🔓無関係の女性を焼き殺した男の安らかな死にざま~愛知・2女性ドラム缶焼殺事件②~

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「精子が出たらどうしよう(笑)」

空き地にドラム缶を二つ並べて、車から洋子さんらをおろした野村らは、牧田兄に対して「風呂に入ってもらえ」と言い、洋子さんと勝子さんをドラム缶内に入れさせた。
洋子さんよりも勝子さんが暴れていたため、野村は勝子さんが入ったドラム缶の蓋に角材をかませて開かないようにした。

【有料部分 目次】
逮捕から裁判
不可解な事実
4人の人生
その時、あなたなら
1月29日
生きて償う者、死んでも償えない者

ここからは有料記事です

「疑わしきは、罰せず」を貫いた法廷~広島・家族3人放火殺人事件~

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2001年1月17日未明

広島市西区己斐大迫1丁目の住宅街に、火の手が上がっていた。
二階建てのさほど大きくはないその家は炎に包まれ、二階部分も赤く火の手が迫っていた。
驚いて飛び起きた近隣住民の耳に、ふと子供の声が聞こえた。
「おねーちゃーん!おねーちゃーん!」
この住宅には、中村小夜子さん(当時53歳)と長女が暮らし、そして小夜子さんの孫である彩華ちゃん(当時8歳)と、妹のありすちゃん(当時6歳)の姉妹が良く泊まりに来ていた。

住民らの脳裏に幼い姉妹の姿がよぎった。

間一髪逃げ出せた長女は助かったものの、焼け跡から小夜子さんと幼い姉妹の遺体が見つかった。

検視解剖の結果、彩華ちゃんとありすちゃんは焼死と断定されるも、小夜子さんは首を絞められるなどして火にまかれる以前に死亡していたことが判明、事態は放火殺人の様相を呈してきた。
しかし、犯人の手掛かりはなく、5年経ってもその事件は解決を見ていなかった。

2006年、詐欺容疑で逮捕起訴されていた男性が、その取り調べの過程でこの2001年の事件への関与を認めているとして、広島県警は殺人と現住建造物等放火の疑いでその男性を逮捕した。
男性は、亡くなった小夜子さんの息子で、同じく亡くなった姉妹の父親であった。

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「疑わしきは、罰せず」を貫いた法廷~広島・家族3人放火殺人事件②~

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事件が男性にもたらした「利益」

そもそも男性がここまで疑われたのは理由があった。
男性は先にも述べたとおり、経済的に非常に困窮する人生を送っていた。職に関する面もあったと思われるが、証言台に立った妹によれば、以前から「だらしなさと狡猾」な一面を持っていたという。
妹は自分の名前で借金を作られていた。そればかりか、兄である男性の借金の尻拭いのために、実家の喫茶店で働いて得るはずの給料が全額貰えないこともあったという。
さらに、男性は事故も何度か起こしており、そのたびに母親にその後始末を押し付けたり、金をせびりに来ることもあったという。
A子さんと離婚して児童扶養手当をもらうという話が母親の小夜子さんの耳に入ったときは、小夜子さんはうんざりしたような顔をしていた。
夜も眠れず、ハルシオンを服用することもあったそうだ。

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🔓親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件~

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2004年9月11日 深夜

栃木県小山市を流れる「思川」にかかる橋の上に、一台の車が停車した。
男は助手席で眠りこける男児の腕と足をおもむろに引っ張ると、そのまま車外へ引きずり出した。
寝ぼけ眼の男児は、抵抗するもうまくいかない。
男はそのまま、橋の転落防止用のワイヤーの隙間から、躊躇することなく男児を5メートル下の川へ投げ落とした。
「バチャーン」
すぐに助手席に回り込み、同じく助手席で眠っていたもう一人の男児を、先ほどと同様に引きずり出したうえ、同じように川へと投げ棄てた。

後部座席にいた少女は、男児らの泣き声で目を覚ましていた。
言い知れぬ不安から、少女は男児の行方を男に聞いた。
「お父さん、あの子たちは?」
ハッとしたように娘を見た男は、「置いてきちゃった」と呟いた。

事件発覚

そのころ、小山市神鳥谷在住の男性の子どもが行方不明になったと騒ぎになっていた。
男性は、知人宅に子供二人を連れて居候しており、その知人男性がどうやら連れ出したようであったが、家に戻っていないとのことだった。
知人の名は、下山明宏(当時39歳)。小学6年生の娘と、小学1年生の息子がいる男だった。
男性は、2004年の6月ころから下山のアパートに転がり込むような形で居候していたという。子どもは、4歳の兄・一斗ちゃんと、2歳の弟・隼人ちゃんであった。
その日、男性は下山宅のアパートで昼寝をしており、子どもたちは下山の子供らとともに近所の教会の流しそうめんの催しに参加していたはずだった。
何度も下山に電話をしたが、下山は「一緒にいない」というばかりで、ようとして子供らの行方はつかめなかった。

