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生まれついてかそうでないかにかかわらず、日本では病気や怪我によって生活や仕事が制限されるようになった際、国がその等級に応じて年金という形で生活を支援する「障害年金制度」というものがある。
当然ながらこれらは本人の生活、人生のためのものであり、決して十分な額とは言えないかもしれないけれどその他の公的サービスなどと組み合わすことで、身体、精神に障害を持っていても生活していけるための大切なものである。
ただ、心、知的な障害を持っている場合、どうしてもその管理を身近な人間がせざるを得ないケースが出てくる。
同居する親や施設の責任者がそれを担うことが多いと思われるが、中には、身元引き受けになったそれ以外の人が行うこともある。
そこにもし、悪意があったら。いや、悪意がなくとも、そもそも引き受けた側に相応の能力が欠如していたら。
安中の事件
群馬県安中市の借家で、一人の女性が死亡した。
女性は50歳、ひどく痩せ衰えており、体も汚れていた。一応、上着などを身につけてはいたが、家の中であるにもかかわらず死因は低体温症。
一人暮らしの持病のある女性であれば、助けを求めることができずに衰弱したということも考えられたが、この家には女性の妹夫婦とその子供が一緒に暮らしていたのだ。
平成29年2月6日
死亡していたのは萩原里美さん(当時50歳)。里美さんには中度の知的障害とてんかんの持病があった。そのため、昭和62年頃から渋川市の障害者支援施設に入所していた。
その後、平成27年12月に施設から実家へ一時帰宅した際、里美さんが施設に帰りたくないという趣旨の話をしたことから、当時実家にいた里美さんの妹夫婦がそのまま退所させ、里美さんを引き取ったのだという。
里美さんは施設にいた当時56キロほどの体重があったという。しかし、発見された里美さんは体重が35キロ程度にまで減少しており、司法解剖の結果、胃のなかに食べ物はありはしたものの、おそらく長い間栄養状態が良くなかったと見られた。
加えて、2月という寒い時期だったこと、低栄養からの高度の貧血状態にあり、体温調節機能が著しく低下したことからの、低体温症で死亡したと断定されていた。
一方の妹夫婦とその子供の体調に問題はなかった。
里美さんだけが、この家の中で衰弱し死亡したということで、警察は里美さんの死因に不審な点がないか捜査を始めた。その疑惑は当然、同居していた妹夫婦に向けられた。
が、里美さんが死亡する3日前の2月3日、安中市障害福祉係の職員が里美さんに面会していたことが判明。
その際、里美さんは痩せてはいたもののひどく衰弱した様子はなかったといい、職員からの質問にも意思表示をするなど、里美さんの状態がそこまで悪いようには見えなかったという。
当然ながら、妹夫婦も姉が死亡したことについて自分たちは世話をしており、死んでしまうような状態には思えなかったと証言。
里美さんは病死なのだろうか。
しかし警察は5ヶ月後の平成29年7月6日、里美さんを放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の容疑で妹夫婦を逮捕した。
年の離れた姉妹
逮捕されたのは里美さんの妹である高倉里織(仮名/当時31歳)と、その夫・高倉圭祐(仮名/当時30歳)。二人には幼い子供もいた。
警察の調べでは、ふたりは里美さんに十分な世話をしなかったばかりか、衰弱しているのを知りつつ病院へ連れていくなどの必要な世話をしなかったとされた。
里織は容疑について「違っているところがある」としており、夫の圭祐も、「やるべきことはやっていた」として否認していた。
当初報道では、里美さんが知的障害を持っていたというより、先天的な障害があって寝たきりだったとしているものがあったが、実際の里美さんは最初から寝たきりなどではなかった。
福祉施設に入所している際は食事や着替えなど、日常的なことは自分ですることが出来ていた。ただ、知的な問題があったために、季節に応じた服装をするとか、栄養を考えた食事をとるといったことは出来なかったという。
また、てんかんの持病があったことから定期的な医療機関への受診、服薬が不可欠だったが、それも自分一人で考えて行動するようなことは出来なかったことから、日常生活には常に誰かの支えが必要な状態だった。
しかし、誰かの支えがあれば、里美さんは里美さんなりに、平和な生活を送ることは十分に可能な状態にあった。
それが、福祉施設を出て1年2カ月の間になにがあったのか。
里美さんと里織は、実の姉妹ではあるがその年齢差は実に20歳も離れていた。
生い立ちなどは明らかになっていないが、平成26年から実母が再婚相手と暮らしていた安中市の借家に里織夫婦は同居していた。
実母がその年の暮れに死亡した後、実母の再婚相手がその家を出てからは、生まれたばかりの長男との3人でその借家で生活していた。
そんな里織夫婦が里美さんを引き取ることになったのはなぜか。
里織は昭和61年に生まれているが、その翌年に里美さんは施設に入所しているため、姉妹の交流はそれほどなかったのではないかと思われる。
が、関係資料によれば兄弟姉妹の中で里美さんと里織は仲が良かったという。里美さんは小学校中学年程度の知能だったといい、幼い里織にとったら、20歳の年齢差を感じなかったのかもしれないし、離れて暮らしている分、姉というより友達、そんな感覚だったのかもしれない。
里美さんが里織夫婦に引き取られるきっかけは、母親の法事だった。
