火遊びのはてに~広島・医師妻殺害死体遺棄事件~

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平成11812

「すみません、ちょっとお願いしてもいいですか?」

広島県福山市。通行人の男性は突然そう声をかけられた。
振り向くと、そこには大柄な体格の若い男の姿があり、謝礼を払うので銀行のATMから現金を引き出してきてほしい、というのだ。
男性は訝ったものの、男が示した謝礼は「10万円」だった。
男性がATMで教えられた暗証番号を打ち込むと、残高が309万円と表示された。その全額を降ろして男に渡すと、男は約束通り10万円を手渡してきた。

「変な人もいるもんだな」

男性はそう思っていたが、数日後、警察から事情を聞かれる羽目になる。
男性が金を引き出した口座の主の妻が、行方不明になっていたのだ。

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願いを叶えて~日田市・妻義母殺害事件~

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法廷にて

「一番苦しんだのは父だと思います。私は父を恨むどころか、『お父さんごめんね』という気持ちでいっぱいです」

大分地方裁判所の法廷には、女性のすすり泣く声が響いていた。その言葉に、被告人席の初老の男は、ただただ涙を流すだけだった。

男の罪は、妻と義母(妻の母)を殺害するという、非常に重大なものだったが、彼のために減刑を求める嘆願書が1300人分も集められていた。

男が犯した罪と、その背景とは。そこには、やりきれない事実が隠されていた。

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老いてなお~成人した子を殺さざるを得ない親~

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まえがき

令和元年6月1日、練馬区の住宅で76歳の父親が44歳の息子をメッタ刺しにして殺害するという事件が起こった。
これだけでも衝撃的すぎる事件だが、その父親が元農水事務次官であったこと、息子がSNSやオンラインゲームの世界である程度有名な人物であったことなどから、ネットを中心に連日取り上げられるようになった。

一方で、殺害された息子が長いこと問題を抱えていたことや、それを献身的に支え続けた両親の姿も浮かび上がってきた。

そんな中、逮捕された父親が息子殺害の動機として、「いつか息子が誰かに危害を加えるのではないか」という思いがあったと語ったことで、問題を抱えた子供を抱える年老いた親たちの切実な思いもクローズアップされることになる。

ただ、高齢の親が問題を抱える成人した子供をその手で殺すという事件は、なにもこの事件が初めてでもない。珍しくもない。
有名なところでいえば、平成8年に起きた湯島の金属バット息子殺害事件があるが、これ以外にも高齢の親が子供を殺害する事件はいつの時代にもあった。

今回は、過去に起きた老親による子殺しに焦点を当てたい。そこから見えてくるものは、はたしてあるのだろうか。 続きを読む 老いてなお~成人した子を殺さざるを得ない親~

誰が父を殺したか~足立区・尊属傷害致死事件~

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平成3年5月25日

足立区花畑の第四都営アパート付近で、必死で何かを捜している女性がいた。
女性が捜していたのは、飼っていた一匹の猫。朝から行方が分からなくなっていたのだ。
どれくらい捜したろうか、女性はいったん自宅アパートへと戻った。
狭いアパートの三畳間にいた父に対し、「猫を捨てたでしょう!!」と詰め寄った。
老齢の父親はあいまいな返事に終始し、女性の苛立ちは頂点に達した。

女性は、父をその拳で殴りつけ、そして、目に留まった空のビール瓶を手に取った。

事件概要

平成3年5月25日、綾瀬署に女性の声で通報が入った。
「自宅で父が死んでいる」
駆け付けた綾瀬署員が部屋に入ると、三畳間においてこの家の主で、通報者の父親である高橋功さん(当時60歳)が倒れているのを発見。すでに死亡していた。

綾瀬署は、通報してきたこの家の長女で無職のあおい(仮名/当時23歳)に事情を聞いたところ、父親と口論になって殴りつけたと話したことから、あおいを尊属傷害致死の疑いで逮捕した。

あおいや家族らの話によれば、この日高橋家で飼っていた猫の姿が見えなくなったことで、朝からあおいと母親が周辺を捜していたが見つからず、冒頭の場面の通り帰宅して父に問いただした。
実は功さんは猫が嫌いだったといい、以前にも猫を勝手に捨てていたことがあったからだ。