9月12日夜、警察は未成年者誘拐の容疑で下山を逮捕したが、下山は「兄弟は公園に置いてきた」などと嘯くばかりで、幼い兄弟の行方は全く分からなかった。

13日になって、ようやく「思川の真ん中あたりの流れが速い場所で、投げ落とした」と自供。
翌14日、思川の中州付近でうつぶせになっている隼人ちゃんが、さらに16日の午前には、松原大橋から下流に6キロの葦が茂る場所で、兄の一斗ちゃんが発見された。
発見が遅れた一斗ちゃんは、両目と親指がすでになかった。

下山は殺人の罪に切り替えられ、さらに覚せい剤反応も出ていた。
幼い子供を二人、生きたまま橋の上から投げ棄てて殺害するという残虐極まりない事件は、世間の注目をいやでも集めた。

しかし、事件が注目されたのは、事件そのものだけではなかった。
世間が注目したのは、幼い兄弟を育てていたその父親の言動であった。
隼人ちゃんが発見された直後、父親は突如記者会見を開いた。顔も隠さず、テレビカメラの前でいまだ発見されていない兄・一斗ちゃんが既に死亡しているかのような言い方をし、さらには、生放送で下山の12歳の娘の実名を出した。

3LDKの決して広くはないアパートでの奇妙な6人暮らしは、当初から「何かあるのでは?」という憶測を呼んでいた。
そしてそれは、憶測のはるか上をいく展開を見せた。

下山のそれまで

下山は、栃木県小山市の裕福な家に生まれた。
小山市内でいくつも不動産を持っていた下山家は、財産を管理する会社まであった。
建設業、不動産業などバブル期にかけては相当な業績であったといい、下山は何不自由なく育てられた。
恵まれすぎた環境がもたらすのは、時に非行への道であるのは珍しくなく、下山も中学のころからやりたい放題であった。
たばこやシンナーは当たり前、無免許でバイクを乗り回し、高校へ進学したもののその態度が改まることはなかった。

高校を卒業後は、父が経営する建設会社へ就職し、1990年ころにはその会社の取締役となっている。
同時期、結婚もし子供も生まれたが、およそ1年で離婚。その後すぐに別の女性と交際を始め、1995年にその女性と再婚した。
女性も再婚で、連れ子もおり、下山との間にも1男1女が誕生してにぎやかな一家となった。夫婦仲は良いともっぱらの評判で、下山も子煩悩な面を見せていたという。
幸せな下山家であったが、2002年、下山が行っていた産業廃棄物関連の仕事で過ちを犯し、下山は懲役3年、執行猶予5年の判決を受ける。
いろいろとあったようで、下山はこれを境に転落の一途をたどることとなる。
生活が荒れ、夫婦仲は冷え切った。そして2003年には離婚するのだが、その際子どもをめぐって夫婦の間にはさらに深い溝ができたという。

下山との間の子供も含めてすべての子供を引き取っていた元妻の実家へ押しかけては、子どもを返せと怒鳴る下山の姿が何度も目撃された。
結果、下山に懐いていた下山の実子である娘Aちゃんと、その弟のBくんを下山は引き取った。

被害者の父のそれまで

一方、被害者となった幼い兄弟と父親は、どのような人生であったか。
父親の妹と下山が同級生ということもあって、ふたりは学生のころからの知り合い、悪友であった。下山はその父親のことを「あんちゃん」と呼び、慕っていたという。
私よりも10歳ほど世代が上のこの二人は、いわゆる先輩後輩の間柄であったが、その関係は今とは違って「絶対的に」先輩が立場が上、という時代だった。当然、この二人もまるで暴力団かのような上下関係に縛られ、年が上というだけで下山はその「あんちゃん」に頭が上がらなかった。

