はてしなく濃く、深く~宇佐市・知人男性殺害事件~

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刑務所にて

「裁判員の人には感謝している。普通の人の感覚で質問してくれた。」

平成21年11月。読売新聞は大分刑務所で服役中の男に取材をしていた。
男は、大分県内初の裁判員裁判で懲役14年の実刑判決を受けていた。
「検察官とか、プロの人は決まりきった、慣れた聞き方しかせんでしょう。」
男はこの事件より前にも前科と裁判の経験があるため、検察官らの取り調べや法廷での質問がどんなものなのか知っていたのだ。

男は、知人男性を殺害した罪を背負っていた。
小さな田舎町の、どこまでも果てしなく深く、濃いその事件とは。 続きを読む はてしなく濃く、深く~宇佐市・知人男性殺害事件~

最悪~福井・26歳男性刺殺事件~

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裸で逃げる女

福井署に一報が入ったのは、平成15年12月16日の午後7時半過ぎ。
通報があった福井市菅谷1丁目は川沿いの静かな住宅街で、その住宅街が騒然となっていた。

「裸の女の人が叫んでいる。何か追われているようだ。」

福井署員が現場に急行、あたりを捜索していると、冬の夜間だというのに玄関ドアが開きっぱなしになっている住宅を見つけた。
不審に思った署員が家の中を確認すると、そこには全裸の男性がメッタ刺しにされ息絶えている姿があった。

通報があった裸で追われる女と、それを追いかけていたという中年の男の姿はどこにもなかった。

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17歳の”漢気”~大牟田・男性殺害事件①~

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平成13年4月13日

福岡県大牟田市。
そのとある住宅で、一人黙々と身支度を整える少年の姿があった。
真新しい作業着に身を包み、足元は地下足袋。その腹には、さらし替わりの白いシーツが巻き付けられていた。
実家から持ち出したのは、叔父の形見の切り出しナイフ。

じっと見守る女に、少年はこう語りかけた。
「待っとかんや」
頷く女に微笑んで、少年は討つべき相手の元へ駆け出した。 続きを読む 17歳の”漢気”~大牟田・男性殺害事件①~

17歳の”漢気”~大牟田・男性殺害事件②~

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初の逆送

少年は殺人と銃刀法違反、住居侵入の罪で福岡家庭裁判所久留米支部に送られていたが、福岡地検久留米支部は、平成1351日、少年の審判への検察官立ち合いを申し立てた。
これは、それまでの少年審判は家庭裁判所で行われ、そこには検察官の立ち合いがなく、「事実認定が甘い」といった指摘があった。
そのため、検察官の申し立てが認められれば、家裁での審判に検察官が立ち会い、刑事い処分相当と判断されれば検察庁へ送られることが認められた。
またその年4月の法改正で、16歳以上の少年が殺人や強盗などの重大犯罪をやらかした場合、原則検察官送致、いわゆる逆送致とし、これを受けて、少年としては全国で初めて(この時点において。のちに水戸家裁の決定が先に行われたため、実際には全国2例目)成人同様刑事裁判を受けることになった。

そして、6週間の観護措置を経て、612日、少年は福岡地検久留米支部に逆送、620日には殺人罪などの罪で起訴された。

911日の初公判では、少年は殺意こそ認めたものの、丈志さん方を訪れたことは殺害目的ではなく、あくまでストーカー行為などをやめさせるための話し合いだったと主張した。
しかし現実には、少年は丈志さん方を訪れ、父親が不在であることを確認したのちに侵入、丈志さんに
「誰やお前、佳代子の旦那か」
と言われもみ合いとなり、そのまま話し合いもなく持っていた切り出しナイフで丈志さんの顔面、頭部、腹部、胸部、背中をメッタ刺しにしていた。
弁護人は、「丈志さん方へ赴いた際は、『示談になればいい、念書でも書いてもらえば』という思いだったものが、もみ合っている最中に丈志さんから『お前も佳代子も娘も殺す!お前たちの不幸が俺の幸せじゃ!』と罵られたことで最終的に殺そうと思った」と主張したが、裁判所はこれを認めなかった。

さらに裁判所は、事前に少年が腹にさらし替わりのシーツを巻き、ヘルメットや軍手、地下足袋で身を固めていることも、単なる話し合いに必要な服装ではないこと、もはやそれは、命のやり取りを想定したものであるとし、少年のあらかじめの殺意を認定した。

少年にはその後、懲役5年から10年の不定期刑が言い渡され、いったんは控訴したようだったが、その後確定した。

佳代子

一方の佳代子はというと、少年が逮捕されて2週間後に、殺人ほう助の疑いで逮捕された。
おそらく、佳代子にとっては「こんなはずではなかった」展開だったのだろう。佳代子は少年から「待っとかんや」と言われた際、明らかに自身の逮捕など露ほども想定していないとわかる言葉を残している。

