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「先に帰りますよ」
平成17年1月28日、静岡市葵区新伝馬町。休日出勤をしていた事務員は、まだ残っていたショップの女性従業員ふたりに退勤の挨拶をして出ていった。
1月終わりの夕方5時すぎ、すでにあたりは薄暗くなり始めていた。
静岡市の中心部から少し離れた田畑の中の住宅街。比較的交通量は多い県道沿いの脳神経外科クリニック二階にある「クオリテ」は、クリニックの院長の妻が運営しており、主に健康食品やリラクゼーション器具を取り扱っていた。
その日は4人の従業員が出勤していたが、うちふたりは午後5時に退勤していた。
午後10時を過ぎた頃、近所の住民はふとその店にまだ明かりがついていることに気が付いた。
すでに1階のクリニックは閉まっており、いつもなら夜間店に電気がついていることは稀だったことで気になった。
同じ頃、従業員の家では、出勤したまま連絡がつかない女性のことを家族が心配していた。いつもは夕方の6時から遅くとも7時までには帰宅していたという。勤務先の店に電話しても、誰も出ない。
家族は深夜0時になっても帰宅しないことから、直接勤務先へ行ってみることにした。
0時半、捜しに来た娘夫婦が見たのは、店内で縛られ、大量に出血して倒れている二人の女性の姿だった。
その日
家族はすぐに110通報、深夜の住宅街はパトカーのけたたましいサイレンと赤色灯で異様な雰囲気に包まれた。
倒れていた女性二人は、この店の従業員の女性と確認されたが、残念なことにすでに死亡していた。また、店内はレジや引き出しが荒らされ、現金数万円がなくなっていることから、警察ではふたりが何者かに殺害された可能性が高いとして捜査を開始した。
殺害されていたのは、静岡市清水区村松原の竹内真知子さん(当時57歳)と、同じく静岡市西島の井本嘉久子さん(当時60歳)。
ふたりともこの店に長く勤めていて、特に井本さんは仕事ができ、時には経営者の妻に代わって店を取り仕切るほど、信頼も得ていたという。
竹内さんは井本さんに誘われて仕事をするようになり、おとなしく人当たりの良い、親切な女性だと評判だった。ふたりとも地域での友人も多かった。
二人とも恨みを買うような人物ではなく、またこの辺りではクリーニング店が盗みの被害に遭ったり、車上荒らしが出るなどしていたこともあって、強盗と鉢合わせしたのでは、という推測もあった。
が、警察はその殺害方法の残忍さや強い殺意、そして店内にはまだ現金が残されていたことなどから、店内が荒らされていたのは強盗に見せかけるための偽装と判断。クリニックと店のいずれか、または両方に強い恨みを抱く人間によるもので、計画性の高い単独犯行との見方を強めていた。
単独犯と断定したのは、現場に残された血染めの靴跡が一人分だったためである。
そんな中、一つの目撃情報が近隣住民から寄せられた。
事件が起きた日の夕方、若い男がクリニックの敷地のフェンスを乗り越えて自転車で店から立ち去るのを目撃していたのだ。
さらに、事件現場の店の中で、ナイフ入りのザックが発見される。ただそのナイフは凶器ではなかった。
警察はクリニックとクオリテに来た人物らを徹底的に洗い出した結果、事件前日にクリニックを訪れた若い男が浮かび上がってきた。
男は当初偽名を使っていたといい、加えて、診察にあたった医師に対し、「先生は正常ですか、異常ですか?」などと不審な言動が見られたこともあって院長らが男のことを覚えていた。
その後、現場に落ちていた凶器ではないナイフの所有者がその男であることも判明、さらに現場に残されていた自転車のタイヤ痕と、男が所有する自転車のタイヤ痕も一致したことから警察ではこの男が何らかの関与をしている可能性が強いとして任意で事情を聞くこととなった。
男は調べに対し、27日にクリニックを訪れたことと、現場に落ちていたナイフが自分の所有物であり、27日にクリニックに行った際に持参していたものだと認めた。が、28日にはクリニックにもクオリテにも行っていないとして殺人への関与を否定したため、警察はさらに男を追及していくこととなった。
1月30日、県警で任意の取り調べを受けていた男は、取り調べが長引いたことで外の空気を吸おうと立ち上がったところ、それを制止した警察官に対し椅子を持ち上げるなどしてその公務を妨害したとして現行犯逮捕された。
警察官は4人がかりで制止したといい、その内の一人が眼鏡を壊され負傷していた。
公務執行妨害で逮捕されたのは静岡市の高橋義政(当時24歳)。高橋は現役の静岡大学の学生だった。
【有料部分 目次】
攻防戦
忘れられない人
自分を支えた憎しみ
自白
つかめない心
置き去りの被害者と遺族
判決確定
疑問
「ここにいる」