高校卒業後、父親は塗装工として比較的まじめな仕事ぶりだった。1度結婚に失敗はしたものの、その後再婚した妻は当時18歳と若く、その妻との間に被害者の兄弟を含め3人の男児をもうけている。
兄弟の兄にあたる長男には、わずかではあるが知的障害があった。そのため、続いて生まれた次男には、兄弟を引っ張っていけるようにという願いを込めて「一斗」と名付けた。
2年後に生まれた三男にも、「ハヤブサのように力強く生きてほしい」という思いで、「隼人」と名付けた。
一斗ちゃんと隼人ちゃんは、報道で顔を知っている人も多いと思うが、確かに目を引くほど愛らしい。二人とも父親によく似ていると私は感じたのだが、夫婦にとっても出かける先々で「かわいい!」と振り向かれるその兄弟が自慢であったようだ。

順風満帆に見えた一家の暮らしだったが、隼人ちゃんが生まれたころは次第に父親の仕事ぶりがそれまでと変わってきていた。
気分によって仕事を休んだりするため、一家の経済状況は思わしくなかった。ある日、若い妻は子供らを残したまま、突如家出する。

家では、幼い弟をベビーカーに乗せて「ママー!ママー!」と泣きながら母の姿を探す一斗ちゃんの姿が目撃された。弟思いであった一斗ちゃんは、母親を失った悲しみの中でも、弟の面倒をみていたのだ。いかん、もう泣ける。

2002年に離婚した父親は、小学2年生になっていた長男も含め、一斗ちゃん、隼人ちゃんら自身の子供をすべて引き取った。
手のかかる長男については実家で、一斗ちゃんと隼人ちゃんはその父親が育てることになっていたという。
しかし実際には、仕事で家を空ける父親ひとりで兄弟の面倒が見られるはずもなく、また、実家の母親も仕事をしながらであるため、一斗ちゃんと隼人ちゃんは父親、母親双方の親せきを「たらいまわし」にされた。

そして、2003年7月には、兄弟は児童養護施設へ入所せざるを得なくなった。

父親は、なんとか子どもたちを自分で育てたいという思いはあったようで、環境を変えてでも子供たちを早く施設から引き取りたかった。
ほどなくして元妻の兄のつてで、東京で仕事をすると決めた父親は、子どもたちを連れて行けるようにするため元妻に協力を仰いだ。二人が復縁するといえば、施設側も子供を引き渡すのではないか、と考えたのだ。
元妻にその意思はなかったが、父親は必死に説得して、二人で児童相談所に報告し、子どもたちを引き取ることに成功した。上京する際には、長男も同行させた。

しかし、「スカウトマン」だったというその仕事は簡単ではなく、また、あてがわれた寮は、一つ屋根の下に独身男性がほかに二人住んでおり、家族5人が狭い部屋で肩を寄せ合い暮らすのは無理があった。再び、元妻は子供を置いて地元の宇都宮市へ帰ってしまったのだ。
頼れる人もいない土地で、子供3人を男で一つで育てられるはずもなく、父親は早々に行き詰った。元妻家出をする直前、管轄の品川児童相談所に面談の約束をしてたが、夫婦の間で確認しあえていなかったのか親権者である父親はその面談に姿を見せなかった。

子どもたちを小山市の実家へ戻して世話を頼んだのち、2004年の6月までは東京で仕事をした父親だったが、うまくいくことはなく、経済的に逼迫したこともあり、小山市へ舞い戻ることになった。
実家では体調を崩した母親とその夫(母親の再婚相手)がおり、もともとその再婚相手と折り合いが良くなかった父親は、長男だけを実家に預け、一斗ちゃんと隼人ちゃんを連れてある場所を訪ねた。

一斗ちゃん兄弟が施設に入所している時期、ひょんなことから再会し、連絡を取っていた下山の実家だった。

【有料部分 目次】
息詰まる同居生活
暴力の連鎖
下山姉弟の逃げ場所と、うわさ
使いものにならない大人
壊れていた心
なぜ、その日だったか
その後

🔓「お父さん」を惨殺した中国人留学生の罪と罰~大分・恩人殺害事件~

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【お願い】
この事件は、中国籍、韓国、朝鮮籍の留学生らによる許されざる事件です。
しかしながら、この事件をもってすべての中国籍、韓国朝鮮籍の人が悪であるはずはありません。欧米人でも日本人でもアホは山ほどいます。
私はこの記事を、そのような特定の政治思想、人種差別を是とする方々に利用されたくありません。
万が一、そのようなSNSやまとめサイト、個人のブログ、掲示板などにこの記事のリンク、または引用があったとしても、私の本意ではありませんし、そういう考えの人はこの事件の犯人と同じくらい、浅はかです。

2002年1月18日未明

大分県杵築市山香町。
山間の畑が広がるのどかな集落で、高齢の夫婦が殺傷されるおぞましい事件が起きた。
殺害されたのは、建設会社を営む吉野諭さん(当時73歳)。背後から腰を一突きにされ、その刃先は腹部を貫通するほど深く差し込まれていた。
2階で寝ていた妻・恵美子さんは、一命をとりとめたものの、腹部を二か所刺され重傷であった。

