🔓あの池のほとりで~袖ヶ浦・3歳男児虐待死事件~

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庭先にて

千葉県袖ケ浦市。
フラワーラインを西に走ると、途中で市道代宿神納線(平成通り)と交わる。それを北上し、神納交差点を東へ折れると、その灌漑用ため池がある。
通称、「井戸谷堰」。緑色に濁ったその池は、時折釣り人の姿があるというが鬱蒼としていて少々薄気味悪い。
その井戸谷堰を右手に狭い道を進むと、一つの集落が出迎える。神納地区である。

平成13年4月7日。土曜日のこの日、その神納地区にある民家の庭先では、家族がバドミントンに興じていた。
家の中から孫らが戯れているのをにこやかに見つめる祖父母。子供たちと遊ぶ両親。家庭菜園で野菜の手入れをする曽祖父の姿もある。
平成の時代、4世代同居の7人家族は大家族といってもいい。何気ない、土曜の朝の家族の光景がそこにあった。

しかしこの家族は、つい2ヶ月前までは8人家族だった。

千葉県警捜査一課と木更津署の捜査員は、この日の午後、この家に住む子供以外の大人5人全員を逮捕した。内訳は、子供たちから見て両親、祖父母、そして曽祖父である。

容疑は、この家で暮らしていた3歳の男の子への傷害致死と保護責任者遺棄だった。

【有料部分 目次】
事件
絶句した葬祭業者
虐待に至る経緯
保健師と児童相談所
家族ぐるみの隠蔽
憤る弁護人、怒鳴る裁判長
それぞれの鬱憤
最後のクリスマス
ふたたび、あの池のほとりで

私が母でなかったら〜桜井市・5歳男児餓死事件〜

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電話

平成22年3月3日、奈良県中央児童こども家庭相談センターに一本の電話がかかってきた。

「これは虐待と言っていいと思う。昨日から風邪をひいて寝ているが、病院に連れて行った方がいいのだがどこへ連れて行ったらいいのかわからない。救急車を呼んだらいいと思うがどうしたらいいのかわからない」

電話の主は母親とみられる女性で、電話口ですでに泣いて取り乱した様子だった。合計3回の電話でのやりとりの後、児童相談所は電話の主が住んでいる桜井市に連絡。
桜井市の市職員2人が訪ねたその家は、単身者向けのワンルームマンション。ここであっているのかと思いつつもインターフォンを鳴らすと、母親らしき女性が応対、玄関ドアを開け、職員を中へと通した。
市職員は、センターからの申し送りとして「風邪をひいて寝ているらしい」「ぐったりしている」「母親に救急車を要請するよう伝えている」と言ったことは聞いていた。が、通された部屋の中で横たわっているのは、ただ風邪をひいてぐったりしている子供には見えなかった。

そこに横たわっていたのは、身長85センチ、全身が垢にまみれあばら骨と足の骨が浮き出たオムツ姿の5歳男児だった。

6.2キロの5歳児

市職員は母親がまだ救急車を要請していないことを知り、すぐさま119番通報、男児はまだかすかに息があった。
男児の容体は非常に悪く、体には複数の傷跡のほかに「褥瘡」が確認された。褥瘡は、寝たきりの高齢者などが体位を長く変えられずにいると起こることで知られるが、この男児もそんな状態だったのか……

ただ、市職員はこの時男児の妹らしき女児を保護していた。しかしその女児の健康状態には、特に問題があるようには見られなかったという。

両親と、幼い兄妹の4人が暮らすには明らかに狭いその部屋は、単身者用の1K。奥にロフトがあった。この部屋で、一体何が起きていて、この男児はなぜこんな状態になってしまったのか。
救急搬送された男児は、その後17時20分ころ、病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、桜井市の吉田智樹ちゃん(当時5歳)。極端に痩せ細ったその体から、十分な食事を与えられていないことは明らかだった。体重は平均的な5歳児の三分の一の6.2キロしかなく、身長も1~2歳児並みの85センチしかなかった。死因は飢餓による急性心不全とみられたが、その後の司法解剖では脳の萎縮も確認された。

