恋人の頭を踏みつけた男の心の闇~岐阜・同級生男女殺傷事件②~

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過去の事件

小野は、15歳であった平成11年3月に、障害や恐喝など複数の罪で少年院へ送致されていた。
このころ、小野は自分の体臭が過度に気になる「自己臭恐怖症」という症状に悩まされていたという。この症状自体はとりわけ珍しいということではなく、普通に社会生活を送っていた人でも、ある出来事をきっかけに自己臭恐怖症に陥ることはある。
周囲の人が何気なく口や鼻に手をやっただけで、自分が臭いからではないか、と思い込んでしまい、その思いから逃れられなくなるというものだ。
思春期には少なからず気にしてしまうこともあるし、根気よく面接療法、認知療法を行うことで症状の改善を図る。

小野の場合、仮退院の時期が近付いたことで社会に対応できるかどうか不安が募り、自己臭恐怖症のほかに不眠状態にも陥っていた。
そのため、平成12年の4月には医療少年院へ移された。その後も症状は改善されず、さらには「死ね」といった自分を批判するような幻聴まで聞こえるようになってしまい、医療措置がとられた。
8月になって、小野は別の病院を受診してそこの開放病棟に任意入院したが、1か月もしないうちに職員の説明に応じず暴れるなどしたため閉鎖病棟へ移された。
そして事件は起こった。
9月21日、清掃していた別の入院患者が、ふざけて小野の尻をほうきの柄で軽く叩いた。それに小野は激怒、その入院患者を殴り、倒れこんだ入院患者の顔を足で数回踏みつけた。入院患者は頭部に怪我をしたことに絡んで肺炎を併発し、そのまま死亡した。

さらに、翌13年の6月、看護助手から持ち物についての注意を受けたことに激高し、前回同様その看護助手の頭部を10回にわたって踏みつけ、全治6か月の重傷を負わせた。

結局、小野は看護助手への暴行で逮捕され、6月2日には緊急措置入院がとられた。そこから半年にわたって観護措置を経、その後平成16年1月まで、医療少年院で過ごした。
この時小野は二十歳で、医療少年院を出た直後に成人式に出席し、武井さんと再会していたのだ。
医療少年院を出た翌日から平成18年11月27日まで、複数の病院に通院していた。

小野はこの時点でなんらかの病名がついていたのかもしれないが、裁判記録では明らかになっていない。しかし、薬の服用はあったとみられる。
A子さんと交際を始めた18年の末には、病院への通院はしていなかった。




非社会性パーソナリティ障害

事件後、当然小野には精神鑑定がなされた。
武井さんとA子さんへの常軌を逸した行為は、言葉を選ばずに言えば常人の行動とは思えないからだ。
裁判所は、平成20年4月、第一回公判時に鑑定を行った医師に鑑定人尋問を行った。
鑑定の目的は、①犯行時、および現在の小野の精神状態 ②犯行時、小野が自身の行動について善悪の判断ができていたか、その判断に基づいた行動が出来る能力を有していたか否か、有していた場合はその程度 についてであった。

鑑定結果としては、
①小野は統合失調症ではない
②自己臭恐怖症ではあるものの、それほど強固なものではない
③小野は非社会性パーソナリティ障害の判断基準を満たす
④犯行後は、親しい友人らを殺害したという非日常的な行為に対する著しい精神的興奮に起因する心因性もうろう状態を一時呈したと考えられる
ということが記されている。
総合すると、小野は心神耗弱状態ではなかったし、犯行当時に小野を錯乱させるような幻聴や幻覚、妄想はなかった、とした。
その一方で、小野は非社会性パーソナリティ障害であり、その障害は小野の責任能力に影響はしない、と鑑定した。

鑑定を行った医師は、鑑定医として20年以上のキャリアを持ち、精神鑑定については30件以上の経験を持つベテランの鑑定医であり、専門知識に文句のつけようがなかった。
過去に統合失調症と判断された点についても、そのことを念頭に置いたうえで鑑定をしており、その上で「統合失調症ではなかった」と判断している。
むしろ、小野本人の生来の人格が関係しているとした。したがって、責任能力には問題はない、と結んでいる。




