姪の命と引き換えで目が覚めた妻の覚悟~福岡・二丈町たてこもり殺害事件~

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2002年9月16日

その日の朝、A子さん(当時41歳)は普段通りに朝刊を読もうとして、思わず息が止まりそうになった。
新聞の紙面に、A子さんの二丈町にある実家の写真が大きく掲載されていたからだ。
震える手を抑えながら紙面を読むと、15日の午後、男がA子さんの実家へ押し入り、A子さんの実母・B子さんと、その孫・志歩ちゃん(当時9歳)を人質にたてこもったと書いてあった。
そして、男は説得に一切応じておらず、現在に至るまで事態はこう着状態で、人質の安否が気遣われる、そういった内容であった。
A子さんはすぐさま警察に電話し、現地に向かう旨を伝えた。
A子さんは事情があって、その日までのおよそ20日間ほど、家族に所在を知らせていなかった。その事情とは、夫から身を隠し、離婚するためだった。

そして、その夫こそが、A子さんの実家に籠城している男であった。

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🔓姪の命と引き換えで目が覚めた妻の覚悟~福岡・二丈町たてこもり殺害事件②~

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迷走する一家

川村を捨てきれなかったA子さんは、自分たちの家がないということに気づく。
市営住宅を解約してしまっていたため、家族3人はとりあえず自動車に生活用品を積み込むと、各地を転々とした。川村には多額の借金まであり、手持ちの金だけが頼りだったが、行き先のあてなど全くなかった。
離婚を後押ししてくれた周りの人には顔向けできなかったし、川村の手前、A子さんがひとりで動き回ることもできなかった。

少なくても金があるうちはそれでもまだ良かった。
ラブホテルで寝泊まりし、それがダメなときは車内や公園にテントを張ったりもした。
だんだんと残金が乏しくなると、川村は窃盗をはたらいた。時にそれはひったくりにかわり、A子さんも手伝った。
川村がひとり歩きの女性や高齢者からバッグなどをひったり、逃げる。車で待機しているA子さんと落ち合って、逃走。
覚えているだけでも20回以上は行ったという。

この頃にはまた以前のような不安定な状態になっていた川村は、なにかにつけA子さんにきつく当たった。
パトカーや警察署の近くを通るたび、「お前は一回俺を警察に売ったから信用できない」などと因縁をつけ、A子さんに暴力を振るった。
経済的な困窮と、肉体、精神的な暴力を受け続けたA子さんは、これはもう川村ともども死ぬしかないと思い詰めるまでになっていた。
相変わらず覚せい剤をやめていなかった川村は、A子さんのその決意を知って落ち込んだという。
しかし、「一緒に死んでくれるなら死のう」と川村も同意した。

A子さんは地元の福岡では死にたくなかったので、誰にも知られない場所でひっそり死にたいと言うと、川村は唐突に「なら北海道」と言った。
北海道なら広いし、知り合いもいないから当分気づかれないというのがその理由だった。
そして一家は本当に室蘭行のフェリーに乗った。
現金は20万円ほどもっていたが、それらもどんどん減っていく。北海道に着いても、すぐに死ぬことはどちらともなく言いだしていなかった。
死ぬ決意は出来ていたはずなのに、数日間あてもなく北海道を彷徨った。
残金が数万円になったころ、川村は死ぬ予定であるにもかかわらず金が残り少ないことを心配し始めた。
「最期にカニでも食べてから死のう」
そうA子さんが言うと、途端に川村は逆上し、「死ぬ気もないくせに!!」とA子さんを殴りつけた。

結局、一家は生き延びた。

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🔓町田DV殺人事件

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平成19年5月6日。

町田市森野2丁目のとある2階建てアパートの一室で、結婚間もない夫婦が暮らしていた。
当時34歳の夫・仁志は、健康食品会社に勤務しており、28歳の妻は細身の美人で福島の出身だった。 何の変哲もない、ごくごく普通の若い新婚夫婦に見えたが、妻はその外見からは想像がつかない一面を持っていたという。
入籍からわずか3か月後のこの日、夫は妻の細い首に手をかけ、そのまま殺害してしまった。 犯行後、夫は冷静に知人に事の顛末を電話し、さらには予定していた新婚旅行と挙式のキャンセルを業者に伝え、自身は自宅の外で警察官の到着を待ったという。 計画的に見えるこの殺人事件。この夫婦に何があったのか。

出会いと、妻の抱える病

仁志が妻と出会ったのは平成18年の夏。たまたま居合わせた居酒屋で、彼女の方が声をかけてきた。
可愛らしい顔立ちに惹かれた仁志は、電話番号を交換し後日デートをする。そして、その後すぐに同棲をはじめ、翌平成19年の2月には入籍まで済ませるほどの早い展開だった。

結婚を強く望んだのも妻の方であった。当初から仁志に対して強い愛情を示していた妻だったが、そのうち異様な側面を見せ始める。
「最初は普通の人だった」 とは、夫・仁志の弁である。若く可愛い妻は、かねてより仁志のことを知りたがり、常に一緒にいたいという考えを持っていたが、それらは女性にありがちな甘え願望によるものであり、すべては愛情がさせていることだと思っていた。
過去に付き合っていた女性のこともひどく気にし、卒業アルバムなどで顔と名前を確認したりもしていたが、それらもやきもちの一種とも思えた。

しかし、だんだんと妻は理解しがたい言動を見せるるようになる。 ほんの些細なことでスイッチが入り、途端に不機嫌になり怒り始めるのだった。
理由は様々だったが、「部屋が寒い」「会話が減った」「メールの返信に絵文字がない」といった、他人には到底はかりようのない彼女の基準によるものだった。
その感情の振れ幅は次第に大きくなり、部屋中のものを投げつけたり、家具を壊す、押さえつけなければならないほどに暴れる、果ては自傷行為にまで及んだ。 夫・仁志は当初知識もなかったため、とにかく抱きすくめて妻の感情が静まるのを待つほかなかったが、妻が「パニック障害」を持っていることを打ち明ける。そこで初めて、妻の病を知ることとなったのだ。

しかし、妻が抱えていたものは、「パニック障害」だけではなかった。