悲しい嘘と置き去りの被害者~加古川刑務官乳児誘拐事件~

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平成3年6月5日早朝

「おはようございますー、鳥取県警です」

兵庫県加古川市。市内の集合住宅に、なぜか鳥取県警の刑事らの姿があった。彼らはその住宅から出てきた男に声をかけた。
一瞬たじろいだかに見えた男だったが、すぐさま何かを観念したかのように俯き、なにごとかを捜査員らと話した後、捜査員とともに覆面パトカーに乗り込んだ。

男の自宅の玄関ドアを開けると、部屋の中には寝ぼけ眼の妻の姿、そして、その傍らにはすやすやと眠る赤ちゃんの姿があった。
妻は捜査員らを見ると、「赤ちゃんを返してあげてください…」そう言って泣き崩れた。

事件概要

それは突然のことだった。
平成5年4月30日午前3時半。鳥取市内のとある産院の授乳室に、白いマスクで顔を隠した男が押し入ってくるやいなや消火器を噴射。あたりは消火器の粉で真っ白になった。

騒ぎを聞きつけた看護師らが授乳室に飛び込んできたが、その日8人いたはずの赤ん坊が7人しか見当たらなかった。
パニック状態の中、どうやら消火器をぶちまけた男が赤ちゃんの一人を連れ去ったのではないかということで、医院は警察に通報した。

連れ去られたのは、花岡義彦さん(仮名/当時26歳)の長男。生後4日目で、まだ名前も正式にはついていなかった。
鳥取県警捜査本部は、300人体制で医院周辺の検問や聞き込みを続けたが、有力な情報はこの時点ではなかった。

へその緒が付いたままの赤ちゃんが心配される一方で、身代金の要求もないことから、営利目的ではなく赤ちゃんそのものが目的だった可能性も出ていた。
花岡さんらも、それを受けて犯人に対しメッセージを出した。
「赤ん坊を奪った人はきっと子供好きなのだろうから、一刻も早く赤ん坊を返してほしい。ミルクを与えて、大事にしてくれていると信じている」

しかし、家族らの願いも空しく、事件から10日経っても2週間経っても、赤ちゃんの行方はつかめていなかった。

不審な男女

犯人は男で、20代から40代の丸顔、身長は170センチ程度というくらいしかわかっていなかった。こんな男は山ほどいて、捜査本部は頭を抱えた。
しかし5月1日、新たな情報が寄せられた。
医院から2キロほどの場所にあるジャスコ鳥取店のベビー用品売り場で、不自然な買い物をした女がいたというのだ。
女は急いでいて、新生児用の肌着やよだれかけを購入していたが、もうひとつ、「おむつを一枚」購入していたという。
その買い物の仕方に違和感を覚えた店員が情報を寄せたのだった。

捜査本部では、かねてより赤ちゃんの世話をする「女性」の存在があるのではないかとみており、この女の目撃情報から探ったほうが早いのでは、ということで女の特徴を公表した。
女は160センチくらいのがっしりした体格でうりざね顔、後ろ髪だけ伸ばした「オオカミカット」のヘアスタイルだった。

医院側もこの情報を受けて、思い出したことがあった。
犯行前日の4月29日、待合室で長時間ひそひそと会話していた男女がいたというのだ。二人は母親らの親族や友人でもなく、男のほうは授乳室へ通じる階段を何度も行き来していたという。
一緒にいた女がまさに、公表された女の特徴と似ていたのだ。

また、5月3日になって、公表された女と特徴が似た人物が、別の産婦人科医院からタクシーに乗っていたことも分かった。「キタムラ」と名乗ったという女は、JR鳥取駅前の産婦人科医院から乗車し、1キロほど離れた吉方温泉で降りたという。

さらに、倉吉市のJR倉吉駅前の産婦人科では、不審な男が犯行前日にその産婦人科の裏口を開けようとしていたのを目撃されていた。

これらのことから、捜査本部では身代金目的の誘拐ではなく、赤ちゃん欲しさの犯行と断定した。

難航

不審な男女の目撃情報が出たものの、その後の情報提供はさっぱりだった。
単に見知らぬ女性が粉ミルクを買ったというだけの情報や、急いでベビー用品を買っただけの客なども不審者として寄せられる始末で、捜査本部も情報の取捨選択に追われた。
結果的に、新しい情報は皆無だった。

