🔓双葉ハイムで死んだ女②~宇都宮・男女4人殺傷放火事件~

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平成一二年八月五日

茨城県大洗町の海岸から東に約四〇キロ離れた太平洋上で、その日釣りをしていた船が漂流遺体を発見した。
那珂湊海上保安部が収容したところ、その遺体は二〇代から三〇代半ばと思われる成人男性で、背中一面に入れ墨があった。刺青の状態から、おそらく日本人だと思われた。
ベージュの半そで姿にスウェット姿、足元は素足。遺体の状態から死後一週間ほど経過していると見られた。

平成一二年八月二一日


深夜二時半。その男性は、火災報知機のベルと、大きな叫び声で目を覚ました。

「助けてくれ!!」
宇都宮市一条にある双葉ハイム最上階の十二階の一室から聞こえるその声に驚いた男性は一一〇番通報。すぐさま宇都宮署員が駆け付けると、一二〇一号室から煙が出ており、室内には衣服の乱れた男性二名、女性二名が倒れていた。

部屋の主は小堀英二さん(仮名/当時三七歳)で、小堀さんも部屋の中で倒れており、それ以外に栃木県高根沢町の中村慎吾さん(仮名/時三七歳)、宇都宮市鶴田町の無職、稲見晃子さん(仮名/当時三一歳)そして、宇都宮市宝木本町の飲食店従業員、小林潤美(ますみ)さん(当時二四歳)がいた。
小堀さん、中村さん、稲見さんは胸や背中を刃物で刺されたような傷を負い、稲見さんは左腕に火傷も負っていた。
三人の命に別状はなかったが、小林さんは収容先の病院で死亡した。ただ、小林さんには致命傷となるような外傷が見当たらなかった。

室内はソファなどの家具が焼けており、三人の証言で暴力団員風の男らが複数で三人の両手足をひもで縛り、刃物で傷を負わせたうえに灯油をまいて火を放ったことが分かった。
男らが出て行った後、もがいているうちにたまたま縛られていたひもがほどけた中村さんが自力で消火したという。

外傷のないにもかかわらず死亡した小林さんの死因は、後に大量の覚せい剤を打たれたことによる急性薬物中毒死と判明。
その場に居合わせた三人の証言からも、犯人と思われる男らのうちの主犯格が、小林さんに無理やり覚せい剤を注射したことがわかった。
一命をとりとめた三人も、それぞれ覚せい剤反応が出たが、日常的に使用していた痕跡は四人になく、それらも犯人の男らが強制的に注射したということも判明した。
現場となったマンションは、大通りに面した大きなマンションで、周辺には店舗、学校もある。そういったどこにでもあるような日常の中で、若い女性二人を含む四人が脅迫され、覚せい剤を打たれた挙句室内に火を放たれ、結果、一番若い小林さんが死亡するという事件が起こり、この時点では犯人らも逃走中であったため、宇都宮市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

被害者と犯人の関係

当初、被害者の小堀さんと中村さんらは、「四人組の男にやられた」「暴力団員風だった」などと、犯人を知らないといった供述をしていた。
しかし、捜査員らが話を聞くうちに稲川会系大前田一家後藤組の後藤良次(当時四二歳)が主導して事件を起こしたことを把握。その日のうちに放火、殺人未遂容疑で後藤を指名手配した。

ただこの時点では「何らかのトラブル」があったことは推測できるものの、なぜ稲見さんと小林さんまで巻き込まれたのかもわからず、そのトラブル自体もつかめていなかった。
中村さんは以前、後藤の運転手をしていたことがあったという。自動車販売を行っていた小堀さんとはその後親しく付き合っていた。小堀さんもまた、過去にマンションの家賃に関するトラブルを暴力団との間で抱えていたという。
当日は、午後九時ころに市内のパチンコ店で後藤と合流し、小堀さんが暮らす双葉ハイムへ中村さんとともに車で向かっていた。
しかしその際、部屋の鍵を小堀さんが持っておらず、交際相手の小林さんに鍵を持ってこさせることになった。そして、その小林さんを車でマンションへ送ってきたのが稲見さんだった。

この双葉ハイムは、一般の人々が多く入居している普通のマンションだが、当時の住民の話によれば、「事件の数か月前から暴力団員風の人の姿を見かけるようになった。それ以降、夜男性が怒鳴りあうような声を聞くこともあった」ということだった。
小堀さんが入居していた最上階の部屋は、同一部屋内に一階と二階があるメゾネットタイプで、他の部屋に比べるとつくりも家賃も立派である。マルチ商法なども手掛けていたという小堀さんにはある程度の収入があったと見られた。