娘の雅美さんは、父の死を病室の母親に告げることが出来ずにいた。
しかし、いつもまでも隠せるものでもないし、捜査上のこともあって伝える決心をする。
覚悟していたのか、夫の非業の死を知らされた妻・恵美子さんは、取り乱すこともなく、力なく頷いたという。

一片の落ち度も、ましてや他人から恨みを買うこともなかったこの夫婦に刃を向けたのは誰か。
犯人が逮捕された時、吉野家はさらに深い悲しみに打ちのめされることになる。

「お父さん」と慕われた人

吉野さんは建設会社を経営する傍ら、篤志家としても知られる人物で、特に、自身が戦前に中国で暮らした際に世話になったことを忘れず、日中友好に尽力していた。
その活動の一環として、中国人留学生への支援を行っており、自らが身元引受人となり、生活の世話から経済的な面倒まで、まるで親のように留学生たちを温かく見守ってきた。
その活動は中国からも高く評価され、吉林市で初となる外国人市民栄誉賞も贈られているほどだ。
吉野さんが日中友好に尽力していたのには、深い理由があった。
昭和18年、15歳だった吉野さんは中国吉林市へ渡る。電気技術を学びながら終戦を迎えると、1年近く捕虜生活を強いられたという。
飢えに苦しむ吉野さんら日本人捕虜に対し、こっそり食べ物を与えてくれたのは地元・吉林市の一般市民であった。時には衣類も差し入れてくれた。
吉野さんはその時の恩を忘れることが出来ず、日本での生活が安定した頃、中国残留孤児の身元引受人となった。
それをきっかけに、中国と日本の架け橋となり、何度も中国へ足を運んでは現地の経済政策をアドバイスしたり、日本語学校に携わるなど交流を深めることとなったのだ。

吉野さんの葬儀では、吉野さんの世話で中国から留学してきた女子学生が涙ながらにお別れの言葉を述べた。
「私たちはお父さんを喪った」

誰もが吉野さんを慕い、同時に最も尊敬する「お父さん」を喪った留学生たちにも同情が寄せられた。
彼らは留学の世話にとどまらず、吉野さんから野菜などの食材、生活に必要なものなどを分け隔てなく面倒を見てもらっており、その誰もが心から感謝していた。

しかし、その裏で、この吉野夫妻を惨劇へと巻き込んだ張本人が、実はこの告別式に参列した留学生の中にいたのだ。

犯人と動機

犯人は現場の状況から複数犯と見られた。また、吉野さん宅を狙い撃ちしていることに間違いはなく、吉野さん宅の事情に詳しいものが関係しているとみられた。
そこで浮かんだのが、吉野さんが身元引受人となっていた中国人留学生・安逢春(当時23歳)と、その友人の韓国籍の金玟秀(当時27歳)だった。その後、別府大学への身元引受を行った張越(当時26歳)が捜査線上に浮かんだ。

安は犯行当時も別府大学国文科に籍を置いており、日本語の他に韓国語も話せる優秀な学生であった。吉野さんも安をかわいがっており、一時期自身の会社でアルバイトもさせていたほどだった。
しかしこれが仇となった。
安は、勉学に励む優秀な学生という以外に、中国人女性と偽装結婚をした過去を持っており、吉野さんが思うほどの真面目な留学生とは言えなかった。
そして、この安が吉野さんの会社でアルバイトをした経験が、後の強盗殺人を呼び込んでしまうのだ。

一方、張はというと、吉野さんが「どうしても」と頼まれて引き受けた留学生だったという。
他の留学生が日々の生活もつつましく送る中で、張は来日した時点で100万円以上の大金を持っていた。そして、それを遊興費に使い、2001年10月に出席が足りず退学処分を受けている。
この張が、後に「日本人から大金を奪う方法を教えてもらった」などと得意げに留学生仲間に吹聴していたことから事件への関与が疑われた。
そして、事件から20日後、韓国籍の金、安と同じく中国人留学生であった19歳の少年が逮捕されたが、主犯格の張越と、朴哲(当時24歳)はすでに中国へ出国した後であり、国際指名手配となった。

