背負いきれないもの~いくつかの介護殺人②~

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南相馬の火災

「人のうわさ話をしない、いい人だった。信じられない」
「お義母さんの調子がいいと喜んでいたのに……」
近隣の人々は皆、事件を知って困惑していた。田畑が広がるのどかな地域で、農機具の修理を引き受けていたその家で、事件は起きた。

平成27年11月、福島県南相馬市で火災が発生した。
木造二階建ての家は全焼、焼け跡からは一人の遺体が発見された。死亡していたのはその家で暮らしていた白川マツヨさん(当時91歳)。
マツヨさんは車いす生活をしていたことから、早朝の火事に気付くのが遅れ、巻き込まれたとみられた。
ただ、この家にはマツヨさんの息子夫婦がいたはず……
息子は11月に入って入院したと聞いたが、その妻がマツヨさんの面倒をみていた。事実、その女性も火災に巻き込まれ、命からがら脱出していた。

告白

女性は助け出された直後、近所の人に対して火をつけたのは自分であると告白していた。
警察はそれらを踏まえ、女性が火災に関与している可能性が高いとしてケガで入院していた女性の退院を待って事情聴取を行ったところ、女性が放火を認めたことから、現住建造物等放火と、マツヨさんに対する殺人の容疑で逮捕した。

逮捕されたのはマツヨさんの息子の妻で、同居していた家業手伝い・白川早苗(仮名/当時62歳)。
早苗はマツヨさんの介護疲れを動機として話していた。
早苗は11月16日の早朝、一階の寝室で寝ていたマツヨさんに近づくと、布団に火をつけたという。

週6日のデイサービス

91歳の車椅子生活の義母の世話、頼りの夫も入院中……
ただ、マツヨさんは高齢ではあったものの認知症ではなく、会話もでき週に6日はデイサービスに通うなど、いわゆる孤立した状況での介護、という感じでもなかった。
また、施設の職員やケアマネジャーらが送迎の際に早苗と顔を合わし、都度、なにか悩みや相談事はないかと聞いていたというが、早苗からは特に困った様子は見受けられなかったという。

福島地裁で行われた裁判員裁判では、検察はマツヨさんの介護が殺害を考えるほどに深刻な状況とは言えなかったとし、弁護側は早苗がマツヨさんと無理心中するつもりだったことを挙げた。

福島地裁は事件の直前にはデイサービスが週6日あったことなどを踏まえ、「介護をめぐる客観的状況は全体としては改善されつつあった」とし、介護疲れによる殺人という部類では重いとして、求刑懲役11年に対して懲役8年を言い渡した。

いつから、どこまで

早苗は確かに介護疲れを動機にあげていた。
デイサービスに週6日通えても、夕方には家に帰ってくる。そこからはすべて早苗の肩にかかっていた。
突然の同居になったというならまだしも、おそらく早苗は家業を手伝いながら長年マツヨさんと生活してきたはず。介護も今始まったわけではないだろう。

自力歩行できないということは、トイレのたびに早苗が介助し、もしくはオムツをつけているわけで、当然その世話も早苗が担うしかなかった。
認知機能が保たれていることは喜ばしい半面、介護の場面においては複雑な思いを両者が抱くこともあるだろう。
62歳の早苗が体力おばけだったとしても、夜満足に寝られない日もあったと思われる。

先程も介護は今に始まったことではないのでは、と書いたが、マツヨさんが自立歩行できないとしてもそれ以外が元気だったことで、早苗にしてみれば「これはいつまで続くのか」
という先が見えない不安というものがあったのではないか。しかも夫は病で入院しており、自営業としての不安もあったろう。そこへ義母の介護が加われば、早苗の心はいったいいつ、安らぐことが出来たのだろうか。

「またよろしくな」
事件前日、デイサービスから帰ってきたマツヨさんが、何気なく言った職員へのあいさつ。それを早苗はニコニコして聞いていたという。
しかし早苗にとってのそれは、どんなに辛くとも拒否できない「命令」として、心に重く沈んでいたのかもしれない。

