彼は本当にやっていないか~愛知・男児連れ去り殺害事件②~

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全面自供からの一転否認

河瀬は警察に対し、全面的な自供をしているが、なぜそのような自供をしたのか。
4月13日午前4時20分、警察は河瀬が寝泊まりしていた駐車場へ行き、寝ていた河瀬を起こして豊川警察署への任意同行を求めた。
この際、河瀬はまた嘘をついた。「今日は仕事があるから」と。
しかしその日休みであることはわかっており、警察はその河瀬の嘘からさらに疑いを深めたと思われる。

早朝たたき起こされた河瀬は任意同行に応じ、そのまま担当刑事から普段の生活の状況や車中泊をする理由などを聞かれた。午前6時ころからはポリグラフ検査が実施され、朝食を食べたのちまた取り調べが始まった。
取り調べの際、現場駐車場へ行った理由として、友達と待ち合わせていたとまた河瀬は嘘をついた。すかさず担当刑事が「それは嘘だろう!」と強く問い詰めたところ、同日8時半頃に寝場所を求めて現場駐車場へ行ったと話した。
そして、午前九時ごろに一旦は誘拐と海へ落したなどといったことを自供したものの、10時半ころには再び供述が変わり、連れ出したものの公園に置き去りにしたなどと言った。
その日の午後10時ころまで取り調べは続いたが、河瀬はその間否定を続けていた。
翌日、供述の基づいて現場へ河瀬を連れて行き、置き去りにしたという公園で、担当刑事が「何かまだ話してないことがあるんじゃないのか、このまま連れ去りの罪だけを償っても、一生後悔するよ」などといったところ、河瀬は泣きながら「ごめんなさい、本当は海に捨てました」と自白した。
それに基づき、捨てた場所へ案内させ、図面を作成させるなどしたうえ、4月15日、逮捕となった。
逮捕後、検察官の取り調べ、および担当弁護士らにも犯行を認める旨を話している。 続きを読む 彼は本当にやっていないか~愛知・男児連れ去り殺害事件②~

彼は本当にやっていないか~愛知・男児連れ去り殺害事件③~

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まさかの逆転有罪

晴れて無罪となった河瀬は、2年9か月ぶりに自由の身となった。
記者会見に臨んだ河瀬は、いつもの気弱で自信なさげな印象はあるものの、少し笑顔も見られた。
一方、父親の純さんの心は複雑だった。警察からは「確実な証拠がある」と聞かされていたのに、裁判の過程で「これは!」といった証拠は一切出なかった。
純さんは、判決が出る2週間前に受けた雑誌の取材で、「秘密の暴露もなかった。真犯人はほかにいるのかな、という思いもある」と答えている。それほどまでに、矛盾だらけの裁判であった。
無罪判決の後、純さんは、「真犯人を見つけてほしい」と話した。

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「疑わしきは、罰せず」を貫いた法廷~広島・家族3人放火殺人事件~

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2001年1月17日未明

広島市西区己斐大迫1丁目の住宅街に、火の手が上がっていた。
二階建てのさほど大きくはないその家は炎に包まれ、二階部分も赤く火の手が迫っていた。
驚いて飛び起きた近隣住民の耳に、ふと子供の声が聞こえた。
「おねーちゃーん!おねーちゃーん!」
この住宅には、中村小夜子さん(当時53歳)と長女が暮らし、そして小夜子さんの孫である彩華ちゃん(当時8歳)と、妹のありすちゃん(当時6歳)の姉妹が良く泊まりに来ていた。

住民らの脳裏に幼い姉妹の姿がよぎった。

間一髪逃げ出せた長女は助かったものの、焼け跡から小夜子さんと幼い姉妹の遺体が見つかった。

検視解剖の結果、彩華ちゃんとありすちゃんは焼死と断定されるも、小夜子さんは首を絞められるなどして火にまかれる以前に死亡していたことが判明、事態は放火殺人の様相を呈してきた。
しかし、犯人の手掛かりはなく、5年経ってもその事件は解決を見ていなかった。

2006年、詐欺容疑で逮捕起訴されていた男性が、その取り調べの過程でこの2001年の事件への関与を認めているとして、広島県警は殺人と現住建造物等放火の疑いでその男性を逮捕した。
男性は、亡くなった小夜子さんの息子で、同じく亡くなった姉妹の父親であった。

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「疑わしきは、罰せず」を貫いた法廷~広島・家族3人放火殺人事件②~

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事件が男性にもたらした「利益」

そもそも男性がここまで疑われたのは理由があった。
男性は先にも述べたとおり、経済的に非常に困窮する人生を送っていた。職に関する面もあったと思われるが、証言台に立った妹によれば、以前から「だらしなさと狡猾」な一面を持っていたという。
妹は自分の名前で借金を作られていた。そればかりか、兄である男性の借金の尻拭いのために、実家の喫茶店で働いて得るはずの給料が全額貰えないこともあったという。
さらに、男性は事故も何度か起こしており、そのたびに母親にその後始末を押し付けたり、金をせびりに来ることもあったという。
A子さんと離婚して児童扶養手当をもらうという話が母親の小夜子さんの耳に入ったときは、小夜子さんはうんざりしたような顔をしていた。
夜も眠れず、ハルシオンを服用することもあったそうだ。