智樹ちゃんが搬送された後、母方の祖父が病院に駆けつけていたが、智樹ちゃんが死亡したことを受けて奈良県警は、智樹ちゃんの父親である吉田浩一(仮名/当時35歳)と、母親の真佐実(仮名/当時27歳)を、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。

調べに対し、智樹ちゃんは自力で歩くこともできず、食事も与えてはいたが食べようとしなかったという。

それにしても先にも述べたとおり、妹は特にその発育や養育状況に問題はなかったとされており、さほど年の変わらない兄と妹になぜここまでの差がついたのか。しかも、5歳児が餓死するということは相当な期間ネグレクト状態にあったと考えられ、その間、外部に一切虐待の事実が漏れ聞こえなかった点も疑問があった。
両親ともに実家があり、祖父母らも健在だったのだ。

逮捕後の取り調べで、両親はこう答えていた。

「智樹には、愛情がわかなかった」

そして、母親の真佐実はこうも話していた。

「母親が私でなければ、元気に育っていた。」 続きを読む 私が母でなかったら〜桜井市・5歳男児餓死事件〜

🔓吐き気がする~宮崎・男性殺害死体遺棄事件と場外乱闘~

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タレコミ

「どうやら殺されて埋められているらしい」

平成15年9月に宮崎県警にもたらされたタレコミは、無視できないものだった。
殺されているとされたのは、県内でも大手の建設会社を営む一族の血縁男性で、事実、5年ほど前からその姿を見た人がいなかった。
いや、正しくは「家族以外」その男性の行方を知っている人がいなかったのだ。

家族によれば、すでに離婚した妻は子を連れて宮崎を出ており、それを追って男性もまた宮崎を出た、という話だった。
しかし男性が貸金を行っていたことや、暴力団との付き合いが取りざたされていたことなどから、県警では事件に巻き込まれた可能性を視野に捜査を開始、家族からも事情を聴いていた。

警察は男性が妻との離婚届を提出した日付が、すでに行方が分からなくなっていた時期であることに注目、筆跡鑑定の結果男性の署名が男性のものではないと判明。
平成17年2月、男性との離婚届を偽造した有印私文書偽造、同行使の容疑で男性の妻、男性の実母、そして知人の暴力団関係の男を逮捕、その後、宮崎市細江の山中の養鶏場跡地に男性を埋めたとする供述をもとに捜索したところ、ビニールシートにくるまれた遺体が出た。
DNA鑑定の結果、遺体は行方不明の当該男性であると確認された。

崩壊家族

殺害されていたのは宮崎市の境大介さん(当時31歳)。逮捕されたのはその妻の池本友里(仮名/当時35歳)、暴力団関係者の鳥井信之(仮名/当時39歳)、そして大介さんの母親・境喜枝(仮名/当時58歳)の3人。このほかに男一人の逮捕状も出ていた。
友里と鳥井は殺害も含めて全面的に認めていたというが、喜枝は離婚届偽装については認めたものの、それ以外は否定していた。

しかし大介さんが殺害された後に境家名義の口座から数千万円、大介さん名義の口座から数百万円を引き出していたこと、大介さん名義だった5階建て自宅マンションを喜枝名義に変えていたことなどから追及、その後息子殺害を認めた。

宮崎市内では知らない人がいないというほどの、家だった。過去には宮崎県知事が3000万円の賄賂を受け取ったと告発(のちに無罪確定)した人物の存在があり、先にも述べたように経営する建設会社は相当力のある会社だった。
その直系に当たる大介さんだったが、180センチ120キロの体格で、若いころから暴力がつきまとっていた。
同級生らに話によれば、確かに素行が悪かった部分もあったが、身近な人には優しい人だったという話もある。群れなければ何もできないというタイプではなく、また面倒見も良かったという。