事件から一週間たっても、依然として後藤の行方は知れず、共犯の男らの行方も分かっていなかった。
小堀さんらの供述もあいまいな部分が多く、捜査はなかなか進まなかった。
本人らの供述や知人らへの聞き取りで、小堀さんと後藤の間で金銭トラブル、人間関係のトラブルがあったことまではわかっており、その話し合いが決裂したあげくの犯行との見方は固まってはいたものの、大量の覚せい剤を打ち、縛り上げた状態で火を放つという犯行に至らせた決定的な動機はわかっていなかった。
三人は犯行時に大量の覚せい剤を打たれた影響で記憶もあいまいだったが、小林さんは交際相手の小堀さんから後藤の話を聞いてはいたもののそれ以上の接点はなく、稲見さんに至ってはまったく接点がなかった。
そのため、小林さんと稲見さんの二人は、たまたま巻き込まれたとの見方が強まっていた。

逮捕から起訴

事件発生から一〇日。この日宇都宮署の捜査本部は、埼玉県松伏町のホテルにいた後藤を発見。同時に、共犯として指名手配されていた後藤組幹部の小野寺宣之(当時三一歳)、無職の浦田大(当時三四歳)、そして出頭してきた土木作業員の沢村勝利(当時三七歳)を逮捕した。
容疑は後藤と小野寺が現住建造物等放火未遂、殺人未遂、逮捕監禁、浦田と沢村は逮捕監禁だった。
その際、沢村以外の三人は自動式短銃一丁も所持していたため、銃刀法違反(共同所持)でも逮捕された。

後藤と小野寺は容疑を否認したが、浦田と沢村は容疑を認めていた。

九月七日。送検された後藤は、当初こそすべてを否認していたものの、この頃から少しずつ同期に関する部分を話し始めていた。
また、死亡した小林さんを含めて四人に覚せい剤を注射したのも後藤本人であると認め、殺人容疑でも追及されることになった。
そして新たに暴力団幹部の吉澤浩(当時三七歳)と、暴力団員の男(当時二一歳)もこの日指名手配された。

九月二一日。最初に逮捕された四人はこの日宇都宮地裁に起訴された。また、警察ではこの四人を強盗致死の容疑でも再逮捕する方針を決めていた。
四人を監禁した後、稲見さんのセルシオと現金二万円弱、小堀さん宅にあったペアの腕時計などを奪っていたことが判明していたのだ。

後藤をはじめ、計六人が逮捕されたこの事件は、暴力団員が一般人四人を死傷させた事件として扱われたが、裁判が始まり、トラブルの全容などが明らかになると、複雑な人間模様が露呈することとなった。

【有料部分 目次】
事の発端
阿鼻叫喚
大洗町の漂流遺体
ヤクザのメンツと別の顔
人間性のかけら
人生が”あおり運転”
被害者と言えたか
凶悪

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業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件~

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平成17年12月

福山市三之丸町にある雑居ビル「グリーンパキュラビル」1階の喫茶店「リバージュ」から火が出て、焼け跡から男性の遺体が発見された。
遺体は、同店を経営する女性の夫で、辻祥一さん(当時50歳)と判明。
当初は寝たばこによる失火とみられていたが、祥一さんの遺体から睡眠薬の成分が検出されたこと、広島県警科学捜査研究所により放火と断定されたことなどから、祥一さんの妻で同喫茶店の経営者・辻富美恵(当時48歳)が殺人と現住物放火の容疑で逮捕された。
富美恵は当時結婚相談所も兼ねたこの喫茶店の経営に行き詰っており、1500万円ほどの借金があった。祥一さんには15千万円もの生命保険金が富美恵を受取人にしてかけられていたが、実は富美恵と祥一さんはわずか9日前に婚姻届けを出したばかりだった。 続きを読む 業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件~

🔓業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件②~

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その夜

事件のあった1228日は仕事納めで、祥一さんは退職も決まっていたことから会社の忘年会に出席していた。
しかし、午後八時ころ、電話を持って席を離れたという。そして、そのまま途中で帰ってしまった。