その後、口論となったあおいと功さんだったが、あおいが一方的に手や物を使って殴り、功さんを死亡させた。

功さんは頭部、胸部、腹部など体中を殴られており、多発性肋骨骨折に加え無数の皮下出血の傷を負っていた。死因は多発性肋骨骨折による呼吸障害と、広範囲の皮下出血がもととなった外傷性ショック死だった。

家族のそれまで

昭和6年生まれの功さんは、妻・広江さん(仮名)と結婚後、昭和42年にあおいが、昭和44年には長男・康介さん(仮名/当時21歳)が生まれ、家族4人で生活していた。
あおいが生まれた当時は岩手県水沢市で生活しており、その後、東京へと上京したようだった。
あおいが高校を卒業した昭和61年ころまでは、特段大きな家庭の変化はなかったようだが、昭和62年、広江さんが交通事故に遭う。
一命は取り留めたものの、頭部に大きな怪我をしたことから記憶障害等の後遺症が残ることになってしまった。
当時、大学受験のための浪人生活を送っていたあおいは、そんな母の様子を見て、漠然とではあるものの、この先家事など家庭内のことは母に代わって自分が担わなければならない、と考えていた。

受験勉強の傍ら、日本料理店などでアルバイトをし、意思の疎通がうまく図れなくなった広江さんの世話などもあおいが担当していた。

長男の康介さんも、かなり内向的な性格だったといい、この頃はほとんど家の中から出ない、そういった生活ぶりだった。
ただ、この時点ではまだ功さんが現役で働いていたこともあり、家庭内には外の風も持ち込まれ、なんとか社会とのつながりも保てていたようだ。

しかし平成3年、功さんが退職して以降、高橋家には不穏な空気が立ち込める。

もともと仲が良くなかったあおいと功さんが顔を突き合わせている時間も増え、一方で母親と長男は意思の疎通もままならない状態ということで、あおいの負担もおそらく増えていたのだろう。
しかも康介さんは猫を拾ってくる癖があった。猫好きというわけではなく、拾ってきてしばらくはかわいがるものの、そのうち飽きて、時には虐待のようなことまでしていた。この時、猫の数は7匹にまで増えていた。

あおいは、そんな猫を弟から取り上げ、世話をしていたという。この頃、あおいの中では、「猫のようなか弱い動物の命はどうしても自分が守ってやらなくては」といった考えが生まれていた。

ただ、その優しさは、度を越していた。

あおい

あおいは小学生の頃から内向的な性格だった。感受性が強いというのか、周囲の言葉や態度に敏感に反応し、非常に傷つきやすい子供だったという。
その性格は成人しても変わらず、常にいじめの対象となり、また、他人から妬まれて嫌がらせを受ける、周囲が自分を傷つけようとしていると話していた。
が、実はこれはどうやらあおいの「何事も被害的に受け取りやすい」という性格が思い込ませた節があり、実際には単なる注意や指導までもが、嫌がらせ、いじめであると受け止めていたようだった。

高校生の頃、男子生徒からデートの誘いを受けたあおいは、なんとそれを「自分を侮辱している」と受け止めた。そして、担任教師に告げ口しかなりの騒動を引き起こしたことがあった。
とにかく自分の身の回りに起きることはすべて、自分を傷つけようとしている、貶めようとしているといった極端な被害妄想を割と早い段階からあおいは抱えていたとみられた。

それは母、広江さんへもむけられ、弟ばかり可愛がってあおいのことはむしろ傷つけようとしている、そんな風に思っていたという。
事件後、弁護士に対して出した手紙でも、母親と弟との関係を「異常なまでの執着を持って」書き綴ったという。

また、幼い頃から独り言も多く、高校卒業からはさらにひどくなってその症状は事件当時も治まっていなかった。歯磨きに1~2時間は当たり前、入浴や洗濯に半日を要することもあり、強迫様症状も認められた。

そう、あおいは精神的に全くの健康とは言えなかった。

ただ、あおいを鑑定した医師の診断によれば、この症状だけをもって統合失調症であるという判断は出来ないという。あおいには、幻覚や解離症状、思考障害といった統合失調症に欠かせない(?)症状は乏しかったのだ。
もちろんだからといって正常とはいえず、むしろ統合失調症に極端に近い境界線上、と診断された。

あおいは、家族に対してはぎょっとするほど強い言葉などで非難する一方、自身については「我こそが正義」という確信を持っていた。裁判ではこのあおいの独善的な考え方は「常軌を逸している」と評されるほどだった。