佳代子は、この時妊娠していたのだ。
それは少年の子だという。そして、事件前に少年にもそれを伝えていたのだ。
冒頭にあるように、少年が丈志さん襲撃に向かう直前、「待っとかんや」と言ったのに対し、佳代子の返答は「子供産んで待っとく」だった。

しかし予想に反して、佳代子も逮捕となり、結果、殺人罪で起訴された。

佳代子は事件当日、少年が凶器を持参のうえ、丈志さんを襲撃することを知りながらその準備を手伝い、さらには丈志さん方へ車で少年を送り届けているのだ。
さらに、丈志さんを殺害したのちも少年を車に乗せ、血で汚れた作業着や軍手、凶器のナイフを捨てるために車で走行している。さらに、丈志さん宅の間取りを教えたり、丈志さんの予定や在宅確認なども行っていた。
検察は、殺人罪の共同正犯を適用した。

ところが、佳代子は全面否認。少年に対し、殺害を仕向けたり、示し合わせたりしていないとして無罪を主張する。
これはこのサイトでも取り上げた境町就寝中男性殺害事件と似た展開ではあるが、あちらはそもそも逮捕すらされていない。
佳代子の場合は、極道の妻よろしくカチコミ前の男の身支度を手伝い、切り火で送り出しているわけで、殺人罪は難しくてもほう助は免れないと素人目でも思う。

判決は、殺人罪で懲役5年。控訴したという報道が出ないので、おそらく確定したのだろう(追記:控訴したものの棄却、その後確定)

少年が不定期刑確定となったのちも、佳代子は自身の無罪を訴え続けていた。もちろん、少年はそう願ったろうけれども、私はこのあたりで佳代子の本性が見えた気がしていた。

「二度目はなかぜ」

若い男性が年上の女性にハマる、というのはありがち話なのだが、この事件の場合、佳代子の手練手管というより、少年のぶっちぎりの漢気というか、もっと言えば九州の、この大牟田の風土というか、そういうものが大いに盛り上げたのではなかろうかと思わずにいられない。

少年は特に親がやくざだとか、自身も身近にチャカがあるとかそんな荒くれた修羅の国の日常を送っていたわけではない。
前科もなく、一度窃盗で捕まったものの、それ自体不起訴処分になっている。かわいいものだ。

しかし、そんな少年の血にも、どうやら荒ぶる魂があったようだ。

少年は佳代子のおなかに自分の子供の命が宿っていることを聞き、佳代子と佳代子の娘、そして自分の子供の4人での生活を夢見たという。
しかし、そこには丈志さんの存在がどうしても消せずにいた。
警察に相談もした。しかし、そこはまだ少年の至らなさで、それまで佳代子が相談していた荒尾署ではなく、大牟田署に相談してしまい、継続の事案だということが伝わらなかった。
そんな中で、取り乱した佳代子が口走った、「私が我慢すれば」という言葉。

少年は佳代子にこう言い残した。

「俺がいっぺんだけお前のためにしてやる。二度目はなかぜ。一番わかってほしいのは、これだけお前を思っているということ。お前が一番悩んでいることを形に残して解決する。今までどの男もしてやり切らんやったことをする。」

「こげんかこと女のためにする男がいることを、よう覚えとかんか」

考えてほしい、自分が17歳の頃、こんなこと言えたか?
私は世界で最強の口説き文句は、四代目山口組組長・竹中正久氏が言った、「殺したいやつおったら殺したるで」だと思っている。

少年のそれは、まさにこれを地でいくものだ。
少年は、傲慢で高飛車、虚勢的な強がり、大言壮語、相手の気持ちに無頓着で共感性や思いやりの気持ちが薄く自己顕示欲が強いなどなど、散々な言われ方を裁判でしている。
しかし、世の17歳のほとんどはすべてではないにしろ、こんなもんじゃないのか。
もっと言えば、丈志さんが佳代子を追い込んでいたのも事実であるし、佳代子や少年が警察に相談していたのも事実だ。

結果を考えれば、少年を擁護できるものではないが、佳代子に出会わなければ彼の人生はまた違っていたのかなとは思う。
正直、少年の覚悟の言葉に私はしびれた。もしも母親の立場だったらば、よう言うた、と思うかもしれん。
佳代子はどうだっただろうか。