友里とは平成7年に結婚、その年には父親が日向市内で交通事故で亡くなっている。
ただこの時点で母親の喜枝は離婚していて境家と無関係になっていたといい、当然ながら元夫の遺産は受け取れなかった。
その翌年、絶大な権力を持っていた祖父も死去。孫である大介さんには多額の財産が遺されたが、喜枝は無関係だった。
そういった関係があるからなのか、離婚しても喜枝は大介さんと同居し、境姓を名乗っていた。自身でも会社を経営していたようだが、ペットフードや輸入雑貨の販売を掲げたその会社に、その経営実態は全くなかったという。

身近な人に暴力は振るわない、と同級生らの印象としてはあったようだが、実際は大きく違っていた。
大介さんが10代のころから、喜枝はすさまじい暴力にさらされていたのだ。何度も自宅には救急車が来ていたし、そうでなくても喜枝は年中顔を腫らしていたという。
妻である友里にも暴力は及んだ。
「一日のうち、自由にできるのは30分くらい」
後の公判で友里はこう供述。さらには殴られて気を失うこともあり、両目が網膜剥離になっていたことも明かされた。

そんな大介さんは、祖父、父親が遺した財産も完全に独り占め状態だったという。そしてその金を元手に、鳥井ら暴力団関係者に金を貸していた。最後に逮捕された男も、債務者の一人だった。

巨額の財産を持つ息子と一円も自由にできない母親と妻。大介さんには覚せい剤の使用もあったといい、特に妻の友里が受けた暴力は「異常とも言える激しい暴力」と裁判所も認定した。
そんな二人と、鳥井ともう一人の男は次第に親密になっていった。
それぞれがそれぞれに大介さんに対して不満という言葉では到底表しきれないほどの感情を抱き、いつしかそれは大介さんさえいなくなれば、という考えに変わっていく。

もう、死んでもらうしかなかった。

【有料部分 目次】
被害者の落ち度
マスコミの大失態
あぶない刑事
キモいメール
恥知らず

みじめな夫がやり過ぎた妻につけたおとしまえ・昭和版~日光市・不倫妻殺害事件~

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東京高裁にて

この日、ある殺人事件の控訴審判決が言い渡された。
控訴したのは検察側で、量刑不当が主訴だった。原審での判決は、殺人事件であるにもかかわらず、懲役3年しかも執行猶予がついたのだ。
検察は、こんなことでは世間一般の道義的観念を満足させられない、どれほど被告人の主観的心情に同情したとしても殺人という重罪を犯した者に対する刑罰が軽すぎるのでは治安を維持できないと主張。激おこだった。

しかもこの事件は、子供の面前で父親が無抵抗の母親を斧で頭部を滅多打ちにするという残虐非道なものだった。

それを踏まえての東京高裁の判断は、「控訴棄却」。
原審を支持する、というものだった。

裁判でも「みじめ」といわれた夫がつけた、やり過ぎた妻へのおとしまえ。

昭和39年、夏

男は子供たちを家の中に追いやると、玄関先で妻の帰りを待った。
家の中に入ってしまったら、子供たちにケンカしているところを見せてしまう。
一体、妻は何を考えているんだろう。何度言っても分かってくれない。
そんなことを考えていると、その妻が何食わぬ顔で帰宅した。男は妻を捕まえると、「どこへ行ってきたんだ」と聞いた。いたって、冷静に聞いたつもりだった。
「どこ行ったっていいじゃないか!」
対する妻の返答は、自分の立場や状況を分かっての態度とは思えぬほど、辛辣で捨て鉢な、開き直った態度だった。

そのまま男を無視して、子供たちのそばに座り込んだ妻との間で、口げんかが始まった。子供たちは不安そうな顔で押し黙っている。
「どこへ行ってたって、いいじゃないか。」
再び、妻は男に対して言い捨てた。