見沼区の母と息子

弟はひとり残される兄を心配し、これ以上迷惑をかけないよう、各種料金の支払先などを紙に書き残した。
そして警察の手間を少しでも軽くしようと考え、犯行に至った動機や現在までの状況などを書いた後、自身の手首を切った。
何度も何度も、切った。

それでも死ねなかった弟は、罪を犯した2日後に自首した。

弟が犯した罪は、母親殺しだった。

事件

介護疲れ?母親を息子が殺害 さいたま・横浜

 埼玉県警大宮東署は3日、病気で寝たきりの母親を殺害したとして、殺人の疑いで、さいたま市見沼区小深作、中里卓司容疑者(仮名/45)を逮捕した。

 調べでは、中里容疑者は2日午前9時半ごろ、自宅6畳和室のこたつに入っていた母親のみちさん(74)の首を、背後からタオルで絞めて窒息死させた疑い。同容疑者は「一昨年から寝たきりになり、介護に疲れて殺してしまった」と供述している。

 同容疑者は、みちさんらと4人暮らし。犯行後の2日夜、同署に自首した。

産経新聞社 2007.02.04 東京朝刊

弟の人生

卓司は事件当時、母親のみちさん、ふたりの兄との4人暮らしだった。
が、長兄は体が弱く、次兄が主に外に働きに出て家計を支え、みちさんの介護を卓司が担う、そんな状況だったようだ。

卓司は事件当時無職だったが、実はそこには一つ理由があった。

高校生の時、将来は法曹の道を行くと決めた卓司は、大学法学部の通信課程を修了し、アルバイトをしながら司法試験の勉強をしていた。
定職につかなかったのはおそらく、司法試験の勉強時間を確保するためだったと思われるが、平成17年、母親のみちさんが「悪性リンパ腫」と診断されたことで状況が一変したという。
幸い、退院することが出来たみちさんだったが、その後体のしびれなどからイライラが募るようになり、それはやがて世話をしていた卓司に向けられるようになった。
本来は司法試験の勉強のための時間を、卓司はみちさんに全振りせざるを得なくなる。みちさんは卓司の姿が見えないとそのイラだちが加速してしまうため、夜はみちさんと添い寝するしかなかったという。
平成18年からは夜間のトイレが多くなり、その度に卓司がみちさんを介助せざるを得なかった。

ダブル介護

それでも何とか踏みとどまっていた卓司だったが、平成18年1月に長兄が自宅で倒れてしまう。長兄には持病もあったといい、体調悪化を気づけなかったことを卓司は自分のせいだと責めていた。
入院した長兄の世話も、外で働いてくれている次兄に頼ることはできないと考え、卓司がメインで行っていたという。

さすがに無理があると悟った卓司は、市役所で介護認定の申請を行った。少しでも福祉サービスの助けを得られれば、皆が楽になると思ってのことだったが、それを嫌がった人がいた。
母親のみちさんだった。

他人の介入を拒み、かといって卓司をねぎらうわけでもないみちさんの態度に、卓司の心は次第に黒くなっていた。
「死んでくれないかな」
漠然と、そんな思いが胸に渦巻くようになっても、卓司はその胸の内を誰にも明かすことが出来なかったという。

みちさんはそんな卓司の心はお構いなしに、季節が冬になるとその要求はさらに細かく頻繁になっていった。

そして事件当日、深夜を過ぎたあたりからみちさんは頻繁に卓司を呼び、寒い寒いと訴えた。コタツをつけ、そこで眠らせてもまたすぐに呼ばれる。
卓司はもう限界だった。

生きる道は必ずあった

裁判で卓司は、被告人質問にて当時と今の心境を語った。

弁護士「お母さんの介護も、お兄さんの介護も、一人で背負おうと思ったんですか」
中里被告「はい。でも背負いきれるものでないことが分かりました」

検察官「殺したことをどう思っていますか」
中里被告「必ず母の生きる道はあったんですけどね…。道を間違えてしまいました。後で考えてみれば他の道はあるんですよね」

弁護士「お母さんの世話は自分の責任と思っていましたか」
中里被告「苦労して頑張ってきた人だから、最期まで見てあげたい気持ちがありました」

弁護士「一生懸命尽くしているという気持ちでしたか」
中里被告「そこまできれいな話じゃないです。時間がある私が世話しないと、母は生活できないので」

中日新聞社 平成19年5月1日夕刊(さいたま支局・安藤恭子記者)