5人は、張、朴の主導により強盗計画を練った。そもそも19歳の少年が朴に対して金を貸しており、その返済を前々から迫っていた背景があった。
また、朴自身も交際女性を妊娠させてしまい、堕胎費用を工面したいと考えていた。安らも、偽装結婚で金が要ることや、アルバイトに汗を流すことに嫌気がさした面もあり、当初は軽い気持ちで強盗計画を聞いていたようだ。
「どこかに金持ちはいないか?」
そう聞かれた安は、吉野さん宅を教えたのだった。張は、自身も世話になったはずの吉野さんの名前が出ても、それを止めることもしなかった。

朴も他の犯人と同様、別府大学の留学生であったが、2001年12月に退学している。19歳の少年も、同じ年の10月に退学となっていた。
(それにしてもこの別府大学というのはどういうところなのだろう。積極的な留学生受け入れをしているように見えるにもかかわらず、これだけの退学者を出すのは珍しくないんだろうか。)
そして、この国際指名手配となった朴と、19歳の少年は、吉野さん方を襲撃するわずか3週間ほど前、大阪で35歳の女性を強盗目的で殺害していた。

大阪事件

2001年12月26日16時30分。
大阪市北区のホテルで、派遣型風俗店従業員の女性(当時35歳)が刃物でめった刺しにされて殺害されているのが発見された。
女性はクラフトテープで両手足を縛られ、その上で心臓、首などを十数回刺され、心・肺刺創による失血死であった。
その後の調べで、女性は2枚のキャッシュカードを抜き取られており、強盗目的で呼び出されたのち、殺害されたとみられている。

この事件を起こしたのが、ほかでもない吉野さん宅を襲った19歳の少年と、朴であった。
19歳の少年は、2001年10月に別府大学を退学後、東京の専門学校へ通うために都内の知人宅へ転居した。
11月ころ、中国の母親から学費として50万円の送金を受けながら、そのうちの12万円を朴に貸し付けている。さらに、知人らへの借金返済や、遊興費にその残金を費やしてしまう。
専門学校への学費振り込み期限が迫る中、19歳の少年は同居していた知人に50万円を借り、41万円を専門学校へ振り込んだ。
しかし、母親からの送金は期待できず、またこれ以上知人からの借金も出来ず、さらには在留資格の問題でアルバイトも出来なかったために金に窮することとなった。
切羽詰まった少年は、以前朴に貸していた12万円を返済してもらおうと、しつこく朴に電話している。
そこで朴から持ちかけられたのが、女性を狙った強盗であった。
19歳の少年は、強盗してお金が手に入れば、朴から金を返してもらえると思い、その計画に乗った。
場所は大阪と決め、12月24日、朴が大分から、少年は東京からそれぞれ大阪へと向かう。その際、朴は凶器となる棒やナイフを所持していた。
当初は、ひとり歩きの女性を襲う予定であったが、思いのほか難航。24日と25日はまったく計画通りにことが運ばず、2人はビジネスホテルに泊まった。
そして、風俗嬢を呼び出して金を奪うことを思いつき、通りで何枚かの風俗店のビラを入手する。
26日の午前1時ころ、ある風俗嬢をSEX目的で呼び出すも、若すぎるとしてチェンジ。しかしその後、別の風俗嬢が来ることはなかった。

翌朝、2人は別のホテルへ向かい、その道中、犯行に使用するクラフトテープや防止、ペティナイフを購入し、午後3時ころ19歳の少年のみがホテルにチェックインした。
遅れて朴が部屋を訪れ、道具を手渡した後「キャッシュカードの暗証番号を聞き出した後は、売春婦は殺さないと面倒だから、殺して逃げろ。自分も別の部屋で同じように女から金を奪う」と告げ、少年はこれを了承。
朴も、別の部屋で同じことをするからと少年に言い、これは二人の犯行だと思い込ませた。

午後4時30分ごろ、呼び出したA子さん(35歳)がシャワーを浴びているところを襲い、縛り上げたうえでキャッシュカードを強奪した。
逃げようとした際、A子さんが声をあげたことで我に返った少年は、やはり殺さなければと思い、所持していたナイフで刺殺した。

A子さんに刺し込まれたナイフは、その刃が根元から折れ曲がるほどの力で何度も刺し込まれており、相当な殺意が見てとれる。
少年は冷静にドアノブの指紋を拭き、その場から逃走した。
結局、少年は現金を引き出せず、キャッシュカードを朴に渡した後、ナイフを捨て、再び東京へと戻った。

そして、再び強盗をはたらくために、今度は大分へと向かうのである。
しかしこの時、朴は別の部屋でなにもしていなかったのだ。

【有料部分 目次】
お気楽な強盗団
最終計画
誤算
裁判と判決
再びの悲劇
安逢春の罪と罰

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