男の堪忍袋の緒が切れる音がした。

男は咄嗟に手近にあったものを掴むと、妻の頭部めがけて振り下ろした。意図してそれを選んだわけではなかった。しかし、振り下ろしたそれは、手斧だった。
1度殴ってしまった男は、もうどうにもそれを止められず、なんども妻の頭めがけて振り下ろす。
妻の顔はみるみる血に染まり、そして絶命した。

夫婦のそれまで

この事件で逮捕起訴されたのは、日光市在住の武田彰伸(仮名/年齢不詳、おそらく40歳前後)。殺害されたのは妻のキミイさん(当時36歳)。
彰伸は小学校卒業後、農家の子守や徴用工を経て招集され、現役の兵隊として軍隊に所属していたところ、終戦となって帰郷した。
農業を営んでいた昭和22年、キミイさんと見合いで結婚、二男一女にも恵まれた。
元々、言語障害があった彰伸だったが、温厚でまじめな性格、酒もたばこもやらないという実直な男だった。
昭和36年、日光市内の建設会社で働き始めた彰伸は、その真面目な人柄が評価され、同建設会社会長からも非常に信頼されていたという。
妻のキミイさんも、末っ子が5歳になったころから同じく日光市内のコンクリート会社で働くようになった。
口数の少ないおとなしい夫に対し、キミイさんは明るく勝気な性格だった。それが、バランスの取れた良い夫婦に見えていたし、実際年の離れた子供が出来たことからも、夫婦仲もよかった。
戦後の、決して裕福とは言えない生活だったが、夫婦で力を合わせて家庭を築き、周囲からも何の問題もないと思われていた。

が、昭和394月。突如家庭に暗雲が立ち込める。
キミイさんが働いていたのはコンクリート会社で、圧倒的に男性が多い職場だった。そこでキミイさんは、14歳年下の原田という男と不倫関係になってしまったのだ。
キミイさんの不倫はすぐに彰伸の知るところとなり、驚いた彰伸がキミイさんにそんなことはすぐにやめるよう言ったところ、キミイさんも謝罪し、もう原田とはそんな関係にはならないと約束した。

安堵した彰伸だったが、お察しの通りキミイさんと原田の関係はすぐに再燃した。

開き直る妻

一度バレたことでなのかなんなのか、キミイさんは次第に大胆になっていった。
彰伸に対しては、残業になったとか、休日出勤になったとか、様々な理由をつけて騙していたようだが、会社内での不倫はすでに周囲の噂になっていた。
それでもおかまいなしに、キミイさんは原田との逢瀬を楽しんでいたという。
そして彰伸も、キミイさんがいまだに不倫をしているという事実を知り、愕然とするとともに、14歳も年下の男にうつつを抜かしているということはことのほか世間体も悪く、なんとかキミイさんの不倫をやめさせなければと気をもんでいた。

叱ってもだめなら、諭すように話してみたこともあったが、元来口下手な男である。勝ち気で口達者なキミイさんに太刀打ちできるはずがなかった。
キミイさんは彰伸がその話を持ち出すたびに、「ならば離婚したっていいんだ!」と強気な態度に出る始末で、途方に暮れる彰伸の面前で原田から預かった汚れ物を甲斐甲斐しく洗濯してみせるなど、完全に彰伸を馬鹿にした態度に出ていた。

この頃彰伸は、そんなキミイさんに対して注意する回数を3回に1回くらいにしていたという。口うるさく言っても逆効果と思っていたのだろうか、しかしそれでもキミイさんの態度が改まることはなかった。

それどころか、14歳になっていた長女に対し、「今日は彼氏とデートだよ」などと臆面もなく話すなど、子供たちに対してもあからさまな態度を見せていた。

6月、あまりになめた態度に業を煮やした彰伸は、薪でキミイさんの頭を叩いたことがあったが、結局彰伸が謝罪するという羽目になってしまい、まったく意味をなさなかった。

そんなキミイさんの態度を知ってか、相手方の原田も相当な開き直りようだった。
会社で噂となり、同僚らから窘められても意に介さず、むしろ彰伸にバレているとわかってからはかえって積極的にキミイさんとの不倫を楽しんでいた。
それに呼応するように、キミイさんもまた、原田との不倫にのめり込んでいった。