赤ちゃんをさらわれた花岡さん夫妻は、赤ちゃんに「試練に耐えてほしい」という願いを込めて、「琢磨」と名付け、写真をおくるみでくるんで添い寝する毎日だった。
母親の瑞江さんは憔悴しきっており、母乳の出も吸ってくれる赤ちゃんがいないことからどんどん悪くなっていた。
それでも、きっと犯人は子供好きな人に違いない、大切にしてくれているに違いないと信じ、ただただ返してくださいと、平身低頭訴えるしかなかった。

いわば赤ちゃんを人質にされているも同然、怒りを表明など出来なかった。

全国からは花岡夫妻に激励の手紙が殺到したという。それらにも励まされながら、花岡夫妻は琢磨ちゃんをその手に取り戻せぬまま、退院していった。

焦りの色が濃くなる中、捜査本部は縮小される。
しかし、事態は急転した。それはあの不審な男女の目撃情報ではなく、「不審な車」の情報だった。

姫路ナンバー

「事件の前日、マークⅡに乗った男女が宿泊した」

聞き込みのさなか、鳥取市内のラブホテルから寄せられた情報が、犯人への手掛かりとなった。
さらに、そのマークⅡに乗った男女が、事件発生直後に別のホテルに赤ちゃん連れで宿泊したという情報も得ていた。

捜査本部では事件発生直後から、県外ナンバーの車の動向を調査しており、数百人を洗った結果、そのマークⅡが姫路ナンバーであることを確認。所有者の動向を探った。

所有者は兵庫県加古川市在住の男。鳥取県警は早速加古川市に不審な出生届がないかの確認を急いだ。
すると、4月25日生まれと届けられた出生届の父親と、そのマークⅡの所有者とが一致したのだ。
すぐさまそこに記載された大阪市内の産院に問い合わせると、「その日に出産は扱っていない」との返答が来た。

捜査本部は6月4日の昼過ぎ、三木市役所前でそのマークⅡを発見、自宅を突き止めるために尾行した。
運転していた男を確認し、そのまま逮捕準備に入ると、翌日の5日早朝、男の自宅を捜索し冒頭の通り、琢磨ちゃんを発見したのだった。

捜査員らは安堵するとともに、その男が暮らす集合住宅を見て驚いていた。
そこは加古川刑務所の刑務官舎。男は、加古川刑務所の刑務官だったのだ。

完璧な偽装

逮捕されたのは清水俊博(仮名/当時29歳)と、妻の裕子(仮名/当時33歳)。裕子は俊博の同僚刑務官の姉だった。

ふたりの逮捕を知って、加古川刑務所は大騒ぎだった。
誰もがふたりに赤ちゃんが生まれることを信じて疑っておらず、先日にはお祝い金まで渡していたからだ。
清水は勤務態度もまじめ、実家の隣にあった自宅と官舎を行き来する生活をしていたという。

裕子はお腹を大きく見せるよう偽装していた。それはあまりにも自然なふくらみだったといい、不審に思った人はいなかった。

偽装の念の入れようは、それまで経営していたスナックを閉めたほどだった。妊婦がそんな場所で働くのはおかしい、と言われたくなかったからなのか。

4月24日には、裕子の弟である同僚刑務官の元を訪れ、「今から病院へ行く」とあいさつしたという。「姉のおなかも膨らんでいたので何とも疑わなかった…」とはこの弟の言葉である。

刑務所にも年次休暇の申請をし、5月5日まで休暇をとっていたという。

清水夫妻を知る近所の人らも驚きを隠せないでいた。3月下旬には、大きなおなかを抱えた裕子を複数の人が見ていたし、夫の実家の周辺でも、裕子の妊娠、出産はみんなが信じていた。

「大阪大学病院で出産した」
そう語ったという清水夫妻は、その後夫の実家へ行き、近所の人らからもお祝いされていたという。
俊博の父親が赤ちゃんをあやしながら、「うちの孫やねん、男の子や」と言って嬉しそうにしている姿を多くの人が微笑ましく、そして心から良かったと感じていた。

俊博の両親はお宮参りの準備を嬉々として行い、着物を作ってやるんだと話していた。

清水夫妻も、同僚や周囲の人らにこう話していた。

「結婚6年目で、ようやく恵まれました」

悲しい動機

清水夫妻が結婚したのは昭和62年のこと。
その後、一度は妊娠したというが流産という悲しい結果に終わった。
その後、俊博が片方の睾丸摘出の手術を受けたり、裕子自身も卵管閉塞で自然妊娠は難しい状態だったという。
不妊治療を試みたものの、あまりに高額なその費用がネックとなって途中でやめてしまった。

