迷い人~西宮・幼女連れ去り傷害事件①~

平成18年6月26日

「すみません、そのお子さんは迷子の子ではないですか?」

阪神電鉄西宮駅にあるショッピングモール、「エビスタ西宮」内で、その警備員は迷子連絡を無線で受け、店内を巡回していた。
すると、迷子の特徴と一致する服装の女児を抱いた女性とすれ違い、そう声をかけた。
女性は「はい、そうです」と近づいてきて、保護した場所などを警備員に告げた。
「よかったね、ママに会えるよ。」
女性は優しく微笑みながら、迷子の女の子に語り掛け、警備員に女児を引き渡した。しかし、女児が泣き出したことから、警備員が女性に「母親が来るまで一緒に待ってもらませんか?」とお願いすると、女性も快諾、母親が来るまでの間、女児は女性に抱かれ穏やかにしていたという。

しばらくして、女児の母親が到着。警備員はやれやれ、と思ったが、当の母親は女性に礼を言うこともなく、ひったくるように女児を連れ、逃げるように去っていった。
警備員はあまりに不躾なその母親の対応に驚くと同時に、心の中に違和感を抱き、その母親を追った。

すると母親は、厳しい表情でこう警備員に話した。

「あの女が勝手に連れて行ったのよ。買い物しているとき、あの女がうろうろしているのを知っていた」

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迷い人~西宮・女児連れ去り傷害事件②~

不可解な行動

全面否認とはいえ、理佐が語る一部始終は正直、どの点においても理解に苦しむ内容だった。
事件前の2度の迷子騒動の際の理佐の証言も同じく不自然さばかりが際立った。

どちらもすぐに店員に事情を話す、店内放送を要請するなどしておらず、迷子を見つけたというその状況自体もよくわからないものだった。

6月26日の迷子のケースでは、ベビーカーに乗っていた子供が落ちかけたのを抱き上げ、そのまま母親を捜すために20~30分広いショッピングモールを歩き回ったというのだ。
しかもベビーカーがあったのはスーパーで、にもかかわらず全く違う場所を理佐は歩き回っていた。

7月30日のケースはさらに理解に苦しむ。
エビスタ西宮内のトイレ付近で「ママ」と言いながら泣いている子を見つけ、抱き上げて警備員に託そうとこれまた店内を歩き回っていた。その際、子供が「おしっこ」と言い出し、理佐はなんと自宅で用を足させたというのだ。
確かに理佐のマンションは近かったが、我慢できないという子供を連れて店内のトイレに向かわずなぜ自宅なのか。
これらに対する理佐の答えは、「それ以外思いつかなかった」だった。

事件を起こした日の理佐の供述は先にも述べたが、実際には母親がすぐ近くにいたにもかかわらず、母親は見当たらなかったといい、普通ならばその場にいる人々に声をかけるところを、なぜか別の場所へ捜しに向かっていた。

そして、女児は尿意を催したためにまた自宅マンションへ連れて行ったと話した。
なぜそばにある公共のトイレを使わせなかったのかについては、
「公共のトイレは汚く狭いし、人の出入りがあると落ち着けない。自宅ならゆったりした気持ちでできるだろうと思った」
と供述。駅やショッピングモールにもきれいで広いトイレがあったわけだが、それについては「思い浮かばなかった」で通した。

その後自宅マンションへ女児を連れ帰り、そろそろママを捜しに戻ろう、と声をかけると突然女児が泣き出し、「眠い」などと言ってベッドに倒れこみ、直後に目が虚ろになってぐったりしてきたのだという。
救急車を呼んでも最低5分はかかると看護学生時代に学んでいたから、それなら自分で勤務先の西宮病院へ連れて行ったほうが早いと判断、自宅から女児を抱えて走った、というのだ。こんな看護師は嫌だ。

そういいながら、丁寧に長靴を履かせ、途中で病院へ行くのと母親に知らせるのとどっちが先かわからなくなったことから、病院へ向かう途中の公園で一旦女児を寝かせ、誰かあの子を助けてくださいと願いながら人を呼びに行ったという。
少し走って振り向くとすでに人だかりができていたこと、「迷子が見つかった、助かったみたい」という声も聞こえたことで安堵し、そのまま帰宅したというのだった。

その後、やはり誰かにこのことは話すべきだと考え、同僚看護師に連絡したと言ったが、実際には甲子園球場で行われるプロ野球観戦へ一緒に行く約束をメールしただけだった。
さらに、同日夜観戦の際にも同僚に対し一切の話をしておらず、その後翌日の勤務を休みたいと上司に連絡した際にも、その日の出来事は一切話していなかった。

とにかく理佐のはなしは一事が万事、

「私なりに最善の方法を考えて行動していた」
「(それが常識では考えつかない行動だったとしても)それ以外に思い浮かばなかった」
だった。
迷子を見つけて親を捜したという割に、周囲の人に一切声もかけず、トイレがしたいと訴えられればなぜか自宅へ連れて行く、さらには体調が悪くなった女児を一刻も早く助けたいと思ったと言いながら、救急車も呼ばず病院へも運ばず、公園のベンチに寝かせた……

何がしたいのか全く分からない、恐怖を感じるレベルの意味不明さだった。

争点

検察は、状況から女児に暴行を加えたのは理佐以外にあり得ないとし、母親らや周囲の状況からも理佐が悪意を持って女児を連れ去ったとして未成年者誘拐で起訴、その後、保護責任者遺棄容疑で追起訴し、さらに11月20日には傷害容疑でも追起訴した。

弁護側は、「母親を捜そうという一心で女児を連れていたもので、自宅へはトイレを使わせる目的で連れて行った。公園に横たえた後戻らなかったけれども、何度も振り返るなどして完全に保護下を離れたとは言えない」として無罪を主張していた。

争点は3つ、
①未成年者誘拐の故意について
②傷害罪の成否について
③保護責任者遺棄について
だった。

①の未成年者誘拐の故意について
理佐は当初、「かわいい子供を見て、自分の暗い気持ちを晴らすために連れ歩いた」という供述をしていた。
これには実は理佐の特殊な「病癖」が関係していた。
理佐はうつ病の治療にあたり、主治医に対し、かわいい子供をみるとつい抱き上げたり、連れ去りたいという衝動に駆られると話していて、カルテにも「理性でsaveできるようになった。子供を見てもそばに母親がいることが分かればかわいいなーという気持ちしかない。」といったことが書かれていた。
弁護人は、saveできるようになったのは万引きのことであり、子供については単に母親がそばにいるとみていて安心する、というだけのことだと反論したが、当の主治医は、「それ(saveできるという意味)は多分、こどもさんのことでしょうね。」と答えた。

これに照らせば、過去に理佐が関与した2回の迷子騒動も、自制が利かなかったが故の行動と考えられた。

次に、②の傷害が理佐によるものかどうかについては、当日の女児の行動や様子、母親や直前に通っていたスイミングスクールの講師らの証言で、エビスタ前公園で遊んでいるときまで女児がそこまで大きなケガを負っていないと検察は主張した。
エビスタ前公園においても、母親は別の母親らとともに子供たちが視界に入る状態で雑談するなどして見守っていたが、込み入った話をしていた時は目を離してしまった時間があったという。
しかし、エビスタ前公園には多くの子供や保護者、買い物客らがおり、もしもその公園内で女児が転倒するなどして頭部に外傷を負ったとすれば、相当な泣き声を上げたと思われるし、もしも声を上げられないほどのケガであったならば、理佐が言うように「所在なげに立っている」というのは不自然で、この時点でも女児はケガを負っていないとみるのが自然だと主張した。

女児を診察した医師らも、女児は硬膜下血腫が生じた状態で搬送されており、その状態から負傷時刻は手術開始の2~6時間前まで、と証言。
その上で、その負傷時刻が6時間前だったとすれば、搬送されるより前に女児は死亡しているとも証言した。
また、スイミングスクールでは異常がなかったことなどを考えると、負傷時刻は2~3時間前までに絞られ、必然的に理佐が連れ去った直後以降の出来事であるとした。
弁護側は、医師の中には女児の急性硬膜下血腫はさほど強い外力が加わらずとも発症する可能性のある架橋静脈破綻とみる医師もいるとし、また、理佐の自宅には女児が頭をぶつけるようなスペースもない、事件直後の捜索でも女児が頭をぶつけたような痕跡は発見されていないとして理佐の保護下でケガが生じたとは言えないと反論した。

③の保護責任者遺棄については、たとえ理佐が言うように理佐とは無関係の時に生じていたケガだったとしても、一刻も早く医療処置を施す必要があることが一目瞭然の状態の女児を、利用者も人通りも少ない公園に寝かせただけでその場を離れ、再び戻ることも自ら説明することもしなかったことを考えると、保護責任者遺棄が成立するのは明白、と検察は主張。
弁護側は、具合が悪くなった女児を見てパニックになり、母親に知らせるのが先か病院へ運ぶのが先かわからなくなり、とにかく女児を抱き上げてエビスタ西宮方面へ行ったが、13キロの女児を抱えることが限界になり、その公園に寝かせたと主張。
その後も気にしながら人を呼びに走ったが、すでに人が集まり始めたために自分が戻ると余計に面倒なことになると考えただけで、保護責任を遺棄したわけではなかったと主張した。