この、非社会性パーソナリティ障害とはどういったものなのだろうか。
特徴としては、社会規範を遵守する意識に欠け、他人を傷つけたり他人の権利や財産を侵害したり奪ったりしても罪悪感を持つことがないとされる。
少なくとも15歳より前にそういった症状が出ることが要件であり、幼いころから癇癪を起こしたり、他人を過度に傷つけて欲求を通すといったこともある。
わかりやすい具体例で言うと、社会のルールを守る気がそもそもないため、交通違反を平気で繰り返す(暴走族などとは違う)、仕事が全く続かない、それによって経済的に困窮すれば、窃盗を繰り返す、家族や恋人の財布から盗むといった行動を平気でやる。
また、過度に攻撃的な面を持ち合わせているため、単なる言い争いで止まらず、突然殴りかかったり、自分より弱い相手が対象だと致命傷を与えるまでおさまらないということもある。
彼らの辞書に責任という文字はなく、嘘をついているという意識すらない。とにかく、自分の欲求を満たすことが最優先である。
鑑定では、診断基準:ICD-10が用いられ、以下の基準に該当しているかどうかで判断された。
a:他人の感情への冷淡な無関心。
b:社会的規範、規則、責務への著しい持続的な無責任と無視の態度。
c:人間関係を築くことに困難はないにもかかわらず、持続的な人間関係を維持できないこと。
d:フラストレーションに対する耐性が非常に低いこと。および暴力を含む攻撃性の発散に対する閾値が低いこと。
e:罪悪感を感じることができないこと、あるいは経験、特に刑罰から学ぶことができないこと。
f:他人を非難する傾向、あるいは社会と衝突を引き起こす行動をもっともらしく合理化したりする傾向が著しいこと。持続的な易刺激性も随伴症状として存在することがある。小児期および思春期に後遺障害が存在すれば、いつも存在するわけではないが、この診断をよりいっそう確実にする。(出典 医療法人社団ハートクリニック)

小野はこの診断基準に合致していると診断された。




「俺が守ってやる」

小野はそもそもなぜ、武井さんとA子さんを殺害しようとしたのだろうか。
自身が三重に引っ越すことで、A子さんと物理的に会えなくなる可能性が高いことを悲観し、当初は無理心中を図るつもりだったかのような供述もしているが、実際にはA子さんよりも武井さんに対する攻撃の方が執拗である。もちろん、武井さんがA子さん宅へやってきたのは想定外であったはずで、やはり狙いはA子さんだったのだろう。

武井さんを殺害した動機としては、A子さんからのSOSを受けて駆け付けた武井さんが、A子さんに対し、「俺が守ってやる」と口走ったことがきっかけだと供述しているが、確かにこの発言は引っかかるものがある。
A子さんと交際していたのは小野であり、武井さんではない。A子さんがけがをさせられて小野が家を追い出された後も、決して小野の一方的で強引な誘いのもとにA子さんが会っていたわけでもない。
ましてや、武井さんとA子さんの間に男女の関係があったということもない。
にもかかわらず、武井さんはA子さんに対し、「俺が守ってやる」と言ったのだ。(注:ただしこの公判供述はのちに信用性がないとされた)
推測でしかないが、武井さんが言ったことが事実ならば、おそらく以前からA子さんは武井さんに相談していたのではないか。それをうけて、武井さんは「わざと」三重県のパチンコ店を斡旋したのではないか。そうすれば、A子さんと小野の接点は物理的に遠くなり、小野の執着心も薄れるのでは、と考えたのではないだろうか。
「俺が守ってやる」その言葉に深い意味などなかったのかもしれない。面倒見の良かった武井さんの事だから、解決してやる、今後小野がまた近づいてきたら俺が何とかしてやる、そういった意味合いであったと思われる。
しかし、A子さんに並々ならぬ執着心を抱いていた小野にしてみれば、激高するに値する言葉であったのもわかる。
そこでもう一つ疑問がある。武井さんとA子さんは、小野の過去を知らなかったのだろうか。