平成27年11月、里美さんが暮らす施設に里織から連絡が入った。要件は、母親の法事の費用を姉にも分担してほしい、というもの。その額は7万円だった。
里美さんは障害者年金を二カ月に一度13万円受け取っていた。それらは施設の費用などに充てられていたが、当然残った分は施設が里美さん名義で管理していた。
その直後、一時帰宅ということで里織夫婦の安中の借家へ外泊した里美さんを、そのまま里織夫婦が引き取りたいと施設に申し出たのだ。
約30年に渡って施設で生活してきた里美さんだったが、里織夫婦の元で暮らしたいというのは里美さんの希望もあったという。
里美さんは精神的、知的に小学生程度であったことから、施設内の他の入所者らからときどきイジメに遭っていた。施設側も、実の妹である里織の申し出であり、かつ、夫や子供の存在もあること、障害があっても施設ではなく地域社会で生活することが真の自立であるという障害者自立支援法の理念などもあって、おそらく退所すること自体は問題ではなかったと思われる。
平成27年12月、里美さんは安中の借家での生活を始めた。
引き出された年金
裁判では里美さんを引き取ったそもそもの理由について、検察と弁護側が対立した。
弁護側は、先にも述べた通り里美さんが施設で他の入所者から嫌がらせやいじめを受けていることを知り、一時帰宅した里美さんも施設に戻りたくないと訴えたことから可哀そうになり、そのまま退所させる方針を決めた、と主張。
さらに、里美さんはほかにもいる兄弟姉妹よりも里織と一緒に暮らすことを希望していたといい、その願いを叶えようと思ったことが引き取った理由だと述べた。
一方の検察は、里織夫婦が里美さんを引き取った時期の生活状況に注目していた。
里織夫婦が里美さんを引き取ろうと動き始めた平成27年11~12月、夫婦は家賃や光熱費すら払えないほどに生活に困窮していたという。
加えて、母親の法事の費用の相談を施設にした際に、その正確な額までは把握していなかったとしても、里美さんにある程度の貯蓄があることに気づいていた。
そして、12月9日の退所会議でこのまま貯蓄しておくようにと言われた里美さんの貯蓄77万円をなんと退所した当日から数日間でその全額を引き出していた。
さらに、12日には夫婦となぜか実母の再婚相手の携帯電話3台を契約。しかもその名義は里美さんになっていた。
おそらく里織夫婦は携帯電話を契約できない状態にあったのではないか。加えて、電話料金の支払いも里美さんの口座を指定していた。
これが意味するのは何か。
検察は、口座振替にわざわざ里美さんの口座を指定したのは、障害者年金が振り込まれることをわかっていたからであり、これらを併せ考えれば里織夫婦が里美さんの障害者年金を自己の自由にするために里美さんを引き取ったと優に考えられる、とした。
裁判所としても、弁護側の主張を否定するものでもないが、かといって検察が言う動機が両立しないとも言えない、とした。
簡単に言うと、里織が姉である里美さんを不憫に思う気持ちも本当にあり、里美さんの希望通り一緒に暮らすことで里美さんの障害者年金を自由にできるという、いわばwin‐win的なことが成立する、ということだ。
ただ、たとえ里美さんを引き取った本当の理由が障害者年金目当てだったとしても、里美さんの生活のサポートをし、常識的な範囲での世話さえ出来ていれば、それはそれで問題とまでは言えないはずだった。
しかしこの夫婦は、通常の人々より生活能力に欠ける部分があった。
支えが必要な人
里美さんは中程度の知的障害があり、誰かの支えなしではひとりで生活することは出来なかった。
一方の里織と圭祐については、裁判でも知的な問題は指摘されていないし、それまでに前科前歴もない。
なので断言するようなことは出来ないが、私にはこのふたりも、一般常識の範囲で自立した生活を送るということが難しい事情があったのではないかと思っている。
当時圭祐は定職に就いていない。だからこそ生活に困ったわけだが、そもそも里織の実母が暮らす安中の借家に転がり込んだもの生活していけなくなったからだと思われる。
この安中の借家は、外観から察するにおそらく6畳二間と台所と風呂トイレ、という作りだと思われ、単身もしくは夫婦ふたり、幼い子供くらいならいけると思うが、大人が4人に子供というのはいくらなんでも窮屈すぎる。
裁判所は量刑を決めるにあたって、この里織と圭祐の生活能力のなさについて、非難の程度を若干ではあるが減少させるとしており、やはりなにか本人の努力ではどうしようもない「なにか」があったのではないかと思われる。
たとえばこれがギャンブルや浪費など、金の計算ができないとか自己の欲求に赴くままとか、そういう話ならば非難の程度は減少どころか増加するはずだからだ。
本来、里織と圭祐にもその生活を監督し、助言や経済的なサポートが必要だったように思われる。ちなみにふたりが生活保護を受けていたという話はない。
ふたりは、里美さんを引き取ることでとりあえず月額6万5千円(2カ月に1度、13万円支給)の収入を得た。即日引き出された里美さんの77万円は滞納していた家賃などの生活費に消えている。
しかし普通に考えれば、6万5千円で里美さんを含めた家族4人が生活などできようはずもない。そこで思うのが、なんで施設はこんな生活能力のないふたりに里美さんを引き渡したのか、ということである。
犬猫の譲渡であっても、その生活環境や家族構成などが審査されるのに、介護経験もなく狭い借家暮らしで幼い子を抱えた定職もない夫婦に、なぜ里美さんの世話ができると思ったのだろうか。
血を分けた姉妹だから?