佳代子の裁判が途中中断していることを考えると、もしかしたら佳代子はそのまま出産しているのかもしれない。
お互いが出所した暁には、今度こそ一緒になったのだろうか。

平成23年、佳代子は破産宣告を受けているが、この時点での苗字は事件当時のままだ。
それまでに二度ほど苗字が変わっているが、出所後再婚したのかはわからない。
少年も、おそらく今は社会復帰し、どこかで暮らしているのだろう。

二度目はなかぜ。

少年と佳代子の、二度目の人生は続いたのだろうか。

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参考文献
判決文

朝日新聞社 平成13年4月14日、16日、17日、5月1日、6日、22日、26日、6月12日、21日、8月28日、平成14年5月9日、9月26日西部朝刊
NHKニュース 平成13年5月5日
中日新聞社 平成13年6月2日、9月11日朝刊

不可解な愛の流刑地~池田市・自衛官心中事件~

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平成18年8月15日

「主文。被告人を懲役6年6月に処する。」

この日、大阪地裁である事件の判決が言い渡された。
検察側の求刑は殺人罪での懲役15年だったが、言い渡された判決はそれを大幅に下回る、懲役6年6月というものだった。

判決を言い渡されたのは、元自衛官の藤田盛司(当時42歳)で、被害者は当時不倫関係にあったという同じ自衛官で元部下の女性だった。

事件概要

平成18年2月20日午前7時55分。
大阪府池田市住吉2丁目のラブホテル従業員から、宿泊客の様子がおかしいと110番通報が入った。
前日から宿泊していた3階の部屋にの客から、「連れの女性を殺したから警察を呼んでほしい」と言われたのだという。

通報を受けて池田署員が駆け付けたところ、312号室のベッドの上で若い女性があおむけに倒れていた。
傍らには、通報を頼んだと思われる中年男性の姿もあった。
ふたりとも手首に深くはないものの、切りつけたような痕があったという。

池田署は、現場の状況と男の供述から、この男が女性を殺害したとみて殺人の現行犯で逮捕した。

男は、横須賀市の陸自通信学校勤務の陸曹長、藤田盛司。殺害されたのは、兵庫県小野市の陸上自衛隊青野原駐屯地所属の陸士長、尾ケ井有美さん(当時22歳)だった。
尾ケ井さんは17日の夕方から20日の朝まで休暇届を出しており、来る3月の末には任期満了で除隊予定でもあった。

逮捕された藤田は、調べに対し、「不倫がばれ、二人で死のうと思った。陸士長が死にきれないようだったので、ネクタイで首を絞めて殺した」「殺してほしいと頼まれた」と話していた。
藤田は前年の8月まで、尾ケ井さんと同じ青野原駐屯地で勤務しており、二人の交際が発覚したことで横須賀へ「飛ばされて」いたのだという。
それでも別れきれなかったふたりは、この日とうとう、最悪の結末を選んでしまった。

報道では、藤田の供述もあってか、当初より心中という形で報道された。

しかし、検察は取り調べの結果、藤田を殺人罪で起訴したのだ。

ふたりのそれまで


藤田は高校を卒業したのち陸上自衛隊に入隊、平成15年から青野原駐屯地に所属。
既婚者であり、青野原駐屯のある小野市に隣接する加西市で、妻子とともに暮らしていた。

一方の尾ケ井さんは、小学生の頃に両親が離婚、以降、姉とともに母親に育てられた。
女性ながら陸上自衛隊に勤務していたことを考えても、親思いの実直な女性だったと思われる。
半面、他人に感情移入しやすく、優しさが時に仇となり、他人に流されたり、言いなりになってしまうという面も持っていたという。
平成14年に入隊、その年の6月から青野原駐屯地で勤務していた。

藤田と尾ケ井さんは、当初は上司と部下の関係でしかなかった。しかし平成6年の秋ごろから、不倫関係になっていく。この関係はすぐに周囲に発覚し、規律の面からもふたりは上司に別れるよう言われていたが、どうやら別れられなかったようだ。
二人の関係が終わっていないことが隊で明るみになり、今度は話が大きくなってしまった。
藤田は思い悩み、なんと自殺未遂を起こしてしまう。
それまでは、問題になったとはいえ自衛隊内部でとどまっていたふたりの不倫関係が、藤田の自殺未遂によって藤田の家族の知るところになってしまったという。

問題を重く見た自衛隊では、藤田を遠く離れた横須賀の通信学校へ移動させる。ただこの時、それまで一等陸曹だった藤田は、陸曹長へ昇進したうえでの、移動であった。

一方の尾ケ井さんも、青野原駐屯地で引き続き任務にあたってはいたが、上司から藤田と会わないように、と何度もくぎを刺されていた。
しかし二人は、周囲の目を盗んでは、お互いの勤務地近くで密かに不倫関係を続けていたのだった。

(残り文字数:7,283文字)

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