尊属傷害致死

この事件が起きたのは平成に入ってからのことであるが、この時点ですでに尊属殺は違憲である、という判断は下されていた。が、違憲ではないとする意見もあったことで、刑法から条文を削除するということまでは行わず、いわば裁判所の裁量で通常の殺人と同様の刑の範囲で裁く、そういった運用がなされていた(詳細)

この足立の尊属傷害致死事件についても、罪状は尊属傷害致死であり、裁判所としてはその運用について、当時のあおいの精神状態を注視するということで尊属傷害致死と通常の傷害致死との刑の均衡を図ったように見受けられた。

弁護側はあおいが事件当時、心神喪失であったとして無罪を主張したが、上記鑑定などから裁判所は心神喪失の訴えは退けた。
鑑定の結果以外でも、あおいは事件後、父の様子がおかしいことに気付くとすぐさま警察に通報、自らの行いもきちんと警察官に述べていたことや、暴行に使用したビール瓶のラベルに血がついていたことで、後に返却する酒屋に迷惑がかかるとしてラベルを剝ぐなどの行動もしていた。
このような点で、善悪を弁識する能力が喪われていたとは言えない、としたのだ。

が、一方であおいの極端に被害妄想的な性格や、強迫様症状、事件後においてもなお、父親を死に至らしめたその事の重大さよりも猫のことばかり気にするなど、弁識能力を疑うには十分だった。

尊属傷害致死事件であり、懲役3年以上無期懲役というのが刑法第205条2項であるが、心神耗弱で減刑というのが裁判所の判断となった。

平成4年3月25日、東京地裁はあおいに対し、心神耗弱を認め懲役3年、執行猶予4年の判決を言い渡した。

閉ざされた家族

裁判所は、あおいの精神状態のみならず、この高橋家という家族についても言及していた。

あおいと功さんの折り合いが昔から悪かったことは先にも述べたが、単に口を利かないとか、そういったレベルではなかった。
あおいは小学生の頃から、父親である功さんに暴力を振るっていたのだ。
それはあおいの成長とともに激しさを増し、手拳での殴打にとどまらず、物を使っての暴行へと変わっていく。

事件直前にも、功さんが扇風機を処分したことが気に入らないという理由で、あおいは功さんを空きビール瓶で殴るなどの暴行を加えていた。

当の功さんは、そんなあおいの暴力にどう対処していたのか。

功さんはなぜか、そんなあおいの理不尽な暴力に抵抗することはなかったというのだ。

しかもその暴行は数時間に及ぶこともあり、事件があった日の暴行も、3時間に及んでいた。
にもかかわらず、口で言い返すことはあっても、功さんが力であおいをねじ伏せるようなことはなかった。

同居の母、広江さんと弟の康介さんは、そんな父娘の姿をどう感じていたのか。
実はこの二人にも、問題と言っていいかどうかは別にして理解に苦しむ面があった。

広江さんは交通事故の後遺症で意思の疎通がなかなかうまく図れないという事情はあったが、事故に遭う以前から、あおいの父親への暴行を止めたり、諫めるといったことはしていなかった。
事件当日も広江さんはあおいとともに猫を捜していたが、家に戻ったあおいが功さんに暴行を振るっている場面にも居合わせている。しかしこの時も、広江さんはぼうっとそこにいるだけだった。そして、救急車を呼んでほしいと懇願する夫を放置し、あおいとともに再び猫を捜しに出かけた。

康介さんも同様だ。事件があったその瞬間、康介さんも在宅していた。狭い都営アパートの中で、ふすまの向こうの暴行に気付かないわけはなかったが、止めることはおろか、あおいと広江さんが再び猫を捜しに外出したのち、苦悶にあえぐ父、功さんのうめき声を聞きながらなんら救護措置も取らなかった。

結果論ではあるが、もしもあおいが外出した後すぐに救急車を呼ぶなどしていれば、功さんは死亡しなかったかもしれない。しかし功さんの大切な家族は誰一人として、功さんを救おうとはしなかったのだ。

裁判所は、この事件とその結果は、「このような家族が情緒的な結びつきもなく狭い都営アパートの一室に閉じこもるようにして暮らしていたという異常な家庭環境と密接不可分に発生したと考えられる」としている。