警察では、この時富美恵が何か理由をつけて祥一さんを店に呼び出したとみていた。
そして、睡眠薬を飲ませて眠らせた祥一さんに灯油をかけ、店もろとも焼いたのだった。
富美恵はこの日の計画を万全のものにするために、一週間前からこの日友人らと会う約束をしていた。
そして、火災が起こった直後に友人らと合流し、そこでさも今この時間祥一さんが生きているかのように装い、自身のアリバイを成立させようとしたのだ。 続きを読む 🔓業火に焼かれる母と娘~福山・保険金放火殺人事件②~

男を無期懲役囚に変えた妄想と悪意~日立・仲人一家殺害放火事件~

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平成12年3月1日

男は疲弊していた。
日常で、いつも誰かに見張られているような気がし、些細なことがなぜかいつもトラブルに発展してしまう。
そう言っている最中にも、すれ違った大型トラックにパッシングされてクラクションも鳴らされた。恐ろしい。
どうしてこうなってしまったんだろう。
幸せな結婚をしたはずだった。子供にも恵まれ、仕事だって順調で貯金も人並みに蓄えてきた。
それなのにどうして・・・

男は台所に保管してあったペットボトルをありったけ抱えて車に乗った。胸ポケットには、妻にあてたメモ。
車を走らせ、男は一件の家を目指した。そう、その家ごと焼き払わなければ、男は死んでも死にきれなかった。 続きを読む 男を無期懲役囚に変えた妄想と悪意~日立・仲人一家殺害放火事件~

男を無期懲役囚に変えた妄想と悪意~日立・仲人一家殺害放火事件②~

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被害妄想

憲司にはA子さんとのこと以外にも悩みがあった。
近頃、どうも電話をしている最中に「雑音」が入るのだ。最初は気にしていなかったものの、気になり始めると頭から離れなくなった。
思いかえすとおかしなことはかなり前からあった。結婚してすぐの頃、防錆管理士や危険物取扱者の資格者証が家からなくなったことがあった。板金工場を営んでいた時も、スプレーガンがなぜかいつも無くなっていた。
また、送風装置を作った際にも、その装置がうまく働かず仕事が中断されることが何度もあった。
それだけではない、町内会の旅行の幹事を請け負ったとき、不参加になった人に旅行代金を返金したにもかかわらず、返してもらっていないと言われたこともあった。憲司はこの時、不本意ながらも自腹で穴埋めをした。
それ以外にも、いつも行くプールの駐車場で駐車をめぐってトラブルになったこと、警備会社の食堂で食事をすると腹痛を起こしたこと、あぁそういえば、板金の仕事に使用していた「つなぎ」の同じ個所にいつも穴が開いていた。

憲司はこれらの事象のすべてを、「何者かによる悪意ある仕業」であると思うようになっていた。
そしてそれは、すべてA子さんと結婚した後で起こっていること、しかも、今橋さんから入会を誘われたあの宗教団体に入るのを拒否した後で起こっていることから、憲司の頭の中には宗教団体による組織的な「嫌がらせ」という構図が出来上がっていた。
そうだ、なにもかも、今橋さん夫婦が「仕組んだ」ことに違いない。言いなりにならなかった自分への嫌がらせを組織的にあの宗教団体がやらせているのだ、そう考えればすべてつじつまが合うではないか…
憲司の頭の中ではそれは抗いようのない事実となっていた。

決行の夜

憲司は自分の人生にすでに見切りをつけていた。
貯蓄もほとんど使い果たし、仕事もなく、体も思うようにならない。大切な子供たちに事由に会うことすらできない。
実は平成10年の秋、ヒッチハイクで茨城県内へ出向いた憲司は、そこで自動車を盗み逮捕されてしまう。
憲司は自殺する意思を固め、母や元妻であるA子さんらに宛てた遺書のようなものも準備していた。
そこには、自分が死ぬのは子供たちをあの宗教団体から遠ざけるためなのだから、それだけはしないでくれ、という趣旨のことを記した。
それと同時に、今橋さんにさえ関わらなければ、A子さんと結婚しなければ、憲司は今の自分の境遇もすべて含めて今橋さん夫婦の責任であると思い込むことで、なんとか自分を保っていた。

そして、自分一人が死んでも何も変わらない、A子さんを道連れにしてしまうと子供たちが不憫であるから、いっそ諸悪の根源である今橋さん方を巻き込んで騒ぎを大きくすれば、世間の目があの宗教団体に向くのではないか、とも考えるようになった。