卓司の献身を、近所の人らも知っていた。それらは200筆の嘆願書となって届けられていた。
弁護人は卓司の長期にわたる介護姿勢がいかに献身的だったかに触れ、このようなケースで実刑は有り得ないと訴えた。

また、次兄も証人として出廷。
弟である卓司に対し、事件を起こさせてしまってすまないと詫びた。兄の目から見ても、卓司は真面目過ぎたという。長兄、次兄を尊敬し、苦労して自分たちを育ててくれた母のことも背負いこんだ。
志した法曹の道。人を助けたい、困っている人に寄り添いたい気持ちもおそらく人一倍あったように思われる。
それが、いつしか家族の問題をひとりで背負い込むべきだと、それこそが自分の役割だとすり替わってしまったのか。

さいたま地裁は卓司に懲役5年(求刑懲役8年)を言い渡した。
裁判長は卓司の長期にわたる献身については、相当の理解を示すことが出来る、とした。
が、それでも殺害に至るのは安易である、と述べている。

母の日には毎年、花を送っていたという。しかしもうその花を贈ることもないとなった今、卓司は自身の愚かさに向き合ったと述べた。

鳥取の母と娘

平成8年1月2日。
年末からずっと雨だったという鳥取市内の民家で、93歳の高齢女性が庭で凍死するという事件が起きた。
女性は井村玉枝さん(当時93歳)。玉枝さんは発見された時、パジャマにカーディガンという薄着で、その全身は濡れていた。

発見したのは隣に住んでいる玉枝さんの三女(当時63歳)だったが、玉枝さんには同居していた長女の存在があった。
警察が自宅内にいた長女に話を聞いたところ、この長女が玉枝さんを外に出してそのまま放置していたと認めたため、殺人の疑いで逮捕した。

逮捕されたのは井村夏江(仮名/当時69歳)。
供述によれば1月1日の午後3時頃、玉枝さんを薄着のまま庭へ出し、そのまま夜通し放置していたという。
ところがその後、夏江は心神喪失の状態だったとして鳥取地検は不起訴処分とした。

この母と娘に何が起きたのか。

元旦の粗相

そもそもなぜ玉枝さんは外に放置されていたのか。
きっかけは、玉枝さんの度重なる「粗相」だったという。1月1日の朝、夏江は玉枝さんの呼ぶ声で寝室へと行った。
その時、玉枝さんのパジャマが濡れていたのだという。夏江は急いで着替えさせ、寝具もあわせて洗濯した。

ところがその日の午後、またもや夏江を呼ぶ玉枝さんの声で寝室に駆け付けたところ、そこにはベッドからずり落ちた状態の玉枝さんの姿があった。
見れば、またパジャマとベッドシーツが濡れていた。
この寒空において、朝干した洗濯物は乾いていない。

夏江の中で、なにかが壊れた。

玉枝さんを庭へと引きずり出すと、夏江は戸を閉めた。玉枝さんの悲痛な声はか細く、周囲に聞こえることはなかったようだ。
夏江は「寒い思いをすれば堪えて粗相をしなくなると思った」と話したというが、もはやこの思考が普通ではなかった。

全てを背負いこんだ人

夏江の人生は玉枝さんと共にあった。
5人兄弟姉妹の長女。妹二人と弟はそれぞれ結婚して家庭を持っていた。県外に住んでいる者もいたが、事件当時、妹のうちの一人(三女)が隣家に暮らしていたようだ。
そして、玉枝さんを発見したのもこの三女だった。

三女は隣に住んでいたものの、自身も97歳になる義母の世話をしており、頻繁に実母である玉枝さんを看ることは難しかったという。
せめて姉の助けになれば、と考えた三女は、夕飯や作り置きを夏江と玉枝さんに届けていたというが、ある時、夏江から
「食べ物ばかり持ってこないで!」
と言われたために足が遠のいてしまった。

夏江と玉枝さんは昭和35年ころからこの自宅で母娘二人暮らしだったという。夏江が30歳くらいの頃、と考えられるため、そのころには妹や弟らは実家を出ていたのだろう。父親がこの頃に死亡したのかもしれない。