それでも子供が欲しい、その気持ちは夫婦ともに消えていなかった。

里親制度も当然知っていたし、養子縁組も頭にはあり、一度は親せきの子供をもらおうか、という話もあったという。
しかしふたりは「実子」にこだわった。

それに加えて、双方の実家の圧力もあった。裕子の高齢の祖父はひ孫の顔を見たがったという。
気が付けは裕子は33歳になり、高齢出産の文字が見える年齢になっていた。

平成5年の8月、裕子は実家との会話の中で、思わず「子どもができたかも」と言ってしまった。
なぜそんなことを言ったのか、しかし大喜びする周囲に、間違いだったとは言えなくなっていく。
病床の祖父はことのほか喜んだ。

夫の俊博はどう思っていたのか。妻が嘘をついたことはわかっていたはずだ。
特別養子縁組制度が5年前に始まっていたが、その詳細を知ったのは、「子どもができた」と口走った後のことだった。
急いで特別養子縁組制度を調べたが、手続等にかかる時間は、嘘の出産予定日に間に合わなかった。

3月になって、いよいよ出産予定日が間近に迫ったことで夫婦の焦りはどうにもならないものになった。
4月25日、俊博は実家の父との電話の中で、思わず「赤ちゃんが生まれた、男の子やで」と言ってしまう。
もう、あとにはひけなかった。

赤ちゃん探しの旅

刑務所に休みの届けを出した後、ふたりは車で岡山、広島、鳥取などをめぐって、産婦人科を物色し続けた。
倉吉市の産婦人科で目撃された不審者も、俊博だった。

しかしそう簡単に実行できるわけもなく、鳥取のその医院に目を付けた後も悩んでいたという。

何度も下見をし、事件当日病院についた後も1時間近く悩んだ。
午前3時、とりあえず正面入り口のドアを開けてみた。この時ここが閉まっていたら、犯行は出来なかった。
しかしその日は急患があったことで、正面玄関のカギは開いていたのだ。

俊博は消火器を手に、下見しておいた授乳室へと向かった。
その後の行動は先述の通りである。

ふたりは赤ちゃんをさらって逃げ、俊博の実家へと向かった。そこでは待ちわびる俊博の両親らがおり、しばらくそこで生活していたという。
その後、5月10日に加古川市役所にニセの出生届を出した。産婦人科の印鑑は偽造した。
赤ちゃんの名前は「怜良(れいら)」。刑務所にも忘れず扶養届を提出していた。

俊博の実家ではお披露目もされ、近所の人らも祝福に駆け付けた。
ただその時、出産経験のある女性らは、「出産直後やのに、奥さんあんなに動き回って大丈夫かいな」と言い合っていた。裕子は嬉しさのあまり、いつもよりもいろいろと動き回っていたようだった。

その後、裕子の実家へも赤ちゃんを連れて里帰りした。
実はこの宮崎への帰省は、絶対に成し遂げたいことだった。裕子の祖父に、赤ちゃんを抱かせてやりたい、これは裕子の悲願だった。
宮崎に帰って数日後、祖父は息を引き取った。
俊博と裕子はそのまま赤ちゃんを連れて祖父の葬儀にも出席、仕事がある俊博が先に加古川へ戻り、裕子はしばらく宮崎にとどまった。
が、赤ちゃんに会いたいという俊博の言葉で、6月4日に加古川へ戻っていた。

そして翌日、逮捕となった。

置き去りの被害者

犯人が逮捕され、赤ちゃんが無事花岡さん夫妻の元に戻ると、世間の人々もホッと胸をなでおろした。
しかし、清水夫妻の犯行動機が明るみになると、とたんに世間の流れが変わった。

同じように不妊で悩む人々から、「気持ちはわかる」と言ったある種同情のようなものが寄せられ始めたのだ。
当時の新聞の投書欄にも、清水夫妻への同情や、子供を持つ人々の無意識の無神経さ、恵まれていることに気付いていないなどと言った批判めいたものも寄せられていた。