遺書を用意して一か月ほどが経過した平成12年2月29日の深夜。
A子さん方の様子をうかがいに行った帰り、大型トラックにクラクションを鳴らされた上パッシングされた。
憲司はそれもあの宗教団体の仕業だと思い込んだ。

先の述べた通り、ガソリン入りのペットボトルをおよそ15リットル分持ち出し、そのまま今橋さん宅に向かった。
勝手口をバールでこじ開けて室内に入り、今橋さん夫婦の寝室を探していると、二組の布団が敷かれた部屋を見つけた。
そこが夫妻の寝室だと思った憲司は、人の形に盛り上がった布団を確認して布団にガソリンをかけた。
躊躇することなくライターで火を放つと、それに気づいた二人が起きだしてきた。
その部屋で寝ていたのは今橋さんの妻・とし子さんと13歳の孫で、憲司はとし子さんの背後からさらにガソリンをかけた。
既に火の手が回っていた部屋の焔がそのままとし子さんの体に引火、瞬く間にとし子さんは火に包まれてしまった。

さらに、茶の間へ移動した憲司のもとに、騒ぎに気付いて起きだしてきた娘婿のCさんがやってきた。そこでも憲司は、パニックのCさんの体にガソリンをかけ、室内の火を引火させた。
続いて勝手口で鉢合わせた今橋さんの娘・Bさんに対して、真正面からガソリンをかけた。
このようにして憲司はとし子さんを焼死させ、BさんとCさん、そして孫の一人に大やけどを負わせたうえ、今橋さん方を全焼させた。

裁判

裁判では憲司の精神状態についても審理された。
憲司は裁判が始まっても一貫して「宗教団体による嫌がらせ」を主張、さらにはとし子さんが病院で死亡したことまでも、「宗教団体の指示で医師が殺害した」という荒唐無稽な主張をした。
そういった言動もあり、憲司は「パラノイア(妄想性障害)」であり、それによって犯行前後は心神耗弱の状態にあったと弁護側は主張した。

第11回公判調書においては、医師の鑑定書が提出された。
それによれば、憲司は幼いころから父親の影響でA子さんが信仰する宗教に対して拒否感を持っていたところ、A子さんとの結婚によって自らその宗教にかかわらざるを得ないような状態が作り出され、加えて自身の境遇や、人生においての不愉快な出来事がすべてその宗教と関係しているという考えに支配されているものであって、程度としては中程度の重さであると考えられるものの、離婚を子供らのために思いとどまったり、元来の憲司の性格(物事を機械的にとらえる、被害感情を持続しがちな性格)によるところも大きく、本人の全生活を支配するほどの重症とはいえない、とした。

また、通常妄想障害が重くなって事理の弁識すら困難になると、きっかけの出来事があると爆発してしまい、唐突な行動に出るケースが多いにもかかわらず、憲司の場合はいわゆる「ため」の期間があること、子供達のことを考えて手続きなどを踏んでいることなどが見られ、その点でも心神耗弱に値するような妄想障害であったとは言えない、とされた。

裁判所はこれを採用し、憲司の心神耗弱を退けた。

憲司が一番訴えたかった「宗教団体による嫌がらせ」についても、そもそも今橋さんが繰り返し勧誘したのは結婚後の1年程度であり、その後は特に入会を促すような話はしていなかった。
A子さんの行動には、確かに宗教に起因するものがありはしたが、かといってそれを憲司にも強要するようなことはなかった。
むしろ、自宅の洋服ダンスに曼荼羅をかけても良いかとわざわざ憲司の許可を得ようとしたり、憲司があまりにも怒るためにA子さん自身も信仰しないと一旦は口にするなど、決して憲司に入会させるために今橋さんやA子さんが動いたという印象もない。
憲司は宗教団体から命を狙われているとまで思い込んでいたと供述したが、当時勤務していた警備会社の社員食堂で腹痛を起こしたことや、夜中に治療中の歯が痛むといったことをその理由としており、到底理解できるものではなかった。

なにより、恨みがあったのは今橋さん本人であるはずで、妻のとし子さんにいたっては憲司に勧誘すらしていない。ましてや、娘夫婦やその子供たちは全くと言っていいほど憲司とはかかわりがなかった。
にもかかわらず、家人が寝静まった頃を見計らって、大きな損害が確実に出る放火という手段を用いて殺害しようとするなど、どう考えても微塵の同情も出来るはずがなかった。
しかし憲司は、そうすることが世間の注目を集め、結果として自分には同情が集まると考えていたのだ。