おそらく一家のことは、都営アパートの中でも気にかけた人は少なからずいたようで、近くの教会の女性があおいに対して援助を申し出、高校時代の恩師もまた、同じ申し出をしたという。
このような近隣の人々らの支えも、裁判所があおいを社会の中で更生させようという判断を後押ししたとみられる。

保護観察付きの執行猶予を得たあおいは、刑務所に行かずには済んだ。が、裁判の時も、彼女の心を占めていたのは、残された母と弟への呪詛と、いなくなった猫の行方だった。

彼女がその後、どう暮らしたのかは知る術はないが、幼い頃から抱えてきた彼女の心の病はケアされたのだろうか。

溢れ出る憤怒を受け止め続けてくれた父は、もういない。

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読売新聞 平成3年5月26日東京朝刊
平成3年(合わ)176号 尊属傷害致死事件 東京地方裁判所刑事第11部

もうひとつの団地の事件~高崎・小2女児殺害未遂事件~

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平成15年夏

終業式間近の7月15日夕方、学校を出るのが少し遅くなった少女は、自宅がある市営団地の階段を上っていた。
1階と2階の踊り場に差し掛かった時、不意に背後から左腕を掴まれ、少女は驚いて振り向いた。

「なにもしないから。おうちってどこ?団地の子?」

腕をつかんでいたのは、見知らぬ男だった。
無言で腕を振りほどこうとした少女は、突然足に痛みを感じ、悲鳴を上げた。

少女の太ももにはひっかき傷のようなものが出来ており、悲鳴に驚いた男はその場から逃げ、黒い自転車で逃走していったという。
幸い、傷は浅く出血もなかったが、警察では傷害事件として捜査を始めた。
警察の調べに、少女は「若い男の人」と話していた。
捜査は続けられていたものの、それ以降、手掛かりはつかめていなかった。

ふたたびの、事件

高崎市内の県営団地の一階で暮らす女性は、玄関の外で何やら声が聞こえることに気付いた。
立ち話でもしているのかと思った矢先、女性の耳にはっきりと
「助けてください……」
という言葉が飛び込んできた。しかも、その声の主は子供のようだった。
慌てて玄関ドアを開けると、そこには小学生くらいの女の子が、お腹を押さえて横向きに倒れていたという。
「どうしたの!!」
女性が抱き起そうとすると、その女の子のおなかには、ナイフが深々と突き刺さったままだった。

女性が119番通報し、駆け付けた救急隊員らが女の子を運ぶ際、お腹に刺さっていたナイフが抜け落ちた。
その刃渡りは10センチ。救命にあたった医師らによれば、傷口から刃物はまっすぐに差し込まれており、かなり深い傷だったという。出血の量もおびただしく、もう少し通報が遅れていれば、命にかかわったということだったが、幸い、女の子の命は取り留められた。

女の子は、高崎市立矢中小2年でこの県営団地に住む大石綾乃さん(仮名/当時8歳)。医療関係者の母と、5年生の兄との3人暮らしだった。
この日は塾へ行った帰りで、一人で団地へと戻ったところだったようだ。

救急隊員らが、刺した人物について「知らない人?おじさん?」と聞くと、綾乃さんは小さくうなずいた。その後、母親に対して「ここの団地の子?」と声をかけられた後、刺されたと話していた。

団地ではこの小学生の幼い女の子が被害者となったことで嫌でも「あの事件」を思い出さずにいられなかった。
ちょうど1年前、高崎市内の別の県営団地で起きた、隣人の男による小1女児殺害事件である。
団地、小学生の女の子、帰宅直前の犯行、犯人は男……。その手口こそ違えど、共通点は多かった。
しかも、あの事件の犯人・野木巨之はすでに逮捕されている。ということは、こんな恐ろしいことをしでかす人間が、野木以外にこの地域にいるということだ。

事件後、地域住民や行政、学校は一丸となって子供たちの安全を築いてきた。それが、またもやもろく崩れ去ってしまった。

そもそも野木の事件の前にも、別の市営団地で小学生女児が襲われる事件が起きて未解決だった。だからこそ、行政はうっそうと茂る団地敷地内の木を伐採し、見通しを確保し、犯罪が起きないような街づくりをしてきた。通学路には20軒以上の「子どもを守る店・家」があった。
学校も地域も、見守りパトロールや防犯意識の啓蒙など、あらゆる手段を講じてきたはずだった。