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🔓親から手渡された地獄への片道切符~小山市・兄弟投げ落とし殺害事件~

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2004年9月11日 深夜

栃木県小山市を流れる「思川」にかかる橋の上に、一台の車が停車した。
男は助手席で眠りこける男児の腕と足をおもむろに引っ張ると、そのまま車外へ引きずり出した。
寝ぼけ眼の男児は、抵抗するもうまくいかない。
男はそのまま、橋の転落防止用のワイヤーの隙間から、躊躇することなく男児を5メートル下の川へ投げ落とした。
「バチャーン」
すぐに助手席に回り込み、同じく助手席で眠っていたもう一人の男児を、先ほどと同様に引きずり出したうえ、同じように川へと投げ棄てた。

後部座席にいた少女は、男児らの泣き声で目を覚ましていた。
言い知れぬ不安から、少女は男児の行方を男に聞いた。
「お父さん、あの子たちは?」
ハッとしたように娘を見た男は、「置いてきちゃった」と呟いた。

事件発覚

そのころ、小山市神鳥谷在住の男性の子どもが行方不明になったと騒ぎになっていた。
男性は、知人宅に子供二人を連れて居候しており、その知人男性がどうやら連れ出したようであったが、家に戻っていないとのことだった。
知人の名は、下山明宏(当時39歳)。小学6年生の娘と、小学1年生の息子がいる男だった。
男性は、2004年の6月ころから下山のアパートに転がり込むような形で居候していたという。子どもは、4歳の兄・一斗ちゃんと、2歳の弟・隼人ちゃんであった。
その日、男性は下山宅のアパートで昼寝をしており、子どもたちは下山の子供らとともに近所の教会の流しそうめんの催しに参加していたはずだった。
何度も下山に電話をしたが、下山は「一緒にいない」というばかりで、ようとして子供らの行方はつかめなかった。

9月12日夜、警察は未成年者誘拐の容疑で下山を逮捕したが、下山は「兄弟は公園に置いてきた」などと嘯くばかりで、幼い兄弟の行方は全く分からなかった。

13日になって、ようやく「思川の真ん中あたりの流れが速い場所で、投げ落とした」と自供。
翌14日、思川の中州付近でうつぶせになっている隼人ちゃんが、さらに16日の午前には、松原大橋から下流に6キロの葦が茂る場所で、兄の一斗ちゃんが発見された。
発見が遅れた一斗ちゃんは、両目と親指がすでになかった。

下山は殺人の罪に切り替えられ、さらに覚せい剤反応も出ていた。
幼い子供を二人、生きたまま橋の上から投げ棄てて殺害するという残虐極まりない事件は、世間の注目をいやでも集めた。

しかし、事件が注目されたのは、事件そのものだけではなかった。
世間が注目したのは、幼い兄弟を育てていたその父親の言動であった。
隼人ちゃんが発見された直後、父親は突如記者会見を開いた。顔も隠さず、テレビカメラの前でいまだ発見されていない兄・一斗ちゃんが既に死亡しているかのような言い方をし、さらには、生放送で下山の12歳の娘の実名を出した。

3LDKの決して広くはないアパートでの奇妙な6人暮らしは、当初から「何かあるのでは?」という憶測を呼んでいた。
そしてそれは、憶測のはるか上をいく展開を見せた。

下山のそれまで

下山は、栃木県小山市の裕福な家に生まれた。
小山市内でいくつも不動産を持っていた下山家は、財産を管理する会社まであった。
建設業、不動産業などバブル期にかけては相当な業績であったといい、下山は何不自由なく育てられた。
恵まれすぎた環境がもたらすのは、時に非行への道であるのは珍しくなく、下山も中学のころからやりたい放題であった。
たばこやシンナーは当たり前、無免許でバイクを乗り回し、高校へ進学したもののその態度が改まることはなかった。

高校を卒業後は、父が経営する建設会社へ就職し、1990年ころにはその会社の取締役となっている。
同時期、結婚もし子供も生まれたが、およそ1年で離婚。その後すぐに別の女性と交際を始め、1995年にその女性と再婚した。
女性も再婚で、連れ子もおり、下山との間にも1男1女が誕生してにぎやかな一家となった。夫婦仲は良いともっぱらの評判で、下山も子煩悩な面を見せていたという。
幸せな下山家であったが、2002年、下山が行っていた産業廃棄物関連の仕事で過ちを犯し、下山は懲役3年、執行猶予5年の判決を受ける。
いろいろとあったようで、下山はこれを境に転落の一途をたどることとなる。
生活が荒れ、夫婦仲は冷え切った。そして2003年には離婚するのだが、その際子どもをめぐって夫婦の間にはさらに深い溝ができたという。

