪地裁である事件の判決が言い渡された。
検察側の求刑は殺人罪での懲役15年だったが、言い渡された判決はそれを大幅に下回る、懲役6年6月というものだった。

判決を言い渡されたのは、元自衛官の藤田盛司(当時42歳)で、被害者は当時不倫関係にあったという同じ自衛官で元部下の女性だった。

事件概要

平成18年2月20日午前7時55分。
大阪府池田市住吉2丁目のラブホテル従業員から、宿泊客の様子がおかしいと110番通報が入った。
前日から宿泊していた3階の部屋にの客から、「連れの女性を殺したから警察を呼んでほしい」と言われたのだという。

通報を受けて池田署員が駆け付けたところ、312号室のベッドの上で若い女性があおむけに倒れていた。
傍らには、通報を頼んだと思われる中年男性の姿もあった。
ふたりとも手首に深くはないものの、切りつけたような痕があったという。

池田署は、現場の状況と男の供述から、この男が女性を殺害したとみて殺人の現行犯で逮捕した。

男は、横須賀市の陸自通信学校勤務の陸曹長、藤田盛司。殺害されたのは、兵庫県小野市の陸上自衛隊青野原駐屯地所属の陸士長、尾ケ井有美さん(当時22歳)だった。
尾ケ井さんは17日の夕方から20日の朝まで休暇届を出しており、来る3月の末には任期満了で除隊予定でもあった。

逮捕された藤田は、調べに対し、「不倫がばれ、二人で死のうと思った。陸士長が死にきれないようだったので、ネクタイで首を絞めて殺した」「殺してほしいと頼まれた」と話していた。
藤田は前年の8月まで、尾ケ井さんと同じ青野原駐屯地で勤務しており、二人の交際が発覚したことで横須賀へ「飛ばされて」いたのだという。
それでも別れきれなかったふたりは、この日とうとう、最悪の結末を選んでしまった。

報道では、藤田の供述もあってか、当初より心中という形で報道された。

しかし、検察は取り調べの結果、藤田を殺人罪で起訴したのだ。

ふたりのそれまで


藤田は高校を卒業したのち陸上自衛隊に入隊、平成15年から青野原駐屯地に所属。
既婚者であり、青野原駐屯のある小野市に隣接する加西市で、妻子とともに暮らしていた。

一方の尾ケ井さんは、小学生の頃に両親が離婚、以降、姉とともに母親に育てられた。
女性ながら陸上自衛隊に勤務していたことを考えても、親思いの実直な女性だったと思われる。
半面、他人に感情移入しやすく、優しさが時に仇となり、他人に流されたり、言いなりになってしまうという面も持っていたという。
平成14年に入隊、その年の6月から青野原駐屯地で勤務していた。

藤田と尾ケ井さんは、当初は上司と部下の関係でしかなかった。しかし平成6年の秋ごろから、不倫関係になっていく。この関係はすぐに周囲に発覚し、規律の面からもふたりは上司に別れるよう言われていたが、どうやら別れられなかったようだ。
二人の関係が終わっていないことが隊で明るみになり、今度は話が大きくなってしまった。
藤田は思い悩み、なんと自殺未遂を起こしてしまう。
それまでは、問題になったとはいえ自衛隊内部でとどまっていたふたりの不倫関係が、藤田の自殺未遂によって藤田の家族の知るところになってしまったという。

問題を重く見た自衛隊では、藤田を遠く離れた横須賀の通信学校へ移動させる。ただこの時、それまで一等陸曹だった藤田は、陸曹長へ昇進したうえでの、移動であった。

一方の尾ケ井さんも、青野原駐屯地で引き続き任務にあたってはいたが、上司から藤田と会わないように、と何度もくぎを刺されていた。
しかし二人は、周囲の目を盗んでは、お互いの勤務地近くで密かに不倫関係を続けていたのだった。

(残り文字数:7,283文字)

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痛々しい、愛~広島・実母無理心中事件~

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平成16年2月25日

冬の空に日差しが戻ったその日、1台の車が瀬戸内の橋を渡っていた。
昨日よりも5度ほど気温も高く、海風は冷たいながらも心地よいものだった。
助手席にいる母の横顔を、男はなんどもなんども確認した。
皺が刻まれた母の顔。女手ひとつで自分たちを育ててくれた、母。

どうしてこうなってしまったのか。

使われていないフェリー用の桟橋に車を乗り入れると、男はそのまま海へとアクセルを踏んだ。 続きを読む 痛々しい、愛~広島・実母無理心中事件~

🔓謎の一家失踪と蔓延るうわさ~世羅町・一家失踪事件~

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平成一三年六月四日

「なんで来とらんの。家に行っても誰もおらんってどういうこと?」

その採石会社では、社員旅行で中国の大連に向かうことになっていた。
しかし、集合時間を過ぎても、一人の女性社員が現れなかったのだ。同僚らが自宅を訪れたが、その女性もその家族も、誰一人として家にはいなかった。