これについては裁判でも言及されておらず、安中市が調査報告書を出したという話もないため、詳細はわからない。
ただ、里美さんが長年暮らした渋川市の施設は、里美さんが死亡する2か月前から施設に来ていないことを安中市に報告していた。そしてそれをうけて、2月3日に安中市の職員が家庭訪問したのだ。これは里美さんの死亡3日前の話である。
その際、安中市の職員は「里美さんがそこまで衰弱しているように思えなかった」としているが、この時里美さんの体重は35キロしかなかった。
長年施設で暮らしていた里美さんは56キロあった。身長にもよるだろうが、施設にいてとんでもない肥満体だったとは思えない。里美さんがたとえ身長150センチ以下であっても35キロというのは痩せているという印象を受ける。
しかも里美さんは低栄養の状態が長く続いていた。それでも、里美さんの健康状態に問題がないとみえたのだろうか。
裁判では、この時の安中市の職員との面会で特に問題を指摘されなかったことが、対応した圭祐の中に「里美さんは大丈夫」という安心感が生まれたと指摘されているが、だからといってそのまま里美さんを放置してよいことにはならないとし、結局は年金欲しさに里美さんを引き取ったはいいが、他人任せでなんら里美さんに必要な介護を行っていなかったと非難した。
ふたりはやることはやっていたと主張していたが、安中市の職員との面会以降、急激に弱り寝たきりとなった里美さんを病院にも連れて行かなかったばかりか、一人放置されトイレにも立てない里美さんが排泄物を垂れ流していてもそれを世話することはなかった。
里美さんが低体温症となったのは、冬という季節に加え自身の排泄物にまみれそれによって体温を奪われたことによるものだった。
それでも、やるべきことはやっていたと、二人は思っていたのだ。
前橋地方裁判所は、身勝手な犯行としながらも、二人の生活能力に問題があったことや、圭祐が当初は里美さんを含めた家族のために仕事をし始めたことがあったことなどを酌量し、里織と圭祐に対し、懲役5年6月(求刑懲役7年)を言い渡した。
この事件は、結果から見れば身勝手で本当に腹立たしいのは当然としても、この里織の環境というのがもう少し明らかになればまた違っていたのかな、とも感じる。
そもそも里美さんとの年齢差が20歳あるというのも正直、何かあるような気もする。
すでに死亡していた母親が何歳だったのかも不明だが、姉妹間で起きた事件であるにもかかわらず、そしてほかにも兄弟姉妹がいるにもかかわらず、ほかの家族の存在がないのだ。
一緒に暮らしていたならまだしも、少なくとも里織が物心ついた時点で里美さんは施設で暮らしていたわけで、先にも述べたが姉という感覚を持てていたのかどうか。
里織が里美さんを不憫に思ったのが引き取るきっかけだったというのは否定されなかったものの、一方で早織はそれまで里美さんの面会はおろか、施設のイベントなどがあっても一度も顔を見せたこともなかった。
本当に仲が良かったと言えるのか。
ただ、最初から100%金目当てで里美さんを引き取ろうとしたのかというと、それも正しくないような気もする。
裁判でも認められたように、圭祐は怠惰な生活を改め、自分なりに一家の主として幼い子を持つ父親として、仕事をし始めたという事実もあった。最初から金目当てだったら、そもそも仕事をしようという気すら、いや、それをしたくないからこそではないのか。
里織も、施設に戻りたくないと話す姉の姿を不憫に思ったのは嘘ではないように思う。たとえ一瞬であっても。
そして、里美さんの年金があれば何とかやれるのではないかと思ったのも嘘ではないかもしれない。
自分たちに全く生活能力がないことは棚に上げて。
そのあたりの行き当たりばったり、その時の感情で後先も考えず行動してしまうことが、たとえ当初の動機が正しく思いやりから出たものであっても、最悪の結果へと変えてしまった。
支えが必要な人を、同じく支えが必要な人間に託してしまったことは家族である以上致し方なかった部分はあったのかもしれないが、もう少し何かが出来ていれば、里美さんも里織夫婦も、こんな結末にはならなかったような気もする。
ただ、その、もう少しの何かが何なのかと聞かれると、正直、わからない。
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参考文献
中日新聞社 平成29年7月7日朝刊群馬版
朝日新聞社 平成29年7月7日、平成30年3月9日東京地方版/群馬
産経新聞 平成29年7月8日
読売新聞社 平成30年3月14日、3月17日東京朝刊
平成30年3月16日/前橋地方裁判所/刑事第2部/判決/平成29年(わ)384号