夏江の職歴はわかっていないが、おそらく母とふたり、それなりの生活を送っていたと思われる。
翳りが見え始めたのは、事件が起きる3年前。
当時90歳だった玉枝さんが自宅で転倒、両足骨折となって以後、寝たきりに近い状態になっていた。認知症があったかどうかはわからないが、玉枝さんの介護は当然のように同居していて独身の娘である夏江が担うこととなった。
しかし三女はじめ、周囲がすべてを夏江に押し付けていたというわけでもない。三女は食事の配達を断られたことに加え、その時の夏江の様子に不安になり、市の在宅サービス(入浴やヘルパー派遣など)を申し込んだ。

ところが一週間ほどのちに在宅支援のスタッフが自宅を訪れたところ、夏江はサービス利用をすべて断ってしまったという。

さらに井村家は町内会にも属していなかった。最初からなのか、途中からなのかは定かではないが、何十年も暮らしてきたことを踏まえれば何らかの事情で途中から抜けたのでは?と考える。
そのあたりにも、夏江の心の様子が見え隠れするような気もするが、何もかもが遅すぎた。

夏江とて、若いころは普通に自分の将来、結婚して子供を育てる、そういう未来を思い描いたことはあるだろう。それがいつしか、妹弟の世話に加えてひとり身になった母親と暮らすうちに自分の存在価値はこの母親の存在抜きにしては語れない、そんな風になってしまったのかもしれない。
90歳頃までは元気だったように思われる玉枝さんだが、年老いた母親に寄り添う娘という肩書は、独身で子供もおらず仕事も手を離れた夏江にとって、いつしか重荷であると同時にアイデンティティでもあったのかもしれない。

北九州の母と息子

岸壁から車転落 母死亡、心中?--小倉北区

 9日午後3時50分ごろ、北九州市小倉北区西港町の岸壁から、同市戸畑区の配管工の男性(53)運転の乗用車が転落した。男性は自力で車から脱出し救助されたが、助手席にいた母親(86)が約1時間後に車内から水死体で発見された。小倉北署は心中、事故両面で調べている。

 調べでは、車はかなりのスピードで飛び込んだとみられ、岸壁から約40メートルの海中に沈んでいた。

毎日新聞社 平成11年6月10日西部朝刊

福岡県北九州市。毎年夏に行われる戸畑祇園大山笠。ユネスコ無形文化遺産、そして国指定重要無形民俗文化財としても名高い。
「山」と呼ばれる各団体にはそれぞれ「総監督」の存在がある。しきたりにならって準備や神事、そして運行に至るすべてを取り仕切るまさに花形である。

平成11年のこの祭りには、ある男の姿がなかった。
何十年も祭りの中心として活躍し、総監督も務めあげたその男は、山笠の準備が始まる少し前に、母親とともに無理心中を図っていた。

岸壁に消えた親子

車が沈んでいたのは岸壁から約40mも先の海底だった。
運転していたとみられる男性は救助されたものの、同乗していた高齢女性は死亡した。
当初は事故と事件の両面から捜査していた警察だったが、男性から話を聞いたところ、無理心中を図ったことが判明したため後に男性を殺人の容疑で逮捕した。

逮捕されたのは戸畑区の配管工・藤島浩章(仮名/当時53歳)。調べに対して、認知症の母親の介護に行き詰ったことから心中を決意したと話した。

ただその介護は母親単独で10年、さらにはそれより前の10年間も認知症の父親の介護を母親とともに担っており、合計では20年に及ぶ介護の末の事件だった。

母との10年

浩章の人生は30代に入ったころからすでに介護漬けの日々だった。
22年ほど前から認知症を患っていた父親を、母親とともに10年、自宅で介護を続けた。
仕事もプライベートも本来ならば一番、華やかで楽しい時期でもある30代は父親の介護であっという間に過ぎ去り、気づけば40代、自宅にはひとり身となった母親が残った。
「嫁の来てなどない」
結婚はとうに諦めていたという。責任感は人一倍強かった。こんな家に嫁に来ても、不幸を背負わせてしまう。
浩章には近所に暮らす姉がいた。が、近所ではあるものの姉は嫁いだ身。それでも夕食を作ってくれたり、母親を美容院へ連れ出したり、女性目線での世話を良くしてくれた。