下山との間の子供も含めてすべての子供を引き取っていた元妻の実家へ押しかけては、子どもを返せと怒鳴る下山の姿が何度も目撃された。
結果、下山に懐いていた下山の実子である娘Aちゃんと、その弟のBくんを下山は引き取った。

被害者の父のそれまで

一方、被害者となった幼い兄弟と父親は、どのような人生であったか。
父親の妹と下山が同級生ということもあって、ふたりは学生のころからの知り合い、悪友であった。下山はその父親のことを「あんちゃん」と呼び、慕っていたという。
私よりも10歳ほど世代が上のこの二人は、いわゆる先輩後輩の間柄であったが、その関係は今とは違って「絶対的に」先輩が立場が上、という時代だった。当然、この二人もまるで暴力団かのような上下関係に縛られ、年が上というだけで下山はその「あんちゃん」に頭が上がらなかった。

高校卒業後、父親は塗装工として比較的まじめな仕事ぶりだった。1度結婚に失敗はしたものの、その後再婚した妻は当時18歳と若く、その妻との間に被害者の兄弟を含め3人の男児をもうけている。
兄弟の兄にあたる長男には、わずかではあるが知的障害があった。そのため、続いて生まれた次男には、兄弟を引っ張っていけるようにという願いを込めて「一斗」と名付けた。
2年後に生まれた三男にも、「ハヤブサのように力強く生きてほしい」という思いで、「隼人」と名付けた。
一斗ちゃんと隼人ちゃんは、報道で顔を知っている人も多いと思うが、確かに目を引くほど愛らしい。二人とも父親によく似ていると私は感じたのだが、夫婦にとっても出かける先々で「かわいい!」と振り向かれるその兄弟が自慢であったようだ。

順風満帆に見えた一家の暮らしだったが、隼人ちゃんが生まれたころは次第に父親の仕事ぶりがそれまでと変わってきていた。
気分によって仕事を休んだりするため、一家の経済状況は思わしくなかった。ある日、若い妻は子供らを残したまま、突如家出する。

家では、幼い弟をベビーカーに乗せて「ママー!ママー!」と泣きながら母の姿を探す一斗ちゃんの姿が目撃された。弟思いであった一斗ちゃんは、母親を失った悲しみの中でも、弟の面倒をみていたのだ。いかん、もう泣ける。

2002年に離婚した父親は、小学2年生になっていた長男も含め、一斗ちゃん、隼人ちゃんら自身の子供をすべて引き取った。
手のかかる長男については実家で、一斗ちゃんと隼人ちゃんはその父親が育てることになっていたという。
しかし実際には、仕事で家を空ける父親ひとりで兄弟の面倒が見られるはずもなく、また、実家の母親も仕事をしながらであるため、一斗ちゃんと隼人ちゃんは父親、母親双方の親せきを「たらいまわし」にされた。

そして、2003年7月には、兄弟は児童養護施設へ入所せざるを得なくなった。

父親は、なんとか子どもたちを自分で育てたいという思いはあったようで、環境を変えてでも子供たちを早く施設から引き取りたかった。
ほどなくして元妻の兄のつてで、東京で仕事をすると決めた父親は、子どもたちを連れて行けるようにするため元妻に協力を仰いだ。二人が復縁するといえば、施設側も子供を引き渡すのではないか、と考えたのだ。
元妻にその意思はなかったが、父親は必死に説得して、二人で児童相談所に報告し、子どもたちを引き取ることに成功した。上京する際には、長男も同行させた。

しかし、「スカウトマン」だったというその仕事は簡単ではなく、また、あてがわれた寮は、一つ屋根の下に独身男性がほかに二人住んでおり、家族5人が狭い部屋で肩を寄せ合い暮らすのは無理があった。再び、元妻は子供を置いて地元の宇都宮市へ帰ってしまったのだ。
頼れる人もいない土地で、子供3人を男で一つで育てられるはずもなく、父親は早々に行き詰った。元妻家出をする直前、管轄の品川児童相談所に面談の約束をしてたが、夫婦の間で確認しあえていなかったのか親権者である父親はその面談に姿を見せなかった。

子どもたちを小山市の実家へ戻して世話を頼んだのち、2004年の6月までは東京で仕事をした父親だったが、うまくいくことはなく、経済的に逼迫したこともあり、小山市へ舞い戻ることになった。
実家では体調を崩した母親とその夫(母親の再婚相手)がおり、もともとその再婚相手と折り合いが良くなかった父親は、長男だけを実家に預け、一斗ちゃんと隼人ちゃんを連れてある場所を訪ねた。

一斗ちゃん兄弟が施設に入所している時期、ひょんなことから再会し、連絡を取っていた下山の実家だった。

【有料部分 目次】
息詰まる同居生活
暴力の連鎖
下山姉弟の逃げ場所と、うわさ
使いものにならない大人
壊れていた心
なぜ、その日だったか
その後