なぜ、小野と関わったか

武井さんと再会したのは平成16年の成人式である。先にも述べたが、この直前まで小野は医療少年院にいた。直接的な理由は看護助手への暴行であるが、その前にも同じやり方で入院患者を暴行し、結果死なせている。
これを武井さんらは知らなかったのだろうか。
小学校からの同級生と言えば、岐阜クラスの地方都市ならある程度の情報は耳に入るのではないか。ましてや、少年院送致などの事態ともなれば、余計だ。
また、A子さんにしてみても、なぜ小野と交際することになったのか。2度の暴行については少年院や病院内での話であるため、また、当初小野は統合失調症と診断されていたため、その点で情報が全くなかったとも考えられる。
それでも、非社会性パーソナリティ障害である小野の言動は、周囲の人間には耐えがたいものであったとも思うのだが、若い武井さんらにその判断は出来なかったのだろう。
武井さんが小野にことさら目をかけた本心は、本当のところはわからない。しかし、自宅に住まわすということを見ると、やはり純粋な「人助け」であったようにも思える。
小野は、幼いころ父親の暴力を受けて育ったという。そのご両親が離婚すると、母親が女手一つで小野を育てた。小学校の同級生だった武井さんにしてみれば、小野の不遇な幼少時代を知っていたから、余計に捨て置けなかったのかもしれない。
それを、小野はこれ以上ないというほどの「恩を仇で返す」という手段に出た。
A子さんは搬送時意識不明で、その後の治療は受けたものの、植物状態に陥る可能性もあった。奇跡的に意識が回復し、A子さんの懸命のリハビリによって回復はしてきたが、それでも右半身の運動機能障害、言語障害、高次脳機能障害という後遺症が残っている。
それ以外にも、顔面を含め激しく踏みつけられたことでの怪我の痕や、武井さんに助けを求めたことで結果、武井さんが殺害されてしまったという精神的なダメージは計り知れない。

武井さんの遺族は、裁判も傍聴し、小野に対し極刑を強く望んだ。

平成21年7月15日。岐阜地方裁判所は、小野に無期懲役を言い渡した。




人ではない、なにか

小野は非社会性パーソナリティ障害であるため、反省したり、経験から学んだりということが全くできない。人の気持ちを考えるなど、出来るはずもなかった。
小野は遺族に対し謝罪文すら書かず、反省の弁も裁判の終盤でようやく促されるままに述べた程度で、おそらく本人の中では「仕方がなかった」のであろう。
また、小野は裁判の途中であった平成19年に、弁護士との面会中に法務事務官を殴った。バカという言葉では言い足りないほど、いや、あえて言いたい、もはや人ではない。
裁判長も判決文の中で、過去に2度も少年院送致があり、矯正、更生の機会が与えられていたにもかかわらず、まったくその機会を生かそうとしていない、と断罪した。さらに、自身の事を気にかけ、なにかと世話を焼いてくれた武井さんを殺害し、交際相手であったA子さんの頭を踏みつけるという野蛮極まりない暴力を振るった。
人は、特に日本人は、なにか暴力的な衝動が起こっても、手が出るのが通常だ。足で蹴る、ましてや踏みつけるという行為はなかなかやろうと思っても出来るものではないのだ。
しかし、小野は過去の犯罪も含めすべて、「足で踏みつける」という行動に出ている。
テレフォン人生相談でおなじみの幼児教育研究家・大原敬子先生によれば、「足蹴にする」というのはその人を見下している事の表れだという。
小野は、他人に対する尊厳などは持ち合わせていないから、気に入らないと踏みつけるという癖があったのだろう。
まるで、子どもが思い通りにならずに地団駄を踏むように、どうしてわかってくれないの、どうして言う通りにしないの、どうしてどうして・・・