「鍵もかかっとるし、どうしたんじゃろ……」

とりあえず連絡をつけられる親類に事情を話すと、なんと女性の夫も無断欠勤をしていることが分かった。さらに、家にいるはずの男性の母親も見当たらない。玄関にはしっかりと鍵がかけられ、呼びかけにも中から返答はない。
「車が一台ないけぇ、どっかに出かけたんじゃろうか」
その家には、乗用車と軽トラがあったが、乗用車がなくなっていた。そのかわりに、一人娘のものと思われる車が止まっていた。

連絡を受けた女性の弟が、はしごをかけて家の二階にあがった。一か所、鍵のかかっていない窓があったため、そこから家の中へ入ると、そこにはごく普通の、ありふれた生活の匂いが残っていた。

忽然と消えた家族

平成一三年六月四日午後五時半。
親族らは甲山署に捜索願を出す。いなくなったのは世羅町戸張在住の山上政弘さん(当時五八歳)、その妻・順子さん(当時五一歳)、政弘さんの母・三枝さん(当時七九歳)。
しかし、いなくなったのはこの三人だけではなかった。

「六月二日の土曜日、娘さんが家におったよ」

実は二日の夕方、牛乳を届けに訪れた隣家の主婦が、山上さんの一人娘で、竹原市内で小学校教諭をしている千枝さん(当時二六歳)が戸張の実家へ帰っていたと話した。
実は両親の行方を捜すために当然娘の千枝さんにも連絡がいったが、連絡が取れていなかった。
それもそのはずで、千枝さんの車は敷地内に停められており、実家の離れの二階の部屋に、千枝さんの私物と思われるバッグ、携帯、財布などが残されていたのだ。

家の中は特に荒らされた形跡もなく、窓やドアがこじ開けられた、あるいは、室内で争ったり物色したような形跡も見当たらなかった。

山上家は昔ながらの大きな家で、母屋と隣接する形で二階建ての離れがあった。母屋と離れの間は屋根付きの駐車スペースとして利用され、庭から出入り出来るようになっている。
食事や入浴などは母屋で行い、政弘さん夫婦と千枝さんの寝室が離れの二階にしつらえてあるという、田舎の農家にはよくある作りだった。
離れの2階には、翌日から旅行に出かける予定だった順子さんのものと思われる旅行かばん、奥の夫婦の寝室には、千枝さんの着替えと思われる洋服が畳まれており、テーブルには食した後のみかんの皮がお皿の上に残っていた。
なにごとも変わったところのない、むしろ整然と片づけられた中に日常の生活の匂いが残る、人が暮らしている普通の家の様子だった。

その部屋には千枝さんの私物も残され、財布や携帯電話もそこにあった。
親族らは一階へと下り、庭に面した扉を開けた。そこも、鍵はかかっていたという。ただ、その鍵は外からボタンを押すことでかけることが出来るタイプのものだったようだ。
離れから出て母屋に通じる勝手口に手をかけると、その扉には鍵がかかっていなかった。まずは政弘さんの母、三枝さんのことが気にかかり、三枝さんが使用している奥の部屋へと向かう。
三枝さんはベッドを使用していたが、そのベッドは、今さっきまで三枝さんがそこにいたかのような、人のかたちに盛り上がった布団があったが、中に三枝さんの姿はなかった。

その後、再び母屋の居間へ戻ると、そこには三枝さんが着用している農作業着が今から着るためだったのか、広げてあり、ふと横を見ると台所の豆球がついていた。
そして、シンクの作業スペースには卵と刻んだネギがお椀に入れられた状態で置いてあったという。テーブルには、翌朝食べる予定だったのか、蠅帳がかけられた状態でいくつかのおかずも置かれていた。

状況から察するに、朝食を食べるより前に山上さん一家はなんらかの理由で家を出なければならなかったと見られた。

「あれ、犬がおらん」

山上さん宅には、「レオ」という名前のシーズー犬がいた。しかし、家族と共にそのレオの姿も見えない。
犬を連れて深夜か早朝にどこへ行くというのか……
ふと、親族の一人が風呂場の脱衣所に洗濯されていない衣服があるのを見つけた。
調べると、政弘さんと順子さん、そして三枝さんのものとみられる衣類が残されていた。千絵さんのものらしき衣類はなかった。
そういえば、離れの寝室には千枝さんの衣類が畳んでおかれていたはず。
推測するに、千枝さん以外の3人は前日夜に入浴を済ませていたと思われた。
しかし、さらにおかしな点が浮かび上がった。
前日に来ていた服がここにあるということは、洗濯は行われていないはず。にもかかわらず、3人が着用していたであろう寝巻が家の中のどこにも見当たらなかったのだ。

