仇討ち~川崎・河原団地ペット殺人事件~

昭和49年11月7日

川崎市幸区河原町団地一号棟八階。
明け方4時すぎ、ドアを激しくたたく音で男性は目を覚ました。
なにごとかと起きだしてみると、同じ8階の別の部屋で男女複数が大声で騒いでいるような、口論しているような声が聞こえてきた。
迷惑だな、と思っていると、声は悲鳴へと変わり、男性の怒号も飛んだ。

ただならぬ雰囲気を察し、男性は110番通報する。
ガラスの割れる音、さらに激しくなる男女の声……

救急車とパトカーが到着したが、女性がひとり、死亡した。 続きを読む 仇討ち~川崎・河原団地ペット殺人事件~

怨焔~大胡町・不倫仲裁逆恨み隣人焼殺事件

平成8年5月2日

群馬県勢多郡大胡町。
とある民家のガレージから火の手が上がった。
隣人らの通報で消防と警察が駆け付けたが、ガレージでその家に暮らす女性と思われる焼死体が発見された。

その数時間後、赤城山の大沼近くの旅館から、沼に車が突っ込んだ、という通報も入った。
しかも、「人を殺したと言っている」とのこと。
赤城大沼に突っ込んだ車は白の乗用車で、大胡町の現場から急発進して逃走した車も、白の乗用車だった。

捜査の結果、一命をとりとめた白い乗用車の運転手の男が、元交際相手だった大胡町の女性にガソリンをかけて焼き殺したと判明。
男の回復を待って、5年後の平成13年月に逮捕となった。

この事件、地元の人らの間では忌まわしいある過去の事件を思い起こさずにはいられなかった。

昭和の終わり、この事件と同じような事件がこの大胡町で起きていたのだ。

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田舎の復讐劇、その顛末~愛媛・給食農薬混入事件~

昭和62年5月25日

「なにこのみそ汁……」

給食当番の生徒がみそ汁の容器のふたを開けた時に見たのは、いつもよりもやけに緑がかった色をした不気味なみそ汁だった。
担任の女性教諭もそれを確認、しかし特に異臭などはしなかったことと、具材にわかめが入っていたことから、
「わかめの成分が溶けたんやない?」
ということで、そのみそ汁は生徒全員に配られた。

クラスは全部で42人。みそ汁は配られたものの、女子生徒らの多くは気持ち悪がってそれを残した。

翌日、午前の授業中、そのクラスの男子生徒が腹痛を訴えたのを皮切りに、同じクラスの生徒が次々と体調不良を訴え始めた……

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隣人を叩き斬った老人の正義~世田谷・日本刀隣人殺害事件~

平成24年10月10日

東京都世田谷区野沢1丁目。
世田谷区立旭小学校の北に位置する住宅街は騒然としていた。
上空には報道機関のヘリが旋回し、周辺の路地にはパトカーや救急車が待機していた。
周辺では警察官が「犯人は凶器を持っている可能性があります、外に出ないで」と大声を張り上げている。

午後1時40分、警視庁の特殊班が民家に突入、その後家の中から血まみれの男性が運び出された。

男性は搬送先の病院で死亡、しかし、死亡したのは男性だけはなかったし、この男性は被害者ではなかった。
それより2時間前の11時半ころ、その民家の前の路地で、女性が倒れていると通報が相次いでいた。
女性の首は、切断寸前だった。

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🔓ひとりで死ね、は、暴言か~道連れにしたがる人々~

まえがき

人は人生に行き詰まり、また絶望したとき、ふと、自死に思いを巡らせる瞬間がある。それは、単に想像するだけのものから、実際に計画を立てたり、あるいは衝動的に自傷行為に及ぶもの、そして、計画的か衝動的かにかかわらず、結果として死亡してしまうものまで幅広い。

年間の自殺者は3万人を超え、10歳以下の子どもから80歳を超える年寄りまで自殺者のいない世代はない。
これらは社会問題とされ、その要因を社会に求める人々、家族間や学校に求める人など様々だが、いずれにせよ自死を選択しやり遂げた人からすれば、どれも「なんか違う、けどまぁいいか」程度のものだと思っている。

そういった自死を選択する人々の多くはひとりで旅立っていくわけだが、時に他人とともに旅立とうとする人々がいる。
同じ自殺の意思を持ち行う集団自殺、あるいは夫婦や恋人間に見られる完全合意の心中、さらには、無関係の他人を無差別に巻き込む通り魔的犯行まで、そのかたちも様々だ。

そういった、「誰かと死ぬ」「一人では死なない」という選択をした人々の事件をいくつかとりあげてみたい。

他人とともに死ぬということ

こう聞いて、まず思い浮かべるのはやはり心中事件だろう。個人的に、心中という言葉は使いたくなく、特に親が幼い子を道連れにするようなケースにおいては全部殺人だと思っている。
しかし一方で、完全なる合意のもとで行われる、それこそ「心中」と呼ぶ以外にないケースもあるだろう。病気を苦にした人が家族に殺害を依頼し、それに家族が応じたうえで自らも命を絶つというケースや、そこに全員の「死ぬ意思」がはっきりと見て取れるケースなどは心中に該当するのだろう。

病気を苦に、将来を悲観して、経済的な問題、男女関係の問題、理由は様々あろうが、家族以外の人間と、となるとその判断は特に慎重にしなければならない。

特に、男女関係におけるそれは、片方の身勝手な思い込みが介在していることが少なくない。大昔であれば、身分の違いから結婚を許されない二人が…などという話もあっただろうが、現代においてそんな身分はない。眞子さまだってこの状況でも結婚のお許しはもらえたわけで、一般庶民が許されざる関係に嘆いて心中、などというのはほとんどない。あるとすれば不倫関係か。であっても、数としてはそんなに多くないだろう。

家族間の場合は、よくある「あとに残される人間が不憫」という理由で全員連れていく、というものだが、それとて全員の承諾があったかどうかは本当のところはわからない。全員死んでしまえばそれで終わりだし、こういうケースで生き残るのはたいてい首謀者であり、その首謀者の言葉を鵜呑みにするのは当然危険である。
このサイトでも取り上げた、中津川の一家五人殺しも、首謀した一家の主が家族を殺害後、自らの首を切っていたこと(未遂)などから無理心中を図ったとされ、幼い孫まで殺しておきながら死刑を免れた。
一方、宮崎の一家三人殺害の場合は死刑判決が確定している。心中する「つもり」だったのかそうじゃなかったのかは、殺害した人の数よりも重要なのだ。

しかし道連れにされた(殺害された)家族の心はどうなるだろうか。
しかも、首謀者が道連れを画策したのが初めてではないとしたら。
平成13年と14年に青森で起きた二つの無理心中事件を紹介しよう。

【有料部分 目次】
七戸一家4人無理心中事件
岩崎村の兄殺し
・吐き気がするほどの身勝手
大宮のテレクラ殺人
・虚無の人生
・噴出した感情
永遠に自分のもの
・大胡町の事件
・優柔不断男の豹変
・愛憎の焔
・衝撃の判決
ひとりで死ね論争
道連れにしたがる人々