それまで当事者間だけで共有されていた不妊の悩みが、この事件で爆発的に世間で共有されるようになったのだ。

それは時に、被害者である花岡さんに対し、暗に「生きて戻ってきたんだからもういいじゃない」といった無礼な声として現れた。
報道で、琢磨ちゃんの爪がきれいに切られていたことや、順調に成長していたことが報じられ、清水夫妻が琢磨ちゃんを大切に可愛がっていたと印象付けられたことも、清水夫妻への同情を強めた。

世間では、極悪非道な子供さらいの夫婦ではなく、心から子供を欲しいと願っていたのに恵まれなかった可哀そうな夫婦、になっていた。
そしていつしか、生後3日でさらわれ、生死が不明の状態で一か月もの間苦しみ続けた、一点の落ち度もない完全な被害者である花岡さん夫妻の存在は、薄くなっていった。

裕子は花岡さんに6通もの手紙を出していた。しかし、それらは花岡さん夫妻に受け取り拒否されている。
これらについても、当時「受け取るくらいしてあげてもいいのでは?」と思う人もいただろうし、もしかしたらそれを花岡夫妻に忠告した人がいても不思議ではない。

花岡夫妻はその後の裁判も、わかりやすく言うと「無視」した。夫はいつものように出勤し、仕事をこなし、妻は自宅で琢磨ちゃんと一緒にいつも通りの日常を送った。

行かなくて正解だったと思う。
判決の日、裁判長は二人に懲役3年を言い渡した後、
「夫婦二人が仲良く生きていけるのが幸せ、出所後でも遅くない、お互い手を携えて歩んでいってほしい」
と説諭。これに対し、清水夫妻は手を取り合って見つめ合い、涙を流したという。
こんなの見せられてはたまらない。なにが夫婦の幸せだ、バレなければ、花岡家の家族はいったいどうなっていたか。

しかも、裕子が書いたという花岡夫妻への手紙の内容は、いかに自分たちが子供を欲しがっていたか、と言ったことが記され、謝罪の手紙なのか理解してほしい手紙なのか、よくわからないものもあった。

「『クリスマスのプレゼント何が欲しい?』『赤ちゃん』『デパートで売ってるものなら、どんなに金を出しても買ってくるんだけどなぁ』
困ったような顔で答えた夫を、知らずに傷つけていたのかもしれない」

こんなこと書かれてなんて答えればいいのか。
(´・ω・`)知らんがなである。これよくぞ被害者に対して書けたよなぁと思う。

有識者らも、清水夫妻の追い詰められた心情に一定の理解は示した人も多かった。
そして、子供のいない夫婦に対する社会の目、子供はまだかという圧力、そういったものに警鐘を鳴らした。
もちろん、これは非常に大切なことだ。
しかし、子供がいない夫婦を、人生を一番受け入れられなかったのは当の清水夫妻である。
嘘をついたのも、なにもかも「実子」にこだわったからだ。
なぜ実子にこだわったのか。
それは、清水夫妻が「子どもが近所であの子は実の子じゃないと言われたら可哀そうだと思った(供述調書より)」と考えたからだ。
本来ならば、そんなことを言うほうを正すべきであり、なんら可哀そうではない。
この清水夫妻の中に、「実の子じゃないなんて…」という偏見があるから、かわいそうだという話になるのだ。

平成5年の事件であり、今とは比べ物にならないほど実子へのこだわりなどはあっただろう。
しかし、だからと言って自分の嘘を守るために、傷つきたくないがために、そしてなにがなんでもほしいものを手に入れるために、他人の人生をめちゃくちゃにしていいわけがない。

花岡夫妻は、判決の日、冷静にコメントを出した。

「判決に対して不満に思うことはありません。決まった刑罰を受けていただき、人 の人生に傷をつけるということの罪の重さを十分に考えていただきたいと思います」

加古川市役所に提出された、「清水怜良」の出生届はその後、速やかに抹消された。
誘拐の現場となった産婦人科も、閉院となった。

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参考文献
朝日新聞社 平成5年5月1日大阪夕刊、3日大阪朝刊 6月5日大阪夕刊 6月6日東京朝刊、大阪地方版/兵庫
6月8日東京朝刊 7月3日朝刊(記者:永島学/鳥取支局)12月23日大阪朝刊
毎日新聞社 平成5年5月1日、2日 大阪朝刊 6月5日東京夕刊 6月7日大阪朝刊
読売新聞社 平成5年6月5日東京夕刊
北海道新聞 平成5年6月6日朝刊
日刊スポーツ 平成5年6月6日