最近ではこのような障害を持つ人を温かく見守ろう、理解しようという動きが盛んである。もちろん、出来ることならそれが一番良い。
しかし、うまく機能しなかった時の代償がこれでは、「そうでない」人々はどうすればよいのか。
もしも過去の事件での対応が違っていたら、武井さんもA子さんも被害に遭わずに済んだのではないか。
人権、尊厳、大切なことだ。しかしその観念を持ち合わせない相手にも、それは保証しなければならないのだろうか?
人の命が紙きれのように吹き飛んだとしても。

 


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参考文献 判決文

思いつきで押した死刑判決へのピタゴラスイッチ~広尾町・幼児3人殺傷事件~

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平成13年8月8日午後二時半


「警察に電話する!」
幼い少女は、泣きながら震える声でその男に精いっぱいの抵抗を見せた。
目の前には見上げるような巨体の男が、カッターナイフを手に立ちはだかっていた。
「電話するな!」
男の大声にそれまで固まっていた体が反応した。少女は一目散に玄関へと走ったが、男に左肩を掴まれた。
ものすごい力でリビングの床にあおむけに倒された少女は、男がカッターナイフを振り上げるのを見た。

取っ組み合いのさなか、男が手にしたカッターの刃が折れた。男は思い立ったように台所へと消えた。少女はその隙に、玄関を出ていった。胸が焼けるように痛い。家にはまだ弟と妹がいる…

家の中では、二階から降りてきた弟と妹が、包丁を手にしたその男と向き合っていた。
隣の家の、ボンズ頭の大きい兄ちゃん…その兄ちゃんが、5歳と2歳の姉弟の命を奪った。

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🔓思いつきで押した死刑判決へのピタゴラスイッチ~広尾町・幼児3人殺傷事件②~

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死刑判決

裁判では、金銭目的での侵入のうえ、幼い姉弟3名を殺傷したとして、住居侵入,殺人,殺人未遂が認定された(事後強盗は否定)。

及川は犯行後、ふらふらと道路を歩いていた。
逃げきれないと思い、午後3時30分に自首しているが、積極的な自首とは言えないとされた。
というのも、あれだけ探して見つからなかった母親と、道で遭遇していた。おそらく母親は自宅に戻っていて、事件を知ったと思われる。その際に、母親は及川に対し「お前がやったんじゃいか?」と問い詰めており、その母親に説得されての自首であったからだ。
その上で、事件以前に犯歴がないことや、現在では被害者に謝罪する気持ちを持っていること、年齢的に若いこと、及川の両親が100万円をすでに慰謝料の一部として支払っていることなど、及川に有利な点を考えたとしても、極刑はやむを得ないとした。

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【有料部分目次】
情状証人が見つからない被告
弁護人を固まらせた「言葉」
思いつきの積み重ね

🔓妻だけを生かした一家皆殺し男の「本音」~中津川・一家6人殺傷事件~

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2005年2月27日


すぐ目の前に山が迫る岐阜県中津川市・坂下町の「住宅」。
その男性は、なにか心のざわつきを感じながら、勝手知ったる「その住宅」の玄関を開けた。
昼間ではあったが、家の向きの関係で家の中は薄暗く、いつもならば昼間でも電気がついているはずなのに、その日はついていなかった。
この日、男性はインフルエンザで体調がすぐれず在宅しており、実家である「その住宅」に子どもたちを連れて遊びに行った妻の帰りを待っていた。
そこへ、ひょっこり妻の父親が顔を出した。
「下(実家)でみんな待っとるから、行こうか」
小柄でにこやかな義理の父は、いつもと変わらない表情でそう告げ、男性と共に軽自動車で「その住宅」へと向かった。
子どもたちもいるはずの家の中は静まり返り、男性は不安を覚える。背後にいる義理の父に、みんなは?と聞くと、「ばあちゃんの部屋におる」と言うので、その部屋へ向かうが、その部屋は真っ暗で物音もしない。が、「なにかがいる」気配があった。