ということは。
家族全員が、深夜から早朝の間に寝間着姿で車で出かけたというのか。しかも犬を連れて。

家族はどこへ行ってしまったのか。自発的に出かけたのか、それともなにかよからぬ事件に巻き込まれたのか……
この時点では全くわからずにいた。

前日までの家族の行動

戸張地区は、現在だと尾道から尾道自動車道を経由するが当時は開通しておらず、国道一八四号線をひたすら北上して車で五〇分程度で到着する山間の地区だ。
国道一八四号線沿いではあるものの、山上家周辺の家は戸張川の西側に多く存在しており、東側に位置していた山上家の周囲は、隣家と砕石工場があるだけでほとんどは畑である。
隣に家はあるものの、その家の一家は五年ほど前から住んでいたといい、山上さん一家とは比較的新しい付き合いだったという。

失踪の二日前の六月二日。先述の通り、隣家の主婦が牛乳を届けるために山上家を訪れた際、娘の千枝さんが家にいた。
千枝さんは、竹原市の小学校で教諭をしており、普段は竹原市内のアパートで独り暮らしをしていた。
しかし、週末などの休みの前日には、特別な用事がない限り実家へ戻って過ごすのが常であったという。
千枝さんには交際相手がいたが、当時は県外で資格取得のために勉強中だった。そのため、週末も交際相手に会うより、実家で過ごすことも多かったのだ。

政弘さんも、六月三日の日曜夕方、自宅前の畑で作業をしているのを目撃されていた。母親の三枝さんも、夕方五時ころ近所の人と立ち話をしていた。
妻の順子さんについては、三日の様子は判明していないものの、こちらも四日から行く予定の中国旅行を楽しみにしていたという。二日の土曜日は、勤務先の砕石工場にいつも通り出勤していて、変わった様子はなかった。

千枝さんは、実は三日の日曜、勤務先の小学校で参観日があり出勤していた。
参観日の後、保護者らとの球技大会に参加し、その後の反省会にも出席、午後九時半ごろ、同僚を自分の車で送った後、世羅の実家へ戻っている。
千枝さんは実家への道中、携帯で交際相手に電話をし、その日あった出来事をいつものように話したという。その様子から、たとえばなにか重大な家族の問題や悩みは窺えなかった。
深夜近く、隣家の人が山上家に車が止まり、ドアが閉まる音を聞いている。おそらく、千枝さんが帰宅した際の音と思われた。
家族の足取りは、ここで途絶える。

警察は、捜索願が出された四日の夜から捜索を開始、地元警察のみならず、県警も捜査に加わり、警察犬も投入された。
四日間にわたってヘリも飛び、空と陸、両方からの捜索が行われている。
一家全員プラス犬までが失踪という異様な事態に、警察も通常の家出人捜索とは違う体制で臨んでいた。

山上さん宅から、山上さんの乗用車(白のスプリンター)がなくなっていたことなどから、Nシステムも調べられたが、それらから足取りは判明しなかったという。
田舎には幹線道路のほか、地元民しか知らないような抜け道もたくさんあることから、警察は事件と覚悟の家出の両面から捜査していたが、全くと言っていいほど有力な手掛かりはつかめなかった。
一方で、Nシステムなどに写っていない以上、そう遠くへ行けていない可能性もあり、捜索は山上家近辺のため池やダムなどに誤って転落した可能性、あるいは事件だったとしてそういった場所に沈められている可能性も否定できず、ありとあらゆる場所を捜索した。捜索には、地域の人らも参加していた。

時期は六月、雑草が生い茂るのは早い。しかし、この時期であれば、もしもダムやため池に車で転落したのであれば、絶対にわかる。
そう思って重点的に捜索がなされたが、車が進入した痕跡や、これは、と思うような痕跡は見当たらなかった。

捜査が進展を見せない中、順子さんの職場の人が情報提供を広く求めたいと手作りのチラシなども作成し、千枝さんの交際相手は連日、思いつく限りの場所を捜して回った。
千枝さんから、両親の思い出の場所として聞いていた京都など、車中泊をしながら捜した。
九州から東京、とにかく思いつく場所という場所を、夏中捜しまわったという。

しかし、平成一四年九月。事件は最悪の形で終焉を迎える。

【有料部分 目次】
発見
順子さんのうわさ
金銭トラブルとヒソヒソ
預貯金総額3000万円
一家心中説の謎
発見現場の謎
チラシ作成代金と相続の行方
様々なうわさ
「永久に見つからんと思うとった」

善き人の、誰も知らないためらい傷~桑名市・家族2人放火殺人事件~

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平成18年2月13日

子どもたちが集団登校し始めた月曜日の午前8時。
畑が広がるのどかな桑名市長島のこの一帯では、冬の寒さの中、早朝から畑仕事に勤しむ人々の姿も見られた。
天気予報は、日中の気温が15度近くまで上がると告げており、冬独特の乾燥した一日になると予想された。

その日、男性はいつものように自身が栽培した野菜を市場へと出荷し、自宅に戻ってきた。
家には先週末から体調を崩している次男坊が寝ているはずだ。
家につくと、ふと、なにかにおう気がした。誰か朝から野焼きでもしているのだろうか。

男性は違和感を覚えながらも玄関の戸を開けた。

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