🔓魔が刻~群馬・幼児ダム突き落とし事件~

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平成11年5月3日

埼玉県妻沼町。
群馬県警の捜査車両は一台の車とカーチェイスさながらの追跡劇を作り広げていた。
運転していたのは男。男が運転していたのは、群馬県館林市内で盗まれた車であり、その車には、持ち主の子供たちが乗っていた、はずだった。

事件概要

平成11年5月3日、GWのさなかのこの日、その車は館林市松原の住宅展示場にあった。
所有者は館林市内在住の会社員、田島修さん(仮名/当時37歳)。妻と二人の子供とともに、この住宅展示場を訪れていた。
ぽかぽか陽気の中、子供たちは楽しい休日を満喫し、後部座席で寝入っていた。
田島さん夫妻は子供たちを起こそうとしたが、気持ちよさそうに眠っていたため、エアコンをかけエンジンをかけたまま車を離れた。
住宅展示場へ入って、目当ての家の二階に上がってふと、修さんが外に停めた自分の車のほうを見て驚愕した。
あったはずの車が、消えていたのだ。

「車がない!子供が乗ってるんだ!!」

展示場に入ってわずか6分。すぐさま110番通報し、直ちに緊急配備が敷かれた。

午後8時半、冒頭の通り国道17号線を群馬から埼玉に入ったところで捜査車両に行く手をふさがれたその車は、ガードレールにぶつかりながらも逃走を図ったものの、逃げ切れず逮捕となった。
が、肝心の子供の姿が車の中にはなかったのだ。

さらに、警察が男の身元を調べたところ、なんと別の事件で茨城県警に指名手配されていた男だということが判明した。
【有料部分 目次】
男のそれまで
暗雲低迷
どうしようもない男
誤算からの破滅
自責
その後

🔓哀しき嘘つき女の涙~米子市・新生児誘拐事件~

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市役所にて

とある私立保育園からの問い合わせを受け、境港市役所の健康推進課は騒然としていた。
「母子手帳?そんなの交付してないよ。申請すらない……
問い合わせの内容は、その私立保育園に子供を預けてけている母親が赤ちゃんを産んだという話だった。しかし、まったくその気配も体形の変化もなかったことから、私立保育園側が不審に思っての問い合わせだった。

世の中には妊娠しても出産するまで母子手帳交付を受けない妊婦もいるし、とんでもないプライバシーの問題でもある。
しかし、境港市役所はそんなことを言ってはいられなかった。

つい先日、米子市内の病院から、生まれたばかりの赤ちゃんが連れ去られていていまだ行方不明になっていたのだ。

事件概要

平成1318日、米子市の博愛病院から、生後間もない女の赤ちゃんがいなくなった。
いなくなったのは、米子市在住の国家公務員、松岡祐一さん(仮名/当時37歳)と、浩子さん(仮名/当時31歳)の間にその日生まれたばかりの長女だった。

午後420分ころには新生児が全員そろっていることが確認されていて、事件発覚が午後620分ということから、この2時間の間に連れ去られたとみられた。
しかしその後の調べで、別の母親が午後6時に全員を確認していたことが判明、実質的に20分の間の犯行だった。

警察では未成年者略取誘拐事件と断定し、すぐさま捜査にあたったが、事件から3日経っても何の動きもなかった。
事件から5日が経過した時点で、県警捜査本部は異例の対応をとる。県警のHP上で、連れ去った犯人に向けて「新生児の世話」に関する事柄を掲載したのだ。
加えて、一刻も早く両親の元へ帰すよう訴えた。

身代金要求がない時点で、警察では金目当てではなく、子供そのものが狙いだったとみていた。過去には出生届を偽造して受理までされていた事件もあり、県内に限らず近隣の県や市町村に対し、不自然な出生届を見逃さないよう協力を要請も行った。

その裏で、実は冒頭のように、市民レベルの通報が行われていた。

県警捜査本部は、114日、境港市内に住む29歳の女の家の家宅捜索令状を取り、女が暮らす県営住宅へ踏み込んだ。
そこには、すやすやと眠る女児の姿があった。

女は当初、自分が米子駅前の病院で産んだ子で、まだ出生届は出していないなどと誘拐を否定していた。女児が着せられていた産着も、病院で来ていたものとは違っていたが、その後の捜索でもともと来ていた産着が発見され、さらには病院へ運ばれた女児の血液型が女からは生まれない血液型だったことを捜査員から告げられると、女は正座して涙を流しながら、「自分がやった」と告白した。