「Tさん、死んでくれ」

事件の概要

男性は死に物狂いで抵抗し、なんとか振り切って「その住宅」を飛び出し、腹を抑えてうずくまっているところを通報により駆けつけた警察官に保護される。
男性から事情を聴いた警察官らが「その住宅」で見たものは、老齢の女性、乳児と幼児を抱きかかえた30代くらいの女性、同じく30代と思われる男性のあわせて5人の惨殺遺体だった。

さらに、浴室で首に包丁を突き刺したまま朦朧としている初老の男性を発見。
一命をとりとめたその男こそが、「その住宅」の主で、殺害された被害者の息子であり、父親であり、おじいちゃんであった。
名を、原 平(当時57歳)という。

その日、妻は旅行で不在であった。
午前6時ころ起床し、旅行に行く妻を駅に送った後、自宅に戻った。
自宅には85歳になる母親のチヨコさんと、整体師の長男・正さん(当時33歳)がいたが、まだ二人とも寝ているようだった。
原は、眠っている正さんの首にネクタイを巻き付け、一気に締め上げた。目を覚ました正さんは、「お父さん、なに?」と苦痛と困惑の表情で問いかけるのが精いっぱいで、抵抗も出来ずにそのまま絶命した。

「いよいよ始まったな」

我が息子を殺害した原は、なぜか落ち着き、むしろ意気揚々とした感覚で1階の母親の部屋へ向かった。
正さんを殺めたそのネクタイで、微睡むチヨコさんも同じく絞め殺した。気位の高いチヨコさんは、妻をはじめ、家族を苦しめていた。今朝も、何度も解約しているにもかかわらず新聞購読をせがみ、さらには原の娘のことを「孫の顔も見せに来ない」となじった。
「これで解放された、もう嫌がらせをされることはない」

次に原が行ったのは、警察犬として慈しみ育て上げてきた2頭のシェパードの「始末」であった。
車に乗せて、糀の湖付近で木につなぎ、持参した包丁を何度も犬に突き刺した。
訓練された犬は、主人に歯向かうことなく、その場に崩れ落ちた。

その足で、今度は娘・こずえさん(30歳)の自宅へと車を走らせた。
自宅にはこずえさんと生まれたばかりの彩菜ちゃん(生後3週間)、2歳の孝平ちゃん、そしてこずえさんの夫であるTさん(当時33歳)がいた。
「ばあちゃんが孫の顔を見たいと言ってるから」
原はそう言ってこずえさんと子どもたちを車に乗せた。Tさんはまだパジャマ姿で、体調もすぐれなかったためその時は行かなかった。

実家へ着いたこずえさんは、子どもたちと家の中に入るが、すぐさま雰囲気がおかしいことに気づく。
彩菜ちゃんを左腕に抱えて、チヨコさんの部屋へ行くが、電気もついていないその部屋で異様な状態のチヨコさんを見て、「何か変じゃない?」と父親に聞いた。
「そうか?もっと近くへ行ってみな」
父親に促されるまま、心配そうにチヨコさんをのぞき込んだその時、こずえさんの首にネクタイが巻かれた。
「お父さんっ…!?」
あっけにとられた表情のこずえさんは尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。左手にはしっかりと彩菜ちゃんを抱いたまま。
原は、愛娘の顔から血の気が失せるのを見たくなかったのか、顔を背けていたという。
こずえさんが動かなくなったのを確認し、ふと顔を上げると、部屋の隅で固まっている孫の孝平ちゃんと目があった。
幼いながらも、目の前で繰り広げられたこの一部始終が恐ろしいことであると察していたのだろう、不安そうな顔で「ママ、大丈夫なの?彩菜は?」と聞いたという。

原は、孝平ちゃんの首にもそのネクタイを巻き付け、そのまま締め上げた。

不意に、こずえさんの腕の中にいた彩菜ちゃんが火がついたように泣き始めた。我に返った原は、その彩菜ちゃんの首をつまむと、そのまま力を入れて息の根を止めた。

時間は午後零時半になっていた。

原はその後、冒頭のように再びこずえさん宅へ行き、何も知らない夫のTさんを連れ出してTさん殺害も試みるも、抵抗され未遂に終わった。
Tさん殺害を諦めた原は、そのまま自身の体や首を包丁で刺し、自殺を図る。失血死を試み、浴槽の中に隠れていたが駆けつけた警察官によって病院へ搬送され、12日、5人殺害とTさん殺害未遂で逮捕となった。