彰伸はなんとか物理的にキミイさんと原田を遠ざけようと、キミイさんに対しコンクリート工場をやめ、自分と同じ建設会社で働かないかと持ち掛けた。
しかしキミイさんは頑として聞き入れないばかりか、「あそこで働くんならこんなところにいない」と口答えし、とりつくしまは全くなかった。
幼い子供らの世話もそっちのけで原田との情事に溺れるキミイさんに代わり、日々仕事と子供らの世話をしながら彰伸は、ある時会社の創業者でもある会長夫妻、専務に相談した。加えて、キミイさんの同僚女性らにも恥を忍んで夫婦の内情やキミイさんと原田のことを打ち明けた。
そこで、原田が実は過去に交際していた女性もキミイさん同様年上の女性で、しかもその女性を二度にわたって妊娠させていたことなどが判明。上司や同僚の女性らが原田に対して不倫をやめるよう注意されても原田は意に介さず、キミイさんもそれを知ってか、会長夫妻から直々に注意されてもそれを聞き入れることはなかった。

すでにキミイさんと原田の関係は、たとえそれがどんな立場の人であっても他人が注意してどうにかなるようなものではなくなっていた。

その日、キミイさんは日光市宝殿町の旅館で原田と会い、飲酒して帰宅していた。
そして先述の通り、彰伸との押し問答の末、子供らの面前で惨殺されてしまった。

納得しうる裁判

犯行の結果の重大性を考えれば、地裁の判決は意外といっていいものだった。
懲役3年、執行猶予5年というのはたしかにどれほど被害者に非があったとしても殺人であり、また過剰防衛や嘱託殺人、無理心中の類でもないわけでなんでこうなった、と検察がいうのもわかる。

控訴審判決では地裁の判断を支持した理由以外に、裁判とは、道義的観念を満足させるとはどういうことかをその判決文の中で示した。

たしかに、殺人という行為自体重大な犯罪であり、それに対して執行猶予を付けるなど世間一般の道義的観念を満足させられないという検察の主張はもっともだった。
ただ、一概に殺人と言っても諸外国のように謀殺と故殺、その殺人に等級をつけるなどしているものもあるが、日本の場合は殺人自体に重いも軽いもない。
が、そうである以上、その殺人を構成する動機や様態が千差万別であるのは当然であるため、裁判ではそれらをつぶさに吟味し、適正な、妥当な量刑を決めるのが望ましいとされている。

この事件では、彰伸の人柄や性格、それまでの社会生活、そして関係者(要因となったキミイさんと原田の不倫を知る人々)の証言が重視された。
関係者らは、当事者である原田を除く全員が異口同音にキミイさんを非難し、彰伸に対しては同情を隠さなかったという。
その中には、彰伸とキミイさんの実子(長女)のみならず、殺害されたキミイさんの両親まで含まれていた。
長女は調べに対し、
「わたくしは、お父さんとお母さんでどちらが悪いかわかりません。お母さんは死んでしまい、お父さんが警察に行っているのでわたくしたち子どもだけですから、早くお父さんを家に帰してください。お願いします。」
と話し、キミイさんの両親に至っては、
「娘の行状が悪かったことでもあり、今更死んだ娘が返ってくるわけのものでもないから、将来彰伸の家族が一緒に暮らしていけるよう切望する」
という供述を検察官に対して行っている。

これがいいとか悪いとかの話ではないのだが、裁判所は続けてこうも述べている。

本件自判の内情を知っている世間の人たち、幸いにも法網に触れずして済んだ当の相手方たる原田を含めて、被告人に今一度人の子の親としての更生と贖罪の機会を与えた原判決を聴いて、おそらくは、いずれも皆ほっと安堵の吐息を漏らしたことであろう。
事情を知る人々が真に納得しうる裁判にこそはじめてよく一般の道義的観念を満足させるものと言えるものであり、そしてまた、それは、一般予防と特別予防の調和を意図する刑政の目的にも合致するものと言わなければならない。