父が死亡した後、しっかり者だった母親は張りつめていた糸が切れてしまったかのようにぼんやりすることが増えた。そして、2年後には認知症と診断された。
それでも父を看取った経験もあり、浩章は自宅で母親を見る覚悟でいた。

ところが事件の2年前、それまでの住み慣れた自宅が区画整理に引っかかった。退去せざるを得なくなった浩章と母親だったが、転居した頃から母親の認知症は深刻なものとなっていた。

「あんたなんか知らん」

夜な夜な徘徊する母親を探し回り、徘徊を恐れて夜も眠れなくなっていた。無理矢理眠るためには、飲めない酒の力も借りた。そして、徘徊できないように母親と自分の手首をひもで結んで眠った。

もう限界は超えていた。昼間は現場仕事、夜は母親の介護にすべてを注いだ。
姉はよくやってくれている、これ以上の泣き言は言えなかった。

それでも自宅介護にこだわったのは浩章だった。
施設に預けるという選択肢はどうしても選べなかったという。

ある時、前後不覚の母親に対峙していた際、母親から思いもよらない言葉を投げつけられた。

「あんたなんか知らん!」

認知症なのだからあるあるではあろうけれど、この母親の言葉に浩章は思いがけず強いショックを受けたという。
そして、母と二人死ぬことを決めた。

6月8日、浩章は仕事を休むとあの岸壁へ下見に向かった。その後、父が眠る墓前に手を合わせ、「母さんと一緒に逝くよ」と伝えた。

母親を車に乗せ、小倉北区の西港町の岸壁へ向かうと、一気にアクセルを踏み込んだ。

あんちゃんに対する嘆願書2500筆

浩章は山笠の仲間からは「あんちゃん」と呼ばれ慕われていた。
事件後、あんちゃんを知る仲間たちはまるで信じられない、と言葉を失っていた。
一方で、母親殺害が事実である以上、そこにはどれほどの苦難、葛藤があったか、責任感が強いあんちゃんは誰にも相談できずに一人で抱え込んだ結果だということは、家族のみならず山笠の仲間たちもショックを受けていた。

自然とはじまった嘆願書の署名集め。結果として初公判までに2500筆が寄せられた。山笠の仲間だけでなく、飲食店の経営者らや地域住民、医療、福祉関係者も署名を行った。

初公判において、弁護人はその中に記された署名人らの言葉を読み上げた。殺人に至ったことは残念としながらも、浩章の人柄や合計で20年に及ぶ介護がどれほどの心労となったかについて、実際に両親を看取った経験者などからも浩章だけを責められないと同情の声が上がっていた。
法廷には浩章の知人らもおり、終始すすり泣きが響いていたという。

平成10年12月2日、福岡地裁小倉支部は浩章に懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。
谷敏行裁判長は、法的援助を求めるなどほかに取るべき方法もあったとはいえ、母親の症状悪化に絶望して犯行に至った経緯には、痛ましさすら感じられるとその理由を述べた。

浩章はその後、日常に戻ったと思われるが、大好きな山笠のお囃子をまた聞けただろうか。母親への思いを忘れずに、また山笠の輪の中に戻れたと信じたい。

参考文献

読売新聞社 平成8年1月3日大阪朝刊、平成10年7月2日、9月3日西部朝刊、12月2日西部夕刊、平成19年5月10日、18日東京朝刊、平成27年11月27日、28日、平成28年4月27日東京朝刊
朝日新聞社 平成19年4月14日東京地方版/埼玉、平成27年11月27日(小島泰生、茶井祐輝、本田雅和)、平成28年4月29日東京地方版/福島
NHKニュース 平成19年2月3日
産経新聞社 平成19年2月4日東京朝刊
中日新聞社 平成19年5月1日夕刊(さいたま支局・安藤恭子)
毎日新聞社 平成10年6月10日西部朝刊

読売新聞 [超高齢時代](10)鳥取市の悲劇 「家族介護当然」が重圧(連載)平成8年4月6日東京朝刊  生活情報部(大阪) 野間 裕子