実際には、A子さんとの結婚生活の破綻は、自らの疑り深い性格によるもので、正直宗教全く関係ないやんと言わざるを得ない。
さらにはその疑いから暴力行為にまで及んでいる以上、A子さんが離れていったのは憲司の行動によるものでしかなかった。

判決は死刑。
自殺を図り憲司自身も重症のやけどを負ったことや、全てを売り払って1500万円を今橋さんに提供したことが情状酌量に値するかも慎重に審議されたが、そもそも慰謝料として支払った1500万円も、憲司が自ら行ったのではなく、憲司の兄がしたことであること、結果として4人は助かったとはいえ、子供達も含めて目でわかる傷が残っていること、恨まれるいわれもないとし子さんが殺害されたこと、そしていまだに憲司が妄想の中で生きていることなどを踏まえると、矯正可能とは言えないとされた。
その後の控訴審で、死刑相当であるとしながらも心神耗弱が認められ無期懲役。そのまま確定した。

信仰の自由

この事件は、被害妄想に陥った男が逆恨みのはてに仲人一家を惨殺しようと企て、結果一人が死亡、4人が生涯に残る傷を負わされ、一家は住む家と家族の思い出を失った事件だ。

しかし、憲司にしてみればそうではない。
真面目に、こつこつと生きてきたのが、あの見合いをしたことでじわりじわりと得体のしれないものに侵食され、きがつくと足元だけを残してすべてが崩れ去っていたわけだ。
もちろんこれは憲司の被害妄想でしかないし、憲司自身もそれらのことに宗教団体がかかわっているという証拠はないと話している。

私自身は特に強く信仰心を抱いているわけでもなく、結婚式は神前だったしクリスマスは一年で一番好きだし、初詣にもいくし短大はカトリック系だったので食前のお祈りも出来る。たまにやってくるエホバのおばさんとも友達だし、選挙のたびに誰だよみたいな同級生からも連絡があったりする。
けれど実家は曹洞宗だし葬式はお寺でするし、お墓も仏式だ。
この混沌とした宗教観が当たり前であるにもかかわらず、特定の宗教や新興宗教に対しては嫌悪の感情を抱くこともある。
憲司はとりわけその意識が強かった。そこへ、結婚した後でその忌み嫌う宗教を妻が信仰していたことを知ったら。
今橋さんは確かに無理強いもしていないし、自分たちが信仰する宗教の内容を教えたりするにとどまっている。

しかしおそらく憲司が許せなかったのはそこではない。断言するが、今橋さんは勧誘目的で妻の姪であるA子との見合いを持ってきた、これは間違いない。
その宗教団体では、お題目を唱えることよりも新しい会員を捕まえることの方に重きが置かれていたのも事実で、となれば同じ宗教に入っている人同士をくっつけるより、会員でない人間とA子さんを引き合わせた方が、新規会員の獲得につながる。
しかも、結婚となれば宗教は切っても切れない話であり、それを言わなかったというのは私からしてみれば「悪意」と思えてしまう。
憲司と同じ立場に立った時、絶対に同じような妄想を抱かないと言えるだろうか。
歯が痛むことまで関連付けるとは思えないにしても、不可思議なことが起きてしまうと、ふと、なにかに理由を求めてしまうかもしれない。
さすがに殺そうとは思わんにしても、「騙されて結婚させられた」という部分だけは拭いきれないかもしれない。

憲司は真面目で礼儀正しい男だった。決して、最初から向こう側の人間ではなかった。昭和の時代、誰もが思い描く「中流の普通の家庭」を作り、人生をより良いものにしようと仕事も計画的にやってきた人間だった。
それがどうしてこうなったのか。
裁判ではもともとの性格にも問題があったというが、言い方の問題で、被害感情を持続させがちというのは、言い換えれば何かあっても強く出られず自分の中に溜め込んでしまうともいえるし、機械的に物事をとらえるというのも、曖昧なことが嫌いで白黒はっきりさせたいという性格ともいえる。
そんな人は世の中に山ほどいるし、はたして特筆すべき稀有な性格と言えるんだろうか。しかし、もしも結婚の際にA子さんの宗教の話を憲司が知り得ていたら、もしかしたら違う人生のレールに乗っていたかもしれないと考えてしまう。
少なくとも先に知っていれば、たとえ結婚したとしても「騙された」とは思わないだろうから。

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参考文献
判決文