女の自宅には、60代くらいの両親のほか、弟と妹、甥っ子、さらには女の実子である6歳の男児がいた。

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【有料部分目次】
女の素性
イタイ女のお手本
中年男性への執着
重ねられる嘘
巻き添えの女
幸せの結末
哀しき女

迷い人~西宮・幼女連れ去り傷害事件①~

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平成18年6月26日

「すみません、そのお子さんは迷子の子ではないですか?」

阪神電鉄西宮駅にあるショッピングモール、「エビスタ西宮」内で、その警備員は迷子連絡を無線で受け、店内を巡回していた。
すると、迷子の特徴と一致する服装の女児を抱いた女性とすれ違い、そう声をかけた。
女性は「はい、そうです」と近づいてきて、保護した場所などを警備員に告げた。
「よかったね、ママに会えるよ。」
女性は優しく微笑みながら、迷子の女の子に語り掛け、警備員に女児を引き渡した。しかし、女児が泣き出したことから、警備員が女性に「母親が来るまで一緒に待ってもらませんか?」とお願いすると、女性も快諾、母親が来るまでの間、女児は女性に抱かれ穏やかにしていたという。

しばらくして、女児の母親が到着。警備員はやれやれ、と思ったが、当の母親は女性に礼を言うこともなく、ひったくるように女児を連れ、逃げるように去っていった。
警備員はあまりに不躾なその母親の対応に驚くと同時に、心の中に違和感を抱き、その母親を追った。

すると母親は、厳しい表情でこう警備員に話した。

「あの女が勝手に連れて行ったのよ。買い物しているとき、あの女がうろうろしているのを知っていた」

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迷い人~西宮・女児連れ去り傷害事件②~

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不可解な行動

全面否認とはいえ、理佐が語る一部始終は正直、どの点においても理解に苦しむ内容だった。
事件前の2度の迷子騒動の際の理佐の証言も同じく不自然さばかりが際立った。

どちらもすぐに店員に事情を話す、店内放送を要請するなどしておらず、迷子を見つけたというその状況自体もよくわからないものだった。

6月26日の迷子のケースでは、ベビーカーに乗っていた子供が落ちかけたのを抱き上げ、そのまま母親を捜すために20~30分広いショッピングモールを歩き回ったというのだ。
しかもベビーカーがあったのはスーパーで、にもかかわらず全く違う場所を理佐は歩き回っていた。

7月30日のケースはさらに理解に苦しむ。
エビスタ西宮内のトイレ付近で「ママ」と言いながら泣いている子を見つけ、抱き上げて警備員に託そうとこれまた店内を歩き回っていた。その際、子供が「おしっこ」と言い出し、理佐はなんと自宅で用を足させたというのだ。
確かに理佐のマンションは近かったが、我慢できないという子供を連れて店内のトイレに向かわずなぜ自宅なのか。
これらに対する理佐の答えは、「それ以外思いつかなかった」だった。

事件を起こした日の理佐の供述は先にも述べたが、実際には母親がすぐ近くにいたにもかかわらず、母親は見当たらなかったといい、普通ならばその場にいる人々に声をかけるところを、なぜか別の場所へ捜しに向かっていた。

そして、女児は尿意を催したためにまた自宅マンションへ連れて行ったと話した。
なぜそばにある公共のトイレを使わせなかったのかについては、
「公共のトイレは汚く狭いし、人の出入りがあると落ち着けない。自宅ならゆったりした気持ちでできるだろうと思った」
と供述。駅やショッピングモールにもきれいで広いトイレがあったわけだが、それについては「思い浮かばなかった」で通した。

その後自宅マンションへ女児を連れ帰り、そろそろママを捜しに戻ろう、と声をかけると突然女児が泣き出し、「眠い」などと言ってベッドに倒れこみ、直後に目が虚ろになってぐったりしてきたのだという。
救急車を呼んでも最低5分はかかると看護学生時代に学んでいたから、それなら自分で勤務先の西宮病院へ連れて行ったほうが早いと判断、自宅から女児を抱えて走った、というのだ。こんな看護師は嫌だ。

そういいながら、丁寧に長靴を履かせ、途中で病院へ行くのと母親に知らせるのとどっちが先かわからなくなったことから、病院へ向かう途中の公園で一旦女児を寝かせ、誰かあの子を助けてくださいと願いながら人を呼びに行ったという。
少し走って振り向くとすでに人だかりができていたこと、「迷子が見つかった、助かったみたい」という声も聞こえたことで安堵し、そのまま帰宅したというのだった。