不可解な動機

犬も含めた一家惨殺、さらには血のつながりのないTさんまで殺害しようとしたその背景や動機は、いったい何だったのか。
調べでは、母親であるチヨコさんへの積年の恨みと、妻に対するチヨコさんのいびり、嫌がらせに耐えかねたとする供述があり、裁判でも概ね認められている。
チヨコさん以外の家族は、こずえさんの夫であるTさんを含めて仲が良かったとされ、ゆえに殺人犯の家族として生きていくのは不憫であるという原の勝手な思い込みによって、一家もろとも可愛がっていた犬まで一緒に死ぬ以外にないという「無理心中」であるとされた。

しかし、ここで大きな疑問がある。

妻の存在である。妻はその日日帰り旅行に出ており、原自ら駅まで送っている。
しかし、原はあえてこの日を選んで殺害を実行した。
原の中で、母・チヨコさんから逃れるには殺害以外にない、という妄信があり、それを実行することに迷いはなかった。おそらく自身も後に自害するつもりがあったのだろう。
ただ、そうなれば遺された家族は世間の好奇の的となり、申し訳ないから、生き恥をさらすよりも良かろうということで連れて行こうと思ったわけである。
であるならば、なぜ最愛の妻を連れていかなかったのか?

原の供述によれば、妻のことは愛していたし、なにより妻をチヨコさんから解放するのが目的であるのだから、妻を殺そうとは思わなかった、だから妻がいない日を選んだ、となっている。

これでは矛盾していないか。片方で愛する娘や孫たちを殺しておきながら、同じく愛してやまない妻は生かす。
妻とて、1人残されてしまえば死ぬほどつらい日々が待っているわけで、決してチヨコさんから解放されて良かったなどと思うわけがない。
家族全員が妻をいびり、蔑ろにしていたというならばわかるが、そんな事実はない。

わたしはこの顛末を知った時、「これじゃむしろ妻への嫌がらせでしかない」と思っていた。
しかし、新潮45などで発表されたルポや裁判記録を読んでも、どこにもこの私が抱いた疑問を払拭させる話は出てこず、長いことわたしはこの一家殺傷事件が起こった動機、背景にモヤモヤするものを抱いていた。

そして、長い時間を経て見つけたある記事が、私が感じた疑問をずばり「やっぱりそうか」と思わせてくれたのだ。

それは、自身も負傷させられ、妻を幼い子どもを殺害された被害者・Tさんの手記であった。

【有料部分 目次】
母と息子のそれまで
束の間の平穏
常軌を逸していく母親
殺害やむなし
矛盾だらけの建前
理想の自分、理想の家族

ここからは有料記事です

🔓忌まわしき過去の清算と代償~山形・一家3人殺傷事件~

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2006年5月7日

まだ夜も明けきらぬ午前3時55分。
山形県西置賜郡飯豊町の役場近くの民家から、女性の声で119番通報が入った。
「助けて!お父さんが殺される!」
尋常ではないその声に、すぐさま消防と警察が駆け付けた。
現場には、その家の主人であるカメラ店経営・信吉さん(当時60歳)と、その妻で看護師の秀子さん(当時55歳)、そして、夫婦の長男である覚さん(当時27歳)が血まみれで倒れていた。
秀子さんはかろうじて意識があったものの、信吉さんと覚さんは死亡していた。
襲われる理由が見当たらないとする中、約6時間後、近くの山中にある神社で血まみれで座り込む男が発見された。
男は、伊藤嘉信(当時24歳)。殺害された被害者家族とは親戚関係にあり、自宅も同じ組内に存在するほどの古くからの知り合いであった。