私も含め、判決によっては「こんなことでは抑止力にならない、被害者が浮かばれない、どんな理由があっても人を殺しておいて同情されるなんてありえない」と思うこともあるだろう。
たしかに、歴代の重大事件をみても、被害者に相当な落ち度があると思われるものはある。しかしだからと言って殊更に加害者に同情を寄せるべきではないのは、ひとえに亡くなった人はもうなにも言うことができないからに他ならない。殺されていい人などいるはずがないのは、その「殺されても仕方ない」という判断基準が人によって違うからである。そんなあてにならないもので判断されたらたまったものではない。

しかし一方で、この裁判が示したように、再犯の可能性がほぼないような状況や、関係者らが納得できるか否かは、一つの重要な判断基準でもあるのだろう。

ただやはり時代も大きく関係しているであろう印象は否めない。
今の時代だったら執行猶予などつくはずもないだろうし、弁護士に相談して離婚を考えるべきだったとかいろいろ言われてこんな判決は出せないだろうと思われる。
この時代は不倫、特に母親が家庭を顧みず情事に耽るなど……という時代だったろうし、そんな奔放な妻のあとを追うしかできないみじめな夫にはさぞかし同情が集まったのだろう。

このサイトでも取り上げた日立の妻子6人殺しの小松博文は死刑判決となった。人数からしても連れ子を含む子供5人を殺害した点でも再考の余地はなさそうだが、その動機としてはやりすぎた妻がいた。
もし、小松が妻だけを殺していれば、同情されたろうか。
大洗で娘二人を殺した父親も、開き直る妻の存在があった。この事件同様、年下の男にうつつをぬかす妻は、幼い娘に彼氏の存在を隠そうともしなかった。そして、妻の父親も孫を殺した夫に対して憎む気持ちはないと証言した。
この夫も、娘ではなく妻を、あきれ果てるほどフリーダムな妻を殺していれば、同情されたのだろうか。

そして、この事件の被害者、キミイさんは、言いたいことはなかったのだろうか。
自業自得と言われて、関係者は納得し安堵していると言われ、どう思ったろうか。

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参考文献
昭和40年6月30日/東京高等裁判所/第一刑事部/判決/昭和40年(う)304号

 

仁義なき戦い~嫁姑事件簿~

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嫁姑。
嫁は「嫁ぐ」というもう一つの読み方からも分かる通り、結婚し夫の家に入ること、姑は古くなった女と書く(本来の意味は年長者という意味らしい)。

この字面がすべてを物語っているように思えるが、完全同居が当たり前、嫁は一切姑に口答えならぬというのが当たり前だった時代は過ぎ、今では同居していても息子の家に姑舅が呼ばれるという形も多く、姑のほうが小さくなっている、そんな家庭も少なくない。
もちろん、時代関係なく理解のある姑舅に恵まれ、また、若夫婦も老親をいたわりうまくいっている家庭もたくさんあるし、増えているだろう。
ただそこには、親世帯の経済的余裕、子供世帯の夫婦仲の良さなど、うまくいく条件みたいなものもあるように思う。

永遠のテーマと言われる、嫁姑問題。
実の親でも大変なのに、赤の他人の女が二人、一つ屋根の下でいれば表面上うまくいっていても、胸にためるものの一つや二つはどちらにもある。
それに折り合いをつけ、時に夫や舅の仲介があり、友人や近所の人々にアドバイスをもらいながら多くの人は日々やり過ごしている。
それが出来なければ、離婚である。そして、折り合いもつけられず、我慢もできず、離婚もできなかったらどうなるか。

相手を抹殺することで解決しようとした人々の物語。 続きを読む 仁義なき戦い~嫁姑事件簿~