その後、やはり誰かにこのことは話すべきだと考え、同僚看護師に連絡したと言ったが、実際には甲子園球場で行われるプロ野球観戦へ一緒に行く約束をメールしただけだった。
さらに、同日夜観戦の際にも同僚に対し一切の話をしておらず、その後翌日の勤務を休みたいと上司に連絡した際にも、その日の出来事は一切話していなかった。

とにかく理佐のはなしは一事が万事、

「私なりに最善の方法を考えて行動していた」
「(それが常識では考えつかない行動だったとしても)それ以外に思い浮かばなかった」
だった。
迷子を見つけて親を捜したという割に、周囲の人に一切声もかけず、トイレがしたいと訴えられればなぜか自宅へ連れて行く、さらには体調が悪くなった女児を一刻も早く助けたいと思ったと言いながら、救急車も呼ばず病院へも運ばず、公園のベンチに寝かせた……

何がしたいのか全く分からない、恐怖を感じるレベルの意味不明さだった。

争点

検察は、状況から女児に暴行を加えたのは理佐以外にあり得ないとし、母親らや周囲の状況からも理佐が悪意を持って女児を連れ去ったとして未成年者誘拐で起訴、その後、保護責任者遺棄容疑で追起訴し、さらに11月20日には傷害容疑でも追起訴した。

弁護側は、「母親を捜そうという一心で女児を連れていたもので、自宅へはトイレを使わせる目的で連れて行った。公園に横たえた後戻らなかったけれども、何度も振り返るなどして完全に保護下を離れたとは言えない」として無罪を主張していた。

争点は3つ、
①未成年者誘拐の故意について
②傷害罪の成否について
③保護責任者遺棄について
だった。

①の未成年者誘拐の故意について
理佐は当初、「かわいい子供を見て、自分の暗い気持ちを晴らすために連れ歩いた」という供述をしていた。
これには実は理佐の特殊な「病癖」が関係していた。
理佐はうつ病の治療にあたり、主治医に対し、かわいい子供をみるとつい抱き上げたり、連れ去りたいという衝動に駆られると話していて、カルテにも「理性でsaveできるようになった。子供を見てもそばに母親がいることが分かればかわいいなーという気持ちしかない。」といったことが書かれていた。
弁護人は、saveできるようになったのは万引きのことであり、子供については単に母親がそばにいるとみていて安心する、というだけのことだと反論したが、当の主治医は、「それ(saveできるという意味)は多分、こどもさんのことでしょうね。」と答えた。

これに照らせば、過去に理佐が関与した2回の迷子騒動も、自制が利かなかったが故の行動と考えられた。

次に、②の傷害が理佐によるものかどうかについては、当日の女児の行動や様子、母親や直前に通っていたスイミングスクールの講師らの証言で、エビスタ前公園で遊んでいるときまで女児がそこまで大きなケガを負っていないと検察は主張した。
エビスタ前公園においても、母親は別の母親らとともに子供たちが視界に入る状態で雑談するなどして見守っていたが、込み入った話をしていた時は目を離してしまった時間があったという。
しかし、エビスタ前公園には多くの子供や保護者、買い物客らがおり、もしもその公園内で女児が転倒するなどして頭部に外傷を負ったとすれば、相当な泣き声を上げたと思われるし、もしも声を上げられないほどのケガであったならば、理佐が言うように「所在なげに立っている」というのは不自然で、この時点でも女児はケガを負っていないとみるのが自然だと主張した。

女児を診察した医師らも、女児は硬膜下血腫が生じた状態で搬送されており、その状態から負傷時刻は手術開始の2~6時間前まで、と証言。
その上で、その負傷時刻が6時間前だったとすれば、搬送されるより前に女児は死亡しているとも証言した。
また、スイミングスクールでは異常がなかったことなどを考えると、負傷時刻は2~3時間前までに絞られ、必然的に理佐が連れ去った直後以降の出来事であるとした。
弁護側は、医師の中には女児の急性硬膜下血腫はさほど強い外力が加わらずとも発症する可能性のある架橋静脈破綻とみる医師もいるとし、また、理佐の自宅には女児が頭をぶつけるようなスペースもない、事件直後の捜索でも女児が頭をぶつけたような痕跡は発見されていないとして理佐の保護下でケガが生じたとは言えないと反論した。