凄まじい憤怒の現場

早い犯人逮捕ではあったが、そもそもなぜ、嘉信がこの古くからの知り合い一家を襲ったのか、当初は謎であった。
殺害された覚さんと嘉信は、年が4つほど違うが幼馴染である。しかし、その覚さんへの凶行は、他の被害者よりも執拗で残忍を極めていた。

5月8日から行われた取り調べの中で、嘉信は「信吉さんと秀子さんについては、危害を加えるつもりはなかった」と話し、最初から覚さんを狙った犯行であることが判明。
供述によれば、信吉さん方へ進入した際、玄関わきの引き戸を開けたところ豆電球がついており、当初そこに覚さんが寝ていると思っていたところ、覚さんよりも小柄なふたりの人間の姿が見えたため、引き戸を締めようとしたという。

その際、引き戸ががたつき、秀子さんが気配に気づいて「誰?」と声をかけてきた。
寝ぼけ眼の秀子さんが薄灯りのなかで家族ではない人影を認識した途端、ギャーッ!という叫び声をあげた。
そして、それに反応した信吉さんも「何事だ」などといって起き上がり、嘉信(この時点で嘉信だと認識はしていないと思われる)の方向へ向かってきた。
嘉信は用意していた刃物(ニンジャ・ソード)で信吉さんの腹部辺りを刺し、さらにもみ合ううちに無我夢中で信吉さんを刺しまくった。
その直後、廊下の奥から男性の「うわあっ!」という声が聞こえ、その声の主こそが覚さんだと確信した嘉信は、その瞬間まではパニック同然の気持ちが途端におさまり、パニックではない明らかな殺意とこれまで感じたことがないほどの高揚感が体を支配した。
信吉さんを払いのけると、そのままためらわずに覚さんへ向かい、胸や腹を一突き、さらに上半身のどこかを数回刺した。

その後、傷を負ってもなお、嘉信に抵抗をやめない覚さんに対し、はっきりと覚えきれないほどの傷をさらに負わせ、息子を救おうとする母親・秀子さんに対してもけがを負わせた。
激しい取っ組み合いの末、玄関付近まで逃げていた覚さんの頭を拳や膝で殴ったり踏みつけたりし、倒れた覚さんの頭を足で4~5回踏みつけた。

3人の生死は確認できてはいなかったが、ふと、覚さんの祖母のことを思い出した。
幼いころから知っているおばあちゃん。もしかしたら現場を見られたかもしれない。
しかし、嘉信自身も覚さんの反撃で負傷しており、おばあちゃんを捜すのはやめた。

車に戻り、なにも考えられない状態で車を発進させた際、タイヤをしたたかに何かにぶつけたらしかったが、その時は気にも留めなかった。
少し走って、どうやらパンクしているらしいことに気づき、嘉信はなぜかタイヤ交換をしようと思いつく。
人目につかない方が良いと考え、何度か行ったことのある山道へ車を走らせたが、その途中で車は自走不能になってしまう。
そこでようやく、今更パンク修理などしたところでどうなる、と思い、また、覚さんに斬りつけられた右手も痛むため、車を放置して徒歩で山の奥へと向かう。
車の足元に、凶器のニンジャ・ソードが落ちていたのを目に留め、証拠隠滅のために持ち出して途中で棄てた。

逃げる途中、嘉信は幼いころから今日までの出来事を考えた。右手からの出血は予想以上にひどく、幾度か気を失いそうになりながらも、ある思い出がよみがえるたびに、今日自分がしでかしたことは自分を取り戻すためだと、積年の恨みを晴らしたのだと言い聞かせた。

覚さんと嘉信の間には、想像をはるかに超えた因縁が渦巻いていたのだ。
嘉信は小学4年生のころ、被害者である覚さんから「いじめ」を受けていたという。

しかしそれは、いじめというよりも「性的暴行」であった。

【有料部分 目次】
衝撃の告白と被害者家族

殺意の形成
PTSD
裁判所の見解
言いたくても言えないこと