月イチの衝動

平成20年12月24日、神戸地方裁判所の東尾龍一裁判長は、未成年者誘拐、傷害、保護責任者遺棄についてすべてを認定し、懲役10年の求刑に対し懲役7年の判決を下した。
その中で、理佐には幼女をみるとかわいいと思うだけでなく、どうしても抱き上げたいという「病癖」があること、すべての罪状において、公判を通じ理解不能な供述に終始し反省の色がみられないこと、とりわけ、看護師という立場にありながら危機的な女児の状況を見てもなお、自己保身に走っている点は悪質で、犯行は誠に身勝手、かつ自己中心的で酌量の余地が全くない、と断じた。

女児は一命をとりとめたものの、左片麻痺、脳機能障害が残った。リハビリなどを続けていたというが、その後遺症は一生涯にわたるという。
両親らは理佐に対して1億4400万円の損害賠償請求も起こしており、平成22年7月にはそのほぼ全額にあたる額の支払いを命じている。
理佐はその後、最高裁まで上告するも棄却となり、平成23年5月24日付で県立西宮病院を失職した。これは県立病院に勤務していることで地方公務員法にのっとった扱いである。

理佐が悪意を持って女児を誘拐したこと、なんらかの形で女児にけがを負わせたこと、そして、保護すべき女児を遺棄したことは認定された。
が、結局「なにがあって、どうやって女児を傷つけたか」はわからないままだ。
女児のケガは頭がい骨骨折からの硬膜下血腫だが、その骨折は3方向から強い力が加わったものだという。
したがって、転倒したり、女児自ら頭を何かにぶつけたとか、そういうことではない。
しかも女児は見える範囲で出血していなかった。ただ、頭にはこぶができたように歪な形になっていた。

理佐はいったい、女児に何をしたのか。

理佐には暴力的な面は見られず、過去にも暴力的なトラブルは起こしていない。
しかし6月の万引き事件の際、心配して家にいた母親に対し、突如興奮状態となり、
「もうしんどくて、自分はいったい何なんだ。私はいったい何よ?!」
と目を吊り上げて喚き散らしたという。

これについては、薬の副作用の可能性も指摘されたものの、事件が起こるより一か月以上前に処方されなくなっている。
それでも理佐は、月イチで湧き上がるその衝動を抑えることができなかったようだ。

理佐は迷子を見つけたのではなく、自ら迷子に仕立て上げては、攫っていたのだ。自分のおさえきれないその欲求を満たすために。
そもそも、ベビーカーに乗っていた赤ん坊が迷子になるわけあるまい。

あの日、女児と二人でいたマンション内で本当は何があったのか。
彼女はもう、子供を見てもなんともないのだろうか。その手は、もう女児を抱こうとは思わないのだろうか。

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🔓通り魔になった男の悲しき弁当箱~イトーヨーカドー乳児刺殺事件~

平成十七年二月四日正午

愛知県安城市。
嫌なニュースだった。近くのショッピングセンターで幼い子供が通り魔にあったというニュースを出がけに聞いたその主婦は、憂鬱な気分で歩いていた。
ふと、児童公園の入り口に、なにか置いてあるのが目に入った。青っぽい紫色のそれは、雨合羽のようだった。
手に取った主婦は、それに血がついているのを見て先ほどのニュースを思い出した。
「犯人は逃走中、白いキャップに紫色の上着……」
主婦はすぐさま110番通報した。

事件概要


「お客様が刺されました!犯人は一八〇センチくらいの男でまだ逃げています。一階におりてください」
イトーヨーカドー安城店は、とんでもない事態に陥っていた。
二階の洋服、寝具売り場の近くの通路で、ショッピングカートに乗っていた乳児が突然、男に刺されたのだ。
さらに、ちかくのちびっこ広場で遊んでいた女児も蹴られ、庇おうとした女性も殴る蹴るの暴行を加えられたのだ。

店内は悲鳴と怒号が飛び交い、刺された乳児を抱いた母親が泣き叫んでいた。
すぐさま救急車が到着、乳児は救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、青山翔馬くん(当時一一か月)で、蹴られた女児は姉の陽菜ちゃん(仮名/当時三歳)だった。陽菜ちゃんを庇って暴行された女性(当時二十四歳)は、たまたまそばにいた買い物客だった。

翔馬くんは、母親と陽菜ちゃんと三人でイトーヨーカドーを訪れており、通路ですれ違った男に突然、無言で頭部を果物ナイフのようなもので刺されたのだ。
救急隊が到着した際、翔馬くんの頭部にはナイフが刺さったままで、その先端は、下顎まで到達するほど深く差し込まれていた。

逃走した男は背の高い、やせ型というほかに、白い野球帽のような帽子をかぶり、上着は青紫のカッパ(ウィンドブレーカー?)のような服装だった。
付近の警察にもすぐさま情報は流され、署員らはパトカー以外の自家用車にも分乗して犯人を追っていた。
現場から南東に一キロほど離れた場所で、捜査員らは前方から一人の男が歩いてくるのに気づく。両手をポケットに入れ、頭には逃走犯と同じ白色のキャップ姿。
しかし、男が来ていた上着はカーキ色だったため、不審に思いながらもその場はやり過ごした。
その直後、無線で冒頭の主婦によって発見された上着の情報が流れ、逃走犯が上着を脱ぎ棄てている可能性があるとの情報がもたらされたことで、署員らは先ほどの男を追った。

男性警察官が男を呼び止め、この近くで事件があったこと、犯人と思われる男が逃げていることなどを説明したうえで、職務質問を始めた。
男は素直に質問に応じていたが、両手はポケットに突っこんだまま。警察官が「手を出して」というと、男は両手を出した。

その手は、血塗れだった。

緊張が高まる中、若い警察官らは冷静に、その手はどうしたのか、と確認すると、男は「自分で切った」と話した。
が、所持品検査を行おうとした際、取り囲んでいた警察官のひとりを蹴り、男は逃走を図ろうとした。
「犯人なのか!?」
警察官らの怒号に、取り押さえられた男は「はい、私がやりました」と答えた。

男の名は、氏家克直(当時三十四歳)。
愛知県内で窃盗を働いた罪で有罪となり、つい先月の一月二十七日まで豊橋刑務支所で服役していた。出所後、数日での犯行だった。

男のそれまで

氏家は福島県伊達郡桑折町の生まれ。両親と祖父、幼い妹との暮らしだったが、四~五歳の頃、一家は福島市内の借家へと居を移す。
新たに弟も生まれたが、一家の暮らしは楽ではなかったという。

そもそも、桑折町で暮らしていた時から、一家の暮らしは厳しかった。が、それにはなるべくしてなった、という理由があった。
氏家の父親は、農業を営んでいたというが非常に酒好きで、母親はギャンブル、主に競馬にのめりこんでいた。
田畑を所有していたが、それらも借金のカタに切り売りされたという。
田畑を失い農業を営めなくなった後は、モーテルの管理人などの職を得て生活していた両親だったが、暮らしは上向かず、父親は近隣の倉庫に忍び込んで米を盗んだこともあった。

そういったことが重なってなのか、桑折町を後にした一家は、心機一転、新聞配達をしながら生活の立て直しを図った。
借家の家賃は当時で二万円。県営住宅などの家賃と比べるとまだ高いので、そこまでド底辺とは言えないにしても、家は荒れていた。
当時のことを知る人によれば、「母親が家事をしない人のようだった。家は中のほうが外よりも汚く、風呂に入る習慣がないのか、家族はいつも臭かった。」という。
母親が新聞の集金にくると、その家の子供たちはあからさまに「くさーい・・・」とこぼしていた。

そんな家庭環境で育った氏家少年だったが、成績は悪くなかった。おとなしく、口数の少ない少年だったそうだが、小学校卒業の際の文集にみる彼の字はとてもきれいで、書いてある内容も、小学生生活への別れに対する寂しさ、そして、中学生になる意気込みなどをしっかりと書いており、非常に頭の良い子、という印象だ。
将来の夢は国会議員、とも書いており、将来に夢を抱き、可能性に満ちた氏家少年の姿がそこにはあった。

しかし、彼は二十年後、取り返しのつかない罪を犯してしまうなど、この時点では本人も周りも、誰も思ってはいなかった。

【有料部分 目次】
高校中退から前科持ちへ
殴られた証人
夢と現実と責任能力
保護観察の実情
解明は不可能か
悲しみと憤怒
大きすぎる代償

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