③の保護責任者遺棄については、たとえ理佐が言うように理佐とは無関係の時に生じていたケガだったとしても、一刻も早く医療処置を施す必要があることが一目瞭然の状態の女児を、利用者も人通りも少ない公園に寝かせただけでその場を離れ、再び戻ることも自ら説明することもしなかったことを考えると、保護責任者遺棄が成立するのは明白、と検察は主張。
弁護側は、具合が悪くなった女児を見てパニックになり、母親に知らせるのが先か病院へ運ぶのが先かわからなくなり、とにかく女児を抱き上げてエビスタ西宮方面へ行ったが、13キロの女児を抱えることが限界になり、その公園に寝かせたと主張。
その後も気にしながら人を呼びに走ったが、すでに人が集まり始めたために自分が戻ると余計に面倒なことになると考えただけで、保護責任を遺棄したわけではなかったと主張した。

月イチの衝動

平成20年12月24日、神戸地方裁判所の東尾龍一裁判長は、未成年者誘拐、傷害、保護責任者遺棄についてすべてを認定し、懲役10年の求刑に対し懲役7年の判決を下した。
その中で、理佐には幼女をみるとかわいいと思うだけでなく、どうしても抱き上げたいという「病癖」があること、すべての罪状において、公判を通じ理解不能な供述に終始し反省の色がみられないこと、とりわけ、看護師という立場にありながら危機的な女児の状況を見てもなお、自己保身に走っている点は悪質で、犯行は誠に身勝手、かつ自己中心的で酌量の余地が全くない、と断じた。

女児は一命をとりとめたものの、左片麻痺、脳機能障害が残った。リハビリなどを続けていたというが、その後遺症は一生涯にわたるという。
両親らは理佐に対して1億4400万円の損害賠償請求も起こしており、平成22年7月にはそのほぼ全額にあたる額の支払いを命じている。
理佐はその後、最高裁まで上告するも棄却となり、平成23年5月24日付で県立西宮病院を失職した。これは県立病院に勤務していることで地方公務員法にのっとった扱いである。

理佐が悪意を持って女児を誘拐したこと、なんらかの形で女児にけがを負わせたこと、そして、保護すべき女児を遺棄したことは認定された。
が、結局「なにがあって、どうやって女児を傷つけたか」はわからないままだ。
女児のケガは頭がい骨骨折からの硬膜下血腫だが、その骨折は3方向から強い力が加わったものだという。
したがって、転倒したり、女児自ら頭を何かにぶつけたとか、そういうことではない。
しかも女児は見える範囲で出血していなかった。ただ、頭にはこぶができたように歪な形になっていた。

理佐はいったい、女児に何をしたのか。

理佐には暴力的な面は見られず、過去にも暴力的なトラブルは起こしていない。
しかし6月の万引き事件の際、心配して家にいた母親に対し、突如興奮状態となり、
「もうしんどくて、自分はいったい何なんだ。私はいったい何よ?!」
と目を吊り上げて喚き散らしたという。

これについては、薬の副作用の可能性も指摘されたものの、事件が起こるより一か月以上前に処方されなくなっている。
それでも理佐は、月イチで湧き上がるその衝動を抑えることができなかったようだ。

理佐は迷子を見つけたのではなく、自ら迷子に仕立て上げては、攫っていたのだ。自分のおさえきれないその欲求を満たすために。
そもそも、ベビーカーに乗っていた赤ん坊が迷子になるわけあるまい。

あの日、女児と二人でいたマンション内で本当は何があったのか。
彼女はもう、子供を見てもなんともないのだろうか。その手は、もう女児を抱こうとは思わないのだろうか。

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参考文献
朝日新聞社 平成18年9月7日、9月8日、9月26日大阪朝刊、平成20年5月22日大阪地方版/兵庫、12月24日夕刊
NHKニュース 平成18年9月7日
読売新聞社 平成18年9月7日大阪朝刊、夕刊、9月8日大阪夕刊、平成20年7月7日、9月19日大阪朝刊、12月24日大阪夕刊、平成23年6月25日大阪朝刊
毎日新聞社 平成18年9月7日大阪朝刊、9月9日大阪夕刊、平成18年9月13日朝刊/阪神版
産経新聞社 平成18年10月7日【ニュースを斬る】西宮の女児重傷事件 防犯か個人情報保護か 
大阪朝刊 平成19年11月20日大阪朝刊