しかし、野木の事件も、その後の綾乃さん殺害未遂事件も、防ぐことは出来なかった。

逮捕

綾乃さんの事件は、なかなか解決に結びつかなかった。
当初、救急隊員らが「おじさん(に刺されたのか)?」と聞いたことに綾乃さんが頷いた、ということから、犯人像は中年男性かと思われたが、その後綾乃さんが、
「知らない若い男の人」
と証言していたのだ。

県警では延べ4000人に及ぶ捜査員を投入し、聞き込みや現場周辺での検問を行っていた。市民からの情報も100件以上寄せられてはいたが、直接的な目撃証言がなく、捜査は難航していた。

綾乃さんが通う矢中小学校では、年度が替わった4月以降も集団下校を続け、地域の人らの協力を得て見守りの大人もそれに付き添った。

公園で遊ぶ子供はめっきり減り、仕事を持つ親たちは放課後の子供たちのことを思い気が気ではない日々を過ごしていた。

春から夏、そして秋になっても、綾乃さんを襲った犯人はわかっていなかった。

しかし警察は地道な捜査をずっと続けていた。綾乃さんから得た犯人の着衣や特徴から、この時点では犯人は10代ではないか、とあたりをつけていた。
また、綾乃さんの話から得た犯人の人相や体格、着衣などと酷似する人物の目撃証言が複数あがっていたという。
そして、聞き込みを続ける中である少年の存在が浮上していた。
捜査員が、その少年の写真を綾乃さんに見せると、綾乃さんは「この人」と言って泣き出したのだった。

高崎署は12月8日、高崎市内のアルバイトの18歳の少年を綾乃さん殺人未遂で逮捕した。

少年は、職場でストレスを抱えていたといい、人を刺せばそのイライラが解消するのではないかと考え、綾乃さんを刺したと自供。
さらに少年は、平成15年の7月に別の市営団地で起きた小3女児に対する傷害事件についても、自分がやったと認めた。

少年

少年が綾乃さんを狙ったのは偶然だったという。
たまたま通りかかった際、目に留まったのが綾乃さんだった、ただそれだけの理由で綾乃さんをターゲットにしていた。

しかし、その際少年は果物ナイフを携帯しており、綾乃さんを最初から狙っていたわけではないにしても、その日「誰かを傷つける」予定だったはずだ。
9ヶ月もの間、自分を殺そうとした人間が捕まらず、綾乃さんはどれほど恐怖だったろうか。
学校に行けたとしても、友達らの同情や興味に満ちた視線に苦しんだこともあったかもしれない。
逮捕の報を受け、綾乃さんの母は、
「自分がこのようなことをされたらどう思うか、どんなに痛くて、苦しくて、怖かったかを考えてから、ああした地に謝っていただきたい。罪を償い、わたしたちの近くには住んでほしくありません。」
とコメントした。

少年ということで、彼の家族や詳細な住所などは明かされていないが、当然地元の人々は知っているだろうし、中には親や少年自身と顔見知り、幼い頃から知っているという人もいるだろう。
これも野木と同じだ。地域社会にずっと暮らしていたいわば隣人が、隣人を理不尽に襲ったわけだ。

しかも少年は、「5年前から数回、この近所で女児にいたずらした」とも供述していた。
県警では、平成12年と13年に、女児が一時的に行方不明になったり、抱きつかれるといった被害は把握していたが、幼い子供相手ゆえ、被害が表に出ていないケースもあったのかもしれない。

そんな中で、平成15年の事件を自白したのだった。

少年は中学を出た後、飲食店などで勤務し、事件当時は自動車整備会社で洗車などのアルバイトをしていた。
雨が降っても合羽を着て自転車で通勤していたといい、無遅刻無欠勤だった。
同僚や上司によれば、勤務態度はまじめだったというが、一方でストレスに弱い、そういう印象もあったという。
たとえば、ミスをすると食事ものどを通らなくなるほど落ち込んだり、ミスが起こった過程を問われると怖気づくのか返事もできなくなり、あげく、そのまま早退したこともあったという。

「人の輪に入ろうとせず、話しかけないと話さない」

少年の印象はこういったものだった。

誰しも他人に話して気が楽になったりするものだが、少年にはその術がなかったようだ。
ひとり胸に抱え込み、それがいつしか解消できなくなってしまったのか。
そんな中、少年は自分より幼い子供に抱きついたり触ったり、といった行為を繰り返すようになる。

中学生になっても、同級生ではなく、小学生ばかりを相手にしていたと話す人もいた。

同居していた家族や少年の親族らも、少年がそこまで悩みやストレスを抱え、自分ではどうすることもできなくなっていたことに気付かなかったという。

卑怯者

少年は逆送の措置が取られ、平成18年1月27日、前橋地裁高崎支部で裁判が行われた。

法廷で少年の母親は、息子の心の苦しみに気付いてやれなかったと涙ながらに証言し、少年も、「一日中事件のことを考えている。なぜあんなことをしたのか。できれば被害者に謝りに行きたい」と口にした。

一方で、綾乃さんのことは「口封じで殺すつもりだった」とも話した。ということは、市営団地の事件でも、刃物を持っていたことを考えれば少女を殺害してもしかたない、そう思っていた可能性もある。

さらに、綾乃さん殺害に失敗したその一か月後には、再びナイフを購入し、また同じことをしようと考えていたことも明らかになった。
考えようによっては、その「再犯」は、綾乃さんに対するものだったともいえる。口封じに失敗しているのだから。
しかも綾乃さんを刺したナイフを買う以前にもナイフを購入しておきながら、別のナイフで綾乃さんを刺したことについて、「最初に買った包丁は刃渡りが短く、これじゃ死なないと思った」とも話している。
一歩間違えたら、綾乃さんは殺害されていたのだ。というか、殺害するつもりだったのだ。

検察がこの裁判で明らかにした少年の犯行は、綾乃さん以外に、平成15年の市営団地での事件のほか、1月に幼稚園児に抱きつくという事件もあった。
全て女児を狙ったことについては、「自分より力がないと思った。」と話した。卑怯極まりない。

弁護側は「勉強ができない自分を恥じ、対人恐怖症なうえ職場ではいじめに遭っていた」とし、情状面に訴えた。

検察は再犯の可能性を視野に入れ、長期的な矯正が必要であるとし、懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑、これに対し、前橋地裁高崎支部は、懲役5年以上7年以下の判決を言い渡した。

他人を痛めつけてスッキリする人たち

少年の心理として、抑圧された感情を全く無関係の自分よりも明らかに弱い人間を痛めつけ、不快な思いをさせることで解消するというものがあった。
少年のように実際に人を刺す、といった、命を奪うようなことは極端だとしても、私たちの周囲にはそういった感情は蠢いている。

ネットで見ず知らずの人の、自分とは何の接点もない人のちょっとした落ち度をあげつらい、執拗に攻撃を繰り返す人、それに便乗する人、いいねをする人、みな、程度は違えども、他人を攻撃することで自分の中の不満を解消しているのではないか。断っておくが、ここでいうのは批判ではなく「反撃のしようのない、一方的な攻撃」についてだ。

私自身もそうだ。自分の心に余裕があったり、うれしいことがあればそんなことはしようとも思わない。が、日常のちょっとした軋轢で心がささくれているとき、他人の落ち度や普段なら笑って許せる間違いなどがやたらと目につく。時には幸せそうな人を見ただけでも「不謹慎だ」といういちゃもんが心に沸くこともある。

そういう時は危険だ。

少年は、危険だと気づく間もなく、ストレスや不満が次々と心にのしかかったのかもしれないし、少年ゆえに未熟さもあったと思う。が、その結果は重大であるし、決して謝って許されるようなことではない。

では、私たちのやっている「他人を間接的に攻撃する」ことは?もとは同じ心理ではないか。手段が違うだけで、私たちも他人の心をメッタ刺しにしていることがあるのだ。

高崎市内で未解決だったいくつかの幼い子供への卑劣な事件は解決したが、もしかしたらいまだに言い出せないまま、心に傷を抱えている人もいるかもしれない。
少年もすでに新しい人生をどこかで生きていると思うが、どうか二度と卑怯な自分に負けず、絶対に忘れないでしっかり生きてほしいと思う。

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参考文献
週刊朝日 性犯罪者に厳罰を!!「私はなぜ、少女を襲うのか」 平成17年12月23日
読売新聞社 平成17年3月16日、23日、12月8日、9日、平成18年1月14日、4月29日、5月20日、7月1日、9月23日東京朝刊
朝日新聞社 平成17年3月17日、4月15日、12月8日、平成18年1月28日東京地方版/群馬
中日新聞社